31. 一つの終わりと新たな始まり
「とまあ、俺が集めた情報はこれくらいかな」
そう話を締め括る二の兄上様がとても楽しそうに笑っていらっしゃるので、思わず訊いてしまいました。
「どうしてそんなに楽しそうなのですか?」
「うん? ああ、実はね、彼女、俺と一度も会ってくれなかったんだよ」
「はい?」
「だからね、情報を集めるにしたって本人から直接話を訊いた方が良いだろう? だから彼女に会いに行ったんだけど、悉く空振り。どうも避けられているみたいでね。彼女の知人に訊いたら、彼女、俺には会いたくないんだそうだ」
「それはまた……どうして?」
「出会ってしまえば未来が変わるから、とその知人は言ってたけど、もう会ってるしね~。彼女の言葉を借りるなら、未来はすでに変わっていると思うのは俺だけかな?」
問いかける視線は、魔法師様とルキト。
二人は、肯定するように口元に笑みを浮かべておりました。
ああ、彼らは一度、ユイアナさんと会っておりますものね。
それにしても、出会ってしまったら未来が変わる、ですか?
でもすでに会っておられますわよね。二の兄上様ではないですけれど、すでに手遅れではないのでしょうか?
「ああ、それであの言葉、ですか?」
「魔法師様、何のことでしょう?」
「あの娘、私たちの前から立ち去るときに、私たちを見なかったことにする、と言っていたのですよ。不可解な言動をするとは思っていましたが、その娘の描く未来に関わっているからなのですね」
首を傾げる私に、魔法師様は思い出す様にそう言いました。
「王太子妃になる未来……だったか? 魔法師殿、伯爵子息は娘からいったい何を聞いていた?」
どこか思案するような素振りで一の兄上様が問いかけます。
「伯爵子息が語るその娘の言葉をいくつかに要約すると、まず一つは、近い将来、王太子殿下には幼馴染の婚約者が出来る。そして二つ目、今年の春――ああ、時期的にあと二月ほどですが、その娘が王太子殿下の婚約者と偶然に出会う。そして三つ目、その出会いこそが、娘と王太子殿下が出会うきっかけとなり、その後娘は王太子妃となる」
「春……か。彼女の知人が言っていた情報と一致するね、兄さん」
「今年の春に運命の出会いがある、だったか?」
「そうそう。……それにしても、すごいね、先見の力は…。そこまで綿密に分かるものなのかな?」
「分かっているなら、こんな間違いを起こすはずはないだろう? カイレム」
「確かにそうだね。だけど『幼馴染が婚約者』は分かるけど……それがどうしてミエンナ嬢? 勘違いにも程があるだろう」
え?
勘違い?
兄上様たちの言葉に首を傾げます。
「………乗せられたのだろう? 肝心の事は伏せて婚約者になるとだけしか教えられていないのではないか? 舞踏会での彼女の失態にエンディス公爵が血相を変えていただろう?」
フェラン兄様の言う彼女って、ミエンナ様ですわよね? 舞踏会での失態? 確かミエンナ様はアーク様にエスコートをされていたのですわよね?
舞踏会でいったい、何があったの?
「当たりだ、フェラン。ミエンナ嬢の失態――ああ、イリアーナは知らないか……」
「ええ、何のことですの? 一の兄上様……」
疑問に思って問いかけると、一の兄上様は緩く頭をふり、イリアーナは知らなくていい事だよ、とだけ告げました。
口元を冷たく歪めるその表情に、これは訊いてはいけないことなのだと悟り、私はただこくこくと頷きました。
後でこっそりセレナに訊きましょう。
苦笑を浮かべておりますので、きっと事情を知っているのでしょう。
「そのことも踏まえて、先日、叔父上と話した。叔父上は娘可愛さで伯爵の甘言に乗ったらしい。伯爵から先見の力のある自分の娘が、王太子の幼馴染が王太子の婚約者になると言われた、とね。まあ、そう言われてしまえば自分の娘の事だと思うのも仕方がないが……」
一の兄上様の言葉にまたまた首を傾げたくなります。
叔父様が訪ねてきた理由は分かりました。きっと叔父様も、このままではいけないとお思いになられたのでしょう。けれど、どうして幼馴染の婚約者と聞いて、ミエンナ様だと思ったのでしょうか? 兄上様方の言い方だと違うような気もいたしますが……?
「王太子殿下が幼馴染と公言していたのは、インスフィア公爵家の子息だけのはずですわよね。社交界では皆さん知っていらしたと思うのですけれど、ミエンナ様は知らなかったのかしら」
セレナも首を傾げております。
「知っていても自分しか対象が居ないとすれば思い込むのにそう時間はかからないものだ、セレナ」
「どういうことですの? お兄様」
「簡単な事だ。彼女は幼い頃浮上した殿下の婚約者候補に名が上がっていた。その話自体は陛下の一言で無くなりはしたが、けれど彼女はあきらめきれず、公爵家という身分を笠に他の令嬢を退け王太子殿下に付き纏っていた」
「見ものだったね、あれは……。確かあの後だったよね? ミエンナ嬢から逃げるために殿下が兄さんを連れまわす様になったのは」
「……思い出したくもない」
「あら良いではないですか。シャリアン様が隣にいたならミエンナ様どころかどんな令嬢だって近寄りませんわ。さすがは、殿下です! うふふふふ、噂の『光の神と月の女神』誕生の秘話、さっそく広めなくては」
ちょ……ちょっと、セレナ? そんなことを一の兄上様に言って良いのですか?
「……セレナ。言いたいことがあるなら私を見て行ってごらん。聞いてあげるよ」
艶めいた眼差しでセレナを見つめ、その唇から零れるのは、耳を塞ぎたくなるような甘く低い声。
耳にした瞬間、背筋にものすごい悪寒が走りました。
な…何これ?
本当に一の兄上様?
別人ではないの?
一の兄上様がこんな声を出すなんて、聞いたことありませんわ……。
セ…セレナは?
あ………。
目を背けたまま硬直している――――
……………。
ああ―――、やっぱり気になりますっ!
これは絶対に何かあったのですわ!
ねえ、セレナ、一の兄上様といったい何がありましたの!?
「イリアーナ、余計な好奇心は身を滅ぼすよ」
はい、二の兄上様。
余計な詮索はしませんわ。
苦笑を浮かべながらセレナと一の兄上様を見ている二の兄上様。フェラン兄様はどこか疲れた表情でお茶を飲んでおられます。
これは、話を変えなくてはまずいですわね。
「そ……それで、どうしてミエンナ様はご自分を殿下の幼馴染と思い込んだのでしょう? 二の兄上様」
「……ミエンナ嬢は、殿下に付き纏っていたという自覚はなく、ただ仲良く遊んでいたと思っていたんだよ」
「仲良く遊んで……? ああ、それで幼馴染、ですか?」
「そうだよ。けれど、そもそもミエンナ嬢が殿下の幼馴染という前提からして間違いなんだけど、自分の欲のためにイリアーナに手を出したのは失策だね」
そう言う二の兄上様が怖いです。
「叔父上もまさか娘がイリアーナに手を出すとは思っていなかったらしい。その事実を知った叔父上は、深く謝罪し、春には令嬢を領地へ軟禁すると言っていた。そして叔父上も爵位を返上し領地へ籠ると……。その後、二度と王都へ来ることは無いだろう」
淡々と語る一の兄上様の言葉に考え込んでしまいます。
爵位返上……。
それほど重い罪なのでしょうか?
ミエンナ様が指示し、私に危害を加えようとしていたとしても実行に移したのは伯爵子息。それに私は無事なのですから、それほど重い罪にはならないと思うのです。
まして今回は、こちらが向こうの策を知っていてわざと罠にかけていたようなもの。
そう、知っていたのです。
ならば、もしかしたらミエンナ様が事を起こす前に止める事も出来たのではないのでしょうか……。
無理…ですわね。
私が狙われているって知って、温情をかける父様や兄上様たちではありませんわね。
そして叔父様もそのことは十分理解していたのでしょう。
確か、父様と叔父様はとても仲の良い兄弟だと聞いております。その父様から私の事も沢山聞いていたはずです。だから余計にご自分を許せなかったのだと思うのです。
知らなかったとはいえ、父様が大切にしている私をご自分の娘が害するなど……。
結果叔父様は、兄弟の情に訴えることはせず自ら爵位を返上してしまうほど重くとらえてしまった。
「ねえ、一の兄上様? エンディス家はこれからどうなるのですか?」
「エンディス家の家名は、いずれ別の者が継ぐことになるだろう」
「そうですか……」
別の者が継ぐ―――
そうですわよね……そうなりますわよね。ミエンナ様、エンディス家の一人娘でしたものね。
本当に、どうしてミエンナ様は私を襲わせるなんて手段に出たのでしょう?
アーク様の婚約者になるのは運命だとそう言っていたのは、伯爵様の言葉を信じていたからですわよね? なら、私の事など気に留める必要もなかったでしょうに……。
それほど私が目障りだったのですか、ミエンナ様。
「あまり気に病むな、イリアーナ」
「はい、二の兄上様……」
頷く私を心配そうに見つめるいくつもの視線。
また皆に心配させてしまいましたね。
今は、落ち込んでいる場合じゃないのに。
「さて、魔法師殿。これでその娘が言う王太子殿下の婚約者が消えたわけだが、その娘はどう動くと思う?」
一の兄上様が、重くなった場を変える様に魔法師様へと問いかけました。
魔法師様は、ずっと目を閉じて考えに耽っていたらしく、ゆっくりと目を見開くと私を見つめてこられました。
「……婚約者は、消えていませんよ」
………?
静かな魔法師様の声が耳に届きます。
婚約者は消えていない………?
「どういうことだい?」
「私が言わずとも知っておられるのでしょう? 件の伯爵を未だ罰することはしておられないようですし、このまま何も知らせず守り通せるとは思いませんよ」
「知らずに済むならそれに越したことは無いだろう? 伯爵を罰しないのは、その時機を待っているだけだよ」
「娘の動きを知るためにわざと伯爵を泳がせているのは分かりますが、その娘は未来を語ります。それは、紛れもない事実なのですよ……」
魔法師様のその言葉に、その場が凍り付きました。
だって、ヒロインが語る先見の力を魔法師様が認めたことになるのですもの。
「……魔法師殿。貴殿は未来を知る力を持つ神はいないと言っていなかったか?」
「ええ、先見の力を持つ神はいない、それは間違いありません。けれど、その娘が語る未来は一概に否定できるものではありません。おそらく、イリアーナ様と同じ、我らが知る神以外の力が働いているのでしょう。ならば、このまま避けて通れるとは到底思えませんよ」
ああ、魔法師様は私から前世の記憶という話を聞いているからそうおっしゃっているのですね。ここで、ユイアナさんが前世の記憶を持っている…とか、ここがゲームの世界だから…とか言っても、すぐには信じてはもらえないですものね。
おそらく、私の事も気遣っていらっしゃるのでしょう。
私が、前世の事を話さずに済むようにと………。
魔法師様は、本当に私の話――前世の記憶の話――を信じてくださっているのですね。
「……避けては通れない、か。確かにその通りだ」
深い息を吐き出し、一の兄上様は私を見てきました。
「魔法師殿。確かに私は、イリアーナの未来視、例の娘の先見の力、そのすべてに関りがあると踏んでいる。どちらも、動きだす始まりは一緒だからね」
「今年の迎春祭、ですか?」
「……そう。だからこそ、こうも思う。このまま何も知らせずにいれば意外とその娘の動きを封じることが出来るのではないか、とね」
「……私もそれは考えました。けれど、無理ですよ」
ちらりと魔法師様の視線が向けられます。
「なぜ?」
一の兄上様も目を泳がす様に私を見てこられます。
「大人しくしているわけがないでしょう?」
だから!
なぜお二人して私をちらちら見ながらお話しなさっているのです!
「ああ……わたくし、なんとなく分かってしまいましたわ」
「私もだ、セレナ」
「あら、お兄様も?」
セレナとフェラン兄様が嘆息しております。
「このまま知らせずにいた方がいいと思ったんだけどな」
「カイレム様、魔法師殿の言葉ではありませんが、それは無理がありますよ」
「言うね、ルキト。彼女の思惑を覆すにはそれが一番良いと思ったんだけどな……無理か。なら、もう一つ良い案があるよ。確か君もあの娘に名を知られていた一人だろう? どうだ、この際君が彼女と会ってみるか? 近衛騎士のルキト殿」
面白いぞ、と言を続ける二の兄上様は、にやにやとルキトを見ております。
「それは暗にその娘を口説けと言ってます? カイレム様」
「ルキトなら簡単だろう?」
「何をおっしゃいますか。とてもじゃありませんが俺には荷が重いですよ。遠慮しておきます」
何やら物騒な会話をしているルキトと二の兄上様はほっといて、
え?
なぜみんな分かっているのですか?
きょろきょろと周りを見渡せば、なぜか生暖かい視線が私に集中しておりました。
な……なに?
なんなの……?
「まだお気づきになりませんか?」
「…な…なにをでしょう?」
「あの娘が言う王太子殿下の婚約者とは、貴女ですよ、イリアーナ様」
はい?
私?
え?
嘘―――っ!
いや、ちょっと待って私。よく思い出そう! ほら、私ってモブよね? ゲームになんて一度も出てなかったモブキャラですわよね? それが何で? 隠し? やっぱり隠しルートなの? ヒロインが名前を告げずに王太子殿下の婚約者としか伝えなかったのは、名前すらないキャラでしたの? え? やっぱりモブ?
ああ~もうっ! 訳が分からないっ!
こんなことになるなら、やっぱり遊びつくしてから壊せば良かったですわっ!
ありがとうございました。




