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15. 魔に染まった者

 



 ここに攫われて来てから、いったいどれだけの時間が過ぎたのでしょうか? まだお腹が空いていない、という事は、それほど時間が経っていないようにも感じますが……。


 まさか、初めての街探索でこんな目に遭うなど予想も出来ませんでしたわ。

兄上様方から、魔に染まった者が潜伏している、とは聞いていましたが……私自身がその被害に遭うなど思ってもみませんでした。


 本当に迂闊でしたわね……。異変に気づいていながら敵の手に落ちるなど、あまりにも情けないですわ。


 その敵こと少年は、私を気にしながらもしきりに外の様子を窺っております。

 仲間を待っているのか、それとも……ゼンとルキトがここに来ることを危惧しているのかは分かりませんが、辺りを警戒しながら爪を噛む少年の仕種が、どこか落ち着きなく見えるのです。


 少年は、助けは来ない、と言っておりましたわよね? なら、私の救出を気にしているのではないのでしょうか?


「まだ来ないのかな。早くしないと……」


 焦っている…?


 イライラと呟かれる言葉は、いったい誰に向けた言葉なのでしょう? まさか、少年に私を攫うよう命じた相手が来るの?


 ―――ゾクッ!


 なに? この身の毛がよだつような悪寒は…?


 突然背筋に走る冷たい感触、わけもなく震える体。

 なぜなのでしょう? ただ私を攫うよう命じた相手の事を考えただけなのに、無性に怖い……と思ってしまったのです。


 少年には危機感さえ抱かなかったのに……。


 そう、危機感を抱かず油断していたからこそ攫われたのですが、それにしても、どうして私は少年を警戒しなかったのでしょう?

 

 今思い返せば、私は攫われてから今まで、この少年に怖さを一片たりとも感じてはいないのです。一つに、少年の私に対する扱いが丁寧だった、と言うのもあるかもしれませんが……それだけでは危機感を抱かない理由にはなりませんもの。     

 少年は私を攫った本人で間違いありませんし、むしろ攫うよう命じられてこの後誰かに引き渡すと言っているのですから、それは明らかに私に害を成そうとしているはずなのに…どうして私は、この少年に嫌悪を抱いていないのでしょう? 


「どうしたの? お姉ちゃん」


 首を傾げる私を、少年はどこか怪訝そうに見ておられます。


「なんでもありませんわ」


 たまに見せる少年の邪気のない笑みの所為なのでしょうか? 

 いいえ、それだけではありませんわね。どうこうという理由などないのですが、ただ、こう思うのです。


 本当にこの少年は、悪事に手を染めているのでしょうか―――と。


 訊いても、きっと少年は答えてくれないでしょう。

 言えない―――少年はしきりにそう繰り返しておりましたもの。


 言えないのにもわけがある、とは思いますが、私には少年の真意を確かめる術がありません。今の状態で少年を味方と言い切ることも出来ない。私が少年に攫われたのは、紛れもなく事実なのだから……。


 何はともあれ、全ては無防備に少年に手を伸ばした私の責任ですわね。


 何気に天井を見上げると、先ほどよりも雨が強くなっているのか雨漏りが更に酷くなっております。

 

 この様子だと、外はもっとひどい雨ですわよね。ゼンとルキトは大丈夫なのでしょうか…? 二人の事ですから闇雲に探しているわけではないのでしょうが、無茶をしていないか心配です。


 そんな事を言うと、ルキトには、攫われた私が言う事ではない、と怒られそうですわね。ゼンは何も言わず頭を撫でてくれそうですが……。


 護衛騎士の二人を思うと、自然と怖さが凪いで行くのが分かります。それと同時に、笑みが浮かぶのも……。


 大丈夫…きっと二人が助けてくださいますわ!

 それに―――兄上様たちも動いているはず。


 ええ、絶対に兄上様たちはすでにこの事を知っている、と断言できます。兄上様たちが、私の動向を知らないはずはありませんもの。

 なぜかって?

 それは、いくらゼンとルキトを信頼しているとは言っても、街に魔に染まった者がいると知っていて、簡単に外出の許可など出す訳がありませんもの。


 それに、あの時――外出許可を頂いた家族会議の時――の一の兄上様は何か企んでいらっしゃった。その時の楽しそうに笑みを浮かべる兄上様に戦々恐々としたのを覚えておりますわ。それがどういうものなのかは分かりませんが、おそらく私をどこかで見ているのではないのでしょうか? 


 まさか、攫われるのを見越していた、などとは思いませんが、一の兄上様の企てに碌なものがないのは確かですわね。楽しそうにしていたからこそ余計にそう思うのですが……。


 ともかく、現状は少年が側にいるから逃げ出すことは無理。せめて、ここに居る事だけでも外に伝えられたら良いのに……とは思いましたが、少年が神の力を具現させたら、いくら叫んでみたところで無意味なのですよね。


 どこか諦めにも似たため息をひとつ吐くと、外を気にしながらもちらちらと私の様子を窺う少年から視線を外すように、ゆっくりと目を閉じました。




 ☆




 どれだけそうしていたのでしょうか?

 雨音を聞きながら時をやり過ごしていた私の耳に、幾人もの話し声が聞こえてきました。

 気になって目を開けると、外に誰かいるのか、少年が何やら話し込んでおります。雨の音でその内容までは知り得ませんが、少年の顔が見る見る不機嫌になっていくのが目に映ります。


「…だから! まだ…………だよ!」


 声を荒げるかのように会話をする少年の様子は、見知った相手に対するもの。となれば、外にいるのは、少年の仲間、なのでしょうか? それにしては険悪なようですが……何かあったのでしょうか?


「じゃあ、しっかり見張っててよ!」


 そう叫ぶと少年は扉をバタンと閉めてしまいました。やはり外にいるのはお仲間のようですわね。

 少年は、ふう、と息を吐き出すと徐に天井を見上げました。


「―――様。早くしないと……が来ちゃうよ。僕、知らないよ」


 誰ともなしに呟く少年は、更に焦りを滲ませながら唇をかみしめておりました。


「どうなさったのですか?」


「うん? 何が?」


「…焦っているように見えますので」


「………お姉ちゃんの…気のせいだよ」


「気のせいとは思いませんが、わけを訊いても、きっと貴方は、言えない、としか言わないのでしょうね」


「うん、言えないよ。お姉ちゃん、良く分かってるね」


 そう言って無邪気な笑みを浮かべる少年が、ふと入り口に目を遣るとその表情を瞬時に強張らせました。


「……来た」


 小さく呟かれた言葉。

 少年は笑みを消し、睨みつけるように扉を凝視しております。


「誰……が―――っ!」


 やだ……なに……これ? ―――震えが…止まらない!


「あ……大丈夫? お姉ちゃん!」


 少年はあわてて蹲る私の側に跪くと、まるで労わるように震える私の肩を抱き締めてきました。


「誰…が、来るの…ですか?」


「それ…は―――!」


 言葉を途切れさせた少年は、突如、私を背後に庇うかのように前に立ちました。


「……ごめん、間に合わなかった。我慢してね、お姉ちゃん……」


「…何を……言って―――」


 ドンッ!


 申し訳なさそうに呟く少年の声と、扉が大きく開けられたのは同時。


 なっ―――! 


 叫びだしたい衝動を抑えるように口を両手で塞いだ私の目に飛び込んできたのは、開け放たれた扉からゆっくりと入ってくる―――紛う事無き……闇。


 ゆらりゆらりと歩を進めるそれは、私には、人の形を纏った闇の塊にしか見えませんでした。






「うまくいったか? ユコ」


 その闇の塊にしか見えない男は、少年――ユコに淡々とした口調で訊きながら室内に足を踏み入れてきました。


「……僕が失敗すると思う?」


「思わんが、念のためだ」


 感情のない声音。

 ユコの背に庇われた状態で見上げた男は、背が天井に届きそうなほど高く、ざっくばらんに切られた赤黒い髪と無精ひげで顔が覆われています。その巨体を覆うのは、闇に紛れるかのような真っ黒な外套。だからなのでしょう、男のその姿が、まるで闇を体現したかのように見えたのは……。

 男の髪と外套からは滴り落ちるように雨水が落ち、歩くたびにぴちゃぴちゃと不気味な水音が響きます。


「―――っ!」


 ――この男は、危険。近寄っては駄目!


「ユコ、そこを退け」


 目の前のユコを脇に押しやり、男がゆっくりと片膝をつけてしゃがみ込む。


「ほお…」


 髪の隙間から覗く焦点の合っていないような目を向けてくる男は、口元をにやりと歪ませて笑った。


「これはまた稀に見る上玉だなぁ~」


 駄目……逃げないと、逃げないと、駄目―――


 舌なめずりしながら顔を近づける男から逃れようと身をよじった私は、逃がさない、とでも言うように私の腕をつかむ男によって動きを封じられてしまいました。


「―――や…っ!」


「どうした? 逃げたいか? お嬢ちゃん」


 品定めをするかのようにゆっくりと私の顎に手をかける男は、私の顔を自らに向けさせるように上向かせました。

 その触れた手の冷たさにゾッといたしました。温もりが一切感じられないのです。


「…この娘ならあのお方もお喜びだろう。よくやったな、ユコ」


「先に見つけたのはお頭だよ? 僕は、ここに連れて来ただけだからね」


「クククッ、見つけた時は目を疑ったが、王都に来て早々こんな娘が手に入るとは、俺も運が良い。いや、あのお方の運が良いのか?」


「運の良さは分かったけど、早くあのお方に引き渡そうよ」


「まあ、そう焦るな。なんでか知らんが街に煩い奴らがいるからな。ここは慎重に行かないと……」


 卑下た笑いを浮かべながら私を舐めるように見る男から視線を逸らそうにも、男の力が強すぎてそれも叶いません。せめてもの抵抗は睨みつける事だけ。


「気丈だな~お嬢ちゃん。俺を前にしてまだ正気を保てるか? その気丈さがどれくらい持つか見ものだな」


「お頭、力を抑えないとお姉ちゃん気を失っちゃうよ。良いの?」


 ……力―――?


「気絶するならそれまでだ。神の力は俺の強さの証だ、なんで抑えなきゃならん」


 神の力? って、まさか……この男も神の力を使うことが出来るのですか? 


 少年と男の言葉に愕然と致しました。

 まさか、神の力を具現する者がもう一人いたなんて、それも、こんな恐怖を撒き散らす存在が―――っ!


 違う……。


 違いますわ……。


 ……私は、大きな思い違いをしておりました。


 魔に染まった者。その存在を私はずっと少年の事だと思っていた。でもそれはきっと違う。少年はまだ魔に染まってなどいない。はっきりとした根拠はないけれど、ずっと違和感はありましたわ。だって、私はいままで少年に怖さを一片も感じなかったのですもの。だから、おそらく間違ってはいない。


 ならば、本物の魔に染まった者は……この男。

 目の前のこの男こそ、兄上様たちが危惧していた、人ならざる力を自らの欲のために使い、人々から忌み嫌われ己が手を悪事に染めていく―――魔に染まった人ならざる者。


 


「どうしたお嬢ちゃん? 俺が何者か知って恐ろしいか? 気丈に睨みつける度胸はあるみたいだが身体が震えてるぞ? だが、そんなお嬢ちゃんを泣かせてみるのも一興。どれ、ひとつ味見させてもらうぞ、お嬢ちゃん。それくらいは俺らの特権だからな」


 なぞるように首筋に指を這わせる男は、にやりと笑うとその顔を近づけてきました。


「……っ! い…いや―――!」 


 こ……こんな男に触られるなんて、絶対に嫌です! お願い! 助けて! ゼン、ルキト―――兄上様!


 ピシッ! 


「え……?」


 まるで私の声に呼応するかのように部屋に入り込んできたのは、一筋の閃光。


 いったい、何が……? 


 閃光は、消えることなく次第に一つの小さな球体へと変化していきます。そして、それは急激に明るさを増し部屋全体を明るく照らしていったのです。


「何が起こってやがる……」


 急に明かりに照らされたことに驚いているのは、私だけではありませんでした。

 私の腕を掴んだままの男――魔に染まった者は、顔を上げると怪訝そうに辺りを見渡しています。


 この明かりはいったい…? 雷? でも、落ちた、という感じではありませんでしたわよね? それに、なぜ球体に変化したのでしょうか? 


 明かりの光源を探して顔を動かせば、ひとつの球体が紫電を纏わせふわふわと私のすぐ真上に浮いておりました。


「…これが、先ほどの?」


「触っちゃだめだ! 死んじゃうよ、お姉ちゃん!」


 興味本位に球体に手を伸ばす私の手を、ユコが掴んで止めました。


 触ると死んじゃう? この光が、それほど危険なのですか?


「これは、なんだ?」


「これは雷光だよ。雷神の力を凝縮した光の珠だ」


 雷神の力? って、これが…雷だというのですか?


「おまえの仕業か、ユコ?」


「僕じゃない…こんなこと、僕には出来ないもん」


 訝しげに問う男にユコは興奮気味にそう答えると、ふわふわ浮いている雷光を見つめながらその顔面に喜色を浮かべていました。


 自分が具現出来ない神の力なのでしょうか? その力を目の当たりにしてとても喜んでいる? だとすれば、これはいったい誰の……?


「…うん、僕には使えないけど―――様なら出来る」


「……? 今、なにを―――」




 バンッ!!




「無事か、イリアーナ嬢!」


 今なにを言いましたの? と問う私の言葉は、叩き壊す様に扉を開ける音にかき消されました。


「…え?」

 

 名を呼ばれた驚きと共に入り口に目を遣れば―――そこに居たのは『時知らせの宿』で出会った青年。


 なぜ…あの方がここに…?


「貴様……その汚い手を退けろ」


 思いもよらない相手の出現に驚いて目を見開く私を余所に、青年は、私の腕を掴む魔に染まった者を居殺さんばかりの視線で睨みつけておりました。


「はぁ?」


「何度も言わせるな。その汚い手で彼女に触れるな」


「なんだ? このお嬢ちゃんに触ってんのが気にいらないってか?」


 魔に染まった者は、青年を挑発するかのように私の頬に指を這わせてきました。

 ゆっくりとなぞる指使いに背筋に悪寒が走ります……。


 い…いやだ!  


「触れるなと言ったはずだ!」


 地を這うような青年の声と同時に私は何故か少年に手を引っ張られておりました。

 その一瞬の隙をついて青年が剣を一閃させ、何が起きたのか把握できないまま、気づいた時には私は青年の腕の中に抱きしめられていたのです。


 ―――今……何が起きたの?


「私の大切な宝に手を出したこと、死より重い罪と知れ」


 威嚇するように発せられる言葉。


 戸惑い困惑する私を片手で抱きしめながら立つ青年のその姿は、まるで、囚われの姫を救出する物語の騎士様のように凛々しくて―――私は高鳴る胸の鼓動を抑えることが出来ませんでした。


 




ありがとうございました。

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