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20. セレナ・バーンティスト、公爵令嬢の恋を憂う その1

 



 ああ、どうしましょう! 

 わたくしともあろうものが、なぜお姉さまの恋心に気づけなかったのでしょうか?

 お姉さまがあれほどに傷つかれるだなんて、セレナ、一生の不覚です!




 あの日――夜会当日、お姉さまはあのお方に初めて正式にお会いになられました。


 春に倒れられたとき――魔法具を外された時ですわ――ディレム様と共にいらしていたあのお方の御身分にお姉さまは疾うに気づいていておられて「挨拶も出来ずに無礼をいたしましたわ。いつか…いつかきっとお会いできますわよね? その時には、きちんとお礼をお伝えしたいですわ」と常々おっしゃっておりましたもの。きっと紹介して頂くことを今か今かと待ち望んでいたはずなのです。

 ただ、お礼を伝えるべきそのお方が、先の誘拐事件にて知り合った殿方と同一人物だと知らなかっただけで……。


 はぁ……。


 駄目ですわね……。

 夜会の日からずっと、静かに涙を堪えるお姉さまのお顔が目の前にちらついて離れないのです。なんど振り払おうとも思い出されるのです。


 酷く傷ついているはずなのに……。

 辛くて泣き出したいはずなのに……。


 お姉さまは、わたくしたちに心配をかけまいと、ご自分の感情を押し殺して無理に笑みを浮かべて夜会終盤まで社交を続けておられたのですわ。


 でも、わたくしは知っております。

 お姉さまの手がずっと震えていたのを……。

 シャリアン様に支えられるように連れ立って歩いているのは、ともすれば崩れそうになる身体を公爵家令嬢という矜持のみで支えていたということを……。

 声を発すれば涙が零れそうになるからと口を固く噤んでいたということを――――


 そんなお姉さまに、わたくしは何が言えたでしょうか? 掛ける言葉が見つからず、ただ側に寄り添うわたくしをお姉さまは気遣うように労わってくださいました。


「大丈夫よ、セレナ。私は大丈夫……」


 まるで自分に言い聞かせるように何度も口にするお姉さまが痛々しくて、思わず会場から連れ出したほどです。


 まあ、そこでもなぜかあの(ひと)がいらして、ちょっとした諍いがあったのですけれど、ディレム様がいらして収めてくださいましたから事なきを得ましたわ。


 ―――得ましたけれど……腹立たしいのには変わりありませんわ。


 なぜ、お姉さまがあの女に謂れのない中傷を受けないといけないのです! お姉さまご自身が何もおっしゃらないのでわたくしがここで何があったのかは詳しくは申せませんが、あの女の言動は本当に癪に障るのです! 自意識過剰にも程がありますわ!


 それもこれも、すべてあのお方のせいですわ! あのお方が――――




 ………いいえ、そうではありませんわ。あのお方の所為だけではありませんわね。


 お姉さまからあのお方を遠ざけた、わたくしたちにも責任がありますもの。そのせいでお姉さまは、わたくしに相談さえ出来なかったのですから……。


 それに、お姉さまご自身、ご自分のお気持ちを分かっておられなかった事も要因の一つ。自覚していなかったからこそ余計に、あのお方の正体を知った時に受けた衝撃が強かったのだと思いますわ……。


 そもそも、嫌な予感はしていたのです。

 お姉さまが『魔に染まった者』に攫われ、それをあのお方が連れ帰った時に、眠りながらも幸せそうに微笑んで、あのお方の服の端を掴んで離さなかったお姉さまの様子を見て、まさか、とは思いましたのよ。

 お姉さまが殿方にその身を任せて安心しきって眠っている姿など、シャリアン様はじめご家族に抱きかかえられているときにしか見たことがありませんもの。


 あの時にはすでにお姉さまはあのお方に好意を抱いていたのですわよね……。


 そして、あのお方も――――




 何時からなのかは存じ上げませんが、あのお方がお姉さまを気にかけていらしたのは知っておりました。愛おしそうにお姉さまを抱きしめるあのお方が、お姉さまを大切な宝物のように慈しんでいるのは傍目にも明らかです。


 それに――――


 不覚にも、お似合い―――と思ってしまったのですわ。


 自らが認めた者以外には冷酷だと称されるあのお方が、えも言われぬ眼差しでお姉さまを見つめていらしたのです。思わず見入ってしまうほどの柔らかい微笑みでしたわ。あのお方の周りにおられた騎士たちに向ける冷ややかな視線とは雲泥の差です。


 そんなあのお方のあからさまな態度に、シャリアン様でさえも苦笑しておられましたもの。


 あのお方は、よくシャリアン様との対で「光の神」と「月の女神」と比喩されておられましたが、違いますわね。だって、あのお方に寄り添うお姉さまを見た時には、本当に光に抱かれる月の女神のようでしたもの。


 お姉さまこそが、あのお方にとって、真の「月の女神」なのだといやでも認識させられましたわ。


 それでも、気持ちはそう簡単には認めたくはなくて、お姉さまにあのお方の事を知らせることはしませんでした。


 でも、まさか、これが、この事が、こんな結果を招く事になるなんて、思ってもみませんでしたわ。


 あのお方の事を秘していたことが、このように裏目に出るなんて………。




 もしあのお方の素性を伝えていたなら、お姉さまはここまで傷つくことはなかったのでしょうか? 


 もしあのお方――――王太子殿下であらせられる、ジリオン・アークライト・クリアファラン様の事を、お姉さまに訊ねられた折に、はぐらかさずに答えていたなら……と。


 今更後悔しても詮無いことですが、悔やまずにはいられないのです。




 ☆




「……シャリアン様、お姉さまは?」


 先の夜会以降、お姉さまがすっかり気落ちしているとのお話をお兄様から伺ったわたくしは、シャリアン様が屋敷に戻られる時刻を見計らって、お兄様と共に訪ねてまいりました。


 通された応接の間には、すでにシャリアン様が寛いでいらして、挨拶もせずにそう問いかけたわたくしをシャリアン様は咎めるでもなく、ただ優美なその顔を僅かに曇らせました。


「今朝、公爵領に発ったよ」


「……そうですか」


 この時期に公爵領へ行かれるのは毎年の事ですのでさして驚きませんが、ただひとつ、わたくしに知らせずに行かれるのは初めての事です。


 お怒り、なのでしょうか?


「大丈夫、イリアーナはセレナを怒ってはいないよ。ただ、心が少し弱くなっていてね。あれから笑みを見せなくなった………」


 そう言った後、シャリアン様は、グラスの中身をひといきに飲み干しました。

 グラスに注がれていたのは濃い赤紫色の……果実水? でも、かすかに香るこの匂いは葡萄酒の匂いですわよね。シャリアン様はお酒を飲んでいらっしゃるの?


「珍しいな、酒を飲んでいるのか?」


「君も飲むかい? フェラン」


 シャリアン様の隣のソファに座り無言で差し出すお兄様のグラスに、シャリアン様はお酒を満たしていきます。お二人とも、飲まずにはいられない、ということでしょうか?


「セレナも立っていないで座ったら? なんなら、君も飲む?」


 少し酔っているのでしょうか?

 シャリアン様は、いつもより砕けた口調で話しかけてこられます。


「いいえ、遠慮しておきますわ」


 テーブルを挟んでシャリアン様の反対側のソファに座ると、私のグラスには果実水が注がれました。


「ん? どうした、セレナ、呆けた顔をして」


「……珍しいこともあるものだと……」


 シャリアン様がお酒を飲まれるところなど、初めて見ましたわ。


「ああ、これの事かい?」


 シャリアン様はグラスをわたくしに向けどこか自嘲気味に笑みを浮かべられました。


「いろいろと思うことがあってね……」


「お姉さまの事ですか?」


「それもだけど……」


 シャリアン様は徐に天井を見上げ、僅かに目を閉じ考えに耽った後、ゆっくりとわたくしとお兄様に視線をめぐらせました。


「話したことがあったかな…。ジリオン殿下とイリアーナの事」


「………?」


「何のことだ? シャリアン」


「昔話だよ……。聞くかい?」


 困惑気味に首を傾げるわたくしとお兄様に、シャリアン様はどこか悪戯めいた微笑を浮かべておられます。


「ジリオン殿下とお姉さまの事、ですか? 昔話、とおっしゃいましたが、お二人には何かありますの?」


「まあ、いろいろと……ね……」


 わたくしたちが困惑しながらも頷くのを確認すると、シャリアン様はゆっくりと語り始めました。




 ☆




「イリアーナが産まれた時、母上が王妃様と仲が良かったこともあって、ジリオン殿下とイリアーナを将来結婚させましょう、的な話し合いが行われていたんだ。あくまで王妃様と母上の間の話だけどね」


 あっ! お…お兄様、グラスからお酒がこぼれております!


「初耳だが……」


「初めて言ったからね」


 何食わぬ顔でおっしゃるシャリアン様は、懐かしそうに目を細め、


「その後、王妃から話を聞いたジリオン殿下が我が家を訪ねてきたんだ。表向きは私に会いに来た、という名目だけどね」


「殿下は、お姉さまと会っていらしたのですか?」


「会った、というか、その時のイリアーナは、言葉も話せない赤子だったからね。一方的に殿下がイリアーナを見て興奮していた。この子が僕のお嫁さんになるの! ってね」


「「……………」」


「それからも、ちょくちょく家に来ては、イリアーナと遊んで、いや、イリアーナをあやしていたよ。拙い腕で抱っこしたり、言葉も分からない赤子に一生懸命話しかけたり……。傍でみていて微笑ましいほどだった」


「あの……殿下が、ですか?」


 殿下が赤子をあやすなど、想像もつきませんが……。


「そう、昔は殿下も可愛かったんですよ」


 そう言った後、シャリアン様はグラスを呷りました。


「殿下が変わったのは、イリアーナが魔法具を身に着ける様になってからだ」


 お姉さまが魔法具を身に着けたというのは、毎夜見る夢に魘されていたから、ですわよね。今では、それがお姉さまの身の内に流れる東方の王国の血の所為だと分かっておられますが、当時は公爵夫人以外それを知らなかったはずです。


「そして、その時期と重なるようにして、殿下の婚約者選びが始まった。当然、眠ってばかりいるイリアーナは除外。それに激怒した殿下は、紙面に連ねられた令嬢の名を悉くペンで塗りつぶした」


「それが、お前の言っていた婚約者候補たちか? 確か、その候補はイリアーナが魔法具を身に着けたことを好機ととらえた一部の貴族の暴走だろう?」


「そう……。だからイリアーナの現状を知っている殿下は、表立って名を出すことはしなかったが、はっきり宣言はしていた。私には妃にと望む令嬢がいる、とね」


「それで納得するのか? 婚約者候補、いや、王太子の婚約者に自らの娘を擁立させたいと願う輩は多そうだが……」


「鼬ごっこだよ。飽きもせず家臣が令嬢の名を記した書状を持ってくると殿下がそのたびに塗りつぶす。本当に、傍で見ていてあきれるほどだった。陛下のお言葉がなければ、妥協案として、候補で構わないから、という名目で承諾させられていただろう。当時殿下はまだ10歳に満たない子供、丸め込むのは狡猾な彼らにしたら容易いことだ」


「陛下は、なんとおっしゃいましたの?」


「王太子妃は王太子自らに決めさせる、と。だが、期限を設け、王太子に決定権があるのは20歳までだ、とも。それと同時に、殿下自身にもこうおっしゃられたらしい。イリアーナが魔法具に縛られている限り王太子妃にとは望めないだろう、とね。もちろんイリアーナに会うことも禁じられた」


「20歳……までですか? それは焦りますわね。確か、御年19歳におなりですわよね」


「そう、後がないんだよ、ジリオン殿下は…」


「いや、そういう問題じゃないだろう?」


 面白がる口調で話すシャリアン様に、お兄様はあきれともつかないため息を零しておられます。


「それからかな…。殿下が常に私を側に置き、ご自身の周りに令嬢たちを近づけなくなったのは…」


 ああ、納得、ですわ。

 ご令嬢方よりお美しいシャリアン様が側にいたら、さすがに近づこうとなさる方はいらっしゃいませんわね。

 

 思わず、という態でうんうん頷いておりましたら、なぜか背筋に悪寒が……。


「セレナ、何か言いたそうだね?」


「え? あ…そ…それは、ではなくて、それで……殿下は……そう、そうですわ! 殿下は陛下のお言葉に納得いたしましたの?」


 焦って言葉を濁すわたくしの耳に「馬鹿か、お前は」というあきれ口調のお兄様の声が届きました。


 ほっといてくださいな。


「……納得はしていない。けれど、妥協はしていた」


「妥協?」


「そうだよ、フェラン。殿下がイリアーナを簡単にあきらめるとは思えなかったからね。殿下は、会うことはしない、けれど、垣間見ることは許してほしいと願ったんだよ」


 いや、垣間見る、って何ですか? 

 のぞき?

 王太子殿下が、お姉さまをこっそり覗いていたのですか?


「そ…それほど、殿下はお姉さまをお好きでしたの?」


 顔を引きつらせるわたくしに、シャリアン様は僅かに苦笑を浮かべながら頷きました。


「実はあの日もイリアーナを垣間見る予定でこの屋敷に来たんだよ」


「……あの日? って、もしかしてお姉さまが魔法具を外し倒れられたとき、ですか?」


「そうだよ」

 

「え? では何事もなければ殿下はお姉さまと接触さえせず、垣間見て――覗いて――帰られるおつもりだったのですか?」


「その予定だったね」 


「……まさかあの時の殿下の高揚した雰囲気は、お姉さまが魔法具を外されたことを喜んでいたからなのですか!?」


「当たりだ、セレナ」 


「なんですか、それはっ!」


 もう、何に驚いたらいいのか分からなくなってしまいましたわ。

 確かに、なぜあの時あの場所にいらっしゃったのか疑問ではありました。ディレム様に訊ねたおりも誤魔化されてしまいましたもの。


 まさか、それがこんな理由だったとは思いませんでしたわ。


 確かにはっきりとは言えませんわよね。『覗いて――垣間見て――いた』なんて、言えるわけありませんわよ。


 ますます顔が引き攣っていくのを押さえながらシャリアン様を見ると、わたくしの動揺などお構いなしにお酒を呷っております。


 そんなに飲んで大丈夫なのでしょうか?


「……ジリオン殿下に聞いたことがある。どうしてそこまでイリアーナに固執するのか、とね」


「殿下は、なんとおっしゃったのですか?」


「一言、『運命の相手』、だとおっしゃった」


「「……………」」


「二人とも、そこで固まらないでほしいなぁ」


 思わず開いた口が塞がらない、という醜態を晒していたわたくしと、先ほどから黙したまま眉間に皺を寄せ指で押さえつけておられるお兄様に、シャリアン様はわずかに相好を崩し、分かるけどね、と小さく呟いておられました。


「あ…申し訳ありませんわ。あまりにも、意外すぎて……」


「そ…それで、イリアーナは殿下の事を何か言っていたのか? そこまで殿下が入れ込んでいたなら、魔法具から解放されたイリアーナに会った時、何か―――――って、それは無いか……」


「ご明察。殿下がイリアーナに何か言ったところで、イリアーナは殿下の事を欠片も覚えていないよ。まだ幼かったというのもあるかもしれないけど、魔法具を身に着ける前は何度か会ったことさえあるのに完全に忘れている。まあ、思い出す切っ掛けさえ与えないようにしていたのは私たちだけどね」


「いつ魔法具から解放されるか分からないお姉さまを、くだらない婚約者候補争いから守るため、ですか?」


「そう。そのはずだったんだけどね………」


 そう、お姉さまを守るはずが、余計に傷つける結果となってしまった。

 シャリアン様も悔いているのでしょう。

 葡萄酒を浴びるように飲み続けるその姿が、妙に艶めかしくて思わず視線を外したわたくしに、シャリアン様の面白がるような声がかけられました。




「ねえ、セレナ。君は、ディレム殿下があの庶民の娘に心を傾けたらどうする?」






ありがとうございました!




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