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五十二.ボスニア湾脱出

 梅雨の前触れか 空は朝から淡く煙り、生け垣の早咲き紫陽花が露に濡れていた。

正則は朝から軽い頭痛に悩まされていた、最近この鈍痛は頻繁に起こり頭痛薬の飲み過ぎで胃も荒れ、為に頭痛薬と胃薬を併用していた。


主治医は脳には異常はなく頭痛の原因は分からぬと首を傾げた、確か29年前 現世からこの時代に落ちたとき同様の奇妙な痛みが3ヶ月程も続いたと記憶する。


正則は遂に現世からお迎えが来たようだと先ほど義父の庄左右衛門と冗談話をしていたところであった。


正則は3年前、5番町に新居を構えた それは質素な平屋で建屋には金は使わず庭に散財した、京都の男山の東麓にある松花堂を凝縮した草庵風の庭園を造ったのだ。


最近はこの自慢の庭で日がな一日 草木の手入れをしているときが正則にとって至福の時間になっていた。


正直…航空機・兵器・技術革新という言葉さえも今は疎ましく感じられる正則である。

文明は天保時代から僅か30年間で1980年代近くまで進んだ、何と5倍の文明進化であろうか。


アマゾン奥地、文明から遮断された辺境で育った若者が、言語学者に連れられデトロイトに行ったという話を元世の頃に聞いたことがあった、その若者は3年後には英語を喋りパソコンを自在に操り、熟練のフライス工になったという。


彼は千年もの「文明の時」を僅か3年で飛び越えたという逸話だが、ならば30年間もあればこの文明進化は至極当然とて驚きにも値しないと正則は思っていた。


正則が落ちた天保の昔、あの時代に生まれた赤子は今や29歳 この日本を支える蒼々たる成人に育っているのだ、もう正則が教えることは何も無いと感じるのも無理からぬ話であろう。


正則は今年54になった、しかし体年齢は54でも脳年齢は94歳の老人である、庄左右衛門とこうして庭を眺め竹隠れの東屋で茶を楽しみながらの会話は、一見よぼよぼの爺様と壮年の正則であるが…脳年齢15歳年長の正則の方がやはり老いて聞こえた。


「左太夫には困ったものじゃて、あやつは今年で幾つになるのか…」


「儂より確か5つ下じゃから68にもなるのかのぅ」庄左右衛門は遠くを見る仕草に記憶を辿った。


「68か…とうに現役は過ぎておるよのぅ、最近は頑冥固陋も病的に過ぎ隠居させるを逸したと悔やんでおるのよ」正則は言ってから残った茶を啜り上げ苦顔に曇った。


「儂と言い、光右衛門・左太夫なんぞは引退の時期なんぞとうに過ぎとる、それを正則殿は未だ重宝下さる、儂等は果報者よ しかしいつまでも甘える訳には参らぬよって早々にも辞意を表明致しまする」庄左右衛門も肩を落とした。


「そう急がずともよいが…しかし左太夫をどうしたものよ、この度のクーデターとも言える海軍部の圧力行使は軍法会議にかけたら死刑ものじゃて、現在自宅で謹慎させておるが…いつまでもそのままというのも空軍の江川等が許さんだろう」


「正則殿、儂は昔から左太夫が弟のように思え可愛くて仕方御座らん、光右衛門もそれは同様よ、正則殿とて同じで御座ろうが…今の正則殿の威勢をもってすれば彼の助命など容易きこと、何とかならぬかのぅ」


「義父殿…儂とて奴は可愛ゆうてならぬ 故に彼奴の行状にはこれまで目を瞑ってきた、しかしその甘さが奴をここまで増長させたのであろう、責任の一端は我に有りや。


それにしても数万の将兵を乗せた艦隊は何処ぞに消えたのか、これが無傷に生還すれば彼を引責辞任させ うやむやに葬り去るは容易いが…」



 5月30日午後4時、満身創痍の日蘭連合艦隊22艦はスエーデンのフディクスバルとフィンランドのポリを結ぶほぼ中央点を速度5ノットで南下していた。


この海域はボスニア湾で最も広く東西230kmを有する、その中央を航行するは水深を懸念するにあるが氷上での敵の待ち伏せも憂慮してのことだ。


現在氷が厚いといっても1m弱 ロシアにしてもフィンランドにしても115kmもの氷上を踏破し重量物である武器弾薬をこの海域まで運び込む危険は犯さないと読んでの中央航行であった。


艦隊の速度はジョギングほど速度である、砕氷する先頭艦は戦艦長門・加賀・扶桑の3艦が交互に入れ替わり舳先損壊の負担を軽減化していた。


氷の薄いバルト海に出るにはあと250kmほど、障害なくこのままの速度が維持できれば明後日の未明にはボスニア湾を抜けることが出来よう。


しかし氷に閉ざされたボスニア湾を抜けるには最後の関門というべきバルト海の属海オーランド海の隘路を抜けなければならない、西にスエーデン 東にはオーランド諸島が大きく張り出しその間隙は僅か30kmにも満たない。


当然、ロシアとフィンランドの連合軍は東のオーランド諸島より報復戦に撃って出よう、オーランド諸島のマリエハムンはロシア皇后マリア・アレクサンドロヴナにちなんで街の名前がつけられた諸島最大の港街である、ここにバルト海を制海するロシアバルト艦隊の拠点が有りボスニア湾入口の隘路に睨みを効かせていた。


この隘路の氷が厚ければロシア・フィンランド連合軍は先日と同様 氷上に押し出してこよう、また氷が薄ければ大艦隊で待ち構えていようか、いずれにせよ一戦は避けられない。


しかし日蘭連合艦隊は先日の待ち伏せで満身創痍となり兵装の殆どは破壊されていた、また破壊を免れた兵装もいまは氷結した雪の下に眠っている。



 雪は降り続き夜は氷点下26度にまで下がった、まるで雪を積みそれに冷風を当て硬く締める作業に似たり。艦隊はおよそ4mもの締まった氷に覆い尽くされその重量は如何ほどであろう、現に長門の吃水は1mも上がっている、既に限界を超えていよう。


幸い海は氷結し荒波の憂いは無いが吃水線が上がったことで遠浅のボスニア湾を航行するは冷や汗ものである。


昼過ぎより旗艦長門の艦橋作戦室には艦隊の各艦長と士官等が集められ今後の対策が話しあわれていた。


日蘭連合艦隊司令長官代行のシェルト・ファン・ロシュセン中将は代行就任時の威勢はもはや無く作戦室の隅で椅子にもたれ瞑目していた、また日本側の士官等も彼の存在など完全に無視していた。


会議は日本側の士官のみで占められオランダ人はロシュセン中将だけである、今や艦隊の指揮は自然 士官等の人望を集めていた戦艦扶桑の艦長 大島輝之海軍准将が執り始めていた。


「先日の待ち伏せ攻撃はロシア・フィンランド連合軍であると言うことはオランダ将兵数人の聴取からまず間違いないであろう。


当初右手の敵はスエーデン軍であろうとの観測が流れたがこれは打ち消してもよい」

大島准将は言ってから戦艦加賀の艦長 加藤大佐を見詰めた。


「スエーデン軍が参戦していなかった事は幸いでした、もしスエーデン軍が参戦していたならば我々はボスニア湾で袋の鼠となり申そう、さて今後どういった行動を採るべきか…。


私の考えはこの場で全艦隊は停船しボスニア湾の氷が溶けるのを待ちながら艦の除雪・修理を行い、来たるべきオーランド海脱出時 少しでも艦載砲が使用に耐えることを考慮すべきかと考えまする」加藤大佐は大島准将に同意を求めるよう窺った。


「他に意見は御座ろうか」言いながら大島准将は他の士官等の顔を見詰めた。


「それがしはこのまま進むべきと思っておる、確かに加藤大佐の言われることが今の満身創痍の艦隊にすれば至極順当では御座ろうが…。


しかしこの1mもの氷が溶けるのはいつ頃になるやら、ロシア戦は7月1日と目の前に迫っており 準備を考慮すればやはり命令通り6月20日にはケーニヒスベルグのバルチスキーに入港せねばなるまい。


となればこの氷は15日で溶けなければ勘定が合わぬ」

戦艦金剛の艦長 塚崎大佐は加藤大佐を見詰めながら喋っていた。


「塚崎大佐の言われることは分かります、しかし我々がこの満身創痍でバルチスキーに入港したとてロシア戦の戦列に加わることが出来ましょうや。


ご覧の通り戦艦・巡洋艦・駆逐艦の損傷は尋常では御座らぬ、損傷が一番軽微な我が加賀においてもまともに使える兵装は41センチ連装砲5基中後装の2基のみ、14センチ単装砲は20基中6基、7.6センチ単装高角砲4基中使えるは1基のみ、61センチ水上魚雷発射管8門中 修理して何とか2門が使える程度。


この様な状態でロシア戦列に加わるは邪魔に過ぎるというもの、今は少しでも多くの兵を生かし連れ帰ることを優先すべきでは御座らぬか」


加藤大佐の弁で暫しの沈黙が流れた。


その時、今まで下を向き沈黙していた揚陸艦「秋月」の艦長 岩田海軍大佐は堪りかねたように突如声を発した。

「この度の大本営の命令は不可解に尽きる!、ロシア戦を目前にオランダ兵の演習という名目の元 一触即発とも言うべきボスニア湾への乗り入れは明らかにロシア・フィンランド・スエーデンへの挑発では御座らぬか。


戦端を開く目的での挑発ならば我々とてそれなりの戦略をたて敵攻撃に万全の体制を敷いたで御座ろう、それを演習と謀り我々の緊張を解き冬の装備もないままに意味なき酷寒への彷徨。


敵にすれば油断に惚ける艦隊などまさに格好の餌食で御座ろうよ、ゆえに今回の事態はどう考えても敵に通じる者の陰謀としか儂には思えぬ。


ここに居る者等に大本営の命令を直接聞いた者が一人でもおるか、誰もおらぬであろう であるならばロシュセン中将の一人芝居と疑っても無理からぬ話しで御座ろうが。


我々が6月20日ケーニヒスベルグのバルチスキーに入港し、命令通りバルト海の制海権を握らねば 首都サンクトペテルブルグを陸・海・空より包囲する作戦は根底より崩れる。


こんな大事な開戦前に危険極まる敵の懐へ貴重な戦力を投入する愚を大本営が肯定する訳が無い、これをして陰謀以外に何がある もしあるならばそれは無知蒙昧な毛頭の面子だけであろうが。


陛下から貸与された大事な艦隊を開戦前にこんな姿にし、また数千の将兵を憤死させた責任は我々全員 腹を切っても相済まぬこと、こんないかがわしい毛頭の命令にまんまと嵌まったは一生の不覚、儂は死んでも死にきれん!陛下にどうお詫びすれば…」


岩田大佐は涙を零しながら後方の椅子で惚けるロシュセン中将の横顔を睨み付け、軍刀の柄に手を添えた。


その気配に横に座る揚陸艦「久留米」の古田艦長が皆に気付かれぬよう岩田大佐の腕を強く押さえた。


岩田大佐の疑心はこの席上の誰しもが一度は考えたこと、しかしこの命令を大本営から直接聞いたは司令長官の宮本中将とロシュセン中将の二人のみという、しかし日本側の宮本中将はその頃病床に伏せっていたはず、今それを言い立てても詮無きこと いずれ大本営に問い合わせれば解ろう、ゆえに今はこうしてロシュセン中将を軟禁するに留めていたのだ。


「さて、もう5時になるか…意見も出尽くしたようじゃな では決を採るとしよう、司令長官亡きいま 誰も決定権を持ってはおらぬし大本営にも無線は通じぬ、よって挙手に依りここにいる士官一同の賛成多数で決めようぞ。


ではこの海域に留まり艦を修理し隘路突破を万全な体勢で望むことに賛成な者は挙手せよ」………。


「次ぎにこのまま隘路を突破しケーニヒスベルグ直行に賛成な者は挙手せよ」………。


「23対11……賛成多数でこの海域に留まり艦を修理し隘路突破を万全な体勢で望むことに決する、よってこれ以降 反対意見有る者も全員この方針に従うように、ではこれより今後の詳細について打合せを行う」

大島准将は言い終わり全員の顔を確認するように目を合わせていった。



 深夜12時、ロシュセン中将の軟禁を知ったオランダ将兵180名が一斉に蜂起した、戦艦・巡洋艦・揚陸艦内で日本側鎮圧隊との激しい戦闘が繰り広げられたが…未明オランダ将兵78名・日本将兵22名の死傷者を出し事態は終息に向かった。


午前4時、日本側は不穏なオランダ将兵425名を武装解除し各鑑に軟禁、戸惑う穏健なオランダ兵らにも睨みを効かせた。

それでも連合艦隊は翌朝9時までに100kmほど南下し、予定したオーランド海の隘路手前150kmの位置に全艦集結した、外気温は氷点下10度まで上昇し空は久しぶりに晴れ渡ったっていた。


乗組員らの高熱も下がり始め 朝から多くの兵が甲板に上がり除雪作業を開始した、しかし完全除雪にはそれから12日も要した、それほどに積雪は固い岩と化していたのだ。


兵装廻りの積雪を除去したとき兵等は愕然とする、殆どの兵装は敵の待ち伏せ攻撃で鉄屑化し修復は不能と見えたのだ、また使える兵装も長いあいだ海水氷に埋もれ機関内部まで錆が広がっていた。


兵等はそれでも使えそうな兵装は分解し、時間をかけて錆を落とし修復を進めていった。


また生き残った空母2艦中1艦は敵攻撃で艦左側部に幾つもの砲弾が直撃し、浸水速度に排水速度がついていけず、それでも10度ほど傾きながら何とかこの海域まで辿り着いたが5日ののち 遂に浅い海に胴の一部を見せ横倒しに倒れた。


残る空母1艦も除雪後 最上甲板に留め置かれていた艦上攻撃機・攻撃ヘリの全滅を確認、飛行甲板は無残に捲れ上がり着弾の大穴が無数に穿たれていた。


空母の修復は専用ドックで熟練工の手を以てしても半年は掛かろうと思える深刻損傷で、舷側に2基設けられた艦上機専用リフトも上部位が破壊され修復はベアリング・滑車・モーターの予備も無く何とか動かせる仮修復でも1ヶ月は係ろうかと思われた。


6月20日、連日の晴天に外気温は氷点下を脱し5度まで上昇し氷の厚さも30cmまで薄くなった。

艦の修繕もほぼ終わったが やはり艦載砲の7割は修理不能だった、また航空機は空母下層格納庫に最新鋭ジェット戦闘機2機、戦闘ヘリ28機・艦上爆撃機10機が残存するもこれら艦上機を下層の格納庫から最上甲板である飛行甲板に引き上げなければ只の鉄屑に過ぎぬ、昼夜を徹し艦上機専用リフトを修繕しているが未だ目処さえついていなかった。


6月25日午前10時、今まで繋がらなかった無線が大本営にようやく繋がり士官等は沸き立った、直ぐさま現状の報告がなされ 併せて今後の行動を問い合わせた。


1時間後、大本営より命令が届いた。

直ぐさま現状海域を突破しケーニヒスベルグのバルチスキーに入港せよとの命令である。


但し、オーランド海の隘路にはロシア軍の機雷敷設部隊が相当数出張っておりケーニヒスベルグより爆撃機が向かいこれら機雷敷設艦の殆どを殲滅したが機雷敷設は既に終わっており攻撃が遅きに失したことが報告された。


これを聞いた連合艦隊の大島准将は途方に暮れた、機雷対策の専門知識は薄く、これまでの海戦でも機雷に遭遇した経験など無かったからだ。


あと僅かでボスニア湾を脱しきれると喜んだのも束の間、その先に幾重にも張り巡らされた機雷群が待ち構えていようとは…。


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