127話
「まず間違いなく、ベルさんの影響ですね」
数日前を思い返すブランシュの脳に、呼び戻される音。
ベル・グランヴァル。二つ目の香水『新世界より』を担当した、ピアノ専攻の生徒。特殊すぎる調律でしか能力を発揮できないため、評価を二分するピアニスト。ビブラートを可能とする腕を持つが、ホールのピアノがなぜかそれが可能な調律を施されていたため、披露することができた。
そしてヴィズが突きつける事実は残酷。
「残念ながら、そのピアノではもうビブラートできなくなっているわ。再調律が依頼されたそうよ」
万聖節の期間限定で、〇・〇一ミリ単位のベル専用調律がされていたとのこと。誰がなんのために? ちなみに再調律を行った調律師は「なんであたしがこんなこと」と文句を言いながらも、完璧に仕上げたらしい。
「というか、ビブラートはやめたほうがいいわ。実際、悪影響出てるわよ」
冷たく言い放つヴィズの指摘通り、包み込むような優しい表現力を有していたイリナのピアノは、完全に鳴りを顰めている。ビブラートという目先の技術に飛びつくあまり、全体のバランスを崩壊させてしまっていた。
「ベルはできていた」
噛み締めるように思い出すイリナ。その音の輝きは、今でも思い出す。夢に出てくるよう。
言いたいことは理解しているヴィズだが、その醜態には我慢がならない。友人だからこそ。
「でもあなたにはできていない。そのぶんベルはテンポの遅い曲が苦手だし、強弱のうねりが強すぎるところがある。長所と短所がある」
「ベルにはできてたッ! ならあたしだってできるはずだッ!」
みんな一緒くらいのはずなんだから。イリナの咆哮は悲しくホールに飲み込まれる。言い終わりに軽く咳き込んだ。無理にでも吐き出す。
それでもヴィズの理論では変わらず、対処する様は冷静そのもの。
「無理よ。世界にビブラートを使いこなせているピアニストなんていないわ。都市伝説。手首に負担をかけるから、ケガもしやすい。あなたはあなたの音を目指すべき」
グレン・グールドは実際歌う。録音には必ず彼の歌声が入っている。だが、ピアノはビブラートできているとは言い難い。ただ癖の強い、けど心震える演奏があるだけ。
「でもそれじゃ……上では勝てない……!」
強く、震えるほどにイリナは拳を握る。上。世界。音楽の最高峰、パリで生まれたんだから、目指さないと。目指さなきゃ。目指すべきなんだ。だから。
「曲芸に頼っている時点で勝てないわ。しっかりと譜面を読み、自分なりの答えを用意して、自信が持てるまで練習し、本番を迎える以外になにがあるっていうの?」
基礎のないグラグラとした土台など、そのうち脆く崩れるだけ。トリッキーな技は、たしかな技術があるからこそ生きる。親友のみっともない姿にヴィズは怒りのゲージが溜まっていく。




