番外編 亡き母のグランドピアノ
※ 2025/11/9 タイトル変更&本文修正済み
◇ ◇ ◇ ◇
ウェンディと結婚して変わったのは僕自身だ──。
結婚してから、実家にあったグランドピアノを新居に引き取った。
元々祖母の代からあったピアノで既に50年以上経過していたため、ダンパーペダルや鍵盤が壊れて修理が必要となった。
父も祖父もピアノは弾けない。
弾けたのは祖母と母と僕だけだった。
ある時、外国の要人での護衛場所が実家付近だったので、仕事を終えた僕は久々に実家に泊まった。
その日、父から壊れたピアノを処分すると聞いて凄く反対した。
「だが、カール。このピアノはもうボロボロだ。うちでは誰も弾かない。壊れたグランドピアノなんて、嵩張るだけで邪魔なだけだ。捨てる以外ないだろう」
と父上が当然のようにいう。
「ならば父上僕が貰いますよ。お祖母様と母様が愛した大切なピアノです。ピアノは丁寧に扱えば100年だって弾ける。このピアノは修理すればまだ十分に弾けますよ」
「おお、忘れておった! お前も若い頃は母親とよく連弾しておったな」
祖父はだいぶもうろくしてきたのか、僕をじじい扱いしている。
「お言葉ですがお祖父様、僕はまだ20代半ばです、新婚ほやほやですよ!」
「お、そうじゃったな」
「もうわかったカール、好きなだけ持って行け。だがカール、運賃はお前持ちだからな!」
と祖父の横にいいた父上は僕らの話に割り込んできた。
「……分かりました」
──けっ、相変わらずごうつくばりの父上だ。
そういえば、ふたりからの結婚祝いも曾祖父の古びた金時計の置き物1つだった。
自分達はびた一文も払う気すらない。
まだ叔母上から頂いた東洋のシルクの織物絨毯の方が数倍マシだ。
◇
ここまで僕が実家のピアノの処分に猛反対したのは、幼少時に母との絆があるピアノだったからだ。
伯爵家に嫁いだ祖母が嫁入り道具のひとつとして持ってきたグランドピアノ。
祖母も母も音楽をこよなく愛していた貴婦人だったが、残念ながらマンスフィールド家の男連中は音楽に無頓着ばかりであった。
それでも祖母も母も幼い僕にピアノを教えてくれた。
母との思い出はあるが、祖母は僕が物心つく前に亡くなってしまって殆ど覚えていない。
「あなたのおばあ様は、それはソプラノの美しい声の持ち主だったのよ」
と、よく母が祖母がとても歌の上手な人だと話してくれた記憶は朧げながらあった。
僕はその夜、真夜中に目がさえてしまって実家の薄暗い2階の廊下を歩いていた。
廊下の壁には、代々伯爵家の家族の肖像の絵が飾ってあった。
それらの肖像画を久しぶりにぼんやりと眺めていたが、ふと1枚の絵に足が止まった。
その絵は祖母と隣には母が座っていた。
母の腕の中には1歳くらいだろうか、赤子の僕を抱いている3人の肖像画だった。
祖母と母はとても穏やかな微笑みをしていた。
画家の腕前がいいのか、被写体がいいのか写実的だが温かな懐かしい空気を纏う絵だった。
──こんな素敵な絵、前から飾ってあったっけ?
じっとその絵を眺めていると「カール、結婚おめでとう!」と祖母と母から祝福されてるみたいだった。
──うん、この絵は実にいい。
僕の部屋の書斎に飾りたい!
僕は即断で決めた──。
この絵を新居に飾って、ウェンディにも祖母と母を知ってもらおうと。
──お祖父様、お父様。悪いが古びた金時計よりも、この絵の方がよほど新婚祝いになります。
どうせ、2人は芸術音痴で絵の良しあしすら分からない。
一枚くらい無くなったって、どってことないさ。
僕は、黙ってその絵を取り外しボストンバックの中に丁寧に紙に包んで入れた。
その後、実家から失敬した絵のことで、何か文句をいわれるかと、内心ビクビクしたが一切連絡はなかった。




