#50 黒蟻の軍勢
退路を確認するために一度引き返していた偵察隊が、1階層に広がる巨大な空間の入り口へと到着する。
全員が足を踏み入れたところで、ジェフリーに意見していた男が後ろに並ぶ冒険者たちを振り返る。
偵察隊のリーダーを任された男は、感情的だった先ほどとは違い真剣な表情だった。
「さて、これから俺たち偵察隊はこの先に進むことになる。だが、この先に進む前にもう一度よく考えてくれ。全員が無事に戻ってこれる保証はどこにもねえ。この先を調べるのも、成果を上げてえってのもあるが、要はやられたままじゃ気が済まねえってだけの俺の我がままでしかねえんだ」
男の真剣な様子に気が付いたのか、冒険者たちはその表情を引き締めてじっと聴き入る。
「ジェフリーさんの考えも間違いじゃねえ。むしろ、冒険者としてはあの考え方の方が正しい。命あっての物種だ、やっぱり戻るってやつがいても俺はそれを責めはしねえ。もし、戻りたいと考えるなら今だ。だが――」
そこで男はいったん言葉を区切る。彼の眼には、抑えきれない闘志が渦巻いていた。
「だが、俺はこのまま戻るのは耐えられねえ!せめて、この先に何が待ち構えているのかを確かめて、その情報を持ち帰る。これだけの人数じゃ勝ち目なんてはなから無いだろう。だが、情報を持ち帰れば次の遠征の時には役に立つ。そうなりゃ俺はこのクソッたれなダンジョンに一矢報いることができたと納得できる!戻りたいやつは止めねえ。だが、たとえ危険が待ち構えていても、舐められっぱなしじゃ気が済まねえってやつは力を貸してくれ!頼む――」
それまで誰も言葉を発することなく聴き入っていた偵察隊。男が頭を下げたことで周囲は静寂に包まれる。
だが、その静寂は、すぐに次々と上がる冒険者たちの声によって破られた。
「何一人でかっこつけてんだ!やられっぱなしじゃ気が済まねえのは俺たちも一緒だぜ!」
「おうとも!冒険者の意地を見せてやらなきゃ引き下がれねえよ!」
偵察隊に参加したほぼすべてのメンバーから次々と声が上がっていく。
誰もがこのままでは引き下がることができないという想いを抱えていたようだ。立ち並ぶ冒険者たちの中には、誰一人戻ろうとする者はいない。
「……覚悟があるってんなら俺はもう何も言わねえ。俺たちの目で、この先に何があるか見てやろうじゃねえか!行くぞ!」
「「「「うおおぉーー!」」」」
男の掛け声に雄たけびで返すと、偵察隊のメンバーは前へと進んでいく。
安全のためには、その広大な空間を隅々まで調べておきたいところだがそれには時間が足りない。最低限度の周囲の警戒をしつつ、急ぎ足で先へと進む考えのようだ。
そうしてしばらく進んだところで、メンバーの数人が違和感に気が付く。
「おい、気が付いたか?」
「……僅かにだが地面が傾いてるな。ほんの僅かでしかないが上り坂になってやがる」
「ああ、それにあれを見ろ」
ほんの僅かにだが、傾斜のある地面。そして、彼らの遥か前方、巨大な空間の中ほどをやや超えたあたり。よく目を凝らさないと見えない程度だが、地面が盛り上がっているようだ。
僅かな傾斜と、その盛られた土のせいで視界が塞がれ、その先に何があるのかを彼らの位置から確認することはできない。
「おそらくだが、あそこを超えれば待ち構えている敵の姿が見えるんだろうな」
「逆に言えば、あそこまで行かなきゃ確認ができないってことだろ。ここはあまりにも広すぎる。もし伏兵がいて囲まれてしまえば――」
その先を予想したのかぶるりと体を震わせる冒険者。
偵察隊のメンバーにも不安に感じるものが出始めたようだが、それでも彼らは黙々と前へと進む。
遠目から見えていた地面の盛り上がりは、高さ5mほどの緩やかな傾斜だったようだ。そこへ近づくにつれ、偵察隊の間に走る緊張が徐々に大きくなっていく。
「そろそろ、あそこにたどり着く。何かあるとしたらあの先だろう。みんな覚悟はできてるか?」
リーダーの言葉に頷きで返す冒険者たち。ゴクリと誰かの喉を鳴らした音が聞こえた。
各々がその武器を構え、ゆっくりと坂へと近づいていく。一歩、また一歩と進み、ついにその先の光景が彼らの視界へと入った。
「なっ――」
彼らの目に入ったのは、その先の地面を黒く塗り替えるほどのジャイアントアントの大群だった。
ずらりと並んだジャイアントアントは、小規模なグループ毎にコマンダーアントが加わり、さらにそれらのグループの集まりにジェネラルアントが加わる形で編成されている。
間違いなく万を超える規模のジャイアントアントの最後尾にいるのは、ボスモンスターであると思われる、一際大きな存在感を持ち、防具を付けたジェネラルアントらしき姿。さらに、その周りを同じように防具らしきものを付けたジャイアントアントが取り囲んでいる。
彼らもこの光景を予想はしていたが、実際に目にしたとなれば、その軍勢の発する威圧感に飲まれそうになる。
整然と彼らへ向かって行進するジャイアントアントたちのその姿は、まさしく黒軍の名を冠されたダンジョンにふさわしい光景だろう。
このままこの場所に留まれば、その圧倒的な数でもって蹂躙されるだけ。そう判断した冒険者たちは、すぐに踵を返すと撤退を始める。
「おいあれを見ろ!」
声の主である冒険者が指さす先――彼らの前方でも変化が起きていた。
元来た通路へと走る彼らの左右から大量のジャイアントアントが次々と地面を突き破って現れ、彼らの行く先を塞ごうと移動を開始する。
「やっぱり伏兵がいたか!急げ!このままじゃ囲まれるぞ!」
「なんだあのモンスターは!?新種か?」
彼らの前にいるジャイアントアントの中には彼らの見たことのないモンスター。防具を付け、剣や槍、ハンマーに弓といった武器を持ったアントレディアまでもが含まれている。その異様な姿を見て困惑する冒険者たちだが、彼らの足が止まることはない。
さらにペースを上げる偵察隊だが、彼らが入ってきた通路まではまだかなりの距離がある。
彼らが来た道を走るうちにも、次々と現れていくジャイアントアントたちの作り上げる包囲網は徐々にだが完成しようとしている。
その包囲網が完成する直前、リーダーの男が前に出ると声を張り上げる。
「完全に囲まれる前に正面から突っ切るぞ!俺に続けぇ!」
そう言うや否や盾を正面に構えて、包囲網の一番薄い場所へと猛進する男。
次々と飛来する矢を剣と盾で叩き落とし、酸の雨を掻い潜るとジャイアントアントたちへ肉薄する。
立ちはだかるジャイアントアントの群れへと突っ込んだ男は、迫りくる大顎や武器による攻撃を次々と避け、回避できない攻撃は弾き返していく。そして、その手に握った剣でもってジャイアントアントたちを切り払いならが進む。その後ろに続く冒険者たちも、各々の武器を振るい道を切り開く。
「まったく、予想はしてたけど本当に数が多いわね!」
テシータが足を止めることなく、魔力で作り上げた複数の矢をまとめて放つ。
同時に放たれた何本もの矢は、それぞれが弓を持ったアントレディアや、遠距離攻撃の可能なジャイアントアントたちへと突き刺さる。
そのまま周囲から繰り出される攻撃を躱しつつも矢を放ち、次々と放たれるそれらは1本たりとも目標から外れることなく命中する。
「油断するなよ、足が止まればジャイアントアントの群れに飲み込まれてお終いだぞ」
そう言ってメルエルは剣を振るい、開いている片手で風魔法を放つ。
振るわれた剣は硬い甲殻を容易く切り裂き、放たれた風の刃が周囲を囲むジャイアントアントを蹴散らす。
彼に向けて突き出された槍を数本まとめて切り落としたメルエルは、そのまま目の前のアントレディアをその体を守るミスリルの防具ごと切り伏せる。
さらに、その後ろをカルネに乗って追いかけるリーナと、それに並走する青い蛇の背中に跨るトルメル。
青い鱗を持った蛇が水のブレスで押し流し、カルネが立ちふさがるジャイアントアントたちを跳ね飛ばす。
さらに、蛇の背中に乗ったトルメルが何かの種を後ろへと撒くと、種から急速に成長した木々が追いすがるジャイアントアントたちの前を塞ぐ。
「いやあ助かったよ、さすがにこの数のジャイアントアントの中を突っ切るとなれば、僕じゃ危なかったかもしれないね。それにしても素晴らしい手触りの鱗だね」
「どういたしまして。トルマはプライドが高い子なので、あまり触りすぎると振り落とされてしまうかもしれませんよ?」
「おっと、さすがにここで落とされたら大惨事だ。名残惜しいが忠告に従うとしよう」
リーナから注意され、トルメルは慌ててトルマの鱗を撫でるのをやめる。
その様子を見てクスリと笑いをこぼしたリーナだが、彼女の前に待ち構えているアントレディアたちが槍衾を作り上げる。
「カルネ!」
リーナのその一言でカルネは咆哮を上げ、立ちふさがるアントレディアの前で高く飛び上がる。
そのまま待ち構えていたアントレディアの頭上を飛び越え、その先にいたジャイアントアントを踏みつぶしてカルネは地面へと着地。
さらに、二度、三度と飛び上がったカルネは、ジャイアントアントの少ない場所に着地すると、その隙間を滑るように駆け抜ける。
真っ直ぐにジャイアントアントの群れの中を突き進んでいく冒険者たち。そして、ようやく先頭を走っていた集団がその包囲網から抜け出す。
何度か攻撃を受けたようで多少のダメージを負っているようだ。武器を取り落としたもの、体のあちこちから血を流しているものもいるが、それでも彼らの足は止まらない。
先頭の冒険者たちがこじ開けた穴から、次々と後続のメンバーが包囲網を突破。
数人がジャイアントアントの群れに飲まれてしまったようだが、それ以外のメンバーはなんとか包囲網から抜け出すことに成功した。
後ろから追いかけてくるジャイアントアントを魔法や矢で牽制をしつつ、冒険者たちは通路の入り口を目指して走る。
「なっ……見ろ!通路が崩されてやがる!」
「くそっ、急いで土を退けるんだ!」
ようやく入り口にたどり着いた彼らを待っていたのは、崩落によって塞がれた通路。
目の前には崩れた通路、背後にはジャイアントアントの集団、さらにその奥には万を超えるジャイアントアントの大軍勢。
大地を塗りつぶす真っ黒な影が、冒険者たちのもとへと足音を立てながら近づきつつあった。
今日はこの後に閑話がある予定です。
本編に全く関係がないうえに、シリアス気味な雰囲気をぶち壊す可能性があるのでご注意ください。




