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18. 姿なきヒロインと一つの噂

 



 語るのは前世のゲームの記憶。


 ディレム様が一人の少女と出会い、次第に惹かれあっていくこと。

 セレナが、嫉妬心からその少女に対して数々の暴挙に出ること。

 そして―――心傷つき衰弱していくセレナが、最後には命を絶ってしまうこと……。


 それらを、夢で見続けた物語として話す私の記憶を、皆が黙して聞いておられます。


 一の兄上様は、幼い私が発した、見たこともない世界やゲームという言葉をずっと覚えておられたらしく、しきりに「本当にそれだけかい? 幼い君の語るゲームの話は単なる遊戯の一種とは思えなかったのだけど?」と訊ねていらっしゃいます。


 まさか、ゲームはゲームでも、さすがに乙女ゲーム、とは言えませんわ。言ったところで理解してもらえるとは思えませんし……。


 返答に困る私に、一の兄上様は、「言えないのかい? イリアーナ。どうしてだい? 言えない理由でもあるのかい?」と、しつこいくらいに訊いてこられます。


 どうして単なる夢ごときにこれほど興味を示すのかは分かりませんが、一の兄上様曰く、私の語る世界がとても興味深いものだから、という理由らしいですわ。


 本当にそれだけの理由なのかは、私には判断できませんが………。


 ちらりと伺う一の兄上様は、何食わぬ顔をして優雅にお茶を飲んでおります。その様子は普段とは何ら変わりはなく――――




 はあ~………。




 駄目ですね、隠し事をしているとどうも疑い深くなってしまいます。

 特に、ゲーム、なんて言葉が飛び出すものだから、一瞬、一の兄上様も転生者? と思ってしまったではないですか。よくよく考えれば、この世界にもゲーム、という言葉はありますのに……。


 まったく、過剰に反応しすぎですわね、私は……。

 前世の記憶に囚われすぎて、ゲーム=乙女ゲームという図式が出来上がっていたようです。

 

 なんにせよ、そうそう転生者など居られるわけありませんわよね? まあ、噂に聞くヒロインはどうも転生者のようですが……。






「…お姉さまは、なぜそのような夢をご覧になっていたのでしょう?」


 僅かに顔を曇らせて問いかけるのはセレナ。

 セレナにしてみれば、ディレム様との関係を、私が幼いころにすでに見知っていたというのが不思議でならないのでしょう。


「…それは、私にも分かりませんわ。ただ、毎夜見続けていた夢には確かにセレナが居りました。当時はまだセレナだと気づいてはおりませんでしたが……」


「……それほどわたくしを―――」


「…セレナ?」


 突然顔を伏せ、肩を震わせるセレナに思わず胸が痛くなります。

 きっと、腹立たしいのだと思いますわ。私が語った夢の内容は、セレナにとってはとても辛いものですもの。


 それでも、話さなくてはいけなかった……。ヒロインのことを告げるには、どうしても避けては通れませんもの。


 その結果、セレナに嫌われたとしても……セレナが、幸せになれるなら――ゲームとは違う展開に持って行けるなら、我慢できますわ。


「…お姉さまは……それほど」


「…セレナ」


「……お姉さま!」


 掛ける言葉もなく、肩を震わすセレナに手を伸ばせば、突然、ガシッっと、私の両手をつかまれてしまいました。


「え?」


 強く握りしめてくるセレナに目を丸くします。困惑気味にセレナを見つめると、セレナの眦にわずかに涙が浮かんでおりました。


 やはり傷つけてしまったのでしょうか?


「セレナ…あの」


「……お姉さまは、それほどにわたくしを案じていらしたのですねっ!」


「………え?」


「ああ、お姉さまは何もおっしゃらなくて宜しいですわ。セレナには分かっておりますもの!」


「え? え? セ…セレ…ナ?」


 いったい如何したというのでしょう?

 セレナが憤っているのは伝わってくるのですが、なぜか私を怒っているようには見えなくて……。


「お姉さまは、わたくしと出会う以前よりわたくしを気にかけてくださっていた。いいえ、わたくしたちが出会うことは、すでにお姉さまは予見されていたのですね!」


「…え? …そ…それは」


「……それなのに、そんなお姉さまの心を煩わせているのがわたくしの恋心だなんて……。そのせいで、お姉さまが危険に巻き込まれていたなんて……っ! ああ、もうっ! 良いですか、お姉さま!」


「は…はい?」


「わたくしは、確かにディレム様を好いております。好いておりますが、ディレム様以上に、お姉さまが大切なのですわ!」


「―――え?」


「ははははっ! セレナはイリアーナが大好きだからなぁ~。愛しい相手よりイリアーナを選ぶだなんて、さすがは、セレナだ」


「今更なことを言わないでくださいな、カイレム様」


「セレナ、お前が暴走するのは良いが、イリアーナが固まってるぞ」


「あ…あら、お兄様、わたくしとしたことが……。お姉さま、大丈夫ですか?」


 強く握りしめる手の力を弱め、セレナが気遣うように私を見つめてこられます。


「ええ、少し驚いたけれど大丈夫よ。それより、セレナは私を嫌いにならないのですか? セレナを、ずっと夢で見ていた私を、気持ち悪いとは思わないのですか?」


 本当は―――ずっと怖かった。

 この世界を現実に生きておられる方々にしてみれば、私の夢の内容など荒唐無稽もいいところですもの。


 嫌われてもセレナが幸せなら我慢できる、なんて、嘘ですわ……。

 セレナに嫌われるのは……すごく、辛いです。


「…思いませんわ。それに嫌いにもなりません。お姉さまがわたくしのことを夢に見たことにも、きっと意味があることだと思いますもの」


 包むように握りしめるセレナの手にわずかに力がこもりました。


「そうですわよね、シャリアン様?」


 視線を向ける先は、なぜか機嫌の良い一の兄上様。


 ええ、見間違いでなければ、一の兄上様はとてつもなく優しい穏やか笑みを浮かべておりますもの。

 めったに見ることが出来ないその笑みに、一の兄上様にいったい何が? と思わず勘ぐってしまいたくなります。


「おそらくそうだろうね。セレナと出会う以前はイリアーナを苦しめるだけだったその夢が、魔法具が外れた時にセレナと……」


「ああ! そうでしたわ! お姉さまが魔法具を外されて倒れた時に、ディレム様がいらっしゃいましたわ。それでお姉さま、ディレム様を見てひどく驚いていらして…」


「その時に思い出したのだろう? イリアーナ」


「……ええ、一の兄上様。ディレム殿下を見たときにすべてを思い出しました。夢で見ていたのが、セレナとディレム殿下のたどる未来の姿だと……」


 愁傷な面持ちで伝えてはおりますが、内心ドキドキです。

 だって、私は夢で未来を知っていたのではなく、この世界が私の遊んでいた――壊した――乙女ゲームの世界だと知っているのですもの。


「それで君は、セレナの悲惨な未来を回避するために件の少女に会いに行こうとしていたのかい?」


 小さく頷く私の頭上で、大きなため息が聞こえてきました。


「……正直に話してくれていたら、協力したぞ、俺らは…。ま、話せなかったのも、分かる気がするけどな」


 苦笑交じりに言うのは、ルキト。

 背後を振り返りルキトとゼンを見上げれば、苦笑いともつかないどこか複雑そうな笑みを浮かべておられました。


 信じていなかった、と思われているのでしょうか? 「二人を信じていないから、という理由ではありませんわよ?」と告げましたら、なぜかルキトにくしゃくしゃと頭を撫でられてしまいました。瞬時に、ゼンとソリンさんに諫められていたのは言うまでもありませんね。


 それにしても、ルキトの私に対する態度が、どこか子ども扱いなのは気のせいでしょうか?




 ☆




「大方イリアーナの事情は理解したが、これも神の力のひとつなのかい? キアノス殿?」


 新たに淹れられたお茶を口に運びながら、一の兄上様が魔法師様に視線を向けました。


「……神の力、と断言して良いものなのかどうか判断はつきかねます」


「なぜ?」


 魔法師様は、私に視線を向けると、その漆黒の瞳に何とも形容し難い光を乗せ見つめてこられました。


 私の中に神の力を探しているのでしょうか? それとも―――


「イリアーナ様が夢で見ておられたのは、未来視、と見受けられます。ただ、それを神の力なのか、と問われれば否、と答えましょう。なぜなら、具現した時に起こりうる現象が未来視とした場合、それに当てはまる、いや、そのような力を与えるべき神々がこの地にはいないのです」


「え…っ? 神の力に未来視はないのですか!?」


 思わず立ち上がった私に、周りからの視線が突き刺さります。

 驚きで思わず叫んでしまいましたが、これは、もしかしてまずい……? 夢で見ていたことにしちゃいけなかった? 


 魔法師様は、相変わらず私から視線を外さず、じっと何かを探るように見つめてこられます。


 まさか、ばれてはおりませんわよね? 本当のことなど言いたくはありませんわよ。

 私の夢が単なる夢ではなく前世の記憶だったなんて、それこそ誰も信じてくれないですわよ!


「クスクスクス……」


 清らかな、鈴の音のような笑い声が聞こえてきたのはその時。

 庭園入口に目を向ければ、そこにはなぜか母様がいらっしゃいました。


「……母上、どうしてこちらに?」


「皆さんの様子を伺いに来たのですけれど、お邪魔でしたかしら?」


「そんなことはないよ、母さん」


 すっと椅子から立ち上がり、母様に座を譲ると二の兄上様はその背後に立ちました。


「挨拶をしたらすぐ退出するつもりだったのだけど、とても興味深いお話をなさっているので、つい……」


 口元を押さえ楽しそうに笑う母様は、私を見ると、任せなさい、とでも言いたげに僅かに頷きました。


「キアノス殿」


「なんでしょう? 公爵夫人」


「先ほどの貴方の見解、少し訂正して宜しいかしら…?」


「…先ほどの見解?」


「ええ。未来視を具現する神の力はない、という、あれ、ですわ」


 母様の言葉に魔法師様の瞳が怪訝そうに揺れております。といいますか、私も気になります! 


 母様は、いったい何を―――


「ありますのよ」


 ぽつりと呟かれたその言葉に、魔法師様と私の視線が交差しました。


「あるのですか!?」


「それは……」


「貴方の言葉を否定するつもりはありませんわ、キアノス殿。でも、神の力、とは一概には言えませんけれど、我が王家には、僅かな確率で未来を夢に見る乙女が誕生するのです」


「未来視の乙女? ―――っ! 東国の……巫女姫、ですか?」


「知っておられましたか?」


「噂…では」


「そう、私の生国に伝わる力、ですわ。その力の源が何に由来するのかは、いまだに解明されてはおりませんが、この世界を見守るとされる神々の一柱ではないことは分かっています」


「母上の国? その王家に現れる力が、イリアーナの見る夢に関係するのですか?」


「そうよ、シャリアン。幼いころ夢に魘されるイリアーナを見て、間違いないと思ったわ。私も東国の王家の姫ですもの、その娘のイリアーナに巫女姫の力が備わっていても、何ら不思議ではなかったのです。でも、そのことを生国に悟られるわけには行かなかったものですから、イリアーナの力のことは黙っていたの」


「東国に知られると、何か問題が?」


「当代の巫女姫として連れていかれるわね」


 何でもない事のように軽く言う母様に、思わず、頭を抱えたくなります。


「……それって、このままだと、イリアーナは東国へ連れていかれるってことか? 母さん」


 そう問いかけるのは二の兄上様。その顔色は、どこか青ざめておられます。といいますか、私だって東国へなど行きたくはありませんわ!

 いや、別に母様の生まれた国が嫌い、とかいう理由ではありませんわよ? ただ、東国はものすごく遠いのです。馬車と船で半年以上はかかります。そんな長旅、絶対に嫌ですわ。前世のように空を飛んでいけたならすぐにも行けただろうけど、さすがにこの世界では無理ですわね。


「ああ、心配しないで、もうそれは無いから」


「どうしてそう言い切れますの、母様?」


「それはね、巫女姫の力そのものが、幼いころにしか発現しないからなのよ。それも成長とともに消えて行く力なの。現にイリアーナだって、今はもう夢に魘されることはないのでしょう?」


「そ…それは、確かにもう夢に魘されることはありませんわね。今の私が持つ夢の記憶は、幼いころ見続けていたものですし……」


 とは言ったものの、私は夢で未来を見た、というより、この世界が乙女ゲームの世界だと思い出しただけですので、きっと、母様が言う巫女姫、とは違いますわよね。余計なことを言うと墓穴を掘りそうなので母様のお話に乗らせていただきますが……。


「そういうことよ。巫女姫の任期はほんの数年。巫女姫自体、誕生するのが稀ですので、いらっしゃらない時もありますわよ」


「東国からの横やりが入らないように秘した、ということですか? 母上」


 一の兄上様の問いかけに、母様はどこか悪戯めいた笑みを浮かべてクスクス笑っておられます。


 それが、答えなのでしょう。

 きっと、私が東国へと連れていかれないために、母様は、黙っていたのだと思います。


「では私はこれで席を外しますわね。皆さんゆっくりしていらしてね。―――と、そうだわ」


 静かに席を立つ母様は、何かを思い出したかのように両手をパンと叩きました。


「ねえ、シャリアン。貴方は知っているかしら?」


「何を、ですか? 母上」


「先日、王妃様から一つ気になるお話を伺ったの。なんでも一月後の収穫祭に開かれる王宮の夜会にて、王太子殿下が婚約者候補の一人を伴って出席なさる、という噂が蔓延しているようですわよ。王妃様も寝耳に水のようで、とても驚いていらっしゃったわ」


 それが本当なら、とうとう、殿下も年貢の納め時、ですわね、と言を続ける母様の言葉は耳を通り過ぎていきました。


 理由? そんなもの、目の前の御仁たちと、セレナの顔色が……ではなくて、その表情がものすご~く、恐ろしいに決まっているからです!




 ☆




「……知っていたか? シャリアン」


「初耳、ですね」


「火の無い所に煙は立たぬ、と申します。その噂、誰が吹聴したのか非常に興味はありますね」


「お兄様も、シャリアン様も、魔法師様も何をのんきに構えていらっしゃるのですか!」


「セレナ、大丈夫だって、その候補にイリアーナは入っていないから」


「あら、そうなのですか? カイレム様。なら、安心―――ではありませんわ! あのお方のことですもの、きっと何か企んでいらっしゃるに違いありません!」


 何を皆さん憤っているのでしょう?

 王太子殿下が、婚約者候補を伴って夜会に出席する、というだけですわよね? 良いことではないのですか? 殿下は、いまだ婚約者はいらっしゃいませんもの。


 おそらく、セレナがディレム様と正式に婚約を結ぶ前にご自身の婚約者を決められるのだと、私は思うのですが、違うのですか?


 それにしても―――


 王太子殿下の婚約者候補……ですか。

 いったいどのような御令嬢なのでしょう? 

 ゲームには、そのような御令嬢は一切関わってきませんでしたから、私には未知の世界、ですわね。

 

 それに、王太子殿下って、あのお方ですわよね? 春に私が倒れた時に側におられた……? ああ、きっとそうですわ。まだ正式にお会いしたことがありませんで、今度の夜会でお会いしたら、きちんとお礼申し上げなければいけませんわね。兄上様たちに紹介して頂い……て? って、なに!? なに、この秋風を通り越し真冬の冷たさ並みの冷気が漂っていそうなこの雰囲気はっ!


 思わず戦々恐々とあたりを見渡せば、何やら不敵な笑みを浮かべる一の兄上様と目が合ってしまいました。

 

「同感だね、セレナ。この私も知らない事項だからね。殿下が何を思って婚約者候補を伴うと宣言したのかは知らないが……? 候補?」


「どうした、シャリアン?」


「いや、今思い出したことがあるんだが……その候補の中に、なぜか件の娘がいた―――」


 ………っ!


 うそっ~~~!


 ヒロインが王太子殿下の婚約者候補!? 


 そんなのゲームの何処にもありませんでしたわよ! って、もしかして、私が知らないだけ? って待って待って! まだ婚約者になる、と決まったわけではありませんわ。ましてや伯爵家は問題を起こしたばかり、きっと何かの間違いですわ。ええ、きっとそうです!




 ☆




「……これがあの娘が言っていた計画、なのか? いや、まさか……な」


 未だ見ぬ姿なきヒロインへと思考をめぐらし、あまりに自分が知るゲームとの違いに動揺していた私は、一の兄上様が呟いていた言葉を不覚にも聞き逃しておりました。




 それが……その言葉が、私の知らないゲームのエンディング……いいえ、ヒロインが目指すエンディングを知る、たった一つの情報だとも知らずに――――


 




読んでくださってありがとうございます!

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