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21. セレナ・バーンティスト、公爵令嬢の恋を憂う その2



「ねえ、セレナ。君は、ディレム殿下があの庶民の娘に心を傾けたらどうする?」




 突然、なんの前触れもなく問いかけられたシャリアン様の言葉に、わたくしの思考が一瞬停止いたしました。


 あの……なんなのでしょうか、それは? 

 急に話の方向性を変えられても、わたくしはなんと返答して良いのか困りますわ、シャリアン様。


「えっと……今はお姉さまと王太子殿下の馴れ初めのお話をしていたのですわよね?」


 馴れ初め、というか、殿下が一方的にお姉さまを覗いて――垣間見て――いたということですが……。


「うん、そうだね」


「それと今の問いかけに何か関係でもあるのですか?」


「ある、と断言できるほど確証がない。けれど、少し気になることがあってね」


「え……?」


 シャリアン様がわたくしを見つめてこられます。

 逸らすことは許さないよ、とでも言いたげにその瞳には威圧さえ伴っております。


 でも、美麗すぎるシャリアン様のその瞳…いえ、そのお顔を直視するのは、とてもいやですわ。


 だって、今のシャリアン様は、お酒を召されているから、というのもあるかもしれませんが、白磁の肌に僅かに朱がともり、何とも言えない色香を発しておりますのよ。それに、わたくしをじっと見つめる琥珀の瞳が僅かに潤んでいて、なんと言いましょうか、その美貌に、その艶やかな色気に、なぜか敗北感が………。


 ちらりとお兄様を見遣ると、微妙にシャリアン様から距離を取っておられます。


 分かりますわ~、お兄様。

 シャリアン様はお姉さまと瓜二つですものね。これほどの色香をまき散らしているのですもの、殿方と分かっていても錯覚してしまいますわよね? 重ねていらっしゃるのでしょう? お姉さまと……。


 でも、間違えてはいけませんわよ。いくら似ておられても、今目の前にいらっしゃるのはシャリアン様ですからね。お姉さまではありませんわよ。後が怖いですわよ。


「セレナ、今、何を考えた?」


「え? あら、何のことでしょうか? わたくしは何も……」


「お前は顔に出すぎだ……」


 視線を泳がすわたくしに、お兄様のため息交じりの声が聞こえました。そして、シャリアン様の雰囲気がふっと和らぐのも……。


「それで、セレナ。答えを聞かせてくれるかい?」


「答え…って、ディレム様があの庶民の娘に心を傾けたら? ということですわよね?」


「そう……」


 ディレム様があの噂に聞く庶民の娘に心を傾ける……好きになる。


 それが現実となったらわたくしは――――


「そうですわね……。おそらく、何もしませんわ」


「うん? 何もしないとは?」


「言葉の通りですわ、シャリアン様。仮にディレム様があの庶民の娘に心を移しても、わたくしは何もしません。強いて言うなら傍観、でしょうか? あの娘をどうこうしようとか一切考えませんわ。お姉さまからお話を聞いた今だからこそ、そう思えるのでしょうが……」


 ええ、わたくしは何もしない……。

 仮にお姉さまの語る未来視の通りに、お二人が仲睦ましくしていたとしても、きっと胸は痛むのでしょうけれど、何もしない……。いいえ、してはいけないと思うのです。


 わたくしがあの庶民の娘に接することこそ、愚かな行為に他ならない。

 その行動が引き金になり、お二人の仲が急速に深まるとお姉さまがおっしゃっていたのですもの。


 ―――抑えて見せますわ。自分の感情を……。




 ふと目を閉じ思い出すのは、あの日――お姉さまが街探索に出られた時の事。


 あの時は確か、お姉さまを見守っていたわたくしたちのところに突然ディレム様がいらっしゃったのですわよね。噂で聞いた庶民の娘の事を伝えるためでしたが……。


 その時にディレム様は、あの庶民の娘の事をこうおっしゃった。


 愛らしい美少女……と。


 それを聞いたわたくしは、ディレム様からそのような言葉は聞きたくなかった…と思ったのです。無性に苛ついたのも覚えております。


 その感情は、おそらく嫉妬……。


 出会ってより数年。

 政略の意味合いの深い婚約話ですが、わたくしは確かにディレム様に惹かれているのだと思います。その人柄も、優しく微笑むその眼差しもわたくしだけに向けてほしいと願うほどに、わたくしはすでにディレム様を好きになっているのだと思います。


 けれど、お姉さまから聞かされたわたくしとディレム様の未来視……。


 わたくしがディレム様に依存すればするほど、お姉さまが危惧されていた未来が起こる。


 正直言って怖いですわ。


 もしも今以上にディレム様に惹かれて、ディレム様に恋い焦がれる様になったなら、わたくしはあの庶民の娘に何をするのか分かりません。だって、そうなったなら、わたくしは自分の感情を抑える自信などありませんもの。自分の性格くらい把握しております。


 庶民の娘にディレム様を奪われておとなしくしていられるほど、わたくしは優しくなどないのです。


 だから、抑えなければいけない。


 この心も、感情も、何もかも………。



 

「セレナはそれで良いの?」


「良いとは…?」


「君の婚約者、だろう?」


 訝しむような眼差しにはどこか辛さが見え隠れしていて、シャリアン様がわたくしを案じていらっしゃるのが伝わってきます。


「……まだ、正式には婚約しておりませんわ」


 幸い、と言って良いのかは分かりませんが、今はまだ、正式な婚約者ではありませんもの。


「婚約……婚約、か。なあセレナ、ひとつ聞いていいか?」


 突然お兄様は、何かを思い出すかのようにわたくしに視線を向けました。


「なんでしょう、お兄様」


「ずっと腑に落ちなかったことがある。父上は、お前の婚約を決める時、何を言った」


 お父様が言ったこと、ですか?

 あら、わたくしったらお兄様に伝えていなかったかしら?


「話していませんでしたかしら? お父様は、次代の国王と王妃を支えていくのにわたくし以上の適任がいない、と言っていましたわ」


 その言葉を聞いたとき、お兄様は苦虫を噛み潰したかのようなお顔をなさり、シャリアン様はその口の端を僅かに歪めました。


「次代の国王と王妃、ね。なるほど……」


「シャリアン?」


「陛下も考えておられたということか……」


「どういうことだ?」


「知っていたんだよ、陛下は。イリアーナがいずれ魔法具から解放されるということを…」


「知っていた? だが、どうやって?」


「君たちも聞いていただろう? 母上の話を……」


「東国の……巫女姫、か?」


「……そう。巫女姫の見る未来視は幼いころにしか見ない。おそらく母上は、イリアーナも成長すれば悪夢に魘されることもなくなると知っていたんだよ」


「それがわたくしの婚約と何か関係が?」


「……王妃、様か?」


「どういうことですか? お兄様」


「さっきシャリアンが言っていただろう。公爵夫人と王妃様は、いずれは殿下とイリアーナを結婚させたいと願っていたと。なら、その王妃様が公爵夫人からイリアーナの事情を聞かされていないはずはない」


「あ…!」


「気づいたかな、セレナ。すべて知っていたということだよ。母上から王妃様へ、そして、王妃様から陛下へと伝わっていた。おそらく母上は、あの日イリアーナが魔法具を外さなくとも、成人前には魔法師の力を借りて外すつもりだったのだと思う」


「……その時のための布石として、わたくしとディレム様の婚約、ですか? わたくしを通じ、殿下とお姉さまが巡り合うようにとの……」


「王太子殿下にはあまり猶予はないからね。おそらくは……イリアーナが魔法具を外した後、君とディレム殿下を介して出会わせるつもりだったのだろう。いきなり婚約だ、と言われても、イリアーナは困惑するだけだからね」


「そうですわね……。政略結婚もご自身の立場から視野に入れておられるのでしょうけれど、お姉さま、ああ見えて恋愛結婚を望んでいますものね」


「陛下……まあ、母上たちもだけど、あのお方たちにしてみれば、セレナたちを通じて出会った殿下に、あわよくば、イリアーナが恋をしてくれたらと願っての策なんだろうけど……」


「なかなか、策士…ですわね」


 誰が…とは申しませんが……。


「セレナ、不敬だぞ」


「いや、私も同感だ。それに、今思えば、陛下のお言葉……殿下が20歳までという期限もすべてイリアーナが魔法具から解放されると踏んでの発言だと思わざるをえない」


 ――――そういう事、でしたのね。


 なんとなく察しはついておりましたが、やはりわたくしの婚約は、お姉さまを王太子妃にするための布石でしたのね。


 お父様がおっしゃった次代の王妃とは、やはりお姉さまの事。

 陛下は、すべてを知ったうえで、わたくしにディレム様との婚約を持ち掛けてこられた、そういうことなのですね。


「まあ、その陛下の思惑も、母上や王妃様の願いも、あの庶民の娘の計画とやらで暗礁に乗り上げたわけだけど……。さて、事情を知ったセレナは、このまま素直にディレム殿下と婚約をするのかい?」


 よほどあの庶民の娘が腹立たしいのか、殊更にそこを強調するのは、お姉さまが関わっておられるからですわね。声もいつもより低くなっておりますし、わたくしが責められているわけではありませんが、少し怖いですわよ。


 答えを待つシャリアン様は、わたくしが怖がっているのを察したのか、僅かに表情を緩めると、まるでわたくしの真意を汲み取ろうとするかのようにじっと見つめてこられました。

 

 わたくしが陛下たちの思惑をどうとらえるのか気になっておられるのでしょう。


 利用されていると分かっていて婚約をするのか、と――――


「婚約はしますわよ」


 そう……婚約はいたします。

 これはすでに決められていることですもの。わたくしから反故にするわけにはいかないし、したいとも思わない。


 たとえこの縁組が誰かの思惑があっての婚約話だとしても、わたくしはディレム様と添い遂げると決めていた。むしろ、お姉さまのために仕組まれた婚約なら、わたくしには何一つ異論はないのです。


 けれど、お姉さまから聞かされた未来を知った今は―――――


「……婚約はします。これは偽りないわたくしの本心ですわ。けれど、正式なお披露目は、来年の春以降にしたいと思っています」


 ゆっくりと紡ぐわたくしの言葉に、お兄様は驚きで目を見開き、シャリアン様は、何かを思案するように静かに目を閉じられました。


「……それは、お前の一存では決めかねるだろう? すでに披露目の日程は決まっているはずだ」


「新年を祝う王宮の大舞踏会、三日間行われる最終日にて正式にお披露目、でしたわよね」


「……そうだ」


「大丈夫ですわよ、お兄様。わたくし、年末から病を患う予定ですから……」


「…はあ?」


 笑みさえ浮かべるわたくしの発言に、お兄様は奇妙なものを見るような眼差しで見てこられます。

 それはそうですわよね。お兄様にあきれられるほど、お披露目の日を楽しみにしていたわたくしの言葉とは到底思えませんもの。  


「セレナは、待つつもりだね?」


 ぽつりと呟かれた言葉。

 その問いにふとシャリアン様に目を遣れば、どこか複雑そうな笑みを浮かべてわたくしを見ておられました。


 何を、とは問い返しません。

 おそらくシャリアン様には、わたくしの意図などお見通しなのでしょうから……。

 

「待つ…とは?」


「ディレム様がわたくしとの婚約を、心から望んでいるとはっきりと確信が持てるまで……ですわ、お兄様」


 お姉さまがおっしゃっていたのは、ディレム様があの庶民の娘を心から愛するようになり、その結果わたくしとの婚約を解消し、その果てにわたくしが命を落とすというもの。


 お姉さまは、殊更にわたくしの命が失われることを案じておられました。

 未来視の事を誰にも話さず、ご自身であの庶民の娘を探ろうとしたほどに――――


 そんなお姉さまのお心を思えば、わたくしが婚約を遅らせることなど些細なことですわ。それに、初めから婚約をしていなければ、最悪の事態さえ覆すことが出来るかもしれない……。そう思うからこそ、今はまだ婚約はしないほうが良いと思うのです。


 それに……懸念もあります。


 未来視では来年の春に出会うと言われたお二人が、もうすでに出会ってしまっているという事です。


 それには、お姉さまも驚いていらっしゃいました。

 未来視と違うからこそ先が読めず困惑していたのだと思いますが、それ故に、わたくしは気にかかるのです。


 予定より早くに出会ったディレム様とあの娘が、本当に未来視通りに恋に落ちるのか……と。


 先の事件の時、あの娘と出会ったディレム様は何の反応も示しませんでした。むしろ、不審そうな娘、という認識でしたわ。


 でも、心など変わるものです。

 自ら美少女と称したあの庶民の娘と知り合っていくうちに、ディレム様の気持ちが傾く、という事だってありえるのです。


 ありえるからこそ余計に……待たなくてはいけないとも思うのです。


 


 未来視で告げられた―――最悪の事態を避けるために……。







ありがとうございました。

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