309話
くるくるとスティックを回しながら、見た目だけはドラマーになるマノンは、なぜか自信満々。
「いや、見様見真似。ジャズドラムは右手と左足だけ使えれば、それっぽくなるからね。休憩中や終わりなんかに齧った程度だよ」
特に練習したわけではないが、それくらいは知っている。ライドシンバル中心に、他のバスドラム、スネアドラム、ハイハットなんかを混ぜ合わせるように、って聞いたことある。これで乗り切る。乗り切れるかな? ダメだと思ったら迷いなく逃げる。
……まぁ、いい、のだろうか。なんにせよ、これもまたとない機会。深呼吸。自分自身が溶けていくように。空間と一体化するように。ブランシュは曲名を発表。
「それでは……カッチーニの『アヴェ・マリア』を」
心に浮かんだ祈りを。そのまま。
大きくクロティルドは頷き、頭を次の曲に切り替える。
「いいね。シューベルトでもグノーでもなくカッチーニ。なにか隠し事でも?」
これを選んだということは。疑ってしまいたくなる。無駄に。
そう問われ、目が覚めるような思いのままにブランシュは否定するが。
「いえ、そんな……なんとなく、です」
無意識。そう、無意識だった。この曲が好きだ、というのもあったが、ふとカッチーニの曲を。
アヴェ・マリア、というものは元々はカトリックにおいて、聖母マリアへの祈祷のことを表していた。そのための音楽、祈祷文を歌詞として作曲された音楽作品は全て『アヴェ・マリア』となる。楽曲のみならず、絵画や聖母マリアの像なども含めて『アヴェ・マリア』となるため、膨大な数。
その中でもクラシックにおいては『三大』アヴェ・マリアが存在する。歌曲王シューベルト、フランス近代歌曲の父グノー、そしてイタリアのルネサンス期に活躍したカッチーニ。
その中でもカッチーニだけは、実は彼の曲ではない。ウラディーミル・ヴァヴィロフという、ロシアの二〇世紀の作曲家の曲。作曲家不詳としていたのだが、彼は過去の人物の名前を使うことが多々あった。さらに後にレコーディングするアーティストが、カッチーニ作と表記したためこんなことに。




