裏・聖女と竜 8
エルネがポマさんへと自己犠牲の治癒魔法を実行したのと同時、海底に潜んでいた影が動き出した。
それはアミストラの制圧兵器。全長五十メートルにも及ぶ巨大な百足のような奇襲特化。海底の水圧にも耐えうる装甲と、十六基の十二・七ミリ重機関銃、さらにはアミストラ最大の魔法派閥、イルベルサ協力の元に開発された特殊コーティングがなされている。簡単に言えばハインリヒと同じく、魔法の影響を受けない。
そんな魔法使いにとって最悪の兵器が、小さな港町へと強襲する。
高火力の強襲兵器。それは聖女の捕縛などまるで考えていない兵装。それもその筈、アミストラ軍の目的は聖女の捕獲ではない。聖女の抹殺なのだ。
だが彼らにとって誤算が二つある。一つは放っておいても聖女、エルネはポマさんを助けるために死を選んだこと。そしてもう一つは、特殊装甲などまるで意味のない、無茶苦茶な男がその港町に存在している事。
※
オズマはただひたすら、エルネとポマさんを見守る事しか出来なかった。抜刀したままの愛刀にはエルネの血が空しく滴り落ちる。まるで泣いているようだった。敵でもない、むしろ命の恩人を切り裂き、さらにその恩人は命を捨てて別の人間を助けようとしている。
無念で無力な存在。愛刀は、まるでオズマの心境を現しているような、そんな気さえしてくる。
ポマさんは徐々に回復しつつあった。焼き焦げていた皮膚は徐々に回復し、元のポマさんのモフモフに戻りつつある。そして呼吸をしているのか、時折体が痙攣しているように。
オズマは目の前の光景が信じられない。魔法が廃れたローレスカにおいて、治癒魔法自体が奇跡。しかも死者を蘇らせるなど、御伽噺の世界だけの物だ。しかし現実に今、目の前でそれが行われている。
「エルネさん……あんた一体……」
思わず声に出してしまうオズマ。しかし邪魔にならぬようにと、口を噤む。先程消えたレイチェルの言っている事が本当ならば、エルネはポマさんを回復させた後に死ぬことになる。だがオズマはそんな選択をしたエルネを止めはしない。自分がエルネの立場でも、同じ選択をしたかもしれない。
(いや、俺に出来るのか? 自分の命を捨てて、他人を助ける選択を、あんな即決で……)
無力で空しい。そしてこの選択は正しいのか、誤っているのかすら分からない。その答えは永遠に出ないだろう。ただオズマは見守る事しかできない。
だがその時、港町に強烈な異音が鳴り響いた。金属を擦り合わせたような、不快な音。それと同時に港へと無理やり上ってくる巨大な影。
「んな……! ゼルガルドか!」
巨大な百足を模した制圧兵器が港へと海から進行してきた。轟音をたてながら蛇のように全身を鞭のように使い、家屋をあっという間に破壊していく。幸い、その周辺に人はもう居ない。大半が避難していた。ローレスカの、一機の人型のゼルガルドを除いて。
オズマが家屋の影に潜ませていた、あのゼルガルドだ。突如の奇襲に反応し、百足の頭部に百八十ミリ砲を浴びせた。見事命中させた腕は称賛に値するが、その効果は薄い。装甲車ですら一撃で破壊出来る砲弾で、傷一つ付ける事が出来ない。
「っく……!」
エルネを横目で見つつ、その場からゼルガルドの方へと走るオズマ。このままではエルネが危ない。あんなものが近づこう物なら、恩人の犠牲が無駄になる。なんとしても守らねばならない。
だが彼の本心は歓喜していた。愛刀も大口を開けて笑うように怪しく光る。
※
制圧兵器と呼ばれるゼルガルド、一言で兵器と言っても、そのタイプは様々である。人型から獣のような形態の物、はたまた昆虫からヒントを得た物もあれば、良くわからない形の物もある。今回襲来した百足のようなゼルガルドは、見た目そのまま百足とローレスカ軍は呼称していた。正式名称は他にあるが、今回は割愛する。
その最大の特徴は、これまた見た目そのまま百足のような多脚型。しかし地形を問わず、とはいかない。これには最大の弱点があった。それは非常に「重い」事。地盤が緩い戦場では自滅しかねないし、だからと言って本物の百足のように土に潜れるわけでもない。完全に試作品の域を出ない兵器ではあるが、単純な質量と火力では言わずもなが。
だが試作段階であるからこそ、ローレスカ側にその兵器の情報は少ない。そしてこの港町に対抗出来る物と言えば、人型のゼルガルド一機のみ。しかし住民の避難も大半は完了し、もはや時間稼ぎする必要すらない。ここは大人しく撤退するのが当然だ。
だが百足は人型ゼルガルドを確認すると、一目散に飛び掛かってくる。コクピットに乗る若者は最小限の動きで避けようとする。
「っぐ……! 足が……!」
彼は今、右足に大怪我を負っている。エルネによって応急処置はされた物の、痛みが消えて無くなったわけでは無い。機体を旋回させるフットペダルを、激痛に耐えながら踏みつつ操縦桿を握り、百足の頭部を避けようと。しかしいかんせん、百足自体がデカすぎる。人型ゼルガルドは全長十八メートル、あちらは五十メートル。大人と子供どころではない。
百足が地面を装甲自体を滑らせるように突っ込んでくる。激音と共に巨大な金属の塊が。その頭部には狂暴な牙。あれに掴まっては、二度と抜ける事はかなわない。
旋回し後退しただけでは避けきれない。ダンスのターンのように動きながら、そのまま上空へと退避を試みる。だが逃げようにも燃料がかなり心もとない。最小限の消費で回避しなくてはならない。
「くそっ……!」
しかし燃料に気を使って回避を疎かにも出来ない。そのまま残り少ない燃料の大半を使って上空へと回避する。その時、センサーが人間の存在を知らせてきた。未だ、この街に人間が留まっている。そしてそれは軍人でも何でもない、今回多くの同胞を救った治癒術師。
「エルネさん……?! まだいたのか! 誰かを治療中なのか?!」
彼からはエルネが蹲っている様にしか見えない。ポマさんの存在は彼からは見えないが……エルネが居るのなら退避という道は閉ざされた。しかし彼の心の中に火が付く。
決して彼は好戦的な性格ではない。平凡な日常を愛しているし、いつか家庭を持って何処にでもある幸せを享受したいと願っていた。だからこそ軍に入った。そんな自分の願いを叶えるため、誰かに叶えてもらうため。別に当たり前の幸せを与えられるのは自分でなくていい。誰か一人でも、その幸せをこの国の人間が叶えてくれれば、それでいい。
そして百足もエルネの存在に気が付いた。そして人型など無視してそちらへと重機関銃の銃口を向けだした。
「ふざけるなぁ! ゲテモノがぁ!」
右足の痛みなどなんのその。そんな物、無抵抗の命の恩人を狙うゲテモノへの怒りで消え去ってしまった。空中からさらに百足の頭部へと蹴りを放ちながら突っ込む。
一応補足すると、人型ゼルガルドで飛び蹴りなど達人の域。やろうと思って出来る事ではない。彼は軍でゼルガルドの講習を鬼教官から受けはしたが、実戦経験はほぼ皆無。正真正銘、これがゼルガルドに搭乗しての、初めての実戦経験。
頭部に強烈な一撃を食らった百足は、やはり人型から始末しようと決めたのか、銃口の向きを変える。銃口を向けられたゼルガルドは、着地と同時に家屋の影へと飛び込んだ。その瞬間、連続する落雷のような轟音と共に十六基の重機関銃が火を噴く。一般家屋など一瞬で消し飛ばされた。だがその消し飛んだ家屋の影には、人型の姿など無い。
百足は人型を巨体を旋回させて探そうとする。百足は旋回速度が異常に遅い。当然だ、その質量では俊敏な動きなど期待出来ない。人型ゼルガルドに付いていけるはずがない。
そしてそんな百足の死角へと入り込んだ人型は、装甲と装甲の分け目、鎖のように規則正しく並べられた百足の皮の中へと百八十ミリキャノンの銃口をねじ込んだ。そのまま零距離で発射。おかげで機体は反動で吹き飛び、キャノンは半壊。だが百足の胴体に致命的なダメージを与えた。
だが百足は破損した胴体部分をパージ。短くなり、身軽になった体で人型ゼルガルドへと食らいつく。狂暴な牙で、その胴体を、コクピットごと潰そうと咥え込んでくる。
餌がかかった。
コクピットに乗り込んでいる若者はほくそ笑む。
彼は百足の牙を払いのけるのではなく、むしろ抱えてコクピットへと食い込ませた。それはまさに自殺行為。まさに自分で自分の首を絞めている。コクピットはこのままでは潰される。
しかしあまりに不合理な行動に、百足も人型の思惑に感づいた。急ぎ離脱しようとするが、人型は最大出力で牙を抱え込んでいる。
「逃がすか……!」
この場にエルネが、未だ誰かの治療を行っている。
なのに、あの男が居ない筈が無い。
そして、その男は戦友が命がけで作り出した敵の隙を、見逃す筈がない。
その男は待っていた。
まさに今、この時を。巨大なゼルガルドを一刀両断にするためには、大きな隙が必要だ。それを戦友が作り出してくれた。
人型のセンサーが反応する。潰されるコクピットの中、彼は歯をむき出しにして笑う。
「流石……」
コクピットのサブカメラに表示されたオズマの姿。大きく刀を振りかぶり、人型ゼルガルドを足場にしながら百足の頭部へと愛刀を滑らせる。
「うおおおぉぉぉ!!」
特殊合金などなんのその。愛刀の前では紙切れ同然と言わんばかりに、オズマはその巨大な制圧兵器の頭部を一刀両断。首と頭を切り離し、そのまま半壊する人型のコクピットからパイロットを救い出した。
※
百足を破壊したオズマは、パイロットを抱えてエルネが居た所まで戻ってきた。しかしそこにエルネの姿は無い。唯一、ポマさんが何事も無かったかのように寝息を立てているのみ。
「ポマさん……治ったのか……。おい、お前、ポマさんを見てろ」
オズマは抱えていたパイロットを下ろすと、そのままエルネを探し出した。もはや人の気配のない港街。空しい海風だけが、倒壊した家屋の隙間を通っていいく。
「エルネさん! 何処だ!」
本当に死んでしまったのだろうか。魔法を知らないオズマは半信半疑、いや、生きていると信じたい。ただポマさんを助けて、他にも怪我人が居るかもと、徘徊しているのかもしれない。
「エルネさん! もう住民は避難したんだ! この街には誰も居ない!」
叫びながら探し回る。返事は無い。
だんだんと、あの魔法使いの言葉が脳裏に侵食してくる。
『術者の命を生贄にする古代魔法だ』
「……くっ、エルネさん! 何処だ! 返事をしてくれ!」
必死に叫ぶオズマ。そんな時、一体の竜の亡骸に気が付いた。
そこにはまるで墓のように地面に突き刺された一本の剣。 それは女王の騎士が持つ、由緒正しき剣。
そして恐らくその剣で切り伏せられたであろう、竜の頭部。
その頭部を光を失った瞳のエルネが、抱き抱えていた。
「エルネさん……?」
大事そうに、竜を抱きしめる聖女。
光を失った瞳のまま、優しい笑顔のまま。
★☆★
ごめんね、アンジェロ、痛かったよね。
でも大丈夫だよ、次の人生でも、きっとアンジェロの事を好きになるから。
だから待ってて。
きっと迎えにいくから。
今度は私から言うね。
好きだよって
《聖女と竜 完》




