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儀式と契約と魔王様

※今回は短い。

※極限までマイルドにした性的表現あり。

 夜のノーシャント湖畔は、暗い。

 一匹につき一輪、光る花を傘にしながら、木々の間を飛び回る妖精の姿がよく見えた。こちらの様子を遠くから伺う複数の彼等の存在が、ルイには少し疎ましかった。

 妖精に迷惑をかけた慰謝料代わりと言ってはなんだが、城から開放した妖精たちを、このノーシャント湖畔に案内したのである。彼等は、ここが予想以上に気に入ったらしかった。此処を巣と認めるならば、魔物や人を寄せ付けない結界でも張ってやろうと考えた。

 ――けれど、今は。

 そんな現実逃避をしている場合ではない。

 衣服はそのままに、透明な湖の中に入っていく。

 湖底で、青く発光する植物が自生していたらしい。穏やかなゆらめきの中に宇宙を閉じ込めたように、湖は淡く輝いている。

 幻想的な風景は、ルイの腕にある白い石像によく似合っていた。

 ぱしゃり、ぱしゃり。

 透明な水に、腰まで浸かる。

 ルイは、抱き上げていた石像の額に、そっと口付けた。


「今日は満月ですよ。好きでしょう?」


 囁いても、返答がないことなど百も承知だった。

 けれど応える代わりに、石像は、その封印を解いた。

 髪先が、水に揺れる。白いワンピースも水面に漂い始める。

 髪の銀色、唇の桃色。石の無機質な白とは違う、透き通るような生白い肌の色――、息を吹き返した色彩は、彼女の魂が呼び戻された証のようだ。

 ルイの腕に、柔らかな重みが馴染んだ。

 ――すう。彼女の薄く開いた口から一つ、息が漏れる。


「……エリー」


 生きた彼女に触れたのは、何年ぶりだろう。


「せめて、嫌なら嫌と言ってください」

 

 ルイは横抱きにしたエレノアに呼びかけた。ずっと目を覚まさないけれど、声は届くと信じた。信じなければ、自分が壊れてしまいそうだった。

 ふと、湖畔の暗がりに目を向けた。夜闇が濃くてこの地点からはよく見えないけれど、そこには墓があるはずだ。そこには――妹がいる。

 今は、墓参りと洒落込めるような気分ではない。何より今から為さねばならない所業がどこか後ろ暗くて、目を逸らした。

 儀式は、冷たく澄んだ水で体を濯ぐことから始まる。

 エレノアの身を水に浸していると、様子を伺っていた妖精が寄ってきていた。


「ナカマ?」

「ヨウセイ?」

「デモ、人間と一緒」

「死ンデル?」

「寝テルダケ」


 そうランクの高くない彼らは、エレノアの周囲を心配そうに飛び回る。

 魔王がここにいるのに、好奇心旺盛なのか、それともただ馬鹿なだけなのか。

 ルイは彼等を歓迎はしないけれど、苦言を吐くこともしなかった。黙々と、エレノアの身の浄化に勤しむ。水の流れに晒しているだけだけれど。


 そうして城に帰ると、己の部屋のベッドに寝かせる。

 水気を魔法で払った。

 彼女の肩紐を外し、広い襟ぐりに指をかけて、ワンピースを丁寧に引き下ろした。形の良い双丘が、男を誘うように揺れた。薄い紅色の頂きや、くびれた腰、そういったものに目がいかないようにして、腹部までが見えるようにする。彼女のためにも、下肢はできるだけ外気に触れないようにしてやりたかった。

 劣情をそそる身体が目下にある。

 女性を辱める行いが、こんなにも容易い。

 ルイは魔法で深い皿と墨、そしてナイフを呼び寄せた。

 皿に墨を入れる。そこに、指先を切って溢れ出た血を数滴垂らした。その指先で、墨と血とをよく混ぜる。傷がじくりと痛んだ。けれど、胸の方が痛んでいる気がした。

 血墨が付着している指を、今度は彼女の右頬に持っていく。模様を描いた。

 白い肌を、汚らわしい黒が穢した。

 それから首筋、鎖骨、と下り、黒の線で彼女を捕らえる呪いの蔦を象りながら、臍の線をなぞる。下腹あたりで、一際大きな模様――魔法陣を描いていった。


 半契約とは言っても、やることは同じ。対象に所有者の銘を入れるのだ。

 常時魔力譲渡契約の正統な魔術式。それを元に、古代語にした自分の名前、誓いと制約、それら全てを融合させた文字と式を織り込んで、対象の身体へ手書きにする。

 対象を覆うように、囲うように。全てを奪うように。線の一つ、掠れの一つで結果が違ってしまうこともあるから、細部まで気を配る。魔法に関して几帳面なルイは、教科書のように精巧な模様や古代語を描くのは得意だった。尤も、教科書に載っているような基本的な魔法陣など、もう手描きにするまでもないのだけれど。そうしてから、ようやく契約は始まるのである。

 ルイは、彼女の額に自分の額をこつりとぶつけた。彼女の体温が伝わった。冷たかった。それこそ、石のように。

 けれどふわりと近づく匂いは、彼女のものだ。穏やかに上下する胸も、彼女を感じさせるに十分なものだった。

 ここまできても、彼女は目を覚まさない。

 いや、もしかしたら、意識はあるのかもしれない。ただ瞼も開けられないほど弱っていて、一言も話せないだけなのかもしれない。石になる前から、彼女の体調は少しも好転してはいないのだから。そうだとするならば、ルイは今、彼女にどれだけの屈辱と悲しみと怒りを味わわせているのだろうか。

 ――魔王からの残虐な実験の末、妖精は力を得た、でしたか。


「……これから僕は、君に酷いことをします。どうか、どうか――」


 ――恨まないでくださいね。

 ルイは彼女の桃色の唇に、己のそれを重ねた。二度三度と口付けながら、エレノアの右膝裏に手を当てて、上にゆっくりと押し開いていった。脚を隠していたワンピースが捲れていく。

 白い内腿に手を這わせた。


――『欲しいものってある?』


 いつだったか、こんなことを聞かれた時、答えを言わなかった。言わないでいて良かったと思った。今となっては、あまりに儚い夢だったと知れてしまった。

 思い出色にぼやけた彼女の笑顔が懐かしい。


『ええ、一つだけ』


 君が欲しい。

 たとえばそれは、妹と談笑しながら、キッチンに立つ背中。

 たとえばそれは、妖精の君が人間を憎まずにいられる街中。

 そんな小さな世界だけ持っていれば良かった。彼女を囲っていた鳥籠は、優しいもののはずだった。


「ごめんなさい」


 再び、君の声が聞けるなら。歌が取り戻せるならば。それに縋らない手はない。

 ――けれどこんな冷たいだけの儀式で、エレノア(きみ)を奪いたくはなかったのに。


 指がある一点に触れると、彼女は「んぅ」と呻いた。喉がまだ死んでいないことに安堵してしまう。彼女の狭い純潔を奪った際は、悲痛に掠れた声でもって凄絶な痛みを表してくれたけれど、結局目は覚ましてくれないまま。

 今夜この行為に愛があったのか、ルイは自分でも解らなかった。

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