誰にっ!?
聖都から出て最初の魔物出没地の林道沿い。そんな危険なところに、宿屋を兼ねた教会がある。ここでは治癒師が仲間に加わることになる。
「治癒なら私、エミリエルにお任せを。勇者様の旅に同行できるなら、さぞ勉強になることだろうね」
背の高い、シルバーフレーム眼鏡の美丈夫。シーンによっては橙色にも見える明るい茶髪を持つ、抱擁系お兄さんキャラの理想を詰め込んだような男である。
それから街を二つほど越え、とある小さな炭鉱にて、なんやかんやとひと騒動があり、武闘家に会う。即座に仲間入りだ。
「んぁ? 名乗ってなかったっけなーそーいえば。オレはファラス。よろしくな、ねーちゃん。あと多数と……一匹?」
とのことだ。
身長が低いことを気にして、ビスと一、二を争うショタ枠。勇者側ショタと魔王側ショタは、互いのファンが睨み合う状態であったことを、エレノアはぼんやりと思い出した。
そんなこんなで大方の攻略キャラが出揃って、残るはあと一人だ。ここまでで約ひと月。この時間のうち半分は、少女の剣や魔法の修練に費やした。
画面越しにプレイしていれば二時間とかからない旅路が、とても長いもののように感じられる。ボス戦は二回ほどで、レベルは建前上、全員が十五前後となっていた。
*
空気を斬る音がした。
「ほいほいっと」
無情な声がして、四体のゴブリンが立て続けに倒れた。緑の血液がどくどくと地面に染みていく。
その様子を呆然と見ていた少女とその仲間一行は、傍に戻ってきた妖精を引きつった顔で「おかえり」と迎える。
魔物と遭遇し、戦闘が始まって五秒で掴んだ勝利だ。自分の力なら良いが、妖精一匹の勝利なんて虚しすぎる。
「なんだか、近頃はすごく……えっと、活発ね?」
肩に腰を下ろした妖精に、少女がおそるおそる声をかけた。
ここ一週間、エレノアのやる気が普段とかけ離れていて不気味だった。開幕と同時に妖精の電光石火と魔法の連打で複数の敵を一ターンで潰すシーンが多々ある。
それに時折、ぼうっと空中に浮かんで遠くを見ていたかと思えば、突然地面に急降下してごろんごろんと転がり始めたりすることもあった。
妖精の本能か?
新手の状態異常か?
治癒師など、この三日間で妖精に関する本を二冊読破した上に手ずから診察しようとした。「人間嫌い」であるらしい妖精が、診させてはくれなかったけれど。
妖精の落ち着きがない。それもそのはず。現在向かっている山間の国『アスラ』には、最後の攻略キャラ、ルイ・スティラスがいるのだ。周囲はそんな事情を知るわけがないので、尚更不気味がっていた。
誰も褒めていないのに「活発かな? へへ」と恥ずかしがる妖精へ、騎士が突っかかった。
「おまえ、もっと落ち着けないわけ? ハスミだって困ってるだろ」
「勇者さま困ってるの?」
「そんなことないわ。早く終わるのはいいことよね、うん」
「困ってないって」
「完璧に遠慮してんじゃねえかよ」
「でもそろそろ食料もないんだし、人間はすぐ疲れるんだから、体力は消耗しない方がいいんじゃないの?」
「そりゃそうだけど。……羽に触んなとか言う潔癖のくせして、魔物に真っ先に突っ込んでいくのが平気とかどんな思考回路してんだよ。そんな調子だと、いつかそんな薄い羽ばりっと破けんじゃねえの」
妖精は拗ねた様子で騎士を睨む。
「破けたら治してもらうから」
「誰にだよ」
「誰でもいいでしょーよ」
「ほらほら、痴話喧嘩もそれまでにしようか」
「痴話喧嘩違うから!」
「痴話喧嘩なわけあるか!」
治癒師に窘められると、二人は同時に異議を主張した。
勇者一行は山道を越え、国に入る。
彼らは勇者一行として目立ちたくないという少女の意見を尊重して、見かけはただの冒険者のパーティーで通している。門兵には勇者の証である手の甲の痣を見せる必要がある上に、国王や領主へ報告がいくことは免れないけれど、基本的には静かな滞在を望んでいる。
エレノアは街中では飛ばない。
妖精というだけで狙われるので、少女の腰のポーチに入っていたりする。
宿屋へ来るまでに、多くの林檎を見た。特産品らしい。林檎の匂いが漂って、お茶や焼き菓子などの屋台が並び、街路の空気が非常に香ばしかった。
宿屋の各部屋に、ささやかなおもてなしとして置かれていた銘菓も林檎のパイ包み。
少女――ハスミが荷物を下ろせば、妖精も元気に飛び出してくる。
「っぷは」
「お疲れ様。ごめんね、窮屈で」
「いいよ、慣れたし」
室内を飛び回る妖精に、ハスミが手を差し出した。すると妖精はその掌に綺麗に着地してくれる。
旅の一行で二人だけの女性ということで、二人は仲が良い。
部屋を男女で二部屋分確保しても、憩うのはまだ早い。この後のことを決めなければいけない。
少女が軽く妖精を隠しながら隣の部屋に入ると、武闘家のファラスは「よっ」と手を挙げて迎えてくれた。
皆がベッドや椅子に落ち着いて席を取り、会議が始まる。
「みんなはこの街に用事はあるの?」
「私はないな」
「俺も別に」
「オレも、休めればいいかなって思うなあ」
「そっか。エレノアは?」
「…………。」
答えのない妖精を、全員が見る。
エレノアは窓の方を注視していた。
「エレノア?」
「あ、ああ、うん、私も特に、用事はないかな」
「……そう」
エレノアの様子がおかしいのは今に始まったことではない。
基本的にその身ひとつで生きていけるのが妖精の強みだから、彼女が物を欲しがることは少なかった。だから彼女のことはひとまず置いておくことにして、少女たちは食料の買い出しと、そういえば燃える水が少なかったことなどを話し合う。結果、買い出しは今日と明日に分けて行うことにした。
会議も終了する頃になって、窓際でぼんやりとする妖精を前に、ハスミは以前から気になっていたことを聞いてみる。
「その髪飾り、綺麗よね」
「……ん? これ?」
妖精――エレノアの髪を、緩い三つ編みにして止めている髪紐である。それにあしらわれた透き通る青い石が、どうも目に付くのだ。
「貰ったんだよ」
「誰にっ!?」
エレノアの答えにがたりと席を立ったのは、なんと騎士のアーロイスである。
――なんでそこまで反応するの?
不思議そうな妖精と、「青春だね」と微笑ましげな治癒師とその他二名の視線に、騎士は「うっ」と慄いた。
「別にいいだろ……なんでも……」
「ふうん。まあいいけど。お茶淹れるね」
「え、ええ、お願い」
ふい、と飛んで、備え付けのカップと林檎茶葉を浮かせるエレノアを、ハスミと男性陣は目で追った。騎士だけは穏やかではない様子だったけれど、落ち着いたのか椅子に座り直した。
ではそろそろ買い出しにと全員が立ち上がった時である。
こんこん。
ドアをノックする音がした。
来客時の対応は皆のお兄さんポジションの治癒師に任せるのが暗黙の了解となっている。エレノアが急ぎベッドへ潜り込んだのを確認すると、エミリエルは客を迎えに行った。
『はい、どなたでしょう』
そう広くない室内では、声がよく聞こえてくる。室内組は無言で聞いていた。
客人は、声からして中年の男性だ。
『王宮の使いのものです。勇者様がいらしていると聞き、是非とも客人として迎えたいと王が仰せです。ご同行頂きたく、お迎えに参上した次第であります』
『……お待ちください』
エミリエルが一度戻り、少女と目を合わせる。彼女は少々考え、申し訳なさげに首を横に振った。それを受けると、彼は「それがいいだろうね」と頷いて再び対応に向かった。
『誠に申し訳ない。お招きいただいたことは光栄なのですが、勇者様はお疲れですし、もうお休みになりたいと。こうして宿もとったことですし、目立つのは好まない方ですので』
『そうでしたか、それは失礼を致しました。……では、明後日はどうでしょう。本当に偶然ですが、王女様の生誕パーティーが催されます。平和の象徴たる勇者様にご参加頂ければ、王女もお喜びになられることでしょう。勇者様の身の安全や、宮廷料理人の腕も保証致します』
『はあ、しかし魔王討伐が目的の旅ですゆえ、正装の持ち合わせがありません』
『ドレスや装飾品等、お貸しする準備も整っております。勇者様のお仲間であるあなた方も是非にと』
『……わかりました。お言葉に甘えます』
『それは良かった。ではこちらを』
という会話が聞こえた。
少女はぎょっとしたけれど、急流のような展開に言葉も出ないようだった。あれよこれよと言う間に戻ってきたエミリエルの片手には、光沢のある白い招待状が輝いている。
「なっ、な、なんで行くなんて言っちゃったのよ!」
「こちらがどう言っても、あの者は私たちを招く気だったからね。それに突っぱねることで悪い印象を与えるよりは、ここで顔を合わせておいた方が良いと判断した。長い旅は何があるかわからないし、煌びやかな場にも多少の耐性は必要だとも思うし。命令違反だけど……謝ろうか?」
「……いいよ。頑張るから……」
「それでこそ我が勇者様」
飄々とのたまう治癒師を、少女は恨めしげに睨めつける。うなだれた様子で妖精を掬い上げ、隣の部屋に帰って行った。
*
『エレノアッ!』
「っ……わ!?」
びく、と跳ね起きた。
エレノアが周囲を見回すと、まだ真夜中の宿屋だ。
男性陣は隣室にいて、ハスミは隣のベッドで健やかに眠っている。エレノアは誰に呼ばれたのかと警戒し、ハスミの傍にいようと隣のベッドに飛んだ。
けれどよく考えてみると、先ほどの声を知っている。
脳に伝わった、それ。エレノアにとって最も心地の良い声は、寝ぼけた頭であっても思い出せるほど馴染んでいる。
彼だ。
声の正体を確信したエレノアは、今度は張り出している窓際へと飛んだ。
新月だ。宿屋の二階に位置するこの部屋からは、星がよく見えた。外に人影はない。
『ルイ?』
エレノアは、声に出さずに彼を呼んだ。答えは数秒で帰ってくる。
『……もしかして、エレノアですか?』
『うん。びっくりしたよ。どうしたの?』
念の為にハスミの方を見れば、彼女にはやはり聞こえていないらしい。安眠中であることを確認して、エレノアは再び脳内のルイの声に集中することにした。
朧ろげで疑いの混じる声色から察するに、ルイは少し茫洋としている。
『……契約のアレですか……。僕の幻聴ではありませんね?』
『うん』
契約した主従の間に生まれる、意思疎通方法。有り体にテレパシーと呼ばれるもの。それは年月を経てより遠くまで繋がれるもので、数十年程度の関係では一国内ほどの距離でしか使えない。
実にひと月ぶりの会話である。
彼の姿はそこにないと解っていても、エレノアは外を眺めた。
彼の様子は、やはりどこかおかしい。
『どうしたの?』
交信が途絶えてしまったのかと残念に思って、エレノアは何度も呼びかけた。
『おーい?』
『……ごめんなさい。起こしてしまいましたね。呼ぶつもりはなかったのに』
『それはいいけど、何かあったの?』
『何もありません。君の耳に入れるようなことは、何も』
つまりエレノアに聞かせられないことがあったのだろう。ルイはがそうと判断するなら、彼女はそれに従うしかない。
時計を見る。もう深夜の二時だ。
それから考えてみると――、エレノアは眉根を寄せる。
『変な夢でも見たの? ルイ少年はいろんな事考えすぎなんだよ』
『考えすぎ、ですか。……そうですね。そこでひとつお願いがあるのですが』
『うん?』
『君がいる場所が危険なところでないなら、歌ってくれませんか』
はて。エレノアは不思議に思った。空に向かって首を傾げた。そうしたところでルイには伝わらないのだろうけれど。
『いいけど、本当に大丈夫?』
『ええ。考えすぎないように、思考を放棄して寝ます』
『強硬手段だね。でもそっちに私の歌は伝わるのかな』
『適当に風魔法でも使って君の声を届けさせます。妖精の歌は風と相性がいいので』
『ん、わかった。十秒後に歌うよ』
その宣言の通り、きっかり十秒後に、思い切り空気を吸い込んだ。ルイが一番好きな歌を、窓の向こうの夜空に歌う。
妖精の歌は、眠る者には決して妨害にはならない。
ルイと出会えるのは明後日。王女の生誕パーティーで、ようやく勇者一行――攻略対象キャラクターが出揃うことになっている。
エレノアはそれを知っていた。
魔術師との顔合わせは妖精よりも勇者の方が先になることを思い出して、エレノアは服の下の砂時計を握った。
女主人公が攻略対象と会うのは自然なこと。彼を信じるとか信じないとか、そんなことを考えるまでもなく、ただただ不安なのだった。
――ルイに会ったら、まず好感度を見てみよう。
そんなことを決意しながら、エレノアは歌った。




