25. 祝祭と届いた手紙
「お嬢様! 魔法具から解放されたそうで、おめでとうございます!」
声をかけてくるのは領主邸に集ったイズリアの民たち。
「ほら、お嬢様の好きなもの、沢山用意したよ」
「今日は特別だってことで、出店も借り出してのお祭りだ!」
「こんな賑やかなのは初めてだねぇ~。これも全部お嬢様のおかげだ」
翼塔から降りてきた私たちは、祭りの喧騒で賑わう中央広場にやってきました。
広場に着いたとたん、何処からこんなに集まったの? というくらいの人の多さに驚きましたが、皆さん、私に気づくとにこやかに声をかけてくださいます。
「お嬢様、今日は一段と可愛らしいですね」
か…可愛い?
にこやかにそう言う民たちの視線の向かう先は………。
――――ゼンに手を引かれている私の手……。
ああ……これはあれですか。
ゼンに手を引かれている私の姿が、幼い子供に見えているってことですね?
ガクッと肩を落とす私の頭を、ゼンが宥める様にポンポン叩いております。
そのやり取りを見て、またもや微笑ましそうに笑う民たち……。
ああ……やはりそうなのですね……。
僅かばかりの抵抗とばかりに手を離してもらおうとしたのですけれど、しっかりと握られている手はどうやっても解放してはもらえないらしく――離すとすぐ迷子になりそうだから、とはゼンの言葉――諦めて今日はおとなしくしております。
ずっと心配をかけていた心苦しさもありますし…ね。
「お嬢様? 目が赤いよ。どうしたの?」
項垂れる私を見上げる様に声をかけるのは子供たち。
悪気のない言葉だと分かっているけど、その問いかけは正直返答に困ります。
「え……これは……ちょっと……」
「お嬢様は、シャリアン様がいらっしゃらないから、寂しくて泣いていたんだよ」
……は?
「ああ、そういえば、小さい頃もよく泣いていたな。シャリアン様が学園に入られた時なんかは特に……。行っちゃダメ、とか言って」
………。
いつの話ですか、それ?
私が返答に窮しているのを助ける様に言ったルキトとゼンの言葉に、なぜか納得する民たち。
全然覚えておりませんが、それで涙の理由を誤魔化されてくれるなら、何も言いません……。
でも、私……一の兄上様に、そんなに甘えていたかしら……?
『…いっちゃ…やだ――――』
………?
気の……せい?
ふいに浮かんだ幼い自分の声。
「お嬢様、何してるんですか? 早く行きますよ」
「は…はい、ルキト」
僅かに浮かんだ疑問は、賑わう祭りの喧騒に紛れ、いつの間にか忘れ去っておりました。
心に…ほんの少しの―――痛みを残して。
☆
「お嬢様、これ持っていきな。今朝狩ってきた野鳥だ、うまいぞ!」
「お嬢様、これも持っていけ、収穫したばっかりの野菜だ」
「お嬢様! これこれ、この肉、俺が捌いた猪肉だ、持って行け!」
ゼンに手を引かれ祭りを見て回っている私に、あれもこれもと食材を持ち寄る民たち。その笑顔を見ていると、次第に気分が高揚してきます。
決して食材に釣られているわけではありませんわよ。
今まで、あまり領地に来ても街に行くことは無かった私ですのに――眠ってばかりいましたので、あまり顔を知られていないと思っておりました――こうして、たくさん声をかけてくださることがうれしいのです。
去年までは、領主邸で働いている皆さんとしか触れ合えませんでしたからね……。
今年は街中に御触れがあったらしく、都合のつく民たちはこぞって参加していると聞きました。そうなると、さすがに領主邸広場だけでは狭すぎますので、広場から街に続く道なりに出店が並んでいるのです。
警備のためにあちらこちらに公爵家お抱えの騎士を配し、闇を払拭するかのように辺りを照らすのは、松明の明かりと街路樹に据えられた魔法具。円形に淡い光を放つその魔法具は、父様が魔法師様たちに頼んで作って頂いた物なのです。けっこう高価な物らしいのですが、今日は惜しみなく街中に灯されております。父様が奮発してくれたのです。今年は特別だからと……。
その父様と母様は、護衛の騎士を引き連れ「少し、祝祭を楽しんでくるよ」と言って立ち並ぶ出店の方へ行かれました。
母様が、「生国のお祭りを思い出すの。懐かしいわぁ~」と言ったのがきっかけのようです。
そして私は―――――
「ほらお嬢様、こっちの串焼きはもう焼けてる」
「ルキト、それは生焼けだ! お嬢様が腹を壊すぞ」
「そうか? このくらいの方が旨くないか? 俺なら食うぞ」
「お前の胃袋と一緒にするなっ!」
広場の隅。
魔法具の明かりに照らされたその一角に、テーブルと椅子を用意して、石で造られた、前世で言うバーベキューコンロのようなものの周りを囲んでおります。
網なんてものはありませんので、くりぬくように深く削られた大きな石の中に土を入れて、その土の上で炭を燃やしているのです。
私の好きな串焼きは串を土に刺して焼くのです。上手に焼けると程よく油が落ちてとてもおいしいのですが……ルキトとソリンさんを見ていると、なかなかうまくいっていないようです。
でも、私のために一生懸命な姿は、見ていてとても――二人のやり取り含め――楽しいですわ。
「お嬢様、このお団子、美味しいですね~。いくらでも食べれそうです! あっ、この串焼きいただきます!」
「それはまだ焼けてない!」
セシャが焼きかけの串焼きを口に入れる寸前でソリンさんに取り上げられました。
「セシャ、少し落ち着きなさい」
「だって…こんなの中々王都では味わえないですよ~!」
「だからって……。あなたは、お嬢様の専属侍女なのですよ。もう少し品よく……」
「今日は無礼講です。そうですよね、お嬢様!?」
セシャの勢いに押され、思わずコクコクと頷いてしまいました。
あきれたようにため息をつくのはロンナ。栗色の髪と瞳を持つ私の侍女。優しい面立ちで、お姉さまのような人です。
「お嬢様、ほら肉入りの野菜炒め、もらってきましたよ! 食べましょう!」
鼻の頭に少しそばかすのある元気な笑顔を向けてくるのは同じく侍女のセシャ。癖のある赤い髪と大きな明るい茶色の瞳をした、とても可愛らしい顔立ちの女性です。
ただ、セシャは私より年上ではあるのですが、言動含めあまり年上には見えないのですよね~。でも、セシャから聞く街のお話や噂話などは、とてもためになります。
「ん…? この酒は?」
「ああ、気づきましたか? それは、神殿に寄贈されているお酒ですよ」
「良いのか、こんなところに持ち出して?」
「我が師、グランの許可は頂いています」
木製の器に何やらお酒を満たしているのはゼンと、もう一人――
「貴方がここにおいでとは存じませんでしたわ。魔法師様」
ええ、なぜか魔法師――キアノス様がこの地を訪ねていらしたのです。
それも、つい先ほど。
何か王都で危急の事態でも起きたのかと一瞬危惧いたしましたが、のんびりとゼンと共にお酒を嗜んでいる姿を見る限り、それはありえませんわね。
どうして来たのかしら?
魔法師様が公爵領に来るなど、今までありませんでしたのに……。
「然るお方の使いですよ」
然るお方…?
魔法師様がそうおっしゃるお方って?
疑問に思い首を傾げていたら、魔法師様は、意味ありげに微笑んで私を見つめてこられました。
「とはいえ、この地にも興味がありましたので二つ返事で了承しました。それに、ここには貴女もおられますしね……」
漆黒の瞳の怪しさは相変わらず健在のようで、思わず目を逸らした私の耳に、珍しく軽やかに笑う魔法師様の声が聞こえました。
相変わらず、何を考えているのか読めないお方です。
「……憂いは、晴れたようですね」
ぽつりと呟かれた言葉に驚いて魔法師様に視線を向けました。
「なに…を?」
「ずっと塞いでおられたでしょう?」
「どうしてそれを……?」
驚くのには理由があります。
あの夜会の日から、私は一度たりとも、魔法師様とお会いしていないのです。
因みに、夜会の日からすでに一月以上は過ぎておりますわ。
ああ……。それを思えば、私はずいぶん長い事落ち込んでいたのですわね……。今更ながらに、申し訳なく思います。
きっと、王都にいる兄上様たちや、セレナも案じていらっしゃいますわね。
文を認めて王都へ送りましょう。
私はもう大丈夫ですわ、と―――
「……貴女の事は常に気にかけていますから、私に知らないことはないのですよ」
…………。
ああ、私が塞ぎ込んでいたと知っていた事に対しての返答ですか……。
一瞬魔法師様の存在を忘れておりましたわ。
なるほど、神のお力で見ておられたという事ですね? ――――ん?
……って、えっ!?
それって、いつも見られているってことですか? もしかして私の行動、全部――――っ?
顔を引き攣らせる私の頭を、ゼンがぽんぽんと宥める様に叩いてきます。
「魔法師殿の冗談だ。気にするな」
「あながち冗談でもないのですけれど、種明かしをするなら、貴女の兄君から聞いたのですよ」
「…兄様?」
「シャリアン殿です」
そういう事ですか……一の兄上様から、すべて聞いていらっしゃったのですね。私の現状を……って、もしかして、失恋したことも――――?
「全部、知っておりますよ」
ふふふっと笑う、魔法師様が不気味です。
私…なにも言っておりませんが……。
「顔に出ておりますよ、イリアーナ様」
顔に出ているって、
「私は、そんなに分かりやすいのでしょうか……」
「………気にするな」
肩を落とす私に、ゼンの慰める声が聞こえます。でも、その微妙な間が肯定しておりますわよ、ゼン。
「何はともあれ、貴女の憂いが晴れているのなら問題ありません。訊かなければならないこともありますし……」
……訊きたい事?
じっと見つめてこられる魔法師様は、口元に僅かな笑みを浮かべております。思わず逃げ腰になるのは条件反射のようなもの。
「ああ、今はやめておきますよ。祝祭を祝うこの場を不躾な話題で壊したくはありませんからね。後ほど――いいえ、明日……」
「……明日?」
「ええ、明日、私の為に……どうか貴女のお時間をいただけませんか、イリアーナ様?」
いただけませんか? という言葉に戦慄します。
私の許可を得ようとしての言葉であるにも関わらず、その端端に否を唱える隙が見当たらないのです。
「……因みに、いやです、と言ったら如何なさいますか?」
怖いもの見たさで告げた言葉に、魔法師様は、それは良い笑顔でこう答えました。
「今宵の夢の中で、一晩中、貴女に―――」
「はい! 分かりましたわ! 明日、明日ですわね。喜んで魔法師様の為に時間を空けますわ!」
その先を言わせてなるものですか!
絶対、一晩中、説教する、と言うに決まっております。
怖すぎです!
魔法師様は、神のお力を具現できますもの。絶対にやりますわ!
ちらちらと覗き見るように視線を向けると、魔法師様は何食わぬ顔して優雅にお酒を召されておりました。
風に揺られ、緩やかに波打つ白銀の髪。
夜の闇よりも尚深い漆黒の瞳。
神のお力を具現する稀有なる存在――――
その姿に、惹きつけてやまないその気品に、やはり、この方は……と思ってしまうのです。
隠してはいるけど…。その身分を知っている人は限られているけれど………。
魔法師様は、まぎれもなく皇族―――ユグラール皇国の皇子で、ゲームの攻略キャラの一人なのだと………思い出さずにはいられないのです。
☆
「これを貴女へ手渡す様にと託かりました」
翌日、人払いを済ませた――内密な話という事で二人きりにさせられております――応接間で、魔法師様は一通の手紙を差し出しました。
「この手紙は?」
受け取りながら、そう問うと、魔法師様は何も言わず、ただ封を開けるよう促すだけでした。
差出人の名前はありません。
怪訝に思いながらも封を切り、中を確かめれば、微かな花の香りがしました。
そして、その匂いに包まれた手紙には―――――
読み終わった私は、静かに立ち上がると、ゆっくりと窓辺に近づきました。
外に見えるは、一本の巨大な桜の木。
葉が落ち切り、今はその枝を空に伸ばすだけの巨木。
「どうなさいますか?」
僅かな距離をおき背後に立つ魔法師様は、私の答えを急かすかのようにそう問いかけてきました。
「……手紙の内容を知っていらっしゃるのですか?」
「大凡は……。貴女の心中もお察しいたしますが、ことこれに関しては、シャリアン殿からも伝言があります」
「一の兄上様から…?」
驚いて振り向けば、魔法師様は穏やかな眼差しで私を見つめておられました。珍しい事です……。
「イリアーナ様のお好きなように、そうおっしゃっておりましたよ」
「私の判断に任せるというのですか? でも……」
「何を迷っているのです?」
「この方には……」
俯く私の視線の先には、届けられた手紙……。
「真実を確かめる勇気がございませんか?」
「真実……ですか?」
「そう、真実です。誰にでも秘していることはあります。そのお方も、私自身も、そして、貴女も……」
秘していること――――っ!
魔法師様はいったいどこまでご存じなのでしょうか?
私が未だに隠していることがあると断言するなんて……。
距離を詰めるかのように近づいてくる魔法師様は、私のすぐ目の前で止まると、僅かな逡巡を見せた後、そっと頬に手を伸ばしてきました。
「……貴女が未だに憂いを抱えておられたのなら、私は、貴女を攫うつもりでしたよ」
「魔…法師…様?」
甘く見つめてくる眼差しは、驚きに見開く私の瞳を射抜き、その笑みに、その色香に、思わず後退っていました。危険―――と感じたのです。
そんな私を、魔法師様は、逃がさない、とでも言うように腕を伸ばして窓に手を付け、両手で囲うようにして腕の中に閉じ込めたのです。
「私には出来ないとお思いですか? イリアーナ様」
囁く声は、耳朶に触れるようなほど近くで聞こえます。
その言葉に、思わず戦慄が走りました。
出来ない…とは、言えないのです。
だって、私は知っているのですから……。
魔法師様が、愛しいヒロインを連れ、祖国へ帰るエンディングがあると――――私は知っているのです。
「ねえ、イリアーナ。私には貴女を攫うことなど造作ない事なのですよ」
思考を奪うかのように囁く言葉はどこまでも甘く、その声に、その漆黒の瞳に、囚われそうになる心を奮い立たせるように、私は手を強く握りしめました。
カサッ――――
手の中で微かな音を立てるのは、ずっと握りしめていたもの………。
あ………っ。
それと同時に、魔法師様の呪縛から解き放たれるような感覚に驚きました。
たった、これだけで……?
呆然と見入るのは私の手の中でくしゃくしゃになった一枚の文。
あの方から頂いた――――
守って…くださるのですか?
側にいなくとも……。
私を守って……くださっているのですか……?
零れ落ちそうになる涙を堪えるかのように、私は胸元できつく両手を握りしめました。
手の中にあるのは、あの方からの……。
切なくなるほどに恋しい……あの方からの――――手紙。
『―――会いたい。
ただ偏に、君に会いたい…話がしたい。
白き花に抱かれる月の女神は、私を覚えているだろうか……?
君を傷つけた私を…許してくれるだろうか?
切に願うは君との再会。
愚かな私を許してくれるなら、約束の地にて、君を待つ。アーク』
私も……。
私も……会いたいです―――アーク様。
ありがとうございました!




