8-31 束の間の安寧
どこか懐かしき草の海。
春風にそよぐ緑の中、誰憚ることなく大の字となる黒髪で褐色なナイスガイに、その男を膝枕する茶髪の女性。
男女ともに見覚えがある。いつか見た魔神レオナールに、俺の母親ローラだ。
いずれも故人……つまり、これは夢だろう。
レオナールの容姿は前見た時と変わらないが、母親は俺の知る姿より随分と若く、可愛らしい。目元をゆるめ柔らかく微笑む表情は、正しく恋する乙女と言った可憐さである。
これも子の欲目なのだろうか──などと夢を真面目に考察していると、にこにこ笑顔のローラが開口した。
「珍しいねえ? こんな短期間にレオ君が顔見せてくれるのって。もしかして、心配してくれてる?」
「当然するとも。子をなすのは私も初めてなのだ。ましてや君は人間族だろう? 一体どれほどの負担がかかるのか、想像もつかない」
「大丈夫よ。しっかり育ってるもの。ほら、触ってみて」
そう言いつつ、彼女はレオナールの大きくしなやかな手を自身のお腹へ導く。
ゆったりとした服からは判別できなかったが、ローラは身ごもっているようだ。多分、いや間違いなく俺だろう。
「……魔の鼓動を感じる。それも、大きく。交われば薄まるかと思ったが、私の血が濃いようだ」
「もうっ。そういうことじゃなくって。ちゃんと成長してるでしょー? あっ、今蹴ってきたねー」
「そのようだ。しかし母体であるローラを蹴るとは、我が子ながらふてぶてしい。股から出てきた時には確と教育しなければな」
「股って……はぁ~。レオ君、そういうところ本当ズレてるよねえ」
等々、人目がないのをいいことに、膝枕状態でべたべたいちゃつく我が両親。
なんだか見ているこっちが小恥ずかしくなってくるんですけど?
なんとなしに視線を逸らし、草原へと目を向ける。
背の低い草花に飛び交う羽虫、空を翔け存分に鳴く鳥たち。夢だから当たり前のような気もするが、既視感しかない光景だ。
見覚えのある生物相と遠方に見える森林から察するに、ここは俺の故郷──交易都市リマージュの郊外なのだろう。絵に描いたように長閑な景色である。
「──ねえねえ。この子の名前、どうしよっか? レオ君何か考えてる?」
「アガレス……マルバス……いや、らしすぎるか。君は何か考えているか?」
格好いい名前が幾つか挙がるが、彼は命名センスに自信がないらしい。自信があればロウの名前じゃなかったんだろうか? 何とも言えない不思議な気分だ。
「そうだねえ。ローラとレオナールの子だから、ロールかロウでいいんじゃない? 女の子ならロールで、男の子ならロウで!」
「随分とありふれている名だが。何か由来のあるものなのか?」
「無いよ? ローラとレオナールってだけ」
「それでいいのか……?」
怪訝な面持ちで俺の気持ちを代弁してくれる、影の魔神ことレオナール。びっくりするほど適当な命名秘話である。
「こういうのは特別でなくたっていいんだよー。呼んで触れ合ってる内に、特別で大切な名前になっていくんだから!」
「なるほど。流石はローラだ。君の言葉には不思議な説得力がある」
渾身のどや顔の前に深く頷く我が父君。
フォカロルの生みの親だけあってチョロすぎる。母さんは絶対なんも考えていないって!
「ロウかロールか。どちらにしてもこの子は強大な力を持って生まれる。混ざり合っているとはいえ、魔神の体と魔神の魔力。人の世で生きるには過ぎたる力だ」
「そうだねえ。いつでもどこでも魔法でふわっと顕れて、やることだけやって帰ってく。魔神様の常識は人の世界じゃ考えられないよ」
レオナールの頬を指先で撫でつつ口角を上げ、ローラは唐突に下ネタをぶち込んだ。
なにやら彼女は絶対者たる魔神を弄りたくなったらしい。
どっこい、褐色ナイスガイも然る者。
俺であれば動揺確実な振りにも、切れ味鋭く言葉を返す。
「子供が欲しいと言ったのは君だろう? 私は君の意に沿えるよう合間を見つけて励んだのだ。むしろ君、見つかるかもしれない状況で頬を染め、常より私を求めてきただろうに」
「あ゛ーっ! そういうこと言っちゃうんだ。レオ君だって『興味ありませーん』みたいな顔してたのに、顕れた時からすぐ始められるくらいに──」
とかいう、生みの親たちの生々しい会話が眼前で繰り広げられる。
何の責め苦ですか?
「──話が逸れてきたか。この子は人の世で暮らしていく。ならば、力は小さくしておいた方が馴染みやすい。私の力で人の枠を外れないよう封印しておこう」
「うん、おねがーい。……でも、レオ君の封印かあ。加減間違えちゃいそうな気がひしひしとするねえ」
「フッ。私の力を疑うのは君くらいのものだよ、ローラ」
などと供述するレオナール氏だが、俺の力はバッチリ人の域から外れていた。転生する前ですらそうだったのだから、今現在は言うまでもない。
というより、俺に掛けられていたこの封印は、激闘の中で解けていったのだろう。エスリウやヴリトラと殺りあった後、枷が外れたように力が湧いてきたし。
そうやって様々な驚愕の事実が判明したところで、視界と意識が遠のき始めた。
名残惜しさを感じながら、俺は会うことのできない両親へ別れを告げたのだった。
◇◆◇◆
微睡む意識にしみ込む、ふわりと香る爽やかな風。
その芳香に安らぎを覚えながら、瞼を開ければ──。
〈起きましたか、ロウ。心配しましたよ〉
──闇夜に銀糸を輝かせる、絶世の美少女が顔を覗き込んでいた。
真っ暗闇の森の中、真っ裸の膝枕で。
「……あれ。イル? 死んだはずじゃ……って、まさか死後の世界? 俺も死んじまったのか。夢って死んでても見るんだなあ」
〈何を寝ぼけているんですか。しっかり生きていますよ。そもそも仮に死後の世界ならば、わたしとロウが同じ領域にいるはずがないでしょう? 神と魔神ですよ〉
「それもそっすねー。無事だったんならなんでもいいか。……けど、どういう状況ですか、これ。何故にそんなスケベな恰好?」
炭化炎上氷結していたはずのイルマタルをまじまじ見みれば、完全な裸というわけではなかった。
胸元や局部には輝く銀毛が覆うように生えているし、手首足首には複雑な紋様が彫られた金の装身具が光る。
大変スケベだが裸ではない。誠に遺憾である。
〈ふふっ、真っ先に確認することがわたしの状態に関してですか。ロウらしい〉
「おわッ。どうしたんですか、急に。頭が揺れるー」
膝枕のままわしゃわしゃと頭を撫でてくる妖精神。
どうやらご機嫌らしいが、そげんえっちい格好のままスキンシップせんでも……。
〈ふふふっ。ロウがわたしのために怒っていたことを思い出しまして。……煌々と輝く溶岩のような、熱く滾る怒気。のらりくらりとして掴みどころのないあなたとは、全く結びつかない姿でした。衝撃的でもあり、嬉しくもありましたよ〉
わしゃわしゃモードから一転、今度は両の手の平で顔を包み込んできた。顔も身体も近いため、色々触れちゃいそうである。
(──……はっ!? ロウっ! ご無事ですか!?)
「うひゃぁッ!?」
〈あいたっ!?〉
そんな甘い空気を吹き飛ばす、大質量の物体同士が高速度で衝突したかの如き鈍い音。
俺とイルのおでこがごっちんして奏でられた重低音である。
おのれギルタブめ。俺と美少女の雰囲気を切り裂くことに関して、彼女の右に出る者はいない。意識を失っていても妨害することを忘れないとは、脱帽ものの精神だ。
〈あいたた……。もう、何をするんですかっ〉
「おごご……失礼しました。ちょっとびっくりしたもんで、つい」
曲刀の念話をキャッチして飛び起きたなどと言えず、うやむやに返答。本当に申し訳ない。
(妖精神……死んだものと思っていましたが、健在だったんですね。というか、裸っ!? ロウ! 今すぐ目を瞑って、見るの禁止です!)
(なん……ん? ッ! ロウ、無事かッ!?)
(はいはい無事ですよー。今からイルに状況を聞くから、少し念話は控えてくれよな)
相棒其之二も起床してやかましさが加速し始めたので、説明を放棄。額を押さえむくれている美少女にお伺いを立てる。
「周囲にあいつらの気配がありませんし、墳墓から離れたってことは分かるんですけど。ここって帝都の市街ですよね?」
〈ええ。都市中央から南へ移動しています。空間魔法が使えない中バエルの追撃を振り切るのは中々に骨でしたよ。ましてや、ロウを担いでいましたからね〉
俺がやられそうになったところを救出してくれたイルだが、執拗な追撃を受けたようだ。
常であれば小指で払えるゴーレムであっても、消耗した身で足手まといもセットであれば話が変わる。空間魔法も封じられたとなれば、確かに逃げるも一苦労だろう。
……と、そういえば。
「空間魔法が使えないって、そういう呪いみたいなのかけられたんですか?」
〈いえ、どうやら都市全体に結界が張られたようで。あなたも試してみなさいな〉
言われて試せば確かに不発。なにやら構築が阻害され、魔力が霧散してしまう。
他はどうだと水に土、火、風、回復と順に試していくが、こちらは問題なく構築可能。空間魔法にのみ作用する結界、ということだろうか。
「げッ。これだとあいつらの様子見に行けないってことか? 不味いな……」
異空間に匿っているウィルムたち。彼女たちも上位者だから滅多なことでは死なないだろうが、万が一ということもある。できれば治療しておきたかったが……。
〈そうなると、戦力が大幅に減ってしまいますか〉
「それもそうですし、あいつら怪我してるんですよね。ん~……“虚無”を使ってみるか?」
あらゆるものを曖昧とする虚無なれば、結界の作用も中和できるかもしれない──。
そんな考えのもと、腕を半降魔状態へと移行。黒く艶めく真紅の魔力を、何物をも呑み込む漆黒へと変えていく。
じわりと広がった漆黒の中に白い門を思い描き、念じれば──霞んだ白が浮かび上がる。不安定ながらも成功したようだ。
「すぐ消えちゃいそうですけど、成功は成功ですね。イルも来ます? 待っててもらうのも悪いですし、中なら安心して休めますよ」
〈……ふぅ。あなたはどうしてこうも非常識なのでしょうか。休みますとも、ええ〉
柔らかな太ももから上体を起こせば、いきなりの非常識呼ばわりである。
「便利ですからねえ俺の権能。とはいえ、万能ってわけでもないです。門も長持ちしそうにないですから、早く中に入っちゃいましょう」
〈はぁ。そう急かさないの〉
風魔法で身体についた汚れを落とす美少女を連れ、黒い靄に浮かぶ白き門を潜る。
視界に一杯に広がる白の空間は、相も変わらず清浄そのもの。ボロボロに消耗した俺の状態とはてんで無関係だ。
その白色の中で際立つのは赤い染み。
「……!」
すぐさま近寄り確認すれば、見るも無惨。
肩口から腰部にかけてざっくり分かたれた象牙色の少女に、胴体をプレス機で加圧されたかの如く扁平となる美女。そして、天を仰ぎ白煙を上げる、異臭放つ焦げだらけ裂傷だらけの美女。
人であれば確実に死んでいる傷を負った仲間たち。
脳裏をよぎるのは、この惨状の原因たる大英雄。
……あのクソ野郎。絶対に叩きのめす。
〈ウィルムの治療はわたしが。ロウはそちらの方々を〉
「はい。お願いします、イル」
己の甘さを悔いる間もなく、清明なる美声で指示が飛ぶ。
後悔なんぞいつでもできるが、今この治療は手遅れにならんとも限らない。集中しよう。
血の泡を吹くニグラスに、「魔眼」の力で生命活動を維持するエスリウ。彼女たちが健やかである様を思い描き、回復魔法を構築していく。
「ぅっ……ん……」
「がは……」
ほっそりとした肢体の美女(ただし凸も凹も無し)と、蠱惑的な体つきの美少女。いずれも素っ裸を拝んでいるため、あるべき姿を想像するのは容易いことだ。
筋骨が生え、血管神経が巡り、臓器が形作られる──。そんな超早回しの再生劇を見届けること十数秒。彼女たちの治療が完了した。
胸は上下しているし魔力も安定。無事と見て良いだろう。
ウィルムの治療状況を覗き見れば、火傷痕と焦げた皮膚が癒えていく姿が目に入る。あちらもつつがなく治療が進んでいるようだ。
「ふう……。とりあえず一安心、か」
服をしまってある石の砦に移動し、着替えながらほっと一息。
(治療は無事に終わったが、あまりここで長居するのも得策じゃあないぞ。大英雄と魔神が大暴れしたんだ、ドレイクやフォカロルが黙っているとも思えん)
(ロウの空間は外と時間の流れも異なっていますからね。その意味でも長居は禁物なのです)
「だなー。ちょっと眠ろうかと思ってたけど、やめとこう」
相棒たちの助言を受け入れつつ、寝ている仲間たちが着るものを見繕っていく。
下着……サイズ分かんねえ。
紐で調整できるし、少し大きめのを持っていけば問題ないか。キャミソールっぽい肌着も合わせて持っていこう。い、色々着せてみたいだけなんてことは、ないんだからね!
上衣……俺こんなに買ったっけ? と思うほど種類が多い。
ドレスっぽいものにシャツワンピース風なもの、淡黄色のブラウスと適当に選び取る。イルもほぼ裸だし、彼女にもワンピースを選んでおくか。
下衣……こちらもやはり数がある。
その中からシンプルなパンツとロングスカートを選出した。上衣と組み合わせやすかろう灰白色に薄茶色。この無難な配色であれば悪くはなるまい。着合わせを考えるなんぞ俺には難度が高すぎる。
(ロウって最初の内は勢いが続きますけど、後になってくると適当さが前面に出てきますよね)
(飽きっぽいというか面倒臭がりというか。続かないものはとんと続かないよな、お前さん。まあ今回の場合は、最初から適当な感があったがな。ククク)
「知らない分野のことを考えてると思考が鈍っていくんだよ」
曲刀たちに茶化されながらも服選びが完了。
服の山を抱えた俺は、イルマタルの下へ急ぐのだった。





