三十八.上海掃討開始
1856年5月21日、長崎港より三丸商船所属の高速商船東陽丸700tonが上海に向けて出航した。
乗員は外務政務官の大内義太郎を筆頭として、外交政策局安全保障政策課そして人権人道課から四名、東アジア局から三名、国際法局から二名、大臣官房交戦略課から五名、内閣戦略調査室から八名の計二十三名の構成である。
但し、大臣官房交戦略課からの五名、内閣戦略調査室からの八名の派遣については政府発表より削除されていた。
また商船出港に遅れること半月の6月5日、佐世保海軍基地に陸海空三軍の艦船・陸戦車両・戦闘ヘリ、そして兵三万余が密かに集結した。
6月10日、外灘33号の英国駐 上海総領事館において第一回目の民間商船砲撃賠償交渉が開始された、そして交渉冒頭で海南丸乗組員の現況についてイギリス側より報告がなされた。
その報告によれば砲撃沈没による死者は18名 行方不明者は11名、生存者は当初10名いたが病院で2名が死亡、現在生存者8名中4名が入院、残り4名が領事館の一室で静養中であると報告され、同時に海南丸がイギリス戦艦に砲撃に遭った経緯も報告された。
それによれば最近日本商船がイギリスに無断で清国杭州周辺で密貿易を行っているとの情報に基づき外輪スループ艦バラクータ1676tonが上海海域を警戒中、拓林の沖5kmの海域を杭州方面に向けて航行中の海南丸に遭遇したとのこと。
海難丸はバラクータの停戦命令に一旦は従い停船して臨検姿勢を見せた。
しかしバラクータ船縁の武装兵およそ30を見たとたん、何を思ったのか船を急転回させ全速力で舟山群島方向へ遁走を図った。
バラクータはこれを追い再三停船を叫んだが海南丸は停船どころか最高速度35ノット以上で遁走、戦艦は12ノットのためみるみるその差は広がっていった。
これに焦ったバラクータ側は威嚇のため68ポンド砲二発を撃つも停船する兆しが無いため、仕方なく10インチ砲及び68ポンド砲を海南丸船尾に向け集中砲火、6発が命中し30分足らずの内に沈没したという。
これに対し日本側は、大陸との国交及び貿易は千年以上も前より行っていること、それに対しイギリス側は何の権利をもって干渉するのか、ましてや民間商船を砲撃撃沈するなど万国の法に照らしても蛮行としか言い様はないと切り込んだ。
だがイギリスは嘲笑うかのように、当方は南京条約・虎門寨追加条約を清国と正式に締結し、フランスは黄埔条約、アメリカは望厦条約を締結し正当に貿易を行っている、しかるに貴国はなんら条約を結ぶことなく我ら3国を無視し その裏で勝手放題の取引、これをして密貿易と呼ばず何と呼ぶと切り返した。
日本は貴国らと貿易しているのではない!清国の許しを得て清国と行っているのだ、それを武威をもって上海を租借しただけの某国が何の権利があって妨害するのだ、この貿易が密貿易かどうか清国政府に聞いてみろ!とやり返す。
日本側が何を言おうと上海は我等英仏米3国がここまで発展させた地、その発展につられるようにのこのこやってきて我等の目の届かない杭州で密かに貿易することは何事か!、姑息な手を使わず正々堂々と我等の許しを得ていればこの度の事故は無かった、事故の原因を作り出したは日本側だ!と、どこまでいっても平行線である。
また生存者返還協議も進められたが難航、遺族への補償金どころか攻撃艦及び攻撃した船長・士官の日本側引き渡しなど絶対有り得ぬと一蹴され、下手をすれば協議中の外務省担当官さえも捕らえられ収監されそうな雲行きにあった。
この交渉・協議と並行し大臣官房交戦略課と内閣戦略調査室の専門諜報員ら13名は上陸するとすぐに上海の各地区へ散った、彼らの目的は諜報・扇動・偽情報流布にある。
6月15日、3回の協議の末 ようやく生存者の解放と死亡者の遺骨返還のみが約され18日東洋丸に生存者8名と遺骨は収容された。
その後10日間に渡り、根気よく協議は続けられたが英国側は断固拒否を繰り返すばかりで埒が明かず、政務官・大内義太郎は激怒し「日本と一戦交える覚悟か!」とまで詰め寄った。
このころようやく諜報員らの工作が功を奏しフランス・アメリカ・オランダよりこの度のイギリスの行為は暴挙であり遺族への補償金は当然のことながら沈没船への賠償程度は行うべしの声があがってきた。
しかしイギリス側は依然拒否を貫いた、このため大内義太郎は最後通牒とも言うべき戦争に訴える旨を綴った宣戦布告ともいうべき外交文書を叩き付け東洋丸に引き上げ、6月30日上海を出港し日本への途に就いた。
これら交渉・協議の経過は刻々と日本政府に通信され、政府・大本営の指示に従い交渉団は意図的にこの最終結果へと導いたのだ。
そしてさらなる諜報・扇動・偽情報流布のため諜報員はそのまま上海に残った。
この上海での交渉顛末は再びラジオで日本全国に流され、併せて天皇の開戦の詔勅も発せられた。
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス、朕茲ニ英國ニ対シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海空將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顕ナル……………。
国中が英国撃つべしの一色に染まり、予てより政府が計画していた国家総動員法は何の障害も無く発布されるに至り、日本は戦時体勢へと移って行った。
この国家総力戦とも言うべき大英帝国との全面戦争には戦時体制によって国家のあらゆる物的・人的資源を最大限に動員し活用する必要があり、徴兵され戦地に送られる男性に代わり女性がその穴埋めとして労働現場で働く体勢が次第に整えられ、それにより性的役割分業という社会常識の変革と偏見の是正が進められていくことになる。
その後、女性の技能習得と社会進出は進み、後にこの戦後の女性の地位の向上につなげるという正則の目論見は成功を見る事になっていく。
1856年7月20日、海軍佐世保基地より上海攻略の「第一次機動部隊」が出撃した。
戦車揚陸艦3・ヘリ揚陸艦3・強襲揚陸艦4・巡洋艦3・戦艦3・補給船5の構成を成し、巡航速度20ノットで上海までおよそ700kmの航路を7月22日上海黄浦江河口の崇明島上陸をめざし出撃したのである。
一方上海ではイギリスの孤立は決定的なものになっていた、それはフランス・アメリカ・オランダそしてロシアまでもがイギリス牽制のためかこの度の日本船への攻撃は東アジアの安定を損なう暴挙であるとし、日本側への謝罪と賠償は早期に処理すべしとの声が上がっていたためである。
英国駐 上海総領事館では日夜日本側が最後通牒の如く叩き付けた宣戦布告書を巡り侃々諤々の会議が続いていた。
日本側の宣戦布告など恐るるに足らずの声があがる一方、東インド中国艦隊司令ジェームズ・スターリングが見たという日本の恐るべき軍事力がもし事実とすれば侮れぬといった声も上がっていた。
総領事のチャールズ・グレインは悩んでいた、それは日本の軍事力が皆目見当が付かないからだ、ジェームズ・スターリングが長崎で見たという軍艦はこの世の物とも思えぬ天を突く様な巨大戦艦で全てが鋼鉄装甲で仕立てられているとか、また空を飛ぶ怪鳥に人が乗っていたなどと…いずれも荒唐無稽の話しばかりで参考にはならなかった。
チャールズ・グレインが上海に赴任してのちは日本情報の収集は皆無といってよかった。
この二十年、日本は以前に増して情報を外に洩らさないようにしている節があると清国人らは口を揃えて言う。
二十年前実際長崎に行った清国役人からは、日本は清国より文明・国力は劣り朝鮮と同等かそれ以下であったと伝えられていた。
たった二十年で急速なる躍進を遂げ、西洋列強と肩を並べる軍事力を有することなど可能か…いや…絶対にあり得ぬ。
であるなら何故日本の高官はあれほど我々に対し高飛車に出られるのだ。
それも宣戦布告を叩き付けたのだ…あの高慢な態度は初めから一戦を覚悟していたとしか考えられぬ。
朝鮮以下の国力でこの大英帝国に宣戦を布告…匹夫の勇、或いは世界の軍事事情を知らなすぎるからか。
チャールズ・グレインは幾ら考えても結論が導き出せなかった、それはジェームズ・スターリング艦長は虚言など決して言わない男という想いが有ったからだ。
(んん…ロシア、ロシアが裏で糸を引いているのか、クリミア戦争の遺恨…しかし産業革命を経験した我が国と産業革命を経験していないロシアとの国力の差はあの戦争で歴然と証明されたはず。
建艦技術、武器弾薬、輸送手段のどれをとってもロシアは我が国よりもはるかに遅れをとっている、とても鋼鉄装甲の巨大戦艦を造る技術も手段も持ってはいない…。
だとしたらフランス…いやアメリカ…んん分からぬ、一体日本は何処と手を組んだのだ)
チャールズ・グレインは頭を抱えた、本国にこの件を伝え援軍を要請すべきかとどれほど考えただろう、しかし本国に要請するには日本の軍事力の規模も同時に知らせ上海駐在英国軍の規模では防ぎきれぬ事の証明をしなければならないのだ。
しかし何の証明も出来ぬ、余りにも日本の情報が少なくまた交渉団の行動も不可解に過ぎるのだ。
チャールズ・グレインが苛立つなか 日は刻々と過ぎていった、そしていよいよ7月22日の朝を迎えたのだ。
もう三日目にもなろうか、スクリューコルベット艦エンカウンター号1934tonは上海の沖80kmを西に向け航行中であった。
艦長ジョージ・ウィリアム大佐は上海総領事チャールズ・グレインの命を受けこの三日の間 上海を挟む寧波と啓東を結ぶ海域を哨戒のため幾度も往復していた。
7月も終わりの海上気温は既に30℃を超え、真夏の焼付くような太陽の光りは容赦なく艦に降りそそいでいた。
乗組員およそ200は蒸し風呂のような船室に耐えきれず、その殆どは甲板に海水を撒き半裸で日中を過ごしていた。
艦長のジョージ・ウィリアム大佐は艦長室で汗を拭きながら航海図を見ていた。
(もし敵が来るなら横沙島沖に現れるはず…であるならば無闇に動かずこの海域に留まった方が良いのかも…)
そう考えつつも大佐は半信半疑であった、総領事チャールズ・グレインは日本は必ずこの上海を攻めてくるはずと言ったが…正直余りにも後進国の日本のこと、大英帝国と一戦交えようなど有り得ぬ話しと思っているのだ。
またもし来たとしてもまともな戦艦など持たぬ日本に一体何が出来るというのだ、我が方は現在上海沖をエンカウンター号と同じスクリューコルベットのスティックス号、及び外輪スループ艦バラクータの蒸気式最新鋭戦艦3隻と、フリゲート艦ボレージ号、フリゲート艦ヒヤシンス号が常時哨戒にあたっている。
このエンカウンターが搭載する32ポンドカロネード砲14門が火を噴けば我が艦1隻で日本海軍など蹴散らすことが出来ようと自負していた。
この奢りは最近上海中で噂される「日本全ての水準は清国の足下にも及ばず」から来ているようだ。
そのとき士官のアダルバート・ブラウン中尉が艦長室に飛び込んできた。
「艦長!国籍不明の艦隊が大挙してこちらに押し寄せてきます、現在距離はおよそ5200ヤード」
この報告にジョージ・ウィリアム大佐はもしや日本かと顔色を変えた、しかしそんな馬鹿なと思いつつも望遠鏡を掴むと艦長室を飛び出して行く。
船縁へと走りアダルバート・ブラウン中尉が示す方角を肉眼で望んだ。
確かに黒い煙を噴き上げる一団の黒陰が波間に望めた、大佐は震える手で望遠鏡を目に当て覗き見た…。
「おおぅ」と上ずった声を発しながら数歩後退し、目を擦り再び覗き見る。
「な…何と言う数だ…あれが日本海軍というのか、そんなばかな…有り得ぬ」
五十倍望遠鏡の視野には巨艦群が犇めいていた、そして先頭艦の艦橋上には確かに日本の国旗がはためいているのだ。
大佐は直感的にこの1艦のみでの応戦は不可能と感じた、望遠鏡に映る先頭の戦艦1艦をとってみてもエンカウンターの数倍のサイズに見えるのだ、それが10隻以上の艦隊で押し寄せてくる 大佐にはとても勝ち目は無いように思えた。
「急ぎ艦を転回し機関全速で上海に向かえ」とアダルバート・ブラウン中尉に命じ、大佐は艦長室に踵を返した。
艦長室に戻ると彼は先程まで見ていた航海図に定規を宛がい自艦の位置から上海までを一本の線で結んだ、そしてディバイダーに距離を取りその線に針先を当て上海までの距離を割り出す。
(上海までおよそ50マイル、船足は全速で15ノット…上海に着くのは三時間後か…確か今日は外輪スループ艦バラクータは上海北方崇明島の陳家鎮に石炭補給のため停泊中のはず…まずはそこへ急ごうか)
大佐は長江河口崇明島の陳家鎮で日本艦隊を迎え撃とうと腹に決めたのだ。
陳家鎮には砲塁が8基ほど築かれ68ポンド砲が海に向かって装備されていた、またこの数日間で警備兵およそ300が堡塁に増員されていたのだ。
(あの68ポンド砲を連射すれば如何な巨船と言えどひとたまりもないだろう…しかしあの巨艦群は本当に日本海軍なのか…情報とは違いすぎる!)
機関の振動が激しくなってきた、機関の最高馬力360馬力を叩き出しているのであろうと大佐は頼もしく感じ(この速度なら5000ヤードの距離はそう容易く縮めることは出来ぬはず、陳家鎮で迎え撃つ準備は多少なりともとれようか…)
大佐は胸を撫で下ろしパイプに火を点けた、そして大きく吸い込むとゆっくり煙を吐いた。
煙草で心が少し落ち着いたのか先程見た巨艦群が脳裏に浮かんだ、そして東インド中国艦隊司令ジェームズ・スターリングの言った日本で見た巨艦の話しは強ち誇大妄想ではなかったと思った、しかし何故日本がそのような巨艦を持ち得たかは想像の範囲を超えてはいたが…。
(艦が大きいだけやも知れぬ、兵装はいたって粗末な場合も有りえよう…恐るるに足らずと考えるべきか…それとも)
(確かに先程見た戦艦は帆走木船でなく色からして鋼鉄装甲と見えた、そして見たこともない聳え立つ艦橋といい黒煙噴出といい…明らかに最新の蒸気装甲艦であることは間違いは無い…いや、張りぼての虚仮威しに過ぎないのかも…)
大佐が記憶する装甲艦は一昨年フランスで建造された世界初の鉄甲艦だ、それはクリミア戦争にフランスが参戦するにあたり主に陸上砲台との交戦を想定して造られた艦で、110mmの鉄板と440mmのオーク材で強固に装甲されていた…しかし帆走と150馬力の蒸気機関併用で最高速力わずか数ノットというお粗末さ、戦艦と呼ぶにはほど遠い浮き砲台であった。
しかるに先程見た巨艦は日本から航海してきたと考えれば…数ノット程度の速度なら10日近くはかかろうし、浮くのがやっとの鋼鉄艦で東シナ海の荒波を乗り切るは所詮無理があるというもの…。
大佐は首を捻った、あの戦艦群は本当に鋼鉄装甲艦でもし機関馬力が桁外れとしたなら…この最新鋭スクリューコルベットより早いかもしれぬ…。
その時背中にナイフを突き立てられた様な鋭い戦慄が走った、そんな馬鹿げたこと…と思うももう一度あの巨艦群をこの目で確かめねば胸の動悸は収まらないと思えたのだ。




