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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ソキウス。

作者: 青黄 白

 私はペンだ。今は田舎の雑貨屋にいる。

 周りには鳥の置物や背の高い鉢植えの植物、大量の瓶などが置かれている。薄暗い店内は、嫌いではない。

「あら、キレイなペン。立派な羽ね」

 そうでしょう。このクリーム色の羽、気に入ってるの。たまには真っ白になりたかったり、もっと飾って欲しくなる時もあるけど、今はこのクリーム色の羽がお気に入り。

 私を褒めた女性が、私を手に取った。あなたは褒めてくれたから、お手伝いしてもいいよ。

 その思いが伝わったのか、女性は私を買った。

 私を持つ手は荒れている。この手をしている人は、私を使って自分で文字を書く。そうであれば一層お手伝いをしてあげよう。気前がいいなあ私は。


 女性は私をテーブルにある筒に刺すと、食事の支度を始めた。うんうん、この筒は窮屈じゃなくていいね。たまに私を他のペンたちと一緒にぎゅうぎゅうに刺す人がいる。それは嫌だから、それをされたら手伝う気が萎えてしまう。せっかく手伝おうとしているんだから、私のやる気を削ぐようなことはしないでほしい。


 すっかり暗くなった窓の向こう。女性は小さなランプを点けて、私を握った。テーブルには白い紙と青色のインク瓶が用意されている。

『もうどれくらい会ってないかしら……会いたいな』

 この女性には、恋人がいるらしい。その恋人は鉱山で働いているため今はここにいない。女性は文通をしながら待っている最中だった。

 女性は「早く会いたい」と思っていても、仕事を頑張っている彼に迷惑がかかると思って遠慮している。なるほど、なら私は「会いたい」と気持ちを込めて文字を書いてあげよう。

 女性は少しぎこちない手つきで文字を書き始める。そういえば、田舎では識字率は低いんだった。この女性は頭のいい人なんだろう。男性も文字を読んで書くことができるので、二人は田舎の中では裕福なんだろう。

『本音は恥ずかしくて無理だけど……なんだか、いつもより上手く、書けたかも』

 女性は満足げに封をすると、私の先を丁寧に拭いてくれた。


 一ヶ月後、女性の恋人が帰ってきたようだ。女性はとても喜んでいて、私も手伝った甲斐があった。

 その後しばらくして、女性は恋人と結婚した。女性は私を使って手紙を書いたから私のおかげだと思ってくれている。まあ、間違っていない。

 結婚式の招待状も私を使ったし、新居にも私を持って行った。そんなに私のことが好きなのね。私はキレイだし、当然だよね。

「あらあなた。この手紙、こんなに大切にとっておいてくれたの?」

 男性のテーブルの引き出しには、恋人だった時に女性からもらった手紙の束が保管されている。特に私が書いた手紙を気に入っているらしく、何度も読んだ跡がある。

「ああ、だって君が初めて『会いたい』って言ってくれた手紙なんだから、一生読み返したいよ」

「……え?」

 この手紙の隅には、小さな文字で『早くあなたに会いたい』と書かれていた。間違いなく、彼女の筆跡で。




 *****




 私はペンだ。今は貴族の屋敷にいる。

 ここで私を使うのは、主に「奥様」と呼ばれている女性だ。彼女が目を通した紙に名前を書く時以外は、ほとんど木の筒に収められている。

 けれど最近困ったことに、ここの家の赤ん坊が私に興味を持っている。羽をむしられそうで怖い。今はまだ床を這いつくばることしかできないけれど、人間はあっという間に成長する。すぐに歩くようになって、大人になって、死んでいくだろう。この赤ん坊は手さえ届けば……という顔を私に向けてくるので、非常に怖い。私を禿げにしたら、4代先まで呪ってやるからな。


 心配が実現しそう。

 奥様が赤ん坊が私に興味を持っていることに気付いた。彼女は少し悩んだ後に控えていた少女にペン先を包む布を持ってくるよう言いつける。少女は素早く布と紐を持ってくると、羽以外の部分を布でくるんだ。

 窮屈だからやめてほしい。私を握らせたいなら、もっと成長してからにしなさい。


 私はペンじゃなくておもちゃにされている。私の予想を上回ったこの赤ん坊は、私を乱暴に扱わなかった。それなりに強く握られることはあるけれど、少女が「お母様のペンですよ、大切にしましょうね、お嬢様」と早めに救出してくれる。


 ある時、成長した赤ん坊が私の布をとった。いつも赤ん坊――と言ってももう二足歩行できる――を見守っている少女が、たまたまいなくなった時だった。

 赤ん坊が、私を握る。赤ん坊はくるまれていた部分を見てピカピカキレイだと興味を惹かれている。まあそうでしょうね、私もこの銀細工の体は気に入っている。でもペン先は尖がっているから気を付けて。

「あっ危ないですよ、お嬢様」

 いつもの少女が、赤ん坊から私を救い出す。本当に危なかった。力いっぱいペン先を押し付けられでもしたら、先が潰れちゃう。この少女に感謝しないと。

「尖っていますから、布をとってはいけません」


 赤ん坊が少女に、少女が女性になった頃、少女は文字を習い始めた。

 文字の練習に私を使いたいと泣き喚き、奥様は私を少女に渡した。奥様も私のことを気に入っていたもんね。血は争えない、と苦笑している。

 それから少女は文字の練習を始めた。まだ線が歪むのでうまく書けないようだった。仕方ないのでそれを補正してあげる。少女のお世話をする女性たちは「このご年齢でこの美しい文字を書けるなんて、お嬢様は天才」だと騒いでいるが、それは私のおかげ。間違えないで。それに少女も、この書き心地を忘れないで。私じゃなくてもキレイな字が書けるように、美しい曲線を書く感覚を覚えておくように。


 少女は天才と言われている。

『このままいけば、あの方と婚約できそう! 天才で良かったわ』

『文字が美しかったら勉強なんてしなくていいんじゃないかしら。だってもうすぐ素敵な婚約者ができるんだもの』


 最近、少女が私を握らなくなった。

 とてもイライラした様子で、クッションを投げている。

「ムカつくわあの女! 私の婚約者に馴れ馴れしいのよ!」

 少女を宥めようとした女性が、八つ当たりされた。

 クッションなんか投げていないで、私で恋文でも書いたらいいのに。クッションを投げて「あの女」にイラついているより、私を握っていじらしい手紙を婚約者送ればいい。そういうのが好きなんでしょう、人間って。

 でも私の考えは少女に伝わらない。せめて私に触ってくれればいいんだけど、それもないなら私にはどうすることもできない。


 しばらくすると、屋敷内が騒がしくなり、みんな家の中のものを箱に詰め始めた。

 私を手に取った奥様が泣きそうな顔をしている。

『これからあの子は、どうなってしまうのかしら……』

 どうやら少女が問題を起こして、陛下から「領地に戻る」よう命令が下ったようだ。領地に戻ると、また王族に呼ばれるまで王城を出入りすることも、王都に戻ることもできない。要するに「余計な問題起こすなら田舎に引っ込んで大人しくしてろ」ということだ。

 人間は権力という面倒なものにとりつかれている。みんな私みたいになったらいいのにね。




 *****




 私はペンだ。今はエルフの村にいる。

 この家は古くて埃だらけで本が積み重なった家だ。いつか本の重みで床が抜けてしまわないか心配だ。

 ここに住んでいる性別の分からない顔をしたエルフは、丸い眼鏡をかけていつも本を読んでいる。たまにすごい勢いで立ち上がって紙に何かを書き始めるけど、私を使わない。だからこのエルフが何をしているのか、私には分からない。

 そのエルフの家に、女性っぽさのあるエルフがやってきた。私を持ち主であるエルフは突然もじもじし始めて、顔を赤くした。

「あなたまた家に閉じこもって……いい加減出かけなさいよ」

「うう、うるさいな、私は家で本を読むのが好きなんだよ」

「だからってずっと引きこもってるつもり? 本を読むのはいいけど、たまには外に出なさい。それに食事もきちんとすること、ほら」

「きっきききみには、かかかんけいないだろっ」

 眼鏡がずり落ちたエルフは、どもりながら私を手に取った。ああ、いくらこのエルフのことが好きで素直になれないからって、意識を逸らしたいからって私の羽をいじるな。羽がとれたら呪ってくれる。

 いやそんなことよりさっさと素直になれ。

 イラついた私は、丁度よく下に本があったので、動いでみせた。

「な、なんだ……? ペンが動いてるぞ?」

 いいから早く、インクを私に。

「魔法のペン、なの?」

「いや、そんな話は聞いていない……が、何か訴えたいようだな」

 眼鏡のエルフは、ズレた眼鏡を直しつつ、私をインク瓶にいれた。

 私はエルフの手を使って、すらすら文字を書き始める。

【君のことが好きだから、素直になれないんだ】

 エルフ二人が首を傾げる。

【私と話してくれるのは君だけなんだ。君は僕の全てなのに、僕はなんで君に】

「うわああああっ!!!!」

 眼鏡のエルフが叫び声をあげる。私から手を離そうとするけれど、まだ途中だからそれは許さない。

【素直に好きと言えないんだろう】

 眼鏡のエルフが意識を失い、その場で倒れた。弾みで私は投げ出される。

 女性っぽいエルフは、眼鏡のエルフの真っ赤な頭を抱えつつ、私を床から拾い上げる。なんだ、びっくりしてるけど嬉しいんだね。私に感謝しろ。

「本当に、魔法のペンなの?」

 エルフは一度眼鏡のエルフを布団の上に転がすと、私を握った。ああ、私を使ったから眼鏡のエルフが告白したのか気になっているんだ。

【まさか告白されるとは思ってなかった……恥ずかしいな。これからどういう顔で会えばいいんだろ】

「ちょっ!」

 こちらのエルフも、私が代筆してあげると顔を赤らめた。思っていることなんだから、恥ずかしがることなんてないのに。

『本当に魔法のペンみたい。持った人の心を読み取るなんて……長に預けた方がいいのかも』


 エルフに連れていかれた私は、長と呼ばれる白く長い髪を持った、やっぱり性別の分からないエルフに渡された。

 長は、私と似たような魔法アイテムを知っていたようで驚いてはいなかった。ただ『どうしたものか』と考えている。

 別にどうもしなくていい。私は私が好きなようにするから、放っておいてくれていい。もちろん自分の意志で移動はできないけど、その時出会った生き物とふれあっていくから。

 このお気に入りの羽も、出会った巨鳥にもらったものだ。器用に軸を足で押さえながら、禿げ禿になった羽を嘴で抜き、代わりに自分の羽を刺してくれた。その鳥にはもう会えないけれど、この羽がある限りあの鳥のことは思い出すだろう。

 それに銀細工の部分も、昔ドワーフに作ってもらった。曲がったことが大嫌いな、裏表のないドワーフは、美しい曲線の銀細工を私につけてくれた。そして仕上げに、自分の家で飼っていた鶏の羽を刺し、私を「羽ペン」にした。正直ペンに鶏の羽をつけるなんてどうかしてる。

 話がそれた。

 長は少し考えこんだ後、使う機会が来るまで宝物庫に入れよう、と私を箱に入れた。

 真っ暗になって退屈になってしまった私は、次に会った生き物に『長はしなる鞭を見ると、鞭が当たった時の痛みを想像して密かに興奮している』と教えてあげようと思う。






 あれからどれほどの時間が経っただろう。なんでもいいけれど、早くこの暗く狭い場所から解放されたい。


 気が付くと周囲に明かりが差し込み、一人の青年が私を覗き込んでいた。

 青年は恐る恐る、箱から私を取り出す。

 この青年は……どうやら勇者らしい。

 というのも、彼は平均的な町で両親と妹と平和に暮らしていた青年だ。しかしある日、町の近くに星屑が降ってくる。好奇心が抑えられない妹とともに野次馬に混じってそこに行くと、星形をしたその塊は光り始めた。そしてえぐれた地面から浮き上がると、青年の目の前まで飛んできた。そして何故かそのまま纏わりつくように青年の頭上から離れなくなった。

 混乱したまま過ごしていると、数日後、王都からやってきた騎士たちに王城に連れられ、あれよあれよと勇者になった。

 そして王族に命じられて数年、彼は王城で修行する羽目になった。平凡な出で立ちとは言え勇者に選ばれただけあって、剣・魔法の能力ともに高水準であるようだ。

 修行に区切りがついた青年は国王に促され、エルフの長に自分が「勇者」であることを報告に来た結果、私をもらった、ということだった。


 青年は未だに自分を勇者だとは思っていないようで、早く誤解が解けて家に帰りたいと願っている。

 残念ながら彼は勇者だ。選ばれてしまった、勇者だ。私を持つ手から、今までの人とは違う魔力の流れを感じる。なんかこう、水みたいな、風みたいな、爽やかな魔力だ。

『キレイなペンだけど、何に使うんだろう……そもそも俺って、なんでこれもらったんだっけ』

 青年は宿屋のテーブルで日記を書きながら、どんどんネガティブになっていく。最終的に勇者であることから逃げたいという思考になった。国王からの説明は全く響いてない様子。

 私は自分を握る青年の手を使って、青年が目の前に開いていた日記の隣のページに、文字を書き込む。

【どうして勇者が嫌なの?】

「!?!?」

 勇者が椅子ごとひっくり返った。安そうな椅子が悲鳴をあげる。小さなテーブルに椅子、シンプルな寝台。ドレッサーや洗面台のない部屋だ。勇者にしては質素な宿屋に泊まっている。

「ど、どうなってるの?!」

 挙動不審な勇者だが、紙の前に行ってくれないと文字が書けない。早く起きて。

 私がぴくりとも動かないことに気付いた彼は、『もしかして今のはこのペンが?』と日記の前で立ち上がる。

【そう。私が書いた】

「このペン、魔法のペンだったんだ……!」

【どうして勇者が嫌なの? 魔王を倒せば有名になれるんでしょう?】

 質問を続けると、勇者は何故か日記に返事を書こうとする。聞こえてるから大丈夫、と追加で書くと「そういえば、さっきそうだった」と恥ずかしそうにした。

【なんなら言わなくてもいい】

「え?」

【心が聞こえてるから】

 勇者はサッと私を手放した。抵抗する術もなく、私はぽとっとテーブルに落ちる。このことを伝えると、大体人間はみんなこうする。心の中の声を聞かれたくないようだ。でも、持った瞬間に「色々なこと」が分かるのは、私にとっては便利な能力だ。

「あ、すみません。つい放してしまいました」

【よくあることだから大丈夫】

 それから、勇者と会話をしてみる。

 勇者が嫌なのは、怖いから。なんで自分が選ばれたかも分からない。

 じゃあ逃げればいい。

 でも見つかったらと思うと怖い。それに魔王を放置したら、家族が危険になるかもしれない。

 じゃあ家族のために勇者になればいい。

 え、いいの?

 国王や長は「この世界」を守らないと民を守れない。でもあなたは平凡な一般市民だった。なら、あなたが守りたいものは「家族」。それでいいと思う。

 世界のこと、背負わなくていいの?

 いいんじゃない?

 青年は、『その考えはなかったな』と笑った。もう夜中だったので眠そうな顔をしていたが、なんだか気の抜けたような表情だった。そのまま寝台に倒れこんだ青年は、布団もかけずに眠ってしまった。

 そして夜が明け、太陽が昇っても青年は目を覚まさず、宿屋の従業員が起こしに来る。エルフの従業員だ、ここはエルフの村にある宿屋だったんだ。道理で質素なわけだ。

「ひどい熱ですよ!」

 青年は今までの疲れと寝不足と布団を被らずに寝たことにより、体調を崩した。バカだ。

 結局エルフの村から出発したのは、2日後のことだった。

 出発の朝、青年は「俺はデトワール。よろしく」と窓越しの青空に私を掲げた。金の髪に光が反射して眩しかった。


 その日から、デトワールは失礼にも私に紐を結び、首から下げた。勇者の護衛としてついてきていた騎士が不思議そうにしている。羽のペンを首下げる人は人間から見ても怪しいらしく、デトワールはすぐに服の中に私を隠した。

 今までは手に握られていないと持ち主の考えが分からなかったが、デトワールは触れているだけでどんなことを考えているのか分かった。と言っても私の言葉はデトワールに届かない。会話をする時は筆談が必要だ。デトワールは『一方的に読まれるのは嫌だし、簡単に会話ができるようになればいいのにな』とむくれていた。


 エルフの長の転移魔法で王都に戻った――勇者といえど旅は初心者。最初から野宿は難しいと、長から判断されたようだ。多分、正しい選択だ――デトワールは、今度は修行と並行して野宿の仕方などを学ぶことになった。そうして夜になると、あてがわれた部屋で毎日のように私に愚痴り、日記のページが私の言葉で埋まっていく。

【ペンだよ】

【ペンに名前をつける人間がいるの?】

【ええ~、気に入らなかったら返事しないから】

【デトワールの着ている服には性別あるの? そういうことだよ】

【性別が気にならない名前にすればいいんじゃないの】

【じゃあペンって呼べばいいのに】

【そんなことにこだわるなんで、人間って変わってるね】

【デトワールが初めてじゃないよ、この羽はコカトリスにもらったものだし】

【魔物だね。少し前のことだよ】

【生き物はすぐ死ぬから、分からない】






 それから私はデトワールに協力した。

 家族を守るために魔王を倒すと決めたくせに、落ち込むとすぐ勇者に向いてないと嘆く彼に、日記の上で激励した。主にそれが仕事だった。仲間がいるんだからそっちに話せばいいのに、勇者を信じてついてきてくれた仲間にあんまり弱いところを見せたくないと強がった。シスターと魔術師が、もどかしそうに見守っていることに気付きもしない。教えてあげたけど『一番言いやすい相手がいい』と譲らない。まあ他の人間はやることが色々あったから、一番暇な私で良かったのかもしれない。

 私の仕事には他に、魔物との意思疎通として仲介したことが稀にあったけど、人間と意思を聞きたい魔物なんてほとんどいなかった。あと、もしもの時のために魔法陣を覚えたくらいかな。私には使える魔法がないので意味はないけど、デトワールが私を使って書いた魔法陣に魔力を込めれば、もしかしたら使えるかもしれない。


 デトワールは、何故か「私」の存在を仲間にまで隠した。おかげで私は「ただの魔法のペン」だ。自我があることを隠していたから、何度か名前を呼びそうになっていたことがある。

 別に自我があるとバレたところで問題ないのだけれど、デトワールにとっては違うらしい。そのため、デトワールは右手に剣、左手に盾、首から魔法のペンを下げた勇者だ。本当はペンは服の下に隠していたけど、魔物との意思疎通を行った時点でバレた。デトワールは私を「エルフの長にもらった大切なペン」だと主張していた。


 勇者を含めた6人は、今から魔王城に乗り込もうとしている。前日は王都の高級なホテルでそれぞれ過ごしたようだ。デトワールは、自分は勇者なんだからしっかりしないといけない、と震えていた。

【大丈夫、デトワールなら家族を守れる】

【きったな。私にかけたら刺す】

【ペンに恐怖なんてないよ】

【それに、私はデトワールの「相棒」なんでしょう?】

【勇者1人に託す方がよっぽど無責任】

【国王は守らなくていいよ、デトワールが守りたいものだけでいい】

【だてに勇者に相棒呼ばわりされてないからね】

【おやすみデトワール】


 そこから戦いは佳境に入った。服の中からでは見えないけど、周りの声や音から緊張感が漂ってくる。

 爆発音や金属のぶつかり合う音、悲鳴、仲間を呼ぶ声、荒い息遣い、何かが倒れる音、様々な音がした。

 彼らは今、自分たちの生存をかけて戦っている。

 私は「自分が人間だったら」なんて思ったことはないし、これからも思うことはないだろう。

 私はペンだ。意思はあっても命はない。けれど、ペンだからできることがある。


 地面の奥底から響いてくるような声が、静寂の中に響く。きっと、この重音の発生源が魔王なのだろう。ああ、なんて重くて濃い魔力なんだろう。デトワールの魔力とは全然違う、圧倒的存在感。

 始まった戦いは、非常に苛烈なものだった。デトワールが飛んだり跳ねたり忙しそうだ。

 そして。

「きゃああああああ――!!」

「デトワールッ!!」

「貴様あぁぁ!!」

 突如悲鳴と怒号、笑い声がぐちゃぐちゃ混ざって聞こえた。同時に、服の下にいた私は硬い床の上を滑った。

 私と同じように床に放り出されたデトワールが、血まみれになっていた。私に結ばれていた細かい鎖が切られたようだ。魔王の斬撃はデトワールの鎧を切り裂き、私たちを繋ぐ鎖を断った。斬撃はデトワールの体にまで達していて、シスターが必死の形相で、僅かな魔力を絞って治癒魔法をかけている。

 私の銀細工は血で濡れ、コカトリスの大きな羽は1/3ほどなくなっていた。

 デトワールの声が聞こえなくなってしまった。それが、こんなに不安になるとは、思っていなかった。

 デトワール、生きてる?

 そう聞きたいのに、私の声はデトワールには届かない。デトワールの後ろの方で、斧を持った大柄な男性が魔王に立ち向かっている。「起きろデトワール」と叫びながら。

 その男性の隙間を縫って、拳を叩き込む青年がいる。「目を覚ませデトワール」と叫びながら。

 彼らの後ろには、大きな弓を持った少年が、魔王に向かって炎の矢を構えている。「死なないでデトワール」と叫びながら。

 シスターを守るように、魔術師が立っている。彼女は魔王だけを睨みながら、光の球を魔王に撃ち込んでいる。「死んだら許さないからねデトワール」と叫びながら。

 まもなく魔力切れになるシスターが、デトワールの傷に回復の光を押し付ける。彼女の声は、声になっていなかった。

 彼はこんなにも必要とされている。魔王が、猛攻を仕掛けている。デトワール、寝ている場合じゃないよ、デトワール。


 デトワールのボロボロの腕が動き、ゆっくり床を這いずる。シスターがそれに気付き、安堵の笑みを浮かべた。しかし、そのまま彼女は血まみれの床に倒れこんだ。魔力が尽きたのだ。

 シスターとは対照的に、魔術師は絶望的な表情になった。これで回復が、薬だけになってしまった。デトワールの傷は、これからの負傷は、薬だけで乗り切れるのか。そういう表情だった。

 デトワールの血だらけの手が、私を掴んだ。バカだなぁ、ここは剣を握る場面でしょう。そんな血のついた手で私を握るなんて……でも、弱々しい手つきで握られると、汚さないでとは言いにくい。

「……っ」

 デトワールの息が私の名前を呼ぶ。

 私は、デトワールの手を使って硬い床にペン先を擦りつける。

『だめだ、そんなことをしたら――』

 そう。これではペン先が潰れて、私はペンとして使えなくなってしまうだろう。でも仕方ない。相棒の、ためだから。

 魔王城の床に、小さな魔法陣が出来上がる。本来なら、魔法陣は魔力を込めないと発動しない。

 でも、魔力の源がそこかしこに落ちている。

 水みたいな、風みたいな、爽やかなデトワールの魔力をたっぷり含んだ、彼の血が。

 小さな魔法陣から発せられた光が、暗い魔王の部屋を照らす。

 デトワールは立ち上がり、私と剣を掴んだ。血は取れていないが、おなかの傷はふさがっている。

「デトワール……!」

「何が起こったというのだ?!」

 初めて、魔王が感情的に声を出した。

 デトワールは剣を振り上げ、油断している魔王の腹に突き刺す。怯んだところに、逃すかと言わんばかりに仲間たちの攻撃も叩き込まれた。


 魔王の使っていた大剣が折れ、彼はそのまま膝を付いた。そして、太陽に反射したようなデトワールの剣が、折れた大剣を手から弾き飛ばす。すかさずデトワールは、私の潰れたペン先を、魔王の額にある宝石に突き刺す。真っ赤な宝石がひび割れ、文字通り粉々に散った。

 黒く大きかった魔王の体は灰のように色を失い、空気に溶けるように魔王の形が崩れ始める。まるで、魔王は最初から灰が集まってできたようだった。

 これで、魔王を倒した。

 デトワールはずっと守りたいと言っていた、家族を守りきったのだ。

 さすが、私の相棒(デトワール)

「――さすが俺の相棒(ソキウス)だ!」






 *****






「こうして世界を救った勇者デトワールは、愛用のペンと共に姿を消しました」

「めでたしめでたし」

「めでたいの、この話?」

 教会の一角で、子どもたちが数少ない本を読んでいる。読みすぎて擦り切れたページが、いかにこの本が読みこまれたか教えてくれている。

 勇者デトワールは、世界を救った後、家族の元に帰り、妹の嫁入りで泣き、両親の最期を看取り、その後故郷から姿を消したと言われている。

「めでたい話ですよ。彼は余生を勇者ではなく、デトワールとして生きたとのことですから」

 深く椅子に腰かけた神父が、聖書を書き写しながら小さく笑った。

「そうなの? でも勇者様はどこ行ったんだろうね」

「さあ? 神父様は知ってる?」

「残念ながら、私も教わっていません」

「なんだぁ」

 彼がどこに行ったのかは、かつての仲間でも知らないそうだ。

 相棒である、私を除いて。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 不思議なタイトルだなと思って読み始めたら、とても面白くすぐひきこまれてしまいました。きっとデトワールがあとでソキウスを直したんでしょうね、物は大切に使えば長く使えるからこそいろんな人を渡っ…
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