アンデッド・パレード
「ハンカチ、持った。カバン、持った」
彼女は高鳴る鼓動を、慎重に持ち物を確認することで押さえようとしていた。
小麦色の指が動き、荷物を身につけていく。
「マント」
土色のマントをはおった。襟を立てるのは、ちょっとでも大人びて見える工夫だ。
「杖、魔法書」
杖を抱えて、本を脇腹のポーチに留めた。
涼しげな音で揺れる腕輪や、耳飾りも身につける。
彼女は最後に、木箱から金色の首飾りを取り出した。誰でも欲しがるだろう、見事な輝きだ。そのデザインに目をつぶれば、だが。
「よし!」
意気込むと、暗がりから声が生まれた。
「ひゃひゃ、まさか本当にやるとはなぁ!」
声はわんと響いて消えていく。
「正気じゃねぇぜ!」
「死人に、何ができるんだい?」
さまざまな声に、少女は応えた。
「約束は、守らないとね」
薄暗い部屋からは、外がよく見えた。
日が沈みかけた空に、ちょっと明るい場所がある。今夜の舞台となる建物から、早くも光があふれているのだ。
かつては闘技場だったという建物。
今は美しい明かりを空に投げかけ、まるで神様のきらめく美酒が注がれているようだ。
「気をつけてな」
うん、と笑顔で応えて、娘は部屋を出た。慣れない時刻を読み違えたことに気づき、すぐに駆け出すことになる。
◆
夜になっていた。
時間が気になるのは、人を待っているせいだ。
エイプマン座長は、大きな体をソファに押し込めていた。
元来が目つきが鋭く、人を威圧してしまう男である。腕を組んでいると、いやがおうにも迫力が出る。
「来ない」
そわそわ、そわそわと、大男の焦りは続く。
時折首を伸ばして、暗い廊下をうかがった。
「来ないぞ」
エイプマンは四角い顎をなでた。心配事があると、剃り加減を確認する癖があるのだ。
髪と同じ赤色のヒゲは、今日のために鼻の下で整えられていた。二八という年齢は、立場の割りに若い。少しでも年かさに見えるように、ヒゲを生やしたのだ。
窓の外で、音がした。花火があがっていく。
夜空でぱっと光が開いて、『終戦記念祭』の文字を輝かせた。
「始まっちまった」
カラフルな火花は、魔法によるものだろう。
ウチの魔法使いはどうした、と焦る気持ちが高まる。
エイプマンは、ステージの客がいっせいに怒鳴り込んでくる想像に怯えた。
「座長、来ました!」
「おお、よし!」
エイプマンは席を立ち、ドアを開けた。
長身の娘が立っている。
聞いた年齢は十七。南に多い金髪で、よく日焼けしている。童顔だが青い目ははっきりしていて、遠目でも美人と分かる顔立ちだ。
そんな長所を、全身で揺れる飾りが台無しにしていた。
「その……なんだ。不気味な飾りは取れないのか?」
「こ、コレがないと、力が出ないんでス」
南特有のなまり。
嘆息した。
手足も長い。ガチガチの緊張がとれ、不気味な装束をやめれば、舞台映えするかもしれない。そもそも代役に過ぎないし、当面、その機会はないだろうが。
(もったいない)
惜しむのは、一種の職業病だった。
「まぁいい。頼むぞ」
「……は、ハイ!」
娘が持ち場についたのを見届けてから、エイプマンは山高帽を被り、舞台に入った。
「皆様、大変長らく、お待たせいたしました!」
声を張って、エイプマンは観客席を見渡す。鍛えた筋肉を盛り上がらせ、歯を見せつけて笑った。戦いで鳴らした巨体が、声を会場に轟かせた。
取り囲むのは、満場のステージだ。小さな元闘技場は、千人近い観客でごった返していた。
「これより、我らのパレードを始めます!」
焚かれていた松明がふっと消えた。
光が一筋、エイプマンに投じられる。
(よし)
まずは安堵した。
『ライト』という初歩の魔法だ。
光の中から、薄闇に包まれた客席へと、エイプマンは語りかけた。
「我らが集めた秘宝、そして選りすぐりの英雄が、皆様を導くでしょう! 我らが生き、聞き、この目で見た、冒険の世界へと!」
闘技場を転用したステージは、すり鉢状に深くなっている。
ステージに黒い霧が満ち、夜闇と同化した。客席からは、司会者が消えたように見えたろう。
「よい旅を!」
もはや光はない。星明かりだけの薄闇に、無数の息づかい。
緊張が高まっていく。
(さぁ……)
エイプマンは、帽子を掲げた。
霧の中に、十数名が動く気配がある。
会場の呼吸を読む。剣戟で隙を突くように。
「ショウ・タイムだ!」
霧が晴れ、光が爆ぜた。
目が眩む先に、仲間達が姿を現した。
魔獣使いが獣と共に吠える。きらびやかに装った踊り子が跳躍する。歌い手が伸びやかに声を張った。
その全てを包むのは、魔法の光による演出だ。
さぁ行進の始まりだ。
「エルフの歌姫! 遙か東の密林からやってきた、ビースト・マスター! 夜空を舞う彼女は、この技で寝ているドラゴンも飛び越えたことがあります!」
演目を紹介し、会場を盛り上げる。
一仕事終えて舞台袖に戻り、エイプマンは笑みを深めた。
入りの歓声は前日までの評判、帰りの歓声は今日の評判という言葉がある。
とすれば、まさに評判を上げている最中だろう。
この功績の一部は、新米の魔術師に帰すことは疑いようがない。魔法の光は、ショウの目玉だ。
(何者なのだろう?)
エイプマンは、それとなく新米を観察した。
少女は不気味な装束を揺らし、いっぱいいっぱいの様子で魔法を使い続ける。彼女が杖を振るうと、輝きと炎が従った。杖は金細工の逸品だ。
(いい腕だ)
かつて世界に魔物が満ち、人々は慎ましく暮らしていた。平和になったのは、つい数年前のことだ。
魔物がいなくなり、冒険者と呼ばれた戦士は職にあぶれた。
エイプマンが次の生計を見いだしたのは、派手な演劇の世界だった。
ナイフ投げ。刀捌き。見事な跳躍。冒険者としては当たり前でも、演出次第で芸にできる。狙いは当たった。
劇団は、いつの頃からか『パレード』と呼ばれていた。
今では、元冒険者の中でもちょっとした顔である。
当面の暮らしのため、あるいは士官先の目に留まるため。技を持つ者が、それぞれの目的のためにやってきて、一夜限りの芸を披露する。
彼女はそうしたパレードを渡り歩く手合いだろうか。
「ナスターシャ、か」
「え、ハイ?」
ナスターシャが顔を上げた。呟きが聞こえてしまったようだ。
「何でもない。すまん、それより」
合図をしようと思ったが、彼女はすでに火花を送り込んでいた。
「よし、次は、大型魔獣が来るから――」
そつのない仕事に安心しきっていた時、妙な声が聞こえた。
「きゃっ」
傍らから、ナスターシャが消えていた。ステージに向かって飛ばされ、受け身を取って立ち上がる。
目が点になった。気配に振り返ると、山のような猪が大あくびをしていた。この魔獣が彼女を押し出したらしい。
「あ、ごめん!」
猪の後ろから、獣の耳がついた少女がひょっこりと顔を出す。
「座長、気づかなかったよ! ……誰か押しちゃった?」
血の気が引いた。
ナスターシャが出た場所は、すでに光満ちるステージだ。おまけに演目の継ぎ目であったため、注目を集めてしまう。
全身の飾りが光を弾く。長身でスタイルがいいため、やはり華があった。
(舞台映えする)
しびれた頭が、のんびりした感想を浮かべた。
「な、なにあれ」
どよめきが起こった。
「ドクロだ!」
「ドクロ女だ!」
不気味な飾りが注目をさらった。
骨だ。彼女は全身に、人骨を模した飾りをつけていた。
「気味が悪い……」
客の反応に、エイプマンは顔を覆う。こうなるから、表に出したくなかったのだ。
魔術師は魔術師でも、色々な種類がある。彼女はとびきり不気味で、嫌われる職業だ。
(やむをえん)
エイプマンは飛び出しかけたが、先に声を出したのはナスターシャの方だった。
「う、うまくやれれば心地よし!」
気が抜ける口上。これだけには、なまりはなかった。
ガチガチに緊張しているようだが、舌はかろうじて回っていた。
両手を挙げたポーズは、意外なほど決まっている。基本的な筋肉がしっかりしているのだろう。
「褒めてくれれば、なお結構!」
大道芸か。
あっけにとられた空気は、次には一変していた。
客の頭上を、光が泳いだ。エイプマンは光の一つ一つに、ドクロを見る。
(死霊……?)
死霊とは、死者が残した怨念のことだ。
光は続き、やがて上空に蹄の音が生まれた。ステージを多くの馬が駆ける。あれは騎兵か。騎兵の幽霊だ。戦場の喧噪さえ聞こえそうな、大迫力だった。
騎兵はやがて光の群れとなり、満場の客に見送られながら、夜空へ駆け上っていく。
ナスターシャが空へ手を振っていた。はっとして振り向いた顔は、一瞬、生者とは思えぬほど青く見えた。
静寂が訪れる。
「アノ……エイプマンさん?」
エイプマンは我に返った。
会場を万雷の拍手が包み込んだ。
「今は、座長と呼んでくれ」
指先でヒゲを整えた。ベルベッドの帽子を被り直す。
新米の素性を思い出す。
ナスターシャ・ベルベチカ――職業、死霊術師。沸き立つステージに向けて、エイプマンはパレードの締めへ向かった。
(何者なのだろう? どうしてここへ?)
詮索は御法度だ。分かっていても、好奇心は耐えがたいほど強くなっていた。




