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23. 思い煩う恋心



「……お嬢様、こんなところにいたんですか?」


 王都から遠く離れた公爵領。

 その領地に点在する街の一つにイズリアの街があります。その街の一角、広大な敷地内にインスフィア領主邸があるのです。


 私は今、その領主邸の東西に二つある翼塔――鳥の羽のような形をしているのでそう呼ばれています――の一つ東翼塔にいます。


 遥か望めば雄大に広がる領地。

 緑成す森や山々に囲まれたその遥か遠く西の地に、ここからだと僅かに海が見えるのです。今の時期、ちょうど日が落ちる時刻はその海に吸い込まれるかのようにして沈む夕日を見ることが出来ます。その夕日を見るのが好きで、ここに来たときは必ずと言っていいほどこの場所に来るのです。


 もともと翼塔は領主邸内に侵入する不審者を監視するための塔なので、見回りの騎士の方たちもおります。今も私の視界から外れた場所で見張っていると思いますわ。

 騎士たちのお仕事の邪魔をしているのは自覚しているのですけれど、この時ばかりは許してもらっているのです。


 魔法具に縛られた私の僅かな楽しみでしたもの。


 いつのころからか、私がここに来ることを察した侍女たちが先回りするかのようにテーブルと椅子、寒くないようにと、ふわふわのクッションやひざ掛け、それにお菓子や温かい飲み物も用意してくれるようになりました。

 本当に至れり尽くせりです。

 感謝の言葉しかありません。

 一人になりたいのも分かってくれるようで、近くに控えてはいるのでしょうが――さすがに一人にするには無防備ですから――決して私の邪魔をしないのです。


 邪魔をしないのですが―――


「公爵領には初めて来ましたが、すごいですね~、ここからの眺め」


 どうして、貴方が邪魔をしに来るのですか? 

 私は一人になりたいのですが……。


 はぁ………。


 零れるのはため息。

 彼がここにいる理由もわかるのです。

 私を心配しているっていう事も、理解しています。


 でも、今はまだ一人にしてほしい……そっとしてほしいのに、どうして―――


「今日は収穫を祝うお祭りを領主邸でやるそうですよ。なんでもお嬢様が魔法具から解放されたお祝いも兼ねるそうで、お嬢様のお好きなもの、そうそう野鳥の串焼きなんかもあるそうですから、楽しみですね~」


 殊更明るく言うのはきっと私を慰めるためだと分かっているのに―――!


 無理なの……。

 逃げるように……いいえ、王都から逃げてきた私には、祭りを楽しむ余裕なんて……ない。




 ないのよ―――ルキト。




 ☆




 あの日を思い出すと今でも胸が苦しくなります。


 あの日、収穫祭を祝う王宮の夜会にて初めて王太子殿下のご尊顔を拝したとき、私は本当に息が止まるかと思うほどの衝撃を受けました。


 王太子殿下が、あまりにも私の見知った方と瓜二つだったのです。


 まさか……という思いと、信じたくない、という思いが綯い交ぜになって、ひっきりなしに胸が早鐘を打ち、次第に息も苦しくなって、ふらつきそうになる身体を支えるように一の兄上様の手を強く握りしめながら深く礼をいたしました。


「こうして会うのは初めてだな、イリアーナ嬢。さすがはシャリアンの妹君、噂に違わず麗しい」


 聞こえるその声音は、間違いようもなくあの方で……。


 分かってはいるけど、現実を認めたくはなくて、その視線から目を逸らすかのように私はひたすら頭を下げたまま、助けていただいた時の礼を伝えたのです。


「…過分なお言葉です殿下。先日は王太子殿下とは知らず大変失礼を致しました。助けてくださったこと心より感謝いたします」


 けれど返された言葉は……、


「ああ、貴女が倒れられたときか? シャリアンより事情は聞いてはいたが、大事にならず良かったな、イリアーナ嬢。私の事なら気にすることはない」


 倒れた……時? 攫われた時、ではなく?


 あまりの余所余所しさに一瞬王太子殿下とアーク様は別人なのでは、とは思いましたが、その後に続く一の兄上様の言葉で、同じ人なのだと確信したのです。


「…なかったことにするおつもりですか? 殿下」


「何のことだ? シャリアン」


「……そうですか、飽くまで白を切るおつもりなのですね。私はそれで一向に構いませんが、イリアーナが納得しないでしょう。ですから、一言だけ申し上げます。先日の街での一件、我が妹を救っていただいたこと、深く感謝いたしますよ、殿下」


「………っ!」


 やはり、アーク様が王太子殿下……。


 なぜ殿下が私にその身分を秘していたのかは知りません。

 ただ、殿下は、私を助けたという事実をなかったことにするおつもりだと、あの日の出来事すべてを、はじめから無かったものとしているのだという事を、はっきりと言葉で言われずとも分かってしまったのです。


 きっとアーク様にとって、私との出会いはほんの些細な出来事の一つでしかなかったという事なのでしょう。


 それだけの事なのに―――


 それが……どうしてこんなに胸が苦しいのか、分からないのです。


 返す言葉が見つからず、ただ口を噤んだままの私を訝しんだのか、殿下――アーク様はミエンナ様を伴い早々と私たちから離れていかれました。


 用事は済んだとばかりに………。


 そして立ち去るお二方のその背を見つめていた時に思い出したのです。

 殿下が伴われていたのが婚約者候補であるという事を……。


 何も考えたくありませんでした。

 すべてから目を逸らしたかった。

 だって、気づいてしまったのですもの。

 寄り添うミエンナ様を優しくエスコートするアーク様を見て、あの方が大切になさっているのは私ではなく婚約者候補としてこの場にいたミエンナ様なのだと。


 守ると言ってくださったのに……。

 その手で……その腕で私を抱きしめてくださったのに……心から私を案じてくれていると思っていたのに!


 全部、私の思い過ごし…なのでしょうか?

 一人で勝手に舞い上がって……馬鹿みたいですわ。


 居たたまれなくて、早くこの場を立ち去りたいと願っても私にそれは許されなかった。いえ、私自身が許せなかった。逃げるようにこの場を去るなど、公爵令嬢として到底出来るはずもありません。


 それに私をエスコートしているのは一の兄上様。

 王太子殿下の側近である一の兄上様に伴われているのに、私の勝手なわがままで帰りたいなどと口が裂けても言えるわけがありません。



 

 その後の社交はあまり覚えてはいないのです…。

 ただ、張り付けたような笑みを浮かべる私を案じて、セレナが何度も心配そうな顔を向けていたのは知っています。「大丈夫よ、私は…」と言っても信じてもらえず、セレナは見ていられないとでも言いたげに私をテラスに連れ出してくれました。


 けれど――――


「あら、こんなところに隠れていたのね、イリアーナ」


 嘲るように笑みを浮かべ私を見る令嬢はミエンナ様。


「ずいぶん落ち込んでいるようね、イリアーナ?」


「ミエンナ様、なぜここに?」


 セレナが私を守るようにミエンナ様と私の間に立ちました。


「理由などないわ。そうね、しいて言えば、イリアーナのその顔が見たかった、という理由かしら」


 私の顔?


「そう、その暗く沈んだその顔よ。ねえ、イリアーナ。今の気持ちはどう?」


 今の気持ち?


「わたくしね、先ほどの貴女の様子から分かったことがあるの。貴女、殿下に好意を抱いているのでしょう? ああ誤魔化しても無駄よ、だって、そうでなければ、その暗いお顔はありえませんもの」


 …え?


「貴女と殿下の間に何があったかは分からないわ。でもね、貴女がいくら殿下をお好きでも、王太子殿下の婚約者はわたくしよ、貴女ではないわ」


 私が殿下を……好き?


「ああ、家の権力を用いても無駄よ、わたくしは王太子妃になるのを運命づけられているの。それを忘れないでね。それと、先ほどからわたくしを睨みつけているセレナ。貴女には特別にお姉さまって呼ばせてあげるわ、感謝なさい。でも立場は理解してね、わたくしは王太子妃、貴女は――――」


 俯く私に投げかけられる言葉の羅列。

 でも、私には何一つ言い返すことが出来ませんでした。その時の私は、ミエンナ様が言った一つの言葉に心の中を支配されていたのです。


 私が、殿下―――アーク様を好きなの?


「聞いているの? イリアーナ! 本当に貴女は」


「こんなところにいたのですか、ミエンナ嬢。兄上が探しておられましたよ」


 延々と続くと思われた言葉は、ふいに掛けられた声で途切れ、ミエンナ様は慌てて会場へと戻って行かれました。


 助け船のようにこの場に現れたのはディレム様。

 ディレム様は先ほどのミエンナ様の言葉を聞いていたのでしょう。屈辱に涙を浮かべるセレナを抱きしめておられました。


 どうして私のもとにミエンナ様がいらしたのかは分かりません。あの方の行動はよく理解できませんもの。ただ、私を良く思っていないのだという事は漠然としてですが感じ取りました。


 きっと、王太子殿下と私が親密になるのを危惧しているのでしょう。

 それは、婚約者候補―――ミエンナ様は婚約者と言っていましたね――の彼女からすれば当たり前の事です。

 選ばれたのは私ではない……ご自分なのだとはっきり告げたかったのでしょう。


 けれど、図らずもミエンナ様が私に投げかけたその言葉の欠片こそ、私に一つの想いを自覚させるきっかけになったのです。






 王宮の夜会から幾日もたたないうちに、私は、毎年訪れていた公爵領に逃げるように向かいました。


 いいえ…逃げるように、ではなく、逃げてきた、の間違いですわね。




 気づきたくなかった―――こんな気持ち。


 私がアーク様を好き、だなんて………。




『貴女がいくら殿下をお好きでも、王太子殿下の婚約者はわたくしよ、貴女ではないわ』


 おそらくは私を殿下に近づけさせないための牽制のつもりだったのでしょうけれど、その言葉で私は自分の想いに気づいてしまった。

 

 どうして、王太子殿下の素性にあれほど衝撃を受けたのか。

 どうして、アーク様の事をあれほど気にしていたのか……。

 どうして、アーク様を想うと苦しいほどに胸が高鳴るのか……!


 その答えは簡単。

 認めてしまえば、すごく単純な事。


 でも……こんな気持ち、気づかないままの方が良かった!

 だって、知らずにいたら、こんなに胸が痛むこともなかったのですもの。




 これも片思い、というのでしょうか? いいえ、違うわね。だって、アーク様にはミエンナ様がいらっしゃいますもの。完全に私の失恋ですわ。


 恋をしているって自覚してすぐに失恋するなんて……自分でも情けなくなります。


 今思えば、ずっと警告はされていたのですわよね。

 私がアーク様に好意を寄せているというのは、きっとみんな気づいていた事。

 兄上様たちも、セレナも、私の気持ちを慮ってアーク様の事を知っていても私には言わなかった。それは、知ると私が傷つくから……。


 だから、一の兄上様は記憶から抹消しろ、なんて言っていたのですね。


 でもね、一の兄上様。


 今更無かったことになど出来ないですわ。


 報われない恋だって分かっているけど、完全に私の片恋だって分かっているけど、アーク様の声も、瞳も、抱きしめてくれた腕の強さも! もう私の記憶から消えてくれることなんてない……。忘れるしかないと分かっているけど、どうしたら忘れられるのか、私には分からないのよ、兄上様っ!




 ☆ 




「これは…すごい……。辺り一面、見事な色彩ですね。こんな景色、王都じゃ見れませんよ」


 誰ともなしに呟かれたルキトの声。

 ふと気がつけば、辺りはすでに日が傾きはじめておりました。

 遠く微かに見える海に沈む夕日。

 辺りを染める、紫色の………。


 アーク様の瞳の色――――


 にじむ視界に映す景色は毎年待ち望んだ大好きな景色のはずなのに……。


「ああ、お嬢様見てください。大分準備が進んでいるようですよ。予定通り日暮れには明かりが灯され祝祭が始まりそうですね」


 ルキトの言葉にふと目を向けるのは領主邸に集うこの地に住む民たちの姿。

 領主邸中央広場で繰り広げられているのは、各々持ち寄った食材で次々と料理を作る人、領主邸を飾り付ける人、飲み物などを運び入れる人、そして、広場から延びる街への道には所狭しと出店が立ち並びその風景は――――


「……まるで縁日、ですわね」


 遠く、かすむほどの記憶でしかありませんが、なぜか前世を彷彿とさせ思わずぽつりと口から零れ落ちていました。


「…縁日、というのですか? 確か、地方の村では神々の祝祭日にこのような祝い方をすると聞いたことはありますが、よく知ってましたね、お嬢様」


 若干、馬鹿にしたような物言いですが、これも私を慮っての事。

 いつもなら、むきになって反発しますものね、私。


「あ……」


 その時、一陣の風が頬を撫でていきました。

 深まる秋を感じさせるような冷たい――――


「…風が出てきましたね」


 ふと背後に感じる気配。


「…寒くないですか? お嬢様」


「…え?」


 低く呟かれた言葉と同時に私を背中から包み込むぬくもり。


「そんな薄着では体調を崩しますよ」


 耳元で囁くのは、いつもの冗談交じりの声ではなくて……。


「お嬢様、そんなに無防備だと――――付け入りますよ……俺が」

  

 冗談とも本気とも取れるその口調に思わず振り向けば、苦し気に揺れる緑の双眸が、私をじっと見つめておりました。






ありがとうございました!

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