プロ初打席がワールドシリーズ第七戦になった男の話
「なんということでしょう!なんとプロ初打席がこのワールドシリーズという大舞台。誰が予想したでしょうか!日本から来た27歳・十勝茉岐が打席に立ちます。大詰めを迎える試合の大事な場面を託されました」
コロンバス・ビートルズの本拠地、アリソン・ブルックス・フィールドは、割れんばかりの大歓声によって地揺れに包まれていた。ワールドシリーズ第七戦。もつれにもつれた野球の頂点を決める試合は、熾烈に熾烈を重ねた試合展開に、異様な空気を同時に醸し出している。
俺は瞑目し、その異様な空気に呑まれんと心を落ち着かせた。ワールドシリーズのみならず、メジャーの試合は日本と異なり延長の制限がない。試合が決まるまで試合を続けるのだ。過去には延長26回にまで及んだ試合もあったという。単純計算で3試合分を限られた選手層でぶっ続けでこなしたのだから、正気の沙汰とは思えない。この試合はそこまで極端ではないものの、延長16回に達していた。二試合を続けて戦った選手たちであったが、世界一を決める試合とあってか、集中力を切らす者は一人としていない。
しかしそんな試合もいよいよ大詰め。16回の表に2点を勝ち越され、均衡を保っていた試合は5対7とビートルズのビハインドとなった。対戦相手であるニューヨーク・ジャイアンツの面々も一様に固唾を呑んで投手の投球を見守っている。
それもそのはず、世界一を目の前にして、ツーアウト1、3塁というピンチを迎えている。勝ち越した際には喜びを爆発させていたものの、ピンチの局面で楽観視できるはずもなかった。
そんな舞台に俺が立っているとは、夢なのではないかと錯覚させられる。つい数週間前までマイナー選手だった。日本生まれ日本育ちの純日本人だったが、ドラフトにかかることはなかった。それでも夢を諦めきれず、母親の反対を押し切って単身アメリカに飛ぶ。飛距離には自信を持っていて、東都六大学に所属していた時は打率は低空飛行だったものの通算で13のアーチを描いた。
しかし、アメリカのスケールは段違いで、すぐに自信を脅かされることとなる。パワーを持っているのはもはや当たり前で、俺はその中で傑出した数字を残すことができなかった。ただ、決心して来た以上、逃げ帰ることだけはしたくない。その気持ちを忘れることはなく、がむしゃらに努力を続けた結果、ルーキーリーグだった所属も、ダブルAにまで駆け上がった。
そして転機は8月に入ってから。.260台に甘んじていた俺は、コーチの勧めでフォームを大幅に転換した。足を上げて打球に体重を乗せて飛距離を稼いでいた俺は、7月まで8本のホームランを放っていたが、8月からは一本も出なかった。足を上げないすり足のフォームに変えた結果、飛距離の代わりに打率が飛躍的に上がり、月間打率が3割5分を上回ったのだ。
それでもまさか、自分が8月末に拡大ロースターに名を連ねるなどとは夢にも思わなかった。しかもトリプルAではなく、ダブルAの所属である。話によると、3割20本を放っていた主力の二塁手が全治半年の大怪我を負ったらしい。既にポストシーズンへの出場をほぼ確実にしていたビートルズであったが、二塁手の後継がイマイチ育っていない現状に置かれていた。そんな事情が助けたのか、一時的に調子を爆発的に上げていた俺が、40人の枠に滑り込みで入ることとなったのである。
とはいえ、シーズン中にアクティブ・ロースターの枠に入ることはなく、今まで通りマイナー暮らしは続いた。
予定通り、ビートルズはポストシーズンへの出場権を獲得する。ただし、後半の失速が響いた結果、地区優勝は逃してしまった。ワイルドカードの最後の枠に滑り込み、ポストシーズンに出場することとなる。
後半の失速は、各メディアの評価を落とした。当初はディビジョンシリーズにすら進出できないと目されていたが、その前評判を覆し、ワイルドカードゲームを大勝で勝ち抜き、ディビジョンシリーズも二度第5戦まで戦いながら、辛くもリーグ優勝までこぎつけたのであった。
そんな中でも、俺は当然のようにポストシーズンのロースターから外れた。落胆がなかったわけではないが、自分はあくまで予備であり、ベンチ入りが許されているだけで自身の成長を感じられて幸せだった。
しかし、ディビジョンシリーズを通して二塁を守っていた内野手が怪我を負ったという。シリーズの間は怪我を押して出場したようだが、試合後にチームドクターに見せたところ、骨にヒビが入っているかもしれないと診断された。いずれによワールドシリーズを戦うのは不可能だと首脳陣は判断し、やむを得ず俺をロースターに登録する苦渋の決断を下したというわけだった。
ポストシーズンではシリーズごとにロースターを変更できる。俺は9月から結局調子を落として2割8分1厘でフィニッシュした。トリプルAにはシーズン終盤に好調を迎えた二塁手がいたが、8月末時点で40人枠に入っていないとポストシーズンには原則出場できないというややこしい仕組みがあるため、俺を上げざるを得なかったのである。
代わりに入った二塁手が好調だったこともあり、第六戦まで試合の出番はなく第七戦を迎えたわけだが、延長16回までもつれてしまった。そしてナ・リーグ中地区所属のビートルズは、シーズンを通してDHのない試合を戦ってきたが、今年に入って16回にもつれた試合は一度も経験しておらず、選手起用が綻びを見せてしまう。
投手の打順で野手が俺以外誰もいない、という危機的な状況に立たされてしまったのだ。流石に苦笑いを浮かべざるを得なかったが、俺以外既に手駒がない状態なのだから、もはや俺に状況を託すしかない。
マキ、とあだ名で呼ばれた俺は静かに頷いた後、立ち上がってバットのグリップを念入りに確かめる。試合はワンナウト一塁、二塁の局面を迎えた。俺がネクストバッターズサークルに立つと、本拠地のファンは一様に落胆を見せた気がした。それもそうだろう。ぽっと出の東洋人にこの局面を任せるなど、正気とは思えない采配である。このまま俺が最後の打者になれば、監督は総スカンを喰らうだろう。
それはどうしても避けたいものだ。緊張で震える手を押さえていると、8番打者がショート方向に打球を放つ。バックネットから悲鳴が上がったが、幸いなことに一塁ランナーがセカンドの視界を阻み、一塁への転送を阻む。わずかにスローイングが遅れ、バッターランナーは間一発セーフの判定を得た。
球場が安堵に包まれる。そんな空気も束の間で、バッターボックスに向かう俺に鋭い視線が四方八方から放たれた。針の筵に胃を押さえたくなるが、俺は目の前の状況に全神経を集中させる。
相手ピッチャーは最速100マイルの直球を武器に通算300試合を誇る屈指の左腕リリーバー。この回になってこのレベルの投手が出てくるとは、選手層の厚さを感じさせる。こちらは俺を打席に立たせるほど選手層に困窮しているのだ。運良くワールドシリーズに出場できたうちとは根本的に違う。
最速100マイルは普通じゃ捉えられない。しかし、打てないと断定するつもりはない。これまで何も考えず野球をして来たわけではないのだ。来た球を打つ、などと高等な技能は残念ながら持ち合わせていない。
打席に立った瞬間、全ての音がシャットアウトされた気がした。まさに無音。見えるのはマウンドの投手だけである。
初球は外角の直球。98マイルを計測したその球は僅かに外れボール球になった。俺はワザと天を仰ぎ、打てないような素振りを見せつける。2球目もストレートで、真ん中低めを俺はピクリとも動かず見逃した。そして3球目に大きく曲がるドロップカーブを外角に投じてくると、俺は露骨にスイングのモーションに入り、すんでのところで止めた。
カウント2ボール1ストライク。バッティングカウントとなったこの場面で、俺は大きく息を吐く。マウンドの投手を睨みつけ、ルーティーンのホームベースを3回叩く仕草を終えた後、自然体で構えた。
ピッチャーが投じた4球目。俺は一つの球種にヤマを張っていた。内角高めのストレート。足を上げないすり足をしばらく貫いていた俺だったが、この時は前のスタイルに戻した。大きく膝を上げ、上手く畳んだ腕からバットに全体重を乗せたまま、剛球に全てをぶつけた。
甲高い音を奏でた白球は、レフトに高く打ち上がる。布石も打ち、過去の熱量を全て込めた打球は僅かに詰まったが、しっかりと振り抜いた分、無風の球場においても伸びを見せた。
レフトポール際に突き刺さるまで、滞空時間は数十分、数時間に感じられた。視界が開ける。無音の世界に、大歓声が突き抜けた。
はじめまして。縞杜コウと申します。野球を題材とした短編を書いてみました。ただこれは構想のごく一部で、好評ならば長編化したいと考えています。というのも、書きたいのは実はここではなく、頂点を味わった男が苦労し、足掻く過程を書きたいと思っているからです。ぜひご支援の程、よろしくお願い致します。




