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はい、こちら弥生市東地区管理課です。

「やくそくだよ」

「やくそく?」

「そう。大きくなったら、いっしょにこの町のためにはたらくんだ」


それは夢なんだと思う。


不安な時にいつも見る夢。


私は誰かと一緒に手をつないで小高い丘に登って、いろいろな色の屋根の連なる町を眺めている。


私は隣のその子のその言葉に下を向いた。そして、


「いや」


と返事をするんだ。いつもいつも。


「どうして? さやはわたしのこときらいなの? 一緒はいやなの?」

「ううん。だいすき」

「それならどうして」


そう悲しそうに言ったのは誰かではなくて、隣の家の隼人だった。夢だからかな。私はくすりと笑った。


「ハヤちゃん、わたしっておとなみたい、いつもはおれっていうのに」


ああ、小さい頃はハヤちゃんって呼んでたんだ。隼人は少し怒ったような顔をした。


「さや、ちゃんと話をきいて。どうして一緒にこないの?」

「だって、お母さんとお父さんとはなれちゃうのいやなんだもん」

「なんだ、そんなことか」

「そんなこと?」


隼人はにっこり笑うとこういった。


「さやのうちからかよってもいいんだよ」

「ようちえんみたいに?」

「そう。ようちえんじゃなくて、お仕事だけどね」

「おしごと? お父さんみたいに?」

「そう」


私はぱあっと明るい気持ちになった。


「それならいい!」

「じゃあやくそくだよ。大きくなったらこの町で、わたしのとなりではたらくんだ」

「うん!」

「さやはわたしのみこだからね」

「うん!」


お父さんみたいにかっこよくしゅっきんして、大好きなハヤちゃんといっしょにはたらいて、大好きなお父さんとお母さんのところにかえる。なんてたのしみなんだろう。


手をつないで丘をおりる、私の心は弾んでいた。



「ふわー、よく寝た」


私は顔にぼさっとかかるくせっ毛を手でかき上げ、ベッドに片膝を立てて起き上がった。初夏だとは思えぬほどの暑さで、夜窓を開けていても汗をかくほどだ。


「懐かしい夢を見たなあ」


それは丘の上に登って将来を語る夢で、小さいころから繰り返し見ている。


「多分就活のせいだな」


独り言を言うくらいにはこのところプレッシャーを感じていたからだ。


就職氷河期の人には申し訳ないが、このところ大学生にとっては就職は楽なんだそうだ。とはいっても、私もいくつもお祈りメールをもらった。地元で親元から通いたいとなると、選べる企業は限られてくるし、倍率も高い。


しかし。


「もう決まったもんね! これで就活はおしまいだ!」


地元の大手の建設会社への就職が昨日決まったのだ。一般事務なのも自分にとってはポイントが高い。お給料は標準だが、残業は月末しかないのがいい。


「んー、でも大樹やお母さんの反応はいまいちだったんだよね。なんでかな」


私は着替えに起きだしながら、昨日のことを思い出していた。



「ええ、沙也、おめでとう!」

「ありがと、お母さん。やあ、頑張ったかいがあったよ。あと半年ちょっとで大学も卒業だし、就職したらちゃんとうちにお金もいれるからね!」

「それは別にいいんだけど、でもね」

「なあに、お母さんったら」


もう少し喜んでもいいんじゃないの? 娘の就職が決まったというのに。


「隼人君には報告したの?」

「隼人に? ううん、だってあいつ今、二週間の出張だよ。それに友達だって、さすがに家族より前に報告なんてしないって」

「そうなの?」


お母さんは首を傾げている。そこに大樹が帰ってきた。四つ年下の弟は、今年受験生だ。こないだ部活が終わって、今は放課後は予備校に通っている。


「ただいまー」

「お帰り、大樹! 姉ちゃん、就職決まったよ!」

「おめでとう、姉ちゃん、やっと決心したんだね!」

「やっとって、決めるのは自分じゃなくて企業のほうだからさ」


大樹が変なことを言っている。


「は、姉ちゃんこそ何言ってるの。企業? え、もしかしたらマジで就活してた?」

「ええ? マジも何も、大学までいかせてもらってニートとかありえないし」

「あ、あー」


大樹は多分塾のテキストが詰まった重そうなカバンをどさっと玄関に落とした。


「それで隼人はなんて言ってんの?」

「隼人? なんで二人とも隼人隼人っていうの? もちろん言うけどさ、でも今出張だって。連絡の取りようがないでしょ」

「ケータイあるだろ」

「だって隼人の使ってるケータイ、なんだか時差? があって使いにくいんだもん。それにお仕事中かもしれないでしょ」


隼人の使ってるケータイは普通なのだが、入っているアプリはちょっと変わったものが多くて、特に通話アプリはすぐにつながらなくて使いづらいのだ。それに高校を卒業してすぐに就職して社会人になった隼人には、いつでも連絡が取れるからといって迷惑はかけたくない。


「就職決まりましたって報告入れとけばいいだけじゃん。それこそいつでも読めるからこその通話アプリだろ」


あきれたように大樹が言う。


「ちょっと、それより前に喜んでよ、まったく。それにやっと隼人と同じ社会人という立場になれるのに、ちゃんと顔を合わせて直接言いたいじゃん」

「そりゃ俺だって喜んでるけどさ、隼人に何と言われるかと思うと」


大樹が渋い顔をした。


大樹はいつもそうなのだ。私の弟なのに、隼人の言うことのほうを聞く。


「ちょっと大樹。姉ちゃんは悲しいよ。あんたは隼人の弟じゃない。姉ちゃんの弟なんだよ。まず姉ちゃんのことを思いやるべきでしょ」

「だからだよ! 隼人に黙って就職決めるとか、姉ちゃんがどうなることか!」


私の嘆きに焦った返事が返ってきた。


「は? それはどう」

「ただいまあー」


大樹を問い詰めようとしていたところに、ただいまと帰ってきたのは、お父さんだ。お父さんは普通に喜んでくれたので、隼人の話はうやむやになった。



昨日そんなことがあったからだろうか。今朝こんな夢を見たのは。着替えて一階に下りていくと、そこには隼人がいた。


隼人はなぜだかうちに当たり前のように帰ってくるのだ。お母さんと当たり前のように出張の話をしている。


「隼人君、お帰りなさい。出張どうだった?」

「いや、いつものことですが、古い体質ってどうにかなりませんかね。俺たちの出した改革案はすべて却下ですよ」

「大変ねえ。さ、朝ご飯一緒に食べましょう」

「おばさん、ありがと」


隼人は疲れた顔で、それでもニコッと笑った。隼人は何もかも平均的な男子であまり目立たないけれど、よく見ると切れ長の目が涼やかで素敵で、つまり何というか朝から会えてちょっと嬉しい私である。それに隼人がうちに来るのだって、ちょっとは私に会いたいからじゃないかなって思ってる。


「さや、ただいま」

「うん、隼人、お帰り! お疲れさま」

「隼人、俺もいるんだけど」

「おお、大樹もおはような」

「いいけどさ、おはよう」


大樹が肩をすくめる。


「さや、なんかいいことあったか? なんだか雰囲気が明るいよ」

「うん!」


私はお母さんと大樹をほらねと言うように見た。直接言った方が絶対にいいんだから。あれ、なんで二人ともあーあって顔をして顔を背けるの? いい事でしょ。これでやっと隼人と同じ社会人なんだから。


「あのね、就職が決まったの」

「は?」


あれ、さっきまで汗ばんでいたはずなのに、なんだか肌寒いような気がする。


「は、ってなに? なんでみんな素直におめでとうって言ってくれないかなあ。隼人が就職決まった時は私ちゃんとおめでとうって言ったよ?」


私たちが通っていた高校は進学校で、みんな進学するなかで隼人が就職を決めた時は正直戸惑った。


「最初から高校までって決めてた」


静かな目で言う隼人は、普通の家庭で一人っ子で、大学進学に困るわけではないはずだ。


「さやと同じ学生生活をしたかっただけで、大学にまで行きたいとは思わないんだ。それにさ」


今度はうんざりした顔をした。


「親戚がさ、うるさいんだよ。早く自分のところで仕事をしろって。自分たちがしっかりしろよって話だよ、まったく」


隼人は成績はすごくよかった。親戚も期待しているんだろうな。


「私も頑張って、早く社会人になるよ」

「ばーか、頑張ったってあと4年は大学生だろ。無理すんな。待ってるから」


仕事に忙しい隼人を横目で見ながら、やっと大学も4年生になった。


「なんで喜んでくれないの?」

「だってさや、お前もう就職は決まってるだろ」

「は?」


今度は私が驚いた。


「決まってないよ、昨日決まったんだよ」

「いいや、決まってた。忘れたのかよ」


隼人が両手で頭をかきむしった。隼人がそうやって感情をあらわにするのは珍しい。おろおろしてお母さんと大樹のほうを見たら、やっぱりあーあという顔をしていた。


「やっと一緒に働けるって楽しみにしてたのに! 四年も、正確に言うと18年も待ったんだぞ!」

「ええ? なんで? どこで?」


そう言えば、隼人の就職先ってどこなんだろう。親戚のところとしか聞いていなかった。


「いいか、さや、俺の仕事はこの弥生市の東半分の管理で、お前は俺の巫女だろ」

「は?」


弥生市の管理? 公務員? みこって何?


「正確には、俺は天羽弥生隼人命、つまり神様で、天庁からこの周辺の管理を任されてて、お前は幼稚園の頃に俺の巫女になるって約束しただろ」

「あめのは? みこと? 神様? やくそく……ああ」


一緒に働くって約束は夢ではなかったの?


「だから言ったのに」


大樹が肩をすくめた。


「そんな昔のこと、ほんとだとは思わないじゃん! 就活の前に言っといてよ!」


私の就活は18年前に終わっていたらしい。

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