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Parfumésie 【パルフュメジー】  作者: じゅん
消えるように。
367/369

367話

 そしてその人物が眼前に到着すると、目をキョロキョロと泳がせながらブリジットが問いかける。


「……あの、今からアンコールが——」


「『レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ』、やるんでしょー? 本当はさー、私もやるつもり、なかったんだけどさ」


「……?」


 その人物は。戸惑うブリジットのことなど気にせず、マイペースに準備を始める。ケースから弓を取り出し、スクリューを回して調整。松脂を塗り、ヴァイオリンを肩へ。


「頼まれちゃって。困った困った。でもさぁ、これも一緒にオジサンから渡されて。仕方なし、仕方なーしに一曲だけ。本当はやりたくないんだけどね。キミの許可も取ってないのにねー」


 なんだかんだと愚痴を言いながらも、流れるように準備完了。よく見ると足元に猫。つかず離れずの距離感。


 姿勢を見れば、なんとなく演奏者の実力はわかる。無駄のない、淀みのない力感。美しいその立ち姿。そして、それ以上にブリジットが目を丸くしたもの。


「……その、ヴァイオリン」


 一度だけ、見たことがある。結構、楽器の見た目の特徴などは記憶してしまうほう。だから、いや、たぶん、それは。


 


 『あの子』が持っていたもので。




 ニヒ、っと女性は悪どい笑い声。


「そ。ここでアンコールを弾いてくれ、って頼まれてね。あ、ちょっと待って。忘れてた」


 と、ポケットからルージュのようなものを取り出すと、軽く唇に塗る。本来は口に入れるものではないため、正式な使い方ではない。あくまでほんの少し。リンゴの。甘酸っぱい香り。その奥の甘さ。芳醇なフルーティ感。なるほど、そう解釈したか。立派立派。


 ヴァイオリン続き、そのルージュにもブリジットは見覚えがある。つい先日。学園の小ホールで。


「……! それ……」


「あの子からだよ。あの子は嗅覚からの香りを音にしてたけど。私はちょっと違うんだなー、似てるけど」


 ポケットにしまい、今度こそ準備完了。いつでもいける。合わせてあげる。


 猫は。香りを鼻だけでなく鋤鼻器官でも感じ取る。生物から感じ取ることができる化学物質を感知する。その生物とのコミュニケーションを取るのに、鋤鼻器官は欠かせないアイテム。霊長類は退化してしまったが、猫以外の哺乳類や爬虫類、両生類などでも発達している。別名ヤコブソン器官。


 この香水からはショパンの鼓動を感じる。想いが見える。聴こえる。それを私は音にする。そして逆に、奏でる音の鼓動を香水にする。ま、難しいことはよくわかんないけど。基本的には一緒? 深く考えたってしょうがない。


「……」


 この人は。なにを、言っているのだろう。落ち着いていたブリジットの心臓のスピードが急激に速くなる。そんな、だって香りを音に、なんて。まるで。まるで。




 ブランシュみたい。




 悩んでる悩んでる。いいよ、きっとこの曲はショパンも悩み抜いて作った曲だから。同じ境遇になって見えることもあるでしょ? そう女性は心の中で伝えると、演奏のスイッチを入れる。


「じゃ、歌うよ。『シュライバー』」


 構えたヴァイオリン。ストラディバリウス『シュライバー』。さぁ。ショパンの仰せのままに。

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