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妖精に殺された

 エレノアが過去のルイと話していた時間は、そう長くはなかった。

 彼女を腕に閉じ込めて十分したあたりで、ルイは「あれ?」と訝しげに声を出した。

 彼女を放して自分の体にぱたぱた触れて、エレノアに「あの……」と困った顔をする。その時に、エレノアは悟った。過去のルイはもういなくなっていると。


「だいじょうぶだよ。ルイはちょっと、イベントに巻き込まれただけなの」

「イベント? どんなものですか?」

「記憶の退行だよ。あと、これ」


 エレノアがルイに羊皮紙を差し出す。メモ用紙ほどに折り畳まれたそれは、過去のルイから託されたものだ。「なんでしょう」と小首を傾げたルイは、その紙に指が触れた時に、一瞬ぴくりと止まった。そして少々目を鋭くさせて、受け取る。

 ――魔術がかかっている。しかも、この魔力は――。

 ルイは警戒しつつ、彼女に尋ねる。


「これを書いたのは、僕ですか」

「うん。さっきのイベントでね、これをルイに渡してくださいって。過去のルイから」


 それならこの手紙は安全だとルイは確信した。

 自分がメッセンジャーに選んだのがエレノアであれば、危険はない。ルイは自分を信用していないけれど、いつの時代の自分でも、何かを傷つけるものを彼女に託すとは思えない。


 開いた手紙は、一見白紙だ。自分の魔力を流さなければ手紙の文字を読めなくする魔術は、たしかにルイが考案したもの。

 しかし。

 この魔術を思い立って完璧な形にさせたのは、実はごく最近だ。己が手がけた魔術は全て覚えている。


 ルイが紙面に指を滑らせて、込められた魔術式を浮かび上がらせてみると――なるほど、完成させた魔術式と少し違う。けれどこの式でも効果はさほど変わらないだろうということが、見て取れた。

式の美しさすら気にする、潔癖な魔術中毒。それはルイ本人が自覚している癖だ。

 彼は一通り検分して、ようやく魔力を流した。

 羊皮紙の底からじわりと滲み出たインクの文字列をじっと辿り、彼はそっと目を伏せる。


 ――ああ、そういうことですか。


 先程まで『過去の自分』がいた身体でエレノアを強く抱きしめていた理由を、ルイは察してしまった。


       *


 魔物がひしめく魔界で迷ってなどいられないから、まずは人間界でできる限りの噂や情報を耳に入れて予習をし、魔王城の場所だとか、攻略のヒントを探す。

 もちろんレベルを上げつつ、そして魔界に近づきつつ、というのが勇者一行のお仕事だ。

 それに恋愛ゲームらしく、パーティーそれぞれの暗い過去やトラウマなどに向き合ってきっちり心を晴らしていかなければいけない。

 武闘家の故郷に戻るだとか、治癒師の恩師に会いに行きたいとか、その先でトラブルに巻き込まれて――というのがお約束だ。

 勇者であるハスミは、勇者らしい優しさと決意でもっていちいち『遠回り』に付き合ってしまう。そのおかげでレベルも上がるから、間違った判断ではないのだろう。

 ただそのパーティーになに食わぬ顔で紛れて静かに微笑んでいる魔術師――魔王のステータスを知っているエレノアは、その努力も無駄な抵抗にしか見えなかった。


 とある街で噂されていた完結されず終いの書籍『勇者の冒険譚』、その著者の足取りを追ってみたけれど、何せ百年近く前の人である。しかもやたら虚栄心が強い人物だったらしく、自分の容姿や旅路を盛大に飾り付けた文章はあまり参考にならなかった。

 他にも様々な無駄足を踏まされながらどうにか掴んだ情報によると、廃都グレノールには、所在不明な魔王城へのヒントがあるらしい。


 ハスミたちは多くの修羅場をくぐり抜けて、ここに着いた。


『廃都グレノール~始まりの都市~』


 エレノアの脳内画面には、こんなタイトルが掠めてフェードアウトしていった。




 高い山から見下ろすと、巨大な円形の灰色都市だった。防壁はところどころ欠けていて、誰の手も付けられていない。

 よく晴れた青空の下。

 その都市は、エレノアが覚えているよりも随分と小さく思えた。


 門は固く閉ざされていたので、仕方がないからエレノアが飛んでいき、人間大になって門を内側から開くことになる。木製のレバーをがちょんと下ろすだけで、廃墟にしてはスムーズな操作ができた。『ゲームの世界でなら』お馴染みの仕掛けである。

 グレノールは酷い有様だ。

 煉瓦の建物は破壊し尽くされ、家々の殆どは、ハスミの背丈ほどの壁のみを残していた。

 木の机や衣装棚、汚れたぬいぐるみ。それらはかつて人々の暮らしを暖かく支えていたのだろうけれど、今は屋根のない家の中で風化の一途を辿るのみ。

 黒く焦げた跡も数え切れない。


 エレノアはそれらを冷たく見下ろした。

 エレノアという個体が人間を嫌悪する原因となった元王都を、赦していなかった。

 彼女はルイの方に向かうと、ローブの中に潜り込んでしまう。ルイも無言で受け入れた。


 一歩進むたびに何かしらの欠片を踏まなければいけない大通りを歩きながら、エミリエルが提案する。


「勇者様。ここは二手か三手に分かれた方がいいかもしれない」


 勇者もそれに頷いた。治癒師が言わんとしていることはよくわかる。

 皆で同じところをぞろぞろ歩くのは時間の無駄だ。


「そうね。それじゃあ、チームはバランス良くしないといけないわ。まずは、エレノアと……アーロイスね。それからエミリエルさんとファラス。私と、ルイ。これでバランス良いかしら? って、……エレノアは?」

「うん?」


 ルイのローブの襟から、エレノアがぴょこりと顔を出した。


「なんでそんなところにいるのよ」

「なんとなく。魔術師さまのローブは絶妙にあったかくて居心地いいんだよ」

「そ、そうなの。でもごめんなさいね、ルイとエレノアは魔術ができるから、一緒にするとバランスが……」

「大丈夫だよ。しょうがないもんね」


 本当ならルイといたいけれど、ステータスが偏らないようにチームを分けるなら、真っ先に分けられるのが魔術師と妖精だ。エレノアも元プレイヤーとして、その気持ちはわかる。

 勇者とルイが同じチームになると聞けば、胸が少しちくりとした。

 ルイからは「あの家は僕が見てきますね。機会があったら君も後ほど」という思念が飛んできたので、それで良しとする。


 騎士の隣に妖精が飛びながら、無言で進む。

「俺たちあっち行くなー」と勝手に決めてしまった彼をちらりと見ただけで、エレノアは文句のひとつも吐かず前を向いていた。


「…………」

「…………」


 無言。倒壊を免れた家屋に入ってみても、枯れた井戸に入ってみても、会話は無かった。

 居心地が悪いと感じているのは騎士だけで、妖精は心ここにあらずといった様子だ。

 皆の前では簡単に叩ける軽口が、二人きりになると何故か言えないアーロイス。

 人間相手だと売られた喧嘩は買うスタイルのエレノアは、話すも行動するも常に受動的だ。

 結果、移動していく二人に奇妙な沈黙だけがまとわり付くのだった。


 アーロイスが煉瓦の欠片を踏んだ音すら大きく聞こえた。

 あとはせいぜい、耳元で微風が鳴るくらい。

 ちらり。

 アーロイスはエレノアを一瞥した。

 ……ちらり。

 二度見した。

 そしてわざとらしく溜息を吐いて、「なあ」と声をかける。わざわざ名を呼ばなくても、エレノアは素直に反応した。


「なに」

「俺さ、妖精は嫌いだったんだ」


 喧嘩売ってる?


 突然何を言い出すのか。むっとしたエレノアから目を逸らして、アーロイスは足を止めた。

とある家の残骸に近寄って、瓦礫の下に手を突っ込む。掘り出したのは木のヘラだった。それを放り投げて、また歩く。


「本当の親を知らねー。カルギナに行く前に育ててくれた人たちがいて、その二人が俺の親だと思ってた。その父親代わりの人を親父って呼んでるんだ。親父が妖精をすっげえ嫌ってたっぽいから、俺も、妖精って酷い奴等なんだと思ってた」

「ふうん」

「親父が妖精嫌いな理由、聞いてくんねーかな? おまえには悪い話だけど、妖精なんておまえ以外に知らねえし、……でも妖精の一匹くらいには、知っておいてほしいんだ」

「……別にいいけど」

「……ごめんな」


 珍しく謝罪する彼に、エレノアは驚いて何も言えなかった。


「親父の母親は妖精に殺された」

「……え」

「つっても、直接殺されたんじゃなくてさ。見て見ぬふりをされたってだけ」


 アーロイスは前だけを見て進んだ。手分けして手がかりを探そうという勇者の意図をさりげなく無視している気がしないでもない。

 妖精は何も言わず、騎士の言葉に耳を傾ける。


「親父は小せえ頃、家の中では出来損ないでさ、居場所がなくて、甘えられるのが母親だけだった。その母親と一緒に薬草を摘みに外へ出て、魔物に襲われた。母親の魔法で魔物は退けたけど、親父を庇って戦ったからか、大怪我をした。一刻も早く助けを呼ばないといけないのに、当時子供だった親父は現在地点がどこなのかもわからなかった」

「…………。」

「母親の息はまだあったらしい。はやく処置をすれば助かる怪我だったんだって」


 騎士は怒ってはいないようだった。


「親父の母親は、助からなかった」


 穏やかに前だけを見て、歩いている。


「子供一人じゃ、人を抱えられねえし。かといって歩かせられなかった。……その時、周囲には妖精がいたらしい。小さいのが沢山、いたらしい。

親父は妖精に助けを求めた。言葉が通じて、手助けのできる生物がその場に妖精しかいなかったから。助けを呼んでくれるとか、親父の代わりに母親の傍についているとか、道を教えてくれるだけでも良かったんだ。……でも妖精は逃げた」

「……そう」

「母親を置いて、親父は必死に山をかけずり回った。やっと街に戻って、人を連れて、母親を迎えに行った時には、もう……」


 その先は、馬鹿でもわかる。

 アーロイスが親父と呼ぶ、その男の子は――どれほど心細かったことだろう。母親を助けられなくて、どれほど泣いたことだろう。

 エレノアは眉根を寄せて、けれどやはり何も言わなかった。

 話の妖精は自分ではない。しかし人間としての記憶を取り戻す前の、純粋な妖精であった自分がその場にいたら、果たして人間を助けただろうか? ……頷けない。

 難しい顔のエレノアを見て、騎士は「ははっ」と軽く笑った。


「人間がな、妖精にしたことはわかってる。エレノアってか妖精側にも言い分はあると思う。だけど、大事な人を見殺しにしたって事実とかそういうのは、歴史の確執とか、理屈じゃなくてさ、親父の心にずっと残ったらしい。割り切れなかったんだって」


 彼の声色には禍根がない。爽やかで、皮肉でもなくて、思い出話をする平坦さで口にしていくのだ。


「あと母さんのことも」

「母さん?」

「んあ? ……あー。俺の母さんも本当の母さんじゃねえらしいけどさ。親父とは結婚もしてなくて、でも一緒に暮らしてたから勝手にそう呼んでるだけだ。母さんには他に好きな人がいたんだって。でもその人は妖精にとられたんだって」

「妖精関係の運がないんだね」

「ほんとそれ。相性悪すぎ。だから母さんを傷つけたのも妖精なんだって、親父が言ってたらしい。……ま、親父も母さんも魔王のところにいって帰ってこなかったらしいけど」

「なんかさっきから、『らしい』だね」

「親父と母さんがいた時は、俺もちっせえ頃だったし。二人の伝手でカルギナに預けられて、それからあそこに世話になってた。そん時に、二人の知り合いっつー奴から話を聞いたんだ。だから実際のところ、親父の話が事実かもわかんねー」


 歩き続けて、騎士は再びその足を止めた。


「この辺だったかな」


 どこからどこまでが一戸の家なのかも判然としない瓦礫の山の中に、アーロイスはずかずか踏み入って行く。

 途中で中途半端に立っていた木柱の残骸が倒れてきて、彼が一閃で叩き切った。目にも留まらぬ速さで剣を抜いて、鞘に納める。この騎士は口が荒っぽいけれど、ルイとは違った道での達人なのだとエレノアは知っている。だから今更、その流れるような剣技に驚くことはない。


「……騎士さまの家?」

「親父の家らしい。見る影もねえけど。……この瓦礫の山、一度来たことあったんだよな。二人が魔王のとこに行く前に、手ぇ繋いでさ。これだけはなんとなく覚えてた」


 アーロイスは手頃な瓦礫に腰掛けて、空を仰ぐ。


「こんな空だったっけなー……」


 ぼんやり呟く彼は、妖精の返答を必要としていない。

 エレノアはふよふよと飛んで、青空を遠く見上げる騎士の頭に腰掛けた。


「お、おいっ!?」


 慌てふためく彼に構わず、そのまま髪を鷲掴みにして安定を図る――もちろんルイには決してこんなことをしない。

 こうしてみると安心感があった。どうしてだろう。エレノアは自分の心境の変化を不思議に思うけれど、考えても仕方のないことだ。

 普段は自分から触れてくることのない妖精の突然の接触に、彼は硬直した。

 エレノアは彼の前髪を引っ張りながら、上から覗き込んだ。


「ねえ、お父さんの名前は?」

「ぎ、ギルレム・ファナリア」


 その答えを聞いた時。

 エレノアは、「やっぱり」と思った。


 ――だけど、あれ?


 疑問が生まれる。


 ――ギルレムさんとクレアさんが魔王城に来たのは何年前だっけ? あれから何年が経っているんだっけ?


 王都が壊滅してから百年近くになるという。それは自分が長期の「おやすみ」をしていた時に起こったことだ。それから自分が目覚めて数年でクレアとギルレムがやってきたことを、さらりと考えた。

 自分の仕事をあまり語ってくれない魔王と、今しがた騎士から語られた少ない情報を繋ぐと、エレノアにだってその不自然さがだんだんと見えてきた。


 あの二人が来て、死亡してから現在。

 この年数は少なくとも、アーロイスの年齢を軽く上回るはずだけれど――。


「エレノア」

「うん?」


 声が、妖精の思考を遮った。


「こんなこと話しておいて何だけどさ、なんつーか、知っておいてもらいたかった、……っつーか」

「それはさっきも聞いたよ」

「そうじゃなくて、お前にさ……」

「うん?」

「お前に大事な奴がいるらしいってのは、時計でわかるけどさ。……でも俺、お前が――」


 と、騎士が腹を括った時である。


「ああ、ここにいましたか」


 いつものように、運命のように、必然のように、当然のように、ルイが邪魔をする。アーロイスが機械じみた動きで振り向けば、そこには「やあ」と微笑むルイがいた。


「お前は新種の背後霊か!!!!!!!」

「ふふ、何を失礼な。君がここに座り込んでいるのが遠くから見えたので、心配して飛んできたんですよ?」

「ありがとよ!」


 涙目の騎士がさらに遠くに視線を移せば、壁の影で行き所をなくした手を浮かせたままのハスミがしゃがみこんでいた。そして「ごめんね」と口の動きで謝罪された。ハスミがなんとか『いい場面』を壊さないようにした形跡だけは窺えて、それがまた虚しい。

 今度こそ固まってしまったアーロイスの頭からエレノアが元気に飛び立ち、ルイのローブに勢い良く入った。


「心配していましたが、お元気そうで何よりです」

「うん」


 仲がよろしい二人の様子に、アーロイスは拗ねてハスミは苦笑した。

 エレノアはローブから顔を出して、一応は戦果報告をする。


「こっちは何もなかったよ」

「そう。私たちの方はね、興味深いものがあったわ。……あったんだけど……日記みたいなのが……」

「日記?」

「うん。資料とか見たら宮廷魔術師の家だったみたいなんだけど、日記があったのよね。でもなんか、読み終わったと思ったら消えちゃったわ」

「消えちゃった?」

「ていうか燃えちゃった」

「燃えちゃった?」


 自動的に消滅しますという類のアイテムであったらしい。

 エレノアは宮廷魔術師の家――廃都グレノールで完全な形で残されているスティラス家――で発見される手記の存在を知っていたので、驚いたのはもちろん演技だ。


 ――でもルイ、よくそんな面倒くさそうなの書いてたね。


 その内容はゲームで何度も見て知っているけれど、もしかしたらどこか違っていたりするのだろうか。エレノアは、ハスミに好奇心で「どんな日記だったの?」と尋ねた。


「……なんか……すごく……」


 苦しそうだった。という言葉を、ハスミは飲み込んだ。

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