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32. 廻りくる季節は始まりを告げる

 



 ヒロインが言う、王太子殿下の婚約者。


 それが私なのだと教えられたあの日。私はあまりの衝撃で気を失ってしまいました。


 どうして私が王太子殿下の婚約者――実際には婚約などしておりませんが――になるのか、まったく見当が付かなかったのですが、目覚めた時に教えられたのは、魔法具を身に着ける前は、私とアーク様はとても仲が良く、いつも一緒に遊んでいたという昔話でした。


「セレナが言っていただろう? 殿下の幼馴染はインスフィア家の子息だけだと。そこには、表立って公言はしていないが、お前も含まれている」とは、一の兄上様の言葉。


 それで気づいたのです。


 魔法師様のお力で見た夢――不思議な事に、夢の事は忘れずに覚えていたのです――は、アーク様と一緒に過ごした私の遠い過去の記憶なのだと。


 夢の中でアーク様が悲しそうにしていたのは、私がいずれアーク様を忘れてしまうと知っていたから……なのですね。それを思うと、なんだか胸が苦しくなります。

 私が忘れてしまっていた過去。

 記憶としては未だにはっきりとは思い出せません――まあ、2歳か3歳のころの記憶なんて、覚えているのは稀です――が、夢の中で交わしていた約束は鮮明に覚えております。


『……約束だよ。大きくなったらここでまた会おう』


 少年――アーク様と交わした幼い約束。


 そして―――


『約束の地で待つ』


 魔法師様から手渡されたアーク様の手紙の一文。


 あの夢が導いた過去の記憶なら、きっとそうなのでしょう。




 約束を交わしていた場所は………。




 


 アーク様、花びら舞うこの地で、私は貴方を待っています。




 ☆




「あら、お姉さま、笑っていらっしゃるわ」


 麗らかな春の日差しが柔らかく降り注ぐ庭園。

 ぽかぽかとした温かさは思わず眠気を誘い、私は知らずに微睡んでおりました。


 耳に届くのは大好きなセレナの声。


「そうですわね。とても幸せそうに微笑んでおられますね。何か良い夢でもご覧なっているのでしょうか?」


「あっ……ロンナさん、お嬢様の口元に花びらが……」


 ロンナとセシャの声も聞こえます。


「……失礼」


 そっと唇に触れる優しい指先。


「ああ~ソリンさん、ずるい」


「ずるくないだろう? 私は護衛騎士なんだからな。お嬢様を危険から守るのは当然だ」


「花びらがお姉さまの唇を奪うのを許せない、というわけですわね。ソリンさん、その心意気、素晴らしいですわ」


「ありがとうございます、セレナ様………」


 夢うつつの中、和やかに交わされる会話にますます笑みがこぼれます。


 ああ……こうしていると、去年の春を思い出します。


「それにしても、こうしてお姉さまの寝顔を堪能しながらお茶会をしているなんて……ふふ、懐かしいですわね」


 そう、去年の春もこうしてお茶会を開いておりましたね。

 その時はまだ私は魔法具に縛られていて………。


 ふふふ、セレナではないですけれど、本当に懐かしいです。

 こうして眠っていても、もうあの時のように魘されることはありません。


 ただあの時と違うのは、今日は護衛騎士がソリンさんしかいないという事でしょうか。

 敷地の中だしそうそう危険も無いだろうとの判断なのですが、ルキトとゼンは今、一の兄上様の指示で街に行っております。


 下準備がどうのこうのと言っておられましたが、お二人とも、いったい何をしておられるのでしょうか? それでなくとも街は迎春祭を控え賑わっておられると聞きますのに、置いてきぼりなんてひどいですわ。私も行きたかったです。


 そう顔を膨らます私に、「5日後には、私が連れて行ってあげるよ。だから今は我慢するんだ」と、宥める様に一の兄上様がおっしゃいました。微妙に含みのある言い方をする一の兄上様に首を傾げましたが……訊いたところですんなり応えてくれる一の兄上様ではありませんので、今回はおとなしくしております。


 そんな私を見かねて、セレナが訪ねてきてくれたのです。


 男性陣完全に抜きのお茶会、ともなれば、訊きたいことは沢山あります。


 セレナも最初は渋っておられましたが、私の『お願い、セレナ!』攻撃に陥落。

 最後には喜々として話してくださいました。


 まずは、ずっと気になっていた、新年の舞踏会でのミエンナ様の失態について。


 セレナ曰く、なんでもミエンナ様は王太子殿下の前で私を貶める発言――内容までは教えてもらえませんでした――をし、尚且つ堂々と自分こそ王太子殿下の婚約者だと公言していたのだそうです。

 その発言を聞いた王太子殿下はすぐさま否定なさり、毅然とした態度で宣言なされたのだそうです。


「私の妃は私が選ぶ。それは、他者を貶める発言を繰り返す其方では決してない。ミエンナ嬢、気づいていなかったか? 私はずっと、其方の言動を見ていたのだ。まったく、愚かしいにも程がある」


 その言葉を聞いたミエンナ嬢は、居たたまれなくなりその場を辞したとか………。


 王太子殿下はずっとミエンナ様を警戒していた。

 私に魔の手が伸びないよう、公の場ではあえて私と距離を取っていた。そして、ミエンナ様が自らの非を認め、自らの行いを打ち明けてきたのなら、もう少し穏便に事を運ぶ手筈だったと……。


「王太子殿下は、お姉さまをとても大切になさっておられますわ」


 話し終えたセレナが、アーク様をそう称するのは初めてです。今までとは逆の態度に思わず「何があったの?」と聞き返してしまいました。


 その問いかけにセレナは一言だけ「お姉さまには、幸せになって頂きたいのですわ」とそう言いました。


 そして、そのまま庭園でお昼を頂き、ぽかぽかとした陽気に誘われるかのように眠ってしまったのです。


 まだ、訊きたい事があったのに………。






「……付かぬ事をお訊きしますが、セレナ様」


「何かしら?」


 恐る恐るという態でロンナがセレナに問いかけております。


「………シャリアン様の事です」


「ああ、私も聞きたいです! セレナ様、シャリアン様と何があったのですか?」


「お前たち、セレナ様に失礼だぞ」


「ええ~。ソリンさんも気になりませんか? あのシャリアン様が、急に女性に優しくするなんて青天の霹靂ですよ!」


 セシャ、それ、一の兄上様に対して失礼……いえ、不敬に当たりますわよ。まあ、私もそう思いますが……。


 何はともあれ、セレナがものすごく動揺している気配を感じますので、このままではいけませんわね。友人として、助け舟を出さなければ……ふふふふふ。


「……セレナ?」


「あ……お姉さま! 眠りから覚めたのですか?」


 静かに見開く私の瞳に、どこかほっとした表情を浮かべるセレナが映りました。


「……ええ。それより、一の兄上様の名が聞こえたのですが、何かありましたの?」


 私の気の所為かしら? 


 そういうと、セレナはあからさまに動揺しだし、


「あ……それは」


 口籠ってしまいました。


 困った顔のセレナがとても可愛いです。

 ゲームでは勝気そうな顔立ちでどこか冷たい印象を持たれていたセレナですが、現実ではとても愛らしい美少女ですわ。


 ふと周りを見渡せば、なぜか興味津々の眼差しで聞き耳を立てている専属侍女とソリンさん。


 セレナは、あきらめたようにため息を付いた後、


「シャリアン様には内緒にしてくださいませね、お姉さま」


 そう言ってきたのです。


「もちろんよ、セレナ。皆も内緒にしてね」


「もちろんですわ」

「絶対に言いません」

「面白い事は秘するに限るからな」


 ソ…ソリンさん。面白い事って、それ違いますから! この事が一の兄上様にばれたら恐ろしいことになりますからっ!


 若干顔を引き攣らせながらセレナに先を促す私は、この後、訊かなければ良かったと後悔したのは言うまでもない………。


 


 ☆



 

「話は、新年の舞踏会まで遡りますの……」


 セレナが語ったのは、私が体調を崩して出席できなかった新年の舞踏会でのお話でした。

 なんでもセレナは、私の未来視を鑑みてディレム様との婚約を先伸ばす決断をしていたのだそうです。


 ……今年の春、ヒロインとディレム様が出会い、その心が変わらないとはっきりするまでは婚約できないと――――


 それは、とても苦渋の決断だったと思います。

 だって、セレナはもうディレム様をとても好きになっていたはずですもの。


 ゲームでのセレナもそう。

 優しくて思いやりがあるディレム様に、セレナが惹かれていくのに時間はかからなかった。だからこそ、ヒロインに執拗なほど辛くあたる。


 そして、最後には―――


「……セレナは、それをディレム様に伝えたの?」


 私の問いかけにセレナは緩く頭を振り。


「……ディレム様を前にしたら、嫌われるのが怖くて…身体が震えて…伝える事が出来なかったのです。だから、見かねたシャリアン様が一計を案じてくださいましたの」


「一の兄上様が……」


「ええ…、突拍子もない策を……」


 どこか遠い目をしているセレナは見なかったことにします。


「本当はわたくし、舞踏会は病を理由に出席しないつもりだったのです。だって、二日目の舞踏会でわたくしとディレム様の婚約が正式に発表される手筈になっておりましたもの」


「それで…?」


「けれど、お姉さまが病に倒れて欠席となると、わたくしまで病に倒れるわけには行かなくなりまして……」


 ああ、私が病に伏したせいで予定を変えざるを得なかったというわけですね。


「……覚悟は出来ていたのです。婚約を遅らせると決めたのはわたくしですもの。けれど、いざディレム様の顔を見ると言えなくなって……あの……その」


 突然口ごもり、顔を赤くするセレナにびっくりです。


 え……えっと、何があったの?


「あの……ですね、お姉さま」


「はい……」


「会場から抜け出して、王宮の庭園でお話していたのですが、その時、シャリアン様とお兄様も側に居てくださったのですけれど……」


「……けれど?」


「シャリアン様、ディレム様がお兄様とお話しなさっている隙にわたくしに申しましたの。「君から言えないのなら、私に策があるがどうする?」と。正直、わたくしには言えないと思いましたの。だから、思わず頷いてしまったのですわ」


「一の兄上様がそのような事を……?」


 腑に落ちません。

 一の兄上様が、単なる親切心から申し出るとは思えないのです。いくらセレナを私同様可愛がっていたとしても、兄上様の事、どちらかといえばセレナの背中を後押しするのが関の山だと思うのですが………。


「その後シャリアン様はディレム殿下に向かっておっしゃったのです。ディ…」


「ディレム殿下、私は陛下の思惑を知っておりますよ。貴方とセレナの婚約の経緯を踏まえ、ね。王太子殿下と我が妹の事に貴方を巻き込んでいるのは申し訳ないとは思っております。けれど、その事にセレナを利用するのは許せませんね。知っておりますか? ディレム殿下。私は幼いころから、彼女を愛しているのですよ」


「…………え?」


 突然背後から聞こえた声。


 ふとセレナを見ると、見事に硬直。


 侍女たちはいそいそとお茶の用意をはじめ、ソリンさんは何食わぬ顔で背後に立っております。


「面白い事を話しているね、イリアーナ」


 優しい声です。

 噂話をしていたというのに、咎める口調ではありません。


「そんなに私とセレナの関係が気になったのかな?」


 肯定も否定も出来ません。

 ただ、近づいてくる気配に戦々恐々としているだけです。


「なら私からじっくりと語ってあげようか?」


 反射的に首を振るのは、それ以上聞いてはいけないと頭の中で警鐘がなっているから……。


「残念。だけど……」


 ゆっくりと近づくのは、私ではなく……。


「約束を違えないでね、愛しいセレナ。ディレム殿下があの娘を選んだら、君は私のものだよ」


 そう言ってセレナの手を取り、細く繊細な指先にそっと口づけると、思わず目を背けたくなるような柔らかな笑みを浮かべられました。


 誰が?


 はは……はははは……。――――それは、一の兄上様です。




 その後、固まったまま動かないセレナの肩を優しく抱きながら一の兄上様は語ってくださいました。


 なんでも、あの一の兄上様の告白――一の兄上様曰く、本気とのことです。信じられませんが――もどきにディレム殿下は激怒。けれど、口で一の兄上様に敵う訳など無く、私の未来視とセレナの覚悟を聞いたのち、ディレム殿下は婚約を遅らせることに――セレナの命が関わっているとなれば了承するしかない、と言っていたとか――しぶしぶ承諾したそうです。


 その後硬直から復活したセレナから聞いたことによれば、ディレム殿下はセレナを心から愛しく思っていると伝えてきたとか……。けれど、セレナが不安に思っているのならいくらでも待つと……。


「わたくし、うれしくて泣きそうになりましたの」


 そう、はにかむように告げるセレナが可愛いです! 


 ――って、だから、一の兄上様、そこでセレナを抱きしめるのは止めてください! どう見ても嫌がらせにしか見えません! 


「良いだろう? どうせ今だけなんだから。私にも役得があってもいいと思わないかい、イリアーナ」


 ―――って、だから! セレナの耳元で「愛してるよ」なんて甘い言葉、囁かないでください! セレナが固まってしまいますからっ!


「こうして口説いていれば、万が一な事態が起こったとしても、セレナは大丈夫だろう? イリアーナ」


「………っ!」


 ぽつりと呟かれた一の兄上様の言葉に絶句します。


 だってそれは――――


 ただ、揶揄って楽しんでいるだけだと思っておりました。

 けれど、セレナ――まだ硬直しております――を見つめる、慈しむような眼差しに嘘が見えなかったのです。


 一の兄上様は、最悪を想定している。

 前世のゲームのようにセレナが命を落とすことを懸念している。

 そして、セレナのディレム様へ向ける気持ちも知っていて尚、その心を守ろうとしている。


 我が兄ながら、とんだお馬鹿さんですわね。

 声に出したら、どんな目で見られるか分かったものではありませんから言いませんが、本当にそう思います。


 一の兄上様……本気なのですね。


 見ていれば分かります。こんなに楽しそうな一の兄上様など見たことがありませんもの。けれど、その本心を決してセレナには悟られないようにわざとこのようなふざけた態度をとっている。


 思わず苦笑いが浮かびます。


「……その時は、セレナを頼みますわ、一の兄上様」


「……ああ」

 

 これは、ゲームの展開を阻止するための一つの布石。


 そして――――






「……花が咲くね、イリアーナ」


「はい……」


 静かな問いかけに、私はそっと視線をめぐらす。


「準備はすべて整っている。決行は5日後。イリアーナ、街へ行くよ」


 見上げる先は………。




 咲き始めた――――桜の花。








ありがとうございました。



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