32.江並の証明と崩れ行く不在証明
「えっ? 帰っちゃうの? 事情聴取は!?」
東堂さんがそれを尋ねてきたので、彼女に手招きし耳打ちした。
「古月さんと河井さんでお願い。東堂さんと僕がね……えっと、東堂さん。……」
「でも、それじゃあ電話を切られちゃう可能性があるような」
「その件は東堂さんの作戦を使って……古月さんは、もうあのメールを蛭間氏に送ったんだよね」
「あっ! ええ! ……もう。アタシたちに事情聴取を任せて何をするつもりなの?」
「ちょっとね!」
古月さんは今にも舌打ちをしそうな顔で事情聴取を了承してくれる。
東堂さんは悪魔のように怪しい笑みを浮かべて、「完全犯罪計画部」の作戦を決行しようと意気込んだ。
ここが執念場。僕は低くなっていく体内の温度を隠して、東堂さんに自分の意見を伝える。
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「はい……塩見ですが、ただいま取り込み中で……」
僕は東堂さんと駅前の公衆電話を握りしめ、湯治さんの声を聞いた。僕は平静な顔と声量で蛭間氏に電話をかわるよう頼む。
いよいよ……女子の前でこんな言葉を口に出すなど、万が一にもあってはならないのだが……胸から発生してくる憂鬱な物体を、胸を掴んで抑えておく。
あちらからは、疑問の言葉が何度か聞こえた。まあ、そうだろう。塩見家に蛭間氏がいることを知っているのは、容疑者と警察だけのはずなのだから……
心臓が百回程、音を鳴らした頃に蛭間の低い声が耳に入ってきた。
「何だ? 誰だ……」
「少し事情を知っているものです。電話を切らないでくださいね。そうしたら、貴方の秘密をばらしますからね……」
「はっ?」
彼は予想通り、突飛な声を上げた。そこに僕が追撃をする。
「……あれや……こんなものをインターネットでご閲覧なさっているようですね……これで分かりますよね。もし、電話を切ったら、SNSや色々な場所で公表します!」
「……な、何が欲しいんだ!?」
東堂さんが僕に親指を立てて、グッドサインを送ってきた。それはもう、可愛らしくてにこやかな表情で。……ははは。人がエロ動画の題名を次々と口にしていったというのに呑気なものだ。
「……まあ、これがアニメとかだったら、ピーとか規制する音がきっと入るよね……」
「ははは……黙っててください。相手に聞こえちゃいますから」
一度、頭からすべてを消してみる。……最初は詐欺の話をしておきたかったが、殺人事件が起きた今はそんな暇はない。殺人事件を解決する方が優先だ。
目を開け、電話に向かって声を荒げる。
「この殺人事件の犯人は、蛭間 堅蔵! たぶん! 貴方だ!」
「はっ!?」
彼は思い切り電話を切った。僕はこう思う。この結果でもいい。これできっと……
「一度、戻ろう! 何か、まだ引っかかるものがあるから……」
「と、東堂さん?」
彼女が不意に出してきた不思議な雰囲気につられて、僕は彼女と共に来た道を走って戻った。
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「な、何だったんだ!?」
これは古月さんたちから聞いた現場の様子だ。僕たちが戻ってくるまでの間だが……。
僕の考えは当たっていたようで蛭間氏は息は過呼吸になって辺りを見回し、何もないところを睨みつけ始めたらしい。つまり、推理に聞く耳を持つはずがなかった彼が謎を解いた相手を敵視しているのだ。
ここを古月さんと河井さんに……託した!
「……こういうこと……古月……何も……分かってなかったの?」
「アリバイトリックは分かってたけど、その後……ちょっと、分かんなくなってたのよね」
「分かった……古月……度胸をみんな頼りにしてるのよ」
「分かってるって!」
古月さんは遠慮なく、蛭間氏に指を突きつけ推理を披露し始めた。そこに取り調べをしていた鈴岡警部と尚子夫人が駆けつけて、全員が彼女の推理ショーの傍聴人になったらしい。
サスペンスではよく興奮しそうな展開だ。
「ええと、まず……アリバイから行くわよ!」
「お前ら、蛭間氏には電話相手がいるっていうアリバイがあるんだ? それに加えて、言ってたよな。お前らの電話相手の被害者は五十分頃、殺されて最後に悲鳴を上げたって……」
「ふふふ……そこが間違いなんですよ! ねっ! 電話相手はもしかしたら……」
「……亡くなった次郎氏じゃない……そういう……ことよ……古月さん、蛭間氏にこう伝えて」
古月さんが天真爛漫に現場で回ったり、格好をつけたりして推理を語っていたようだ。
「電話に出たのは、被害者じゃなくて! 蛭間なんじゃないの!」
「こ、小娘がいい気になりおって……ふざけるな! 第一証拠がないじゃないかっ!」
「くっ……アタシたちがないと思ってる? ねえ。江並は、きっとアンタより耳がいいよ! ちょっと、鼻をつまんで悲鳴を吠えてみたら、彼女が反応するかも!」
古月さんは、ファーストフード店で話していたことを覚えていたのだろう……そう、河井さんがあそこまでリスニングができるのは、聴力が優れているという理由もあるはずだ。
悲鳴を聞いたとき、河井さんは僕の隣にいた。そして、彼女はいち早く反応していた……
「な、なんだよ……」
「すみません。こいつらが変なことを言っているのは分かってるんだが、少し鼻をつまんでもらえませんかね……」
現場にいた警官の目がすべて蛭間氏に向いた。彼は焦る間もなく、やるという選択肢をとるしかない。
「う。鼻を……つまむ……う」
「やっぱり……聞いたよ……アリバイはこれで崩れ去ったね」
アリバイトリック……蛭間氏が被害者の次郎氏に成りすまして電話に出るという方法だった。そこで死亡推定時刻を遅くし、電話に悲鳴が入っていなければ変という状況を作り出そうとしていたらしい。
わざわざ、ATMで振り込む方法があるのに「銀行が閉まるから」なんて話をしていたのは、時間を僕たちに確かめさせるためだろう……犯罪を逆手に取ったトリック。末恐ろしいな。
あれ。たぶん、電話がかかってきた……何か、引っかかる……。
いや。でも突き進んで推理するしか、蛭間氏をあっと言わせる方法がない!
タクシーに乗ってやってきた僕と東堂さんは、リビングに飛び込んで蛭間氏と対峙した。
汗が辺りに飛び散り、奇麗に床へとしみこんでいく……。




