2-22 微明
支部長ベルナールから監視の理由を聞き出した俺たちは、冒険者組合を後にした。既に時刻が夕刻ということもあり、アイラは家までお見送りだ。
どうやってムスターファに打診するか考えながら歩いている内に、彼女の家の前へ到着。居住区の西側に位置する彼女の家は、俺が宿泊する「ピレネー山の風景」から近い位置にあったらしい。
「着きましたっ! ロウおにーさん、ありがとうございました!」
「どういたしまして。俺はここの近くの宿に泊まっているから、明日の朝に迎えに行くよ。仕事のお手伝いがあるならまた別の日でも大丈夫だから、遠慮なく言ってね」
「いえ、明日で大丈夫です。よろしくお願いします!」
「はい、よろしく。それじゃあまた明日、おやすみー」
飛び跳ねて手を振る幼い少女に別れを告げ、来た道へと引き返し上層区へと向かう。
夕方の商業区は昼程の賑わいがないため、屋根伝いでなくてもスイスイと進む。この都市に慣れてきたこともあって、さほど時間をかけずにムスターファの屋敷へ到着した。
「おや、ロウ君? 何か忘れものでもあったかい?」
「こんばんは。実はムスターファさんかアルデスさんに、お伝えしたいことができまして」
「ふむ。ムスターファ様は今在宅ではないがアルデス殿は屋敷にいるはずだ。口頭で良ければ伝えておくが、お呼びすると時間が掛かるかもしれない。どうする?」
「出来れば会ってお話したいので、申し訳ないですが、アルデスさんをお呼びしてもらってもいいですか? もちろん、アルデスさんの用件が済んでからで大丈夫です。緊急の要件というわけでもありませんから」
門兵に取り次いでほしい旨を伝えると、例の如く客間へと案内される。
魔力操作の技術を磨いたり、曲刀たちと室内の調度品について議論したりと、案内された部屋で時間を潰すこと三十分。
「お待たせしてしまい申し訳ありません、ロウ様」
ノック音と共に、初老の執事アルデスが入室した。途中何度かお茶菓子が運ばれてきたが、彼の到着は相当遅め。忙しい時間帯に来てしまったのだろう。悪いことをしてしまった。
「いえ、こちらこそ約束もなしに突然訪ねてしまい申し訳ないです。実は明日のヤームルさんの指導の件で少しお話がありまして」
「明日の訓練の件ですか? ロウ様のご都合が付きませんでしたか?」
「いえ、その点は大丈夫です。ただ、同行者というか、共に指導を受けさせたい者がいまして、出来れば同行を許可していただきたいと思い、この場に参りました」
「そういうことだったのですね。ロウ様のお知り合いならば滅多なことはないと思いますが、念のためにどういった方かご教示いただけませんか?」
流石に無条件にとはいかないらしい。組合からの帰路で、予めアイラからいろいろ聞いていてよかったぜ。
「その子は俺と同じ精霊使いです。契約しているのは火の精霊ですが、瞬きするほどの時間で大人の身長ほどもある大きな火の玉を創り出す技量と魔力を持っています。ヤームルさんとは違って体術指導ではないですが、とても優秀な子で、ヤームルさんにも良い刺激になるかと考えています」
「……精霊使いの方ですか。ロウ様が推すならば相当な腕前なのでしょうね。分かりました。明日の朝、そのお連れ様とご一緒においでください」
「ご許可いただき、ありがとうございます」
許可が得られたなら、次は打ち合わせだ。
明日以降の予定やヤームルの指導方法、訓練場所の下見など。力加減について何度も念押しされ、すっかり日が暮れてしまったところで、ムスターファ邸を後にした。
宿への帰り道。
街路の暗がりにいた大人の掌程もある砂色の蠍に驚きつつ、街路灯がぼんやりと照らす大通りを進んでいると、サルガスが藪から棒に語りだす。
(アルデスとの会話を眺めていて思ったが、冒険者組合支部長との対応の差が凄かったな。鬱憤が溜まっていたのは知っているが、それにしたって中々雑な対応だったぞ)
「そりゃぁまあ、アルデスさんたちは貴重な取引先だからな。ベルナールにも冒険者としての身分を考えれば丁寧に対応すべきだったんだけど、どうもな。影でこちらを監視してたり、話が迂遠でまどろっこしかったり……何より、アイラの前で怒鳴り散らしたのが決定的だったかな。謝罪すべき相手を怯えさせるような輩に、礼儀なんぞ要らん」
(おお、怒りの波動が。ロウが怒っているのを見るのは初めてなのです)
(そういうことだったのか。フフッ、お前さん、やっぱり子供には大甘だな)
何を思ってか、微笑ましいものを見た様な雰囲気を滲ませる曲刀たちである。子供のケアなんぞ当然だろうに。
俺は曲刀たちの反応に首を傾げながらも、街灯の薄明かりが幻想的な大通りを抜け、宿のある居住区へ急ぐのだった。
◇◆◇◆
ボルドーへ到着してから四日目、まだ日も昇らぬ早朝。
人目のない事を確認してから防音魔法を施し、街路で前世の日課だった套路を行っていく。
「哈ッ!──哼ッ!──咿呀ッ! ……」
──今もなおこうして套路を続ける理由は、幾つかある。
それは護身のためであったり、身体の感覚を馴染ませるためであったり、つい前世までの癖だったりと様々だが……。それらの中でも一番大きな割合を占めるものは、俺が中島太郎であったことを忘れないためであるように思う。
肉体は全くの異質。精神もロウと混ざり合ったからか、別人のように好戦的に。
もはや自身の記憶の中にしか中島太郎は存在しないのではないか。
そう思うと、自分が塗り替えられるようで堪らなく怖くなる時がある。
その恐怖を払拭するためにも一心不乱に身体を動かし型を反復し、偏執的とさえ言えるほどに套路へのめり込んでいく。
この世界には無い戦闘技術が、確かに今ここに在るのだと証明するように。
そして、かつてその技術を学んだ中島太郎という人間がいたのだと証明するように……。
結果として、わずか数日で前世の動きよりも深く重く鋭く、格段に技が研ぎ澄まされていくのも……なんとも皮肉なことだった。
指導してくれる師も、互いに切磋琢磨し技を磨く友も、既にいないというのに。
「……」
きっとこの世界に迷い込むことがなく、大学生、社会人として漫然と生きていたら、この数日間の内に到達した域へは生涯至ることがなかっただろう。
老子道徳経で言うところの“微明”。道を究めんと欲すれば、まず道を捨てるべし、というやつか?
もっとも、幼少より積み上げた十年以上もの修練の時が無ければ、こうして師や教本の無い状態での自己鍛錬など行いようがなかっただろうが。
そういった意味では、生前に雑念を抱きながらも続けた武術の鍛錬は、死を経ることである種実を結んだのだと言えるのかもしれない。
人生、どこで何が役立つか分からないものだ。
「──殪呀ッ! ……あ」
──あ、やべッ!? 余計なこと考えてたら震脚で石畳がぶっ壊れた。人が来る前に修復せねば……。
「街路で套路をやるのも耐久度的に難ありだな。どこか良い練習場所があればいいんだけど」
良い場所がないかと頭を捻るが、特に妙案が浮かぶようなこともなく。破壊した街路を魔法で修復して本日の鍛錬は終了。部屋に帰って朝風呂タイムに突入だ。
人目が無いので転移で自室までひとっ飛び。ビバ空間魔法の無駄遣い!
(うおッ!? ……なんだロウか。いきなり転移してくるなよ。人がいたら誤魔化しようがないぞ?)
室内へ転移するとサルガスからのクレームを頂く。そうはいってもこの時間帯じゃ従業員が部屋にくることもないし、居るとしても泥棒くらいだ。
仮に泥棒ながいたらば、ちょっと怖い思いをしてもらって何処かへ放逐すれば問題ない。ガハハ。
(おはようございます、ロウ。毎朝精が出ますね)
こちらはいつも通りの反応のギルタブ。出来る女性は細かいことに頓着しない故だろう。
「おはようさん。今日はムスターファさんの屋敷に行くから、二人にとっては暇になるかもだな」
(私はロウを見ているだけで楽しいので大丈夫ですよ。それに何某かのトラブルが起きないとも限りませんから)
(見ていて飽きないのは確かに同感だな。ただ、そろそろ俺を武器として振るってもらいたいところだ。大体素手か魔法か、使ってもギルタブじゃないか)
「武器を使うのは魔物と対峙するときばかりだからなあ。で、魔物と戦う時は片手で振り回してより殺傷力のあるギルタブを使うと。サルガスは武器を両手で持たざるを得ないような状況でしか使わないかなあ」
(どんな状況だ? それ)
「ギルタブで斬れないような硬い相手とか、片手で捌ききれないような力、技量、手数をもつ相手とか。あの異形の魔物はギルタブで応戦したけど、本当ならサルガスで両手を使って振り切ってたら、もっと楽にぶった斬れてたはずだ。最初の居合の後、持ち替える暇がなかったけどな」
服を脱ぎすっぽんぽんになりながら、サルガスへと説明を行う。
いくら黒刀の切れ味が銀刀以上でも、サーベルのように片手でしか持てなければ、その真なる切れ味を引き出せない。ひとえに俺の技量不足ゆえだが。
柄の長いサルガスであれば両手で持てるため、あらゆる物理法則の基本、てこの原理による強力なアドバンテージを得ることができる。それより何より、俺が前世において道場で叩き込まれた剣道が生きる。扱いが慣れているのは断然こちらなのだ。
(むぅ。しかし、ロウが熟練し私を使いこなせるようになれば事足りることです)
「妙な対抗心燃やすなって。お互い利点があるんだから」
当たり障りのない宥め方だが実際そうなのだから仕方がない。適当に話題を反らした後は、本来の目的であった入浴のために浴室へと退避する。戦略的撤退だ。
早速水魔法で水を浴び液体石鹸で全身泡まみれとなった後、水魔法で浴槽にお湯を満たしながら特大水球を創り出し、それへと突入し一気に身体を洗浄。ついでに水球を回転させ洗濯機の如く身体を洗っていく。ごぼごぼ。
水球の浮遊状態を解除し滝の落下音にも似た音を浴室に響かせれば、待ちに待った入浴タイムだ。
嗚呼、俺はこの一瞬のために生きている。
「とうッ!」
浴槽へ突撃ッ! 着水ッ! 気持ちいいッ!
「ふぃ~……」
湯船でだらけ昨日の疲れと朝の鍛錬の凝りを溶かし出した後は、サクッと浴室を後にする。
名残惜しいが長風呂は肉体と精神どちらにも毒となるのだ。
そうやって全裸で浴室から戻ってくると、宿の主人タリクの息子──ウルグと遭遇した。
縦幅も横幅も大きい彼は、俺の裸体を見て挙動不審になりながらも食事の準備が出来たことを告げ、そそくさと部屋から出ていった。生娘じゃあるまいし、妙な反応だ。
(いきなり真っ裸の客と遭遇すりゃ驚こうものよ)
銀刀からの念話にそれもそうかと納得しつつ、身だしなみを整える。周囲に衛星の如く火の玉を浮かべ髪を乾かし、服装をチェック。今日もバッチリだぜ。
ナルシスト気味の身だしなみ確認が終わり朝食へ。
今日は食前酒とシンプルなパスタのような麺類、オーク肉のスペアリブ、そしてサラダ。
俺の食べっぷりをよく理解しているのか、配膳された量はとても多い。
ちらりと厨房を覗いてみると、料理人が良い笑顔で親指を立てサムズアップをしている。
地球でも地方によっては侮蔑の意味もあるとか誰かが言っていた気がしたが、ここ異世界では肯定的な意味のようだ。
視線を目の前へと戻す。既に身体強化は完了している。
それでは実食。いただきます。
まずは食前酒を軽く呷る。口当たりの良い、ほのかに苦みを感じるこの酒はとても飲みやすく、つい食事を忘れて飲んでしまいそうな味わいだ。つーか普通に酒飲んでるけど、子供が飲んで良いのだろうか……?
アルコールにより意識がシャキッ! っと張りなおされた後は、まずはジャブだとパスタっぽいものへと手を伸ばす。
手づかみで麺を食らう。塩味と辛みが効いた味付けは見事な調和を奏でている。そうそうこれだよこれ。っというかペペロンチーノ亜種みたいな味だ。
つまりは旨い。ドンドンと手が進む。そのまま止まることなく平らげる。
麺類に舌鼓を打った後は、あばら骨を豪快に掴みスペアリブを噛み千切る。
弾ける肉感、あふれ出す肉汁、溶ける脂身。三位一体はここに在り。骨を残すなど勿体ないと魔力で強化した顎にて砕き食らう。
時折サラダで口直しをしつつ、欠片も残さずぺろりと完食。
料理人たちは嬉しそうに見ていたが、新規の宿泊客たちは珍妙なものを目撃したという表情でこちらを眺めていた。食事だけでこれだけ注目を集めるとなると、パフォーマーとして生きていけそうな気もしてくる。職に困ったら検討してみるのも良いかもしれない。
布巾で手を拭い、骨片たりとも残っていない皿を見回し、最後に残っていた酒を飲み干し食事を締める。実に良きひと時だった。
部屋へと戻り再度身だしなみを確認。いつも豪快な食事をしているため服が汚れないか不安だったりするが、汚れはないようだ。
日本と違って手づかみの料理が多いのがこの世界。食事の時は汚れてもいい服装で行くべきか?
服装についてもやもや考えつつ確認完了。結局のところ動きやすさ重視にすることにした。ムスターファ家で指導するときに服装が浮いていれば、次の日からはフォーマルな服装としよう。
「準備万端ってね。それじゃあ行くか」
朝風呂ヨシ、朝食ヨシ。身だしなみもヨシ。さあ、今日も頑張りますかね!





