27. 旅路に潜む襲撃者
「こんなところで会うとは思ってもいなかったぞ。メイグリム伯爵子息殿」
「な……なぜ貴様がここにいる…? ルキト!」
ソリンさんに羽交い絞めにされながらルキトを睨みつけているのは、くすんだ金色の髪の青年。
あれ? この方のお顔、どこかで見たような気がするのですけれど……? どこで見たのかしら……?
メイグリム伯爵子息?
―――あっ!
そ……そうですわ、思い出しました! メイグリム伯爵子息って、ヒロインのお兄様ですわ!
道理で見た覚えがあると思うわけです。だって、ゲームの画面でさんざん見ておりますもの! 髪の色といい、その優しそうな――今はかなり不機嫌ですけれど――顔立ちといい、確かに記憶の中の青年と重なりますわ。そのお兄様が、どうしてこんなところに?
「護衛騎士だからに決まっているだろう!」
剣先を青年の眼前に突きつけ、威嚇するように立つのはルキト。
知っている方なのか、その顔にはルキトにしては珍しいほどの嫌悪の色が浮かんでおりました。
「殺してはいけませんよ、ルキト。彼にはまだ訊きたいことがあるのですからね」
掌にふわふわと雷光の球を浮かべながら、にこやかに笑むのは魔法師様。
優しい口調でおっしゃっておりますが、その手の中のものは何ですか! それって、一発であの『魔に染まった者』すら気絶させた雷光でしょう? 言葉と行動が伴っておりませんわよ、魔法師様!
「ふふふふふっ、良いじゃないか、キアノス殿。要は、話が訊ければいいんだろう? なら、多少は痛めつけたってどうってことはないさ。こいつにはちょっと仮もあるしね」
なぜか楽しそうに伯爵子息を締め付けているのはソリンさん。
虫けらを見るような目で見ておりますが、なにか個人的な恨みでもあるのでしょうか?
「遊び過ぎだぞ、お前ら……」
私を背にかばい、頭痛を堪えるかのようにこめかみを押さえるのはゼン。
「馬鹿だね、罠だって気づかなかったのかな……」
その私の背後にいるのは、魔法師様の弟子でもあるユコ。
突然公爵領に現れた時は驚きましたが、それ以上に、訪れた目的を聞かされた時の方が驚愕でした。
そう、なぜこんなことになっているのかと申しますと――――
☆
「ほお、彼奴が動くというのか? キアノス殿」
ユコが公爵領に訪ねてきたのは10日ほど前。
魔法師様に前世の記憶含め私の知るすべてを話した翌日の事です。
領主邸談話室にて私たちに齎されたのは、『魔に染まった者』の背後に居たとされる人物が再び私を狙って動きだしたという報。
「ええ、公爵閣下。おそらく、イリアーナ様を目障りと思っている方々からの依頼もあるのでしょうが、彼の場合、己の掌中に収めようとしている節があります」
「……ふふふふ。リアを狙うなど、その方、馬鹿なのかしら? ねえ、あなた」
「馬鹿かどうかは兎も角、正気じゃないな。リアの守りは強固だ。それすらも知らずに仕掛けてくるというのなら、愚の骨頂だ」
「知らないのですよ」
「どういうことだ? キアノス殿」
「今回の件。前々から然るお方がすでに策をめぐらせておりまして、極秘なのですよ、イリアーナ様の警護に護衛騎士が同行しているのは」
ああ、例年ですと、この時期、護衛騎士には休んでもらっておりますものね。
「ああ、それでか。シャリアンが護衛騎士の出立を遅らせたのは」
あら、そうだったかしら?
ずっと気落ちしていたから、あまり、周りの事を気にかけている余裕が無かったので気づきませんでしたわ。
一緒に行くのは聞いていたので知ってはいましたが、いつ来たかまでは分からなかったのですよね。気が付いたら側にいた感じで……。
「……まあ、というわけで、罠を仕掛けようと思うのですが、許可をいただけますか? 閣下」
何が『というわけ』なのかは知りませんが、魔法師様の問いかけに、父様は渋いお顔をなさっております。
「その、罠というのは、なんだ?」
「囮に使おうかと…」
何を……とは聞けませんでした。
ゆっくりと視線を向ける先は――――
は?
私…?
私ですか~~!?
その後、猛反対の父様を母様が宥め、私自身が了承した――魔法師様には逆らえません――事もあって、私の囮が決定しました。
王都への道中で無邪気に遊んでなさい、との御達しなのですが……。
無邪気に遊ぶって、私、子供ではないのですがっ! 魔法師様!
憤る私に、止めとばかりにユコの声がかけられました。
「あはははははっ、いいね、お姉ちゃん。僕と一緒に遊ぼう!」
ユコの楽しそうな声が脱力感を誘います。
はい……遊ぶことは決定事項なのですね……。
項垂れる私の頭を、ゼンが慰める様に撫でております。
諦めろ、という事ですか?
上目づかいでゼンを軽くにらむと、ゼンは目元を和らげて、今度はぽんぽんと頭を叩いてきました。完全に子供扱いです。
まあ、囮と言っても、彼ら――護衛騎士に魔法師様――が一緒ですので、危険など無いにも等しいのでしょうけれど………。
微妙に納得がいきませんが、こうなったら逃げようがありませんものね。
分かりましたわ、魔法師様。
イリアーナ、ユコと一緒に、思いっきりはしゃいで見せましょう!
☆
とまあ、公爵領を旅立ってからすでに7日。
今のところ旅は平穏です。
ガタゴトと馬車に揺られ、いくつもの町や村を通り過ぎ、のんびりと旅を楽しんでおります。さすがに最初のころは、いつ襲撃に遭うかとビクビクしておりましたが、慣れって怖いものですね~。今では、ユコはもちろんセシャまで混じってはしゃいでおりますわ。
今回の旅には父様と母様は同行しておりません。私だけの方が良いという理由で父様たちとは別行動をとっているのです。この事には父様は最後まで渋っておられました。
その父様と母様には、王都に程近いミデアの街で落ち合う予定になっているのです。
あと少し―――それこそ、ミデアの街まで目と鼻の先という場所で、私たちは賊に襲われたのです。
なだらかな丘陵沿いに伸びる街道から、少し脇道に入って昼食を兼ねた休憩をとっていた時です。ふと視界に映った大木が気になり、私は食後の運動とばかりにユコとセシャを伴って探索に出かけました。
魔法師様からも、思いっきりはしゃいで良いと許可は貰っておりますもの、遠慮なんかいたしませんわ。何かあっても、いえ、本当はあってほしくはありませんが、大丈夫と高を括っての探索です。
「お嬢様、あの木ですよね? すごい大きいですね~」
「セシャ、あんまりはしゃいでいると、またロンナに叱られてしまうわよ」
「大丈夫ですよ、お嬢様。ロンナさんの許可は頂いています。むしろ、はしゃいで来いと言われました!」
ああ、囮の事ですね、きっと……。
魔法師様の読みだと、そろそろ動きがあるはず、という事ですから、無防備を装って誘い出す算段なのでしょう。
確実に誘い出すために、魔法師様と護衛騎士は休憩場所から動いておりませんもの。
今回の策のために――私の専属騎士が同行していると悟られる訳には行きませんので――ルキトとゼンのお二人は公爵家の私設騎士団と同じ服を着ています。ソリンさんは、なんと侍女服を着ているのですよ。ロンナ、セシャとお揃いです。
その姿を見たルキトが『女装か?』と口走り、ソリンさんに一撃を食らっていたのは自業自得です。
「ああ、あそこです、お嬢様!」
木立を抜けたその先には小さい湖がありました。
静かに波打つその対岸に、セシャが指し示す大木があったのです。
「――――大きいですわね……」
対岸にいても首を上げなければ天辺が見えないほど大きな木でした。
「せっかくここまで来たんだから、思い切って近くまで行きませんか? お嬢様!」
「行って帰ってきたら、もう日が暮れるよ、セシャの姉ちゃん」
あきれ口調で愚痴るのはユコ。
確かに小さい湖ではあるのですけれど、それでも湖畔をぐるりと回って歩いていくには少し距離があります。
「でも、興味ありませんか?」
「そうね、せっかくここまで来たのですものね、行きましょう!」
「…行くの~?」
「ユコちゃん、だらだらしない。ほら行くよ!」
セシャの言葉に釣られるように相槌を打つ私の耳にユコのため息が聞こえてきました。
はしゃぐセシャと私の後ろをとぼとぼと項垂れる様についてくるユコ。
楽しすぎて、すっかり失念していたのですわよね、この時は……。
まさか、私たちの直ぐ後ろに、彼ら――賊の皆さんがいらしているなど微塵も思っておりませんでしたもの。
「………っ!」
真っ先に気配を察したのはユコ。
「お姉ちゃん、走ってっ!」
「え?」
「お嬢様、こっちです!」
緊迫した声で叫び、私が驚く間もなく手を引いて走り出したのはセシャ。
訳も分からず、半ば引きずられるようにして走っているのですけれど……私……そんなに……走れませんわよ、セシャ。
息も苦しいし……足も縺れるし……っ!
「きゃあ!」
どうしてこんな所に窪みがあるのよっ!
「お嬢様!」
「風神!」
転ぶ! と思ったその刹那、私とセシャの体は宙に浮いておりました。
「お嬢様、大丈夫ですか!」
「だ…大丈夫よ、セシャ。ユコもありがとう」
「うん! 間に合ってよかった。このまま逃げよう!」
ユコの案に頷き、息を整えながら眼前を見下ろせば、声もなく私たちを追いかけてくる黒ずくめの一団が目に映りました。
数にしておよそ20人ほど、でしょうか?
「お師様の読みが当たったね…」
「彼らがそうなの?」
「うん、そうだと思う。明らかにお姉ちゃんを狙ってる」
「……分かるの? ユコちゃん」
「分かるよ、セシャの姉ちゃん。だってあの黒ずくめ、見てんのお姉ちゃんだけだもん」
ユコの言う通りです。
確かに視線を感じるのです。
殺意とは違う、けれど、獲物を狙うかのように見られているのを肌で感じるのです。
それに――――舐るような視線。
瞬時に鳥肌が立つような感覚に襲われ、思わず腕を摩っておりました。
何……これは?
ふと、視線をめぐらすと、湖畔に立つ木々の間に、まるで隠れるかのようにしてこちらを見ている人影がありました。
誰………?
ゆっくりと、黒ずくめの一団の後を付いてくるかのように追いかけてくるその人影は、頭からフードを被っているからなのか余計に不気味に見えました。
気になってずっと見ていたら、一瞬目が合ったような気がしました。その時――
ゾクッ
背筋に悪寒が走り、風を切る微かな音を聞いたのです。
なに―――?
「うわっ!」
「ユコ!」
突然、ユコが叫び、それと同時に風の勢いが止まりました。
「ごめん……お姉ちゃん」
苦しそうにつぶやくユコは、ゆっくりと私たちを地上へ降ろした後、肩を押さえて蹲ってしまいました。
その押さえた手の隙間からは、赤い―――!
「ユコ! 怪我をしているの?」
「矢です! お嬢様!!」
セシャの叫び声と同時に私は地面に押し倒されていました。
その瞬間、覆いかぶさるように抱きしめてくるセシャの頭上を、一本の矢が掠めて行ったのです。
呆然とした私の視界を覆うのはセシャの胸。
「お嬢様じっとしてて。絶対に守りますから……」
自らの体を盾に私を守ろうしているセシャの背後で、再び矢を番える音がします。
「セシャ、駄目! 退いて!」
このままでは、セシャが……セシャが―――!
「そこまでだよ。それ以上は、彼女に当たるからね」
辺りに響く、枯葉を踏みしめる音と若い男の声。
間一髪の窮地を救ったかのように近づいてくるのは、
「やっと会えましたね、僕の月の女神」
先ほど感じた視線の持ち主。
――――誰?
「迎えが遅くなり申し訳ありません。僕が来たからには、もうなんの心配もいりませんよ。さあ、僕の手を取ってください。ああ、そこの侍女、おまえは邪魔だから退きなさい」
嘲るでもない、蔑むのでもない、声音だけ聞いていれば耳に心地いいとさえ思う柔らかい口調で話すこの人は、いったい……誰?
「退きません! 何方か存じませんが、お嬢様は、絶対に渡しません!」
「ほぉ、僕に盾突くとは面白い。自らを盾に主を守る忠誠心も素晴らしいですね。ふむ…ならばおまえも連れて行くことにしましょう。見知った侍女が側にいれば、女神も安心でしょうから」
「何を馬鹿な……事……を?」
振り向いたセシャの声が止まりました。
絶句……とでも言うのでしょうか?
固まったまま動かないセシャの背中からそっと様子を窺えば――――
「……え?」
「馬鹿な事ではありませんよ。そうですね、特別に教えて差し上げましょう。我が家はいずれ王家と姻戚関係になるのですよ。ならば、僕が月の女神を娶るのに何の支障も無くなるのです。そうです、女神はいずれ僕の妻となるのですよ! 運命が、僕に味方しているのですから、これは必然なのです!」
目の前で、訳のわからない言葉を発している男の事は見ていませんでした。
だって、男のその後ろでは――――
「これで、雑魚は片付いたってところか?」
ぱんぱんと手をはたく様に叩くのはソリンさん。
「手応えがありませんね。イリアーナ様を狙うと聞いていたので、もっと手練れの一団だと思っておりましたが……」
「ほとんどお師様の雷光で一撃だったもんね」
半ば呆れたようにため息をつくのは魔法師様。
ユコは肩の傷を治療しながら尊敬の眼差しで魔法師様を見ております。
「あとは……さっきから聞くに堪えない寝言ほざいてる奴だけか?」
威嚇するように私の前に立つ男を見据えているのはルキト。
背後に氷雪を背負っているかのように見えるのは、私の気のせい?
「大丈夫ですか、お嬢様」
いつの間に来たのか、ゼンが私の目の前――セシャと並ぶように立っておりました。
「ゼンさん!」
「よく頑張ったな、セシャ」
「はい!」
ホッとしたのか、セシャの声が涙声になっています。
そのセシャの頭をゼンが宥める様に撫でておりました。
「な……なんだ…貴様ら、いったい…どう…し…うぐっ!」
男は最後まで声を発することは出来ませんでした。なぜなら……。
「少し、黙ってろ。この色ボケ野郎!」
ソリンさんが男の腹に剣の柄で強く一撃を入れたあと、胸倉を掴み投げ飛ばしたのです。
「おまけだ!」
ついでとばかりに背中を踏みつけ、その後無理やり起こして羽交い絞めにして拘束しておりました。
私はというと、その鮮やかな一連の流れを、ただ茫然と見入っているだけでした。
ルキトやゼンが強いのは知っておりましたが、ソリンさんがここまで強いとは思ってもみませんでした……。さすがは兄上様たちが私の専属にと認める女性です。思わず感嘆のため息が出ます。
「さて、顔を見せてもらうぞ」
ルキトは剥ぎ取るように男のフードを取ると、その眼差しを鋭く変貌させました。
「お前は……」
口の端を歪め、ゆっくりと、腰の剣を引き抜くルキトは―――
「こんなところで会うとは思ってもいなかったぞ。メイグリム伯爵子息殿」
鋭い口調で―――そう、言ったのです。
ありがとうございました。




