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【コミカライズ・九章完結】鏡花の桜 〜花の詩〜  作者: 京崎 真琴
第二章~桜草~
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手紙

 桜が散って、新緑が美しい季節となりましたね。

 あなたに初めてお会いしたのは紅葉の頃でしたから、もう半年近く経ったのですね。


 引手茶屋であなたとお会いしたときのことは、今でも昨日のことのように覚えております。

 優しく私に微笑んでくださったあなたの顔が目に焼き付いて離れませんでした。

 今思えば、もうあのときから私はあなたのことをお慕いしていたのです。

 十日ほど前にお会いしたばかりだというのに、もうあなたに会いたくて仕方がありません。

 そんなことを言えば、きっとあなたは「仕方のないやつだな」と私のことをお笑いになるのでしょうね。

 今すぐ会いに行ければいいのに。毎日そんなことばかり考えています。


 今日は私の想いを込めて、あなたが褒めてくださった私の髪をひと房、手紙とともに文使いに持たせました。

 髪だけでもあなたのそばにいたいと思う愚かな私をお許しください。

 髪だけでなく、私の頬に首筋に体に、あなたの手で触れていただけるのを心待ちにしております。

 季節の変わり目ですから、お体にはどうぞ気をつけてくださいませ。

 それでは、またお会いできる日を指折り数えてお待ちしております。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 叡正は今、咲耶の部屋にいた。

 叡正と向かい合う咲耶はあからさまに面倒臭そうな顔をしている。

 叡正と咲耶のあいだには、桐の箱に入った女の指のようなものがあった。

「これが、うちの見世から届いた、と?」

「ああ、この手紙と一緒に」

 叡正は懐から手紙を出すと咲耶に手渡した。

 咲耶は部屋の片隅で様子を見ていた緑を手招きして呼んだ。

 咲耶が手紙を緑に渡すと緑は手紙を開き、声に出して読み始める。


「あなたをひと目見たあの日から、私の心はあなたのものとなりました…」

「お、おい、声に出さなくても……」

 叡正が緑を慌てて止める。

 緑は顔を上げて、一度咲耶の方を見た。

「気にするな。続けてくれ」

 咲耶はにっこりと緑に笑いかけた。

 緑は頷くと、続きを声に出して読む。

「あなたが僧侶だということはわかっています。今世では結ばれることがないということも承知しております。ですから、私は決意いたしました。年季が明けたら(あま)となります。あなたとともに寺を守り、天寿を全うし生まれ変わったのなら来世はあなたと生涯共にいさせてください。この想いが少しでも伝わるように小指を贈ります。私の気持ちが少しでも届きますように」


 叡正が伏せていた顔を恐る恐る上げると、想像通りの咲耶の顔があった。

「おまえ、誰に手を出したんだ?」

 咲耶が呆れたようにため息をついた。

「手なんて出すわけないだろう!」

 叡正は思わず身を乗り出した。

「まったく身に覚えがないから、こうして訪ねてきたんだ」

 手紙には遊女の名前は書かれていなかった。

「それにこれの意味がわからなくて…」

 叡正は桐の箱に入ったものを恐々見つめる。

「ああ、指か。愛の捧げ物だろう?」

 咲耶は淡々と言った。

「これは……作り物なんだろう……?」

「ああ、指を模したしんこ細工だな」

「しんこ細工?」

「米の粉を蒸して作ってあるんだ。これはうまく作ってあるな。しっかり見なければ本物の指みたいだ」

 咲耶は感心したように言って、指を手に取って眺めた。

 爪や指の皺も細かく再現されていて、指を切った断面まで本物に見えるように作りこまれている。

「これと手紙を持ってきた文使いは誰かわかるか?」

「誰かはわからないが、かなり若いやつだったな……。十くらいの」

「ああ、それなら弥吉だな。この時間ならたぶん見世にいるだろう。緑、呼んできてもらえるか?」

 緑は咲耶の言葉に頷くと立ち上がり、部屋を出ていった。


 咲耶はじっと叡正の顔を見る。

「な、なんだ……?」

 叡正が咲耶の視線に耐えきれず聞いた。

「いや、その無駄に良い顔に少し同情していただけだ」

「無駄に……」

「なんだ? 何か役に立っているのか? その顔は」

 叡正が何も言えずに落ち込んでいると、襖が開いた。


 緑とともに弥吉が部屋に入ってくる。

 弥吉は叡正を見て、目を丸くした。

「あれ、あのときの……」

 弥吉は叡正から咲耶に視線を移す。

「咲耶太夫のお客だったんですか?」

「いや、客じゃない。ただの知り合いだ」

 咲耶は「ただの」の部分を強調してにこやかに答えた。

「ああ……、そうなんですね。まぁ、いいや。ところで、俺に何か用ですか? 今日は手紙なかったですよね?」

「ああ、呼んだのはこの手紙の件だ。この手紙と指をこいつに届けるように頼んだ遊女は誰だったか覚えているか?」

「え!? やっぱりダメでしたか? ……咲耶太夫の間夫だったか……」

「いや、違う。好きなだけ手紙でも髪の毛でも本物の指でも届けてくれて構わない」

 咲耶は微笑んだ。

 叡正が息を飲む。

「ただ、今回遊女の名前がなかったから、この男が気にしていてな。誰からの手紙か覚えているか?」

「なんだ、よかった……」 

 弥吉がホッとしたように息を吐いた。

「朝霧さんです」

「ああ、朝霧かぁ」

 咲耶はそう呟くと、少し考えるように目を伏せた。

「弥吉、ありがとう」

 咲耶は視線を叡正に移した。

「まぁ、いいんじゃないか? 今世は諦めていると書いてあるし、年季明けの希望になっていいじゃないか」

「いや、しかしできない約束は……」

「自惚れるなよ」

 咲耶が叡正の言葉を遮る。

「この手紙の通りに十年二十年、想われ続けるとでも思ってるのか? 人の心なんてすぐ移ろうもんだ。愛されるのは簡単でも、愛され続けるのは簡単じゃない。わかったなら、指を持ってさっさと帰れ。この話はもう終わりだ」

 叡正は返す言葉もなかった。

 うなだれながら桐の箱を片付ける叡正を見ながら、咲耶が最後に付け加える。

「ただ、本物の指が届いたら教えてくれ。捧げたものが大きくなるほど、見返りに多くのものを求めるようになるからな。たとえそれが一方的なものだとしても」

 咲耶の真剣な顔を見て、叡正の顔がみるみる青ざめた。

 


 その三日後、本当に血まみれの指が届く。

 ただし、それは叡正にではなかった。

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