【正月二日目】
正月二日目。
俺とチェルは雪解け水が流れる川を渡り、魔境を出た。
「どうせ他の領主も王都に行っているかもしれないから、直接王都に行くか」
「ああ、いいんじゃないノ。それより、服はこれでいいのか?」
俺もチェルもシルビアが作ってくれた鎧と袴を身につけている。冬仕様なので毛皮をふんだんに使っていて、可動域はもこもことしていて温かい。
「魔境ぽくていいんじゃないか」
「一応、貴族風の服も持ってるんだろ?」
魔境を出たからか、チェルは訛りをなくし始めた。
「一張羅だからな。ダンジョンが大事に保管してくれているよ」
「ああ、そうか。見た目は何も持っていないのに、何でも影から出てくるんだからズルいよな」
チェルは俺の影を見ていた。春になってヌシたちも魔境の空気を吸った方がいいんじゃないかと思って声をかけたのだが、ダンジョンの中が思いのほか居心地がいいようで、あまり外に出たがらなかった。
一応、食事はたくさん用意しているので、朝昼晩、勝手に分け合って食べてくれているらしい。1000年も共に魔境で戦い合った戦友のような気持になっているのか、不思議とダンジョンの中で争うことはないようだ。
「王都でヌシたちをコロシアムに出したら、どうなるかな?」
チェルは危ないことを言っていた。
「やめろよ。俺でも取り押さえられるか心配だ。下手すれば半分くらい消えるぞ」
「そうかな?」
「意識のない魔人が暴れることを考えてみろよ」
「ああ、それはヤバいな……。なるほど、出さないのが正解だ」
飛んでいけばすぐに着くが、あまり人目に付くのも面倒なので普通に歩いていくことにした。それにチェルにエスティニア王国を見せておきたい。メイジュ王国とは植生が違う。
「当たり前だけど、植物が襲ってこないな。魔物たちも大人しい」
訓練施設や交易村は通らず、森の中をまっすぐ進む。人に会って呼び止められても長居ができないので、俺たちなりに気を遣っているつもりだ。
関所などでは、ちゃんと記録のために姿を現していればいいだろう。
「歩いていてもちょっと早いんだろうな」
「そうか? あ、あそこの山が中央にある山か?」
チェルは目の前の山を指さした。
「たぶんそうだ」
「まぁ、メイジュ王国もこんな感じだったか。いや、よく考えれば、魔境って人が少ないのに広いよな」
俺たちが走っても砂漠へ半日くらいかかると思えば、確かに広い。
「見慣れているから、そんなに広くは感じないけどな。やっぱり広いよな」
「これくらいの山なら、トンネルもすぐ開けられそうだけど……」
エルフの国との境にある山脈にトンネルを掘ったことがあるが、目の前の山はその山脈よりも小さい。
「ミルドエルハイウェイはすぐに掘れたし、行けるんじゃないか?」
「いや、この山があるから魔物や植物も強さが変わる。大事な境界線になっているんだから穴は開けないよ」
「ああ、そうか。そうだよな。崖を超えれば別の国だったしね」
クリフガルーダは、『大穴』以外魔境とは別世界だった。当初は、飛行船もあって技術が高いと思っていたのに、いつからか魔境の技術の方が追い越してしまったような気がする。
「いつの間にかクリフガルーダと取引する物がなくなっているよね?」
「あ、気づいてた? 小麦粉も野菜も実はエスティニアとメイジュ王国の交易品で賄えるだろ? 魔道具も鉄製品も空飛ぶ絨毯も、別に今じゃ魔境でも作れるしなぁ」
「呪術も結局、解呪の方法をマキョーが作っちゃったから……」
「いや、本当に。むしろ、メイジュ王国との交易は、商品が被っているかもしれない。お互いに、交易のルールの取り決めをした方がいいのかもな」
「メイジュ王国的には魔境と取引した方が魔石も魔道具も揃えられるんだけどね」
「やっぱり文化的な交流は必要なんじゃないか」
「ああ、そうか。そうなると、四方を別の国々に囲まれた魔境が交差点になるよね」
「しかも、今は環状道路があるから、取引所を作った方がいいかもな」
「まぁ、冒険者ギルドでいいんじゃないか。水も引いたし」
「自由な商取引が始まるとなると、いよいよ領地運営が始まる気がするよ」
「魔境から魔境らしさがなくなるんじゃないか?」
「いや、まだ保たれているだろ? むしろ東の海域は人工龍脈で今後、荒れるかもしれない」
「まぁ、そうか。少なくともマキョーが一人いれば、ヌシたちも付いてくるし、そこが魔境になるのかもしれないな」
「俺は移動式魔境か」
「いよいよマキョーは死なないな」
チェルは笑いながら、俺の先を歩いていた。
関所では青い肌を問われ、普通に「魔族だからだ」と答えていた。
「お疲れ様です」
「あ! 辺境伯!」
俺のことを覚えてくれていた兵士がいたようだ。
「あの、こちらのご婦人が魔族と言っているのですが……」
「ああ、俺の婚約者だ。丁重に記録してあげてくれ」
「わかりました!」
「ですが……!」
兵士たちが集まり、どうやって扱えばいいのか上官に尋ねていた。
「戦ってもいないのに敵国と認定しても仕方がない。要人なのだからお通ししろ」
上官が出てきて、対応してくれた。
「いずれ魔境に伺わせていただきます」
「いつでもどうぞ」
上官に挨拶をして、そのまま関所を通過。ここからさらに魔物が弱くなる。
「なるほど、魔物じゃなくてペットみたいだ。王都にもなれば歴史上もっと権謀術数や下剋上も多いから、それが魔物にも影響するんじゃないかと思ったけれど、違うんだな。いや、よく見れば野生ではあるんだけど、油断しているというか……」
「たぶん、山を越えたあたりの土地でダンジョンが死んだんだ。だから、一帯の魔物から魔力が抜けて、感情も狡猾さも消えたんだろう」
「そうかもな。人もそうなのか?」
「どういうことだ?」
「つまり、のん気というかさ。メイジュ王国なら、新しい魔道具を作ったら、すぐに送って来いって言うと思うんだよ。イーストケニアは杖を買ったけれど、王都はそれほど言ってきてないじゃないか」
「そう言われるとそうだな。魔物を倒すことよりも重要なことがあるんだろ」
「商売とか? いや、商売なら、魔境の魔石をもっと買うか。自由とかかな」
「だったら、もっと自由主義になって封建制が崩壊しているんじゃないか」
「いや、エスティニア王家は結構自由だからな。王家の子息が魔境に行くなんて、メイジュ王家じゃ考えられない」
「そう言われるとそうかもしれない。でも、挑戦心も向上心もあるのに、自由な空気があって平和って、統治者としてはかなり優秀なんじゃないか」
「確かに……、領民にはそうであってほしいよなぁ。ミッドガードから出た竜の血を引く者たちは、こういう未来を作りたかったのかもな」
「ああ、そう考えると納得だ」
「自由自治領の民の影響もあるだろうけどね」
「俺の先祖が、まさかそんな人たちだったとは思わなかったよ」
そんな先祖の話をしながら、自由自治領跡を通り過ぎた。
相変わらず森の中を進んでいたら、バジリスクに遭遇した。
「お、これバジリスクじゃない?」
「ああ、お前がバジリスクか。大きい蛇だね」
弱そうだが、頭に王冠の模様があった。
俺の影から真っ黒なダンジョンが出てきて、バジリスクをよく見ていた。バジリスク自体は俺たちの魔力によって怯えて、全く動けなくなっている。
「あんまり脅すなよ。ここら辺は魔境と違って暴力が少ない場所だからな」
俺たちはとっとと王都へと向かった。
魔物たちが襲ってくることもなく、王都の近くで森から出た。あとは街道を進むだけ。
城門の門兵に、「魔境から来た領主だ」と告げると、俺たちの風貌を見て、ものすごく怪しまれた。
「ウォーレンさんか諜報部の者に聞いてみてくれ」
城門でしばらく待っていると、諜報部の隊長という女性が現れて俺たちを中に入れてくれた。
「ご本人です。すぐにお通ししてくれ」
「はっ!」
以前、貴族の服を用意してくれた人だ。俺は訓練場の木の人形をぶち壊したというのに、優しい兵士だ。
「確か、『野盗改め』から証明書を貰っていませんでしたか?」
「ああ、貰ったかもしれない。でも、今日は正月の挨拶のためだからさ」
「こんなに早く来る領主は初めてですよ」
「そうなんだ。今朝出発したから」
「意外と近いね」
チェルも城下町の様子を見て言った。時間的には砂漠と同じくらいの距離か。いや、森の中を移動したから春の匂いがして自然と足が速くなっていたのかもしれない。
「従士の方ですか?」
「婚約者だ。初めて見るだろ? 魔族だよ」
「次期メイジュ王国の魔王、チェルという。マスターミシェルとも呼ばれていたけれど、魔境では普通の領民でね。マキョーに救われた一人だ」
チェルはそんなことを思っていたのか。
「魔境で俺が初めて会った人間だよ。東の海岸で溺れていた。政変があって逃亡してきたんだ。今ではメイジュ王国とも行き来しているし、王城の歴代魔王たちの霊体とも話をした」
「幽霊と話ができるんですか?」
王都では霊を信じていないのか。
「できる……。というか、魔境の領民の中にも実体のない霊体の者がいるよ。不死者の町を建設した。見ればわかるが、まぁ諜報部は忙しいか」
「羨ましいです。自由に私も国中を飛び回りたい」
「浮遊魔法を教えてあげようか? 飛べると諜報活動も楽になる」
魔法学校の初代校長は、得意げに言っている。
「私にできるでしょうか?」
「コツさえつかめれば、ほら……」
チェルは諜報部の隊長の手を取って一緒に地面から離れてみせた。
「わっ!」
通りを歩いていた町の人たちからもどよめきが起こる。
「辺境伯が通るぞー! 東の最果て、魔境からやってきた辺境伯が通るぞー!」
チェルが隊長と一緒に空へ飛び上がりながら、城下町の人たちに告げていた。恥ずかしいからやめてほしいが、皆、チェルと同じ鎧を着けている俺を見ている。
「新年、明けましておめでとうございます! 本年もよろしくお願いいたします!」
俺は町の人たちに頭を下げながら、城まで歩いていった。




