【隊長は休暇期間5日目】
「忘れられていた歴史があるものだな。忘れ去られた歴史か」
王は図書室で語り始めた。
魔境についての説明を終えた翌日、朝から城に呼ばれた。どうやら王と大臣は昨夜、ミッドガードにいた時の難民たちと会話をして、1000年前の様子やミッドガードの現状を聞いたらしい。
「朝からすまんな」
「いえ、別に。休暇中ですから」
「羨ましいな。職務か……」
王の職務は多く、プライベートと仕事の境目などないのだろう。休暇を取ったことはあるのだろうか。
「昨夜、ミッドガードの住人たちから話を聞いたのだが、正常性バイアスというのだそうだ」
「何ですか、それは?」
「自分たちにとって都合の悪いことを過小評価したり、無視したりすることだ。万年亀の時が現世に戻ってきたというのに、ミッドガードの中では『まだ大丈夫だ』などと思っている住人たちがいるらしい。我らエスティニアを建国した祖先はそれをわかっていて逃げ出したのかどうか聞かれた」
「どう答えたんです?」
「わからん、とだけ……。もともとユグドラシールは海賊が作った町から発展したのだそうだ」
「古い文献には書いてあったらしいが、城の蔵書の中には見つけられなかった」
大臣以下の城で働いている文官たちは皆徹夜で探したという。未整理の本が各机に山と積まれている。
「かつては民主制で投票によって町の長が決められていた。海賊が船長を決めるやり方さ。海賊の町だから、特に陸に上がることはなく、ほとんどの住民たちは海上で生活しているから、陸の町などあまり気にしていない者も多かったのかもしれない」
「今の鬼の一族のほとんどは、海賊が世界各地に行って交わった結果だそうだ。そうやって多様性が生まれていって、ドラゴンの娘との子が町の長になってから一気に陸での戦いを始め、国を成した。ここら辺は建国記に書いてある通りだな」
大臣は建国記を手にした。これだけは見つけられたということだろう。
「それから封建制になり数百年、技術革新を繰り返し、歴史は加速していく。海賊は海運に変わり、世界中から人を呼びこんだ」
「魔法の革新が大きかったようだな」
「結果、ミッドガード移転へと向かっていく頃には、エスティニアの王家は住民たちをコントロールできなくなっていたらしい。竜の血族という象徴としての王家があるだけで、他の種族の方が運営や管理は得意だったのだろう」
「だから、1000年前には民主主義に近いことになっていたらしい。人が増え過ぎた弊害も起こるが……」
「獣魔病ですか?」
「それもある。ただ、コロシアムの人気があまりにも高くなっていたらしい。そうなると奴隷の権利についての運動も広がり始めていて、神殿を建てて宗教も盛んだった。王家不在のまま政策は進められていく。祖先の気持ちもわからなくはないだろ?」
「ええ、そうですね」
なかなか本題が見えない。そろそろ俺が朝っぱらから呼ばれた理由を知りたいところだ。
「逃げのびた我らの祖先はこの地を治めていた人族から譲渡され建国。これについては知っている通りだが、なぜだ?」
「え? どういうことです?」
「なぜ住民をコントロールできなかった種族が逃げのびたからと言って、自分たちの住んでいた土地を簡単に譲り渡すのか。統治する能力がないとわかっていながらなぜこの土地の貴族は我らの祖先に託したのか」
「しかも自由自治領を中央山脈の西に作ってくれとまで言っている」
「自由自治領はもうありませんよね?」
「ああ、ない。周辺の領主が分割して統治する場所になっているのだ」
大臣はエスティニア王国の地図を広げた。
「おそらく1000年前、ミッドガード周辺以外の地方都市は財政難で立ちいかなくなっていたのだろうと思う。それはミッドガードの住人たちからも聞いた。そして自由な交易ができる場所を作った。実際、この国の街道を進むと必ず、この土地を通過するようにできている」
「今はほとんど廃村となっているがなぁ。特別何があったのかという記録はない。ただ、時代と共に廃れていってしまったのだろう。貴族がいないから記録する者もいない。カリスマが出なかったというのも理由かもしれない」
「だが、この地から魔境の辺境伯が生まれた。しかも歴史的に考えると唐突に生まれている。本来であればお前が辺境伯を名乗る予定だったのに……」
「その計画はあっさり崩れましたね。期待にこたえられずすみません」
「無理を言えば通せるような気もしたのだが……」
「それは俺が許しません。魔境の領主……、辺境伯はマキョーくんです。彼が歴史のキーマンであることを自分は忘れませんし、記録し続けます」
「だろうな。未来の歴史家が見れば正常性バイアスがかかって忘れ去られた歴史があるのかもしれないという考えに至るだろうな」
「許嫁に歴史家がいただろ?」
「シャンティですね。彼女と一緒に自由自治領について調べろと?」
「そうだ。我々王家は数奇な運命を辿っている。その中でもお前は自由に動けるだろ? 王家にとって都合の悪いことでも見逃さない」
軍務ではなく王家の仕事か……。
「一つだけヒントがある。ミッドガードの住人によると、かつてダンジョンがあったはずだと言うのだ。ホワイトオックスとは別のな……」
「冒険者に暴かれましたかね?」
「かもしれない。ミッドガード移転後、魔境ではダンジョン同士の抗争があったのだろう?」
「そうですね。関係がありそうですか?」
「わからん。それも含めて調べてくれんか」
「かしこまりました。軍の諜報員も連れて行っていいですか?」
「構わん。頼んだぞ」
俺は王家の特務調査員として、元自由自治領へ向かうことになった。
父親は呆れていた。
「お前は実家に寄り付かんな。居心地はいいだろうに」
「泥の中じゃないと自由を感じない魔物もいます」
「王家の宿命か……」
俺は先日出したばかりの荷物をまとめて、兵舎でキミーをピックアップ。文句を言っていた。
「準備してましたけど、それは魔境に行くためであってわけのわからない土地を調べるためではありません」
「大丈夫だ。この調査は魔境に通じている」
「辺境伯ですか!?」
「彼も含めて調査が必要になった」
「なぜ『野盗改め』が!? あ、いや隊長が!?」
「王家の宿題だからだろうな。エストラゴンはなぜ譲渡されたのか。譲渡した者たちは自由を求めていたことしかわからない。ミッドガードの住人が帰ってきて、今まで忘れ去られていた小さな運命が動き出したんだよ」
「些細な情報も必要だと?」
「その通り。そろそろ散らばったあいつらも迎えに行くか」
「鳥小屋ですか?」
「ああ」
「っ!? 本当に!?」
「いつか、いざという時に力を貸してくれと言っておいたが……」
「今がいざという時ですか?」
「ああ、おそらくエスティニアの踏ん張りどころだ」
鳥小屋に行くとすぐに商会の丁稚たちが慌て始めた。
「軍のキミー様がご到着です!」
丁稚が声を上げ、商会の番頭に引っ叩かれていた。
「バカ! 隣にいる『野盗改め』が見えないのか!? 随分久しぶりですね。休暇中と聞きましたが……」
番頭が時間稼ぎをしている。
「軍の業務はな」
「王家の御前だ……」
キミーが短く言うと、番頭が2、3歩下がった。
「失礼いたしました」
商会が並んでいるが、鳥小屋から顔の細長い爺さんが出てきたところで、すべての取引が停止。数日混乱するだろうか。
爺さんは深々と頭を下げて俺を迎えてくれた。かつての盗賊ギルドの長・ドンフォールはまるで年を取っていない。昔から老け顔だったとも言う。
「お久しぶりでございます」
「すまんな。業務を止めさせて」
「いえ、今の我々があるのも、『野盗改め』が我々を人間にしてくれたからでございます。人間の業務をしている限り、当然のことです。顔を見られただけでも至極幸甚にございます。しかし、何故このような鳥の糞臭い場所へ?」
「いつだったか約束を覚えていないか? いざという時が来たようなんだ」
「では王を?」
不敬なことを言うので、笑ってしまう。
「いや、今の王には天寿を全うしてほしいと思っているよ。魔境からミッドガードの住人がやってきたことは?」
「ええ、大騒ぎになっていましたから。時を旅してきた者たちなど御伽話を聞いているようです」
「辺境にいると御伽話だらけだよ。魔境じゃ、技術も時代もどんどん加速していくらしい」
「追放された者たちの集まりではなくなったと?」
これが正常性バイアスか。知らないということは恐ろしいことだな。
「我々は追放した気になっているが、彼らにとっては国を見限っているだけかもしれん。立ち位置によって見方も変わるだろ? それよりもこの王都を譲渡した人間たちについて調査をするよう勅命を拝した」
「今、それを調査することにどれほどの意味があるのです?」
「民主制。自由主義。人権。辺境伯の考えは麻疹の如く広がるだろう。今ある封建制が崩れ、貴族たちの混乱は避けられない。内乱が起こる可能性は高いんだ」
「以前、魔境のサバイバル術を広めようとしていた特使が現れましたが重要なことは生き残ることではないと?」
「ああ、重大な思想を見誤っているかもしれない。できるだけ混乱を避け、無血で制度を変えたい。1000年前、ここが地方都市だった頃のように」
「大事業が始まるということですか?」
「ああ、エスティニアが始まって以来、最大のピンチが起こるかもしれない。急激な変化は圧力を生み摩擦が発生する。その摩擦を出来るだけ減らすことが目的だ」
「なるほど……」
「この事業が終わるころには人生で見るはずのなかった、いつか語った夢の時代が来るかもしれない」
「……では、全員集めてよろしいですか?」
「ああ、かつて誰にとっても都合の悪かった自由自治領の過去を暴きに行こう。出発は明後日。隣のシャンティの実家に集まってくれ」
「かしこまりました。この年になって、血沸き肉躍るとは……」
ドンフォールが鳥小屋に入ったら、次々と鳥が飛び立っていった。元野盗たちが忘れ去られた歴史を暴くことになるのか。つくづく魔境に絡むと数奇な運命を辿るのだな。




