裏・妖精と魔法使い 2
ローレスカへと侵攻してきたアミストラ。ハイデマリーから聞いた状況から察するに、かなりローレスカは追い詰められているらしい。その一部始終を、私の想像と推察を交えながら解説すると、大体こんな感じになると思う。
《エルネの死後から一年後。ローレスカ南部の荒野地帯》
これはあくまで私の想像だが、アミストラは当初、何故かローレスカの南部……そこは何も無い荒野から突如攻め込んできたとのこと。アミストラはローレスカの東に位置する隣国だ。しかし国境には険しい山々が連なり、一流のクライマーの集団でも無ければ踏破は難しいだろう。ましてや体力が絶望的な魔法使いや、銃火器を背負った軍人が超えれるわけがない。
ならばどうするか。もう海路を利用するしかない。アミストラの北部から海に出て、グルっと迂回してローレスカの北部か西部に上陸するのが一般的。しかしローレスカの北部には主に軍の領域だ。いきなりそこに上陸しようとしてもタコ殴りにされるのは目に見えている。なので普通は西部……なのだが、ローレスカとて相手が攻め込んで来そうな所を警戒するのは当然である。
そうか、だから南部からなのか……と言いたい所だが、いかんせん距離がありすぎる。グルっとローレスカの周りをほぼ一周する勢いで航海しようとすると、どんな強行軍をしようが、ひと月はかかる。
しかし事実としてアミストラは南の荒野地帯から侵略を始めた。そこなら軍を展開し拠点を築けるからだろうが、先程も言った通り距離がありすぎる。しかし何か忘れてはいないだろうか。そう、アミストラはローレスカと違って魔法という反則技が存在している。
まあ、私が反則技とか言うのも何だが、ローレスカには魔法の知識が乏しい。ローレスカ側から見れば、アミストラの魔法はまさに反則技だろう。
アミストラは恐らく、大規模な転移魔法で軍を移動させたのだ。言うのは簡単だが、中々にこれは大変な事。何せ軍隊を丸々……いや、流石に一気に転移させたわけじゃないよな……?
いやいや、まさかまさか……
※
《ローレスカ南部 ゼール荒野》
一人の魔法使いが荒野を彷徨っている。ブロンドの三つ編みに細かい刺繍の入ったローブ。その刺繍は見るからに貴族のような美しい模様を描いてある。その模様はあるものを囲むように。それは盃。
特徴的な器。基本的にワイングラスのような形だが、丸みは帯びていない。どちらかと言えば岩石で作ったかのようなゴツゴツとした、固い触感がするデザイン。それは魔法を意味するエンブレムであり、ローレスカではほぼ忘れられた物。
三つ編みの魔法使いは女。歳は二十歳程。彼女はアミストラの最大魔法派閥、イルベルサに所属する魔法使い。専門の研究は異界の生成である。
「綺麗……」
時は太陽が沈みかけている頃。夕日に照らされるゼール荒野。赤い大地に燃えるような空。自然が生み出す芸術は、魔法使いの心に浸透していく。しかしこれから、ここは戦場になる。他ならぬ、自分の手によって。
「お嬢さん、少しよろしいか?」
自然の芸術に心を奪われていた魔法使いの背後に、いつの間にか一人の軍人が立っていた。足音一つしなかった。魔法使いはゆっくりと振り向く。その軍人は白い髭を蓄えた老兵。
「アミストラの魔法使いか? 何故そんなこれ見よがしな格好をしているんだ。変装なりなんなりすればいいだろうに……」
溜息を吐きながら、老兵は拳銃を取り出し冷静に残弾を確認。
「捕まるのが目的ですから」
魔法使いも冷静にそう口にする。しかし老兵はふたたび溜息。
「それを聞いて、あら、そうですか。と素直に手錠をかけてもらえると思ったのか? あまり老人を虐めるな。まだ若いのに……こんな老いぼれに引き金を引かせないでくれ」
狙いは正確に。魔法使いの心臓へと銃口を向ける老兵。しかし魔法使いは焦る仕草は愚か、呼吸しているのかすら分からない程に微動だにしない。
「撃たないのですか?」
「まずは情報収集だ。ここで何をしている」
「……話すと長くなるのですが……」
老人は魔法使いの脅威を知っていた。魔法が廃れたローレスカで、彼のような存在は貴重だろう。
そして魔法使いの話を興味津々に聞く事は自殺行為だということも知っている。気づけば術中にはまり、いつのまにか天国に居た、なんて事も珍しくない。
警戒する老人。今すぐ引き金を引くべき、と警告する自分と、情報を得なければならない、と囁く自分の間で葛藤する。
「実は……お手洗いを探してまして……」
「……あん?」
思わず肩を落とす老人。しかしこれは嘘に決まっている。この状況でトイレを探していた、なんて言われて信じるほど、老人は善人では……
「んぐぐぐぐぐ……っ……」
しかし魔法使いは、滅茶苦茶苦しい表情に! 冷や汗をダラダラ垂らし始めた!
「お、お前……本当に我慢してたのか? その辺ですればいいだろう」
「な、何を! ローレスカの方は外でするのが常識なのですか? な、なんてはしたない!」
「いや、そういう意味では……」
なんだか既に術中にはまっている気がする……と老人は銃口を魔法使いへと近づける。
「冗談はそのくらいに……しておけ」
「冗談じゃないです……」
「なら、もういい。楽になれ。死ねば全て解決する」
引き金を引く老人。銃声と共に魔法使いは倒れた。あまりにもあっけない。
「……あぁ、ひどい……血がこんなに……」
「……!?」
老人は驚きながら後退。まだ生きている? いや、確かに心臓を打ち抜いた。
そのまま続けて肺と肝臓も打ち抜く。まるで作業のように、正確な狙いで魔法使いの内臓を破壊していく。
「……なんで、こんなひどい事を……あぁ、痛い……ものすごく痛い……」
しかしまだ生きている。大量の出血をしながら、その声色は変わらない。口からも血を吐いているのに、不気味な声が老人の脳に直接響いてくるように。
「貴様……化物……」
ゆらゆらと立ち上がる魔法使い。老人はさらに連射。しかし先ほどまで正確だった狙いが、ことごとく外れていく。弾丸が空しく赤い空に飲み込まれていくように。
だんだんと、夕日が沈み、闇が降りてくる。
「無敵か、貴様……」
「いえいえ……まさかまさか……ただ私は内臓のほとんど……血液も含めて大半が異界に持っていかれたのです。もっていかれても、内臓という機能は失われず……例えるなら金庫に入ってるという感じでしょうか。望んでこんな体になったわけではありませんが……」
勝ち目が薄い。そう察した老人は手投げ爆弾を腰から外した……つもりだった。いつのまにか老人の手が消えている。
「……っ!」
「貴方も……人のこと言えないじゃないですか。手が無くなったのに、まだそんな目が出来るなんて」
老人の目はぎらついたまま、魔法使いを睨みつける。先程まで、若い娘を殺す事に躊躇があった。だが目の前の魔法使いは化け物だ。その事実が老人を逆に冷静にさせる。
「捕まるのが目的だと言っていたな。銃声を聞きつけて俺の仲間がじきに駆けつけるだろう。だがお前はもう終わりだ。仲間の中に、魔道士が混じってる」
「……魔道士? あぁ、魔法使いになり損ねた軍人さんですか。なら良かったです、早速敵情視察でき……」
瞬間、魔法使いが吹き飛んだ。そのまま岩に叩きつけられ、そのまま何かに拘束される。その何かは最初は無色透明だったが、完全に闇夜になった時、その姿が露に。巨大な機械……制圧兵器、ゼルガルドが魔法使いを岩ごと鷲掴みにしていた。
「……そんな、何も聞こえなか……」
そのままボールを投げるように荒野へと放られる魔法使い。常人ならばバラバラになるような衝撃。しかし魔法使いは全身の骨が砕ける程度で済んだ。もう立つ事すらままならない。
『お爺ちゃん下がって!』
ゼルガルドからスピーカーを通じて、若い男の声が聞こえた。言われた通り老人は後退。そしてゼルガルドの腕部から、固定兵装の90ミリバルカンが火を噴いた。容赦ない弾丸の雨を浴びせられる魔法使い。土煙が立ち上り、もはや魔法使いはミンチになっているだろう、そう思った。
しかし魔法使いが倒れていた所。そこに大きな血だまりと、魔法陣が。
そして魔法使いのものと思われる、魔法の詠唱がどこからともなく聞こえてくる。
『私は愚者の奇跡、その一端を掴む者。理想郷を目指し突き進む。障害となる壁は全て破壊していく。誰にもこの道を否定させはしない。それがたとえ、この命を捧げた、唯一無二の王である貴方でも……』
愚者の奇跡。その一節は古代魔法発動の鍵。
世界から忘れ去られ、今では聖女でしか知りえない魔法の一旦が、荒野を揺るがした。
「……なんだ?」
岩陰に身を隠す老人は呟いた。大地が揺れている。地震がこのタイミングで? と偶然を疑いたくなってくるが、そうではない。これは魔法使いの仕業だと背筋を震わせる。
「リューイ! 撤退しろ! 何かおかしい!」
『爺ちゃんは下がってて! もっかいバルカンをお見舞いして……』
バルカンをもう一度、魔法陣へと向け発砲しようとしたときだった。先程までは確かにそこには何も無かった。だが、土煙が引いた今、信じられない光景が広がっている。
『……嘘……』
数千、数万にも及ぶ軍人。数百に及ぶ制圧兵器。そしてその先頭に立つのは、赤髪で軍服に身を纏う女。その女の足元に、三つ編みの先ほどの魔法使いが転がっている。
「聖女、アルフェルドが命ずる。彼女の命を踏み越えて進め」
アミストラの侵攻が始まる瞬間だった。




