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34. 第一のフラグ叩き折って見せましょう

 



 なんと言いましょうか。


 突然現れたディレム殿下に突然始まったゲームのイベント。

 それを目の当たりにした時、ユイアナさんは、突如挙動不審に陥りました。

 

 頭を抱えながらしゃがみ込み、しきりに「どうしてディレム様がここにいるの? わたし、イベント回避したはずよね?」とか、「こんな事になるなんて知らない。わたしちゃんと隠しルートに入ったはずよ、どうなってるの? もしかして失敗?」とか、しびれを切らしたルキトが、もういいだろう? と言いたげにフードを取ったら「なんでルキト様までここにいるの!」と叫んだり、馬車から降り立った一の兄上様を見た瞬間「…え? 隠しキャラもう一人いたの? え? そんなはずないよね?」と訳の分からない言葉を口走り一の兄上様に蔑む眼差しを向けられ委縮したり、終いには、離れた場所から様子を窺っていた魔法師様と二の兄上様が現れた時には「カイレム様、キア様、助けてください! この世界おかしいです!」と泣きつき、反対に「おかしいのは貴女でしょう」と魔法師様に言われ呆然としておりました。


 けれど、混乱するのも分かるのです。

 きっとユイアナさんにとって、この現状はすべて予想外なのでしょうから……。


 それから――あのまま街に居座るわけには行きませんもの。馬車を路上に止めたままなんて街の皆さんの邪魔になります――放心するユイアナさんを連れて皆で我が家に向かいました。もちろん、ユイアナさんから事情を聴くためです。動揺していたとはいえ、いろいろ口走っておられましたもの。一の兄上様が、喜々として訊く気満々ですわ。


 そのユイアナさんは、我が公爵家にてどこか落ち着きなくそわそわしておられます。

 そのお気持ちもなんとなく分かります。

 だって、ユイアナさんが向ける視線は、明らかに攻略対象の皆さま。

 ゲームの中でだってこんな場面はありませんわよ。攻略対象が一堂に集うなんて――――


 ユイアナさんは、まるで鑑賞するかのようにそれぞれの顔に見入っています。


 ええ、間違いなく、顔に――――


 その眼差しやしぐさは、とても媚びを打っているようには見えなくて、ただ、ゲームのキャラクターを愛でているだけのようにも見えるのです。


 なんか……思っていたヒロインと違いますわ。


 明らかに――隠しルートに入ったと言っていましたので――ゲームを攻略しているように感じましたので、もっとこう…「私がゲームのヒロインなのよ! この世界は私の為にあるの!」とか頭ごなしに言ってくるのではないかと思っていたのですけれど……。


 予想外ですわ。


 セレナを悲しませる元凶で、ゲームでは本当に好きになれないヒロインでしたけれど、こうやってユイアナさんを目の当たりにしたら、彼女は、ただの乙女ゲームの好きな女の子にしか見えないです。


 そう思い込むのも危険だと――未だにユイアナさんの真意は分かりませんもの――いう事は理解しておりますが……彼女の人となりを観察しておりますと、毒気を抜かれるというかなんというか……すごく判断に困ります。


 それに………。


 私は、ユイアナさんの胸元に揺れているペンダントに目を向けました。


「あの、これが何か?」


 私の視線に気付いたユイアナさんは、どこか期待するような眼差しで訊いてきました。


「その紋章、メイグリム伯爵家の紋章ですわね? ユイアナさんは、伯爵家に縁がありますの?」


 その瞬間、ユイアナさんは大きく頷き、


「はい! 私、伯爵家の娘なんです!」


 と答えました。


 あれ? ユイアナさんは、まだイベント継続中と思っているの? 私に対してにこやかに答える、という事は、アーク様ルートのイベントよね? 


「これは、伯爵家のお嬢様でしたか。それは失礼をしたね。ああ、申し遅れたが、私はインスフィア公爵家嫡男、シャリアンと申します。お見知りおきを」


 皆を代表して一の兄上様が挨拶を述べました。

 にこりと微笑む一の兄上様を直視したユイアナさんは、瞬時に顔を真っ赤にし、こくこくと頷いていました。けれど、その後に続く一の兄上様の言葉に、顔を強張らせる事になるのです。


「しかし、メイグリム伯爵、ですか……。突然こんなことを貴女に伝えるのも心苦しいのですが……知っておられますか? かの伯爵は、昨日、爵位剥奪の上、国外追放となりましたよ」


「………え?」


 ユイアナさんの瞳が驚きで見開かれております。

 ついでに私も驚きです。

 そんな事、初耳ですわよ、一の兄上様。いつの間にそのような事になっていらっしゃったのですか!?


「ご存じありませんでしたか?」


「は……はい、知らない…です」


「そうですか。まあ、これは、まだ公にはされていない事項ですので知らなくとも仕方ありません。けれど……」


 一の兄上様は、いったん言葉を切ると、ユイアナさんをじっと見つめました。


「あまり、このような事を申し上げるのも憚られるのですが、貴女がこのまま平穏無事で過ごしたいのなら、ご自分が伯爵家の娘だと公言しないほうが良いでしょう。さもなくば―――」


「さもなくば……?」


「貴女の身も無事では済まない、という事ですよ。この意味がお分かりいただけますか?」


「あ…あの、それって、おかしいです……。わたし、先見の力があるんです。未来が分かるんです。だから、お父様が爵位剥奪なんて……絶対に在りえないんです。だから!」


 ユイアナさんが必死です。

 それはそうですわよね。だって、爵位剥奪の上追放なんて、ゲームでは――没落寸前でしたが悪事に手を染めるような方々ではありませんでした――ありえませんもの。それに、伯爵家に引き取られないとゲームそのものが成立しませんし……。


「それが何か?」


「何か……て。未来が分かるんですよ?」


「ご自分の都合のよい未来が分かるだけでしょう? 貴女は……」


「キア…様?」


 口を挟むように声を発したのは魔法師様。


「キア、と呼ばないでいただけますか? 貴女にその名で呼ぶことを私は許していない」


「え……?」


 はっきりとした拒絶。


 ユイアナさんは、僅かに目を眇めております。

 拒絶されると思っていなかったのでしょうか?

 もしかして、あれでしょうか?

 攻略対象者は、出会った瞬間にみんな自分の味方になる、とか思ってる? 今更? だって、私でも気づきましたわよ。


 最も恐れていたゲームの強制力は、まったく働いていないって……。

 

 あの時……ディレム殿下が現れイベントが始まった――一の兄上様曰く、ディレム殿下のセレナへの気持ちを確認するために、わざとディレム殿下とユイアナさんを出会わせたのだそうです――あの時に思いましたの。


 もし強制力なるものが存在するなら、あそこでユイアナさんと出会ったディレム殿下は、僅かながらにもユイアナさんに好意を持つはずです……。それがゲームですもの。

 けれど、その肝心のディレム様は、好意を持つどころか、突然しゃがみ込み頭を抱え込んだユイアナさんを胡乱な目つきで見ておられたのです。

 

 その事から導き出される答えは一つ。


 ここは……この世界は、ゲームの世界に似ているだけの別の世界。


 たとえユイアナさんが攻略通りに物語を進めたところで、ゲーム感覚でいたままでは意中の相手とのエンディングなど迎えようがない。


 だって、強制力など無いのですもの。

 ゲームのように好感度を上げる選択肢なども発生しない。似たような言葉があったとしても、その言葉だけがすべてではない。


 ねえ、ユイアナさん。例えゲーム上では攻略対象であっても、ここは現実なのですよ。ご自分の言葉と態度で示さなくては、誰も振り向いてはくれないわ。心を伴わない言葉に絆される相手など現実にはいないのよ。


 困惑の表情を浮かべるユイアナさんに、私は思わず同情していました。

 だってユイアナさんは、明らかにゲームを楽しんでいるようにしか見えませんもの。そして、その違いを目の当たりにして今、ものすごく混乱している。


 ちらりと向ける先は、拒絶の言葉をユイアナさんに向けた魔法師様。

 そして、私とユイアナさん以外ではただ一人、この世界がゲームの世界だと知っている人。


 魔法師様は、僅かに私に視線を向けると、語りかける様に言葉を続けました。


「……ユイアナさん」


「はい……」


「貴女は未来が分かるとおっしゃる。けれどそれはご自分の都合のよい未来を語っているだけに過ぎないのでしょう? 自分の知っている物語をこの世界で紡ぐために、違いますか?」


「な……なんで」


「貴女がなぜ、王太子妃になる、と明言していたのかは分かりません。けれど、ある人の言葉を借りるなら、貴女は王太子殿下を攻略しようとしていた。ああ、私たちの事も攻略対象などと呼んでいましたね」


「………! なんでそれを……?」


「驚かれることは無いでしょう? 貴女とは一度会っているのですから……」


「あれは…無かったことに」


「出来るわけがないでしょう? それとも、貴女が無かったことにする、と言えば、本当に私たちの記憶から消える、とでも思っていたのですか? 愚かしいにも程がある。ここは、現実です。一度起きたことは消すことなど誰にも、そう神にすら出来ないのですよ」


「現実……」


「そう、現実です。良いですか? ここは、ゲームの世界ではないのですよ」


「………!」


 ユイアナさんの瞳が驚きに見開かれました。

 魔法師様の口から、ゲームの世界、という言葉が飛び出して驚いたのでしょう。

 そして、怪訝そうに魔法師様を見ている人がもう一人。


「ゲームの世界、とは面白い事を言うね、魔法師殿」


「ただの比喩ですよ、シャリアン殿」


 深く追求してくれるな、との意を込めた魔法師様の言葉に、一の兄上様は口を噤んでくださいました。


 おそらく、後で追及されるのは私のような気も致しますが………。


「……ユイアナさん」


「はい……」


「貴女の言う攻略は失敗したのです。こうして私たちに尋問を受けていることこそがその証。もう、貴女には先見の力は使えません」


「どうして……? なんで、知ってるの? うまくいっていると思ったのに。イリアーナさんと出会って、これでやっと始まるって……」


「それは、王太子殿下の婚約者、ですか?」


「そうよ! イリアーナさん、婚約者でしょう?!」


「違いますわよ」


「え?」


 瞬時に否定した私に、ユイアナさんは目を丸くしています。


 いや、驚かれても私一度たりとも婚約者って言っていないのですけれど……。


「でも、王太子殿下の幼馴染よね?」


「一応、そういう事みたいですわね」


「どうして婚約者じゃないの!」


 そう言われましても……。


「絶対に婚約者のはずよ! だって、幼馴染でしょう? だから、貴女が婚約者のはずなの! じゃなきゃ、始まらないの!」


 だから、そう言われたって違うものは違うのです!


 そう言いたいのですけれど、私に詰め寄るユイアナさんが怖すぎて腰が引けてしまいました。というか、なぜ私が責められているのですか?


「はい、そこまでそこまで。お嬢様が言っていることは本当だから。王太子殿下には、未だに婚約者などいないよ」


 ソリンさんが宥める様にユイアナさんの頭をぽんぽん叩いております。


「そんな……どうして? どうしてこんなに違っちゃっているの? はっ……もしかして悪役令嬢が転生者? まさか、ね。でも…さっき、キア様、ゲームって……。嘘っ! やっぱり悪役令嬢も転生者? だから知ってたの? それで、ヒロインの私がざまぁされる所謂小説のような展開? ち…ちょっと待って。それ、絶対嫌だ! そうならそうと誰か教えてよ! って、まって、それならどうして悪役令嬢…セレナはここにいないの? あれ?」


 きょろきょろと辺りを見渡すユイアナさんに向ける皆の視線は、一様に冷めております。

 特にセレナを悪役令嬢なんて呼ぶものだから、一の兄上様から発せられる威圧がすごいのなんのって……。頼みますから、もうそれ以上はおっしゃらないでくださいませ、ユイアナさん。


 その後、ユイアナさんは騎士に連れられ街に戻って行かれました。

 伯爵様――伯爵子息もです――が爵位剥奪の上追放という重い罪に比べユイアナさんを罪に問えないのは、ユイアナさん自体は何も悪事に加担していなかったから。ただ、自分が知っている未来を父である伯爵に語っていたにすぎないからです。


 散々意味不明の――私には分かりましたが――言葉を口走っていたユイアナさんは、魔法師様から「これ以上の醜聞は貴女の為にはなりませんよ。平穏にこの世界で生きていきたいのなら、おとなしくしていることです」とそう言われ、涙ぐんでおられました。


 本当は、私も転生者よ、と告げて、いろいろお話をすれば良いのだろうけれど、それは魔法師様に止められたのです。


 知りたかったのですけれどね、いろいろと……。

 なぜ、早くから伯爵にゲームの内容を告げたのか、とか、どうしてアーク様のエンディングを目指したのか、とか、本当に訊きたいことが沢山あるのです。


 結局は分からず仕舞い―――


 けれど、それはそれで良いような気もするのです。


 ゲームの内容など知らないほうが良い……とは、魔法師様の言葉。

 私もそう思います。

 現実に生きている以上、未来など知らないほうが良いのです。


 何はともあれ、これでゲームのフラグは折れたのでしょうか?




 これで――――――




 ☆




「これでセレナは幸せになれる。良かったな、イリアーナ」


 ぽつぽつと咲き始めた桜の花を見ていた私の隣で、どこか寂しそうに微笑みながら一の兄上様が言いました。


「一の兄上様はこれで宜しかったのですか?」


 問いかけに答えはありませんでした。

 けれど、切なげに細められたその眼差しが無言の答えのような気がしたのです。


「ありがとう……一の兄上様」


 きっと、私一人では成しえなかった。

 一の兄上様をはじめ、皆が力を貸してくれたからフラグを折ることが出来た、と本当にそう思うのです。

 

 これで…ゲームで見たセレナの悲しい最期は回避される。それは、とてもうれしい事です。心から皆には感謝します。


 でも………。


「ごめんなさい……」


 小さくそう告げたのは、一の兄上様の気持ちを知っているから……。


 一の兄上様は、くしゃくしゃと私の頭を撫でた後、そっと抱きしめてきました。

 けれど、抱きしめるその腕が微かに震えていたのを私は知っています。

 でもこの事を誰にも言うつもりはありません。言えるわけがありません。


 私に言えるのはただ一つだけ……。

 

 こそっと一の兄上様の耳元で告げた私の言葉に、一の兄上様は破顔いたしました。

 そして、何かを堪えるかのように強く抱きしめてきたのです。




 告げた言葉は………。




『大好きよ―――シャリアン兄様』


 







ありがとうございました!



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