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二十六.禁裏御門の攻防

 天保十四年閏九月二十六日、品川第5師団第二連隊所属の大内大佐率いる皇軍先兵隊五百余が京都御所に面した各辻に布陣したのは昼八ツ半(14:54)のことである。


各御門前では幕府京勤番兵が未だ土嚢を積み上げている最中で、その慌てぶりは滑稽に過ぎた。


幕府京勤番の兵力は二百三十余、対して皇軍側は五百余 また持てる武器も弓矢・火縄銃に対し高速機関砲・迫撃砲・アサルトライフルという圧倒差である。


皇軍側 大内大佐は攻撃直前にして迷っていた、このまま攻撃に移ったなら数分で片が付く、終わった時には禁裏前に死体の山が築かれるだろう…。


幕府京勤番兵の構成は二条城在番兵百余、京都所司代兵八十余、京都町奉行兵五十余の計二百三十余り、指揮官は京都所司代の牧野備前守という。


これら幕府に忠勤する者らは江戸幕府の政権交代劇を知らずして、頑なまでに立ち向かおうとしている。

大内は彼ら勇猛な志士を路傍の石を蹴るが如く殺戮するはやはり忍びなかった。


大内は暫く考えた後、トランシーバーを手に取り二軍の竹田中尉に対し、攻撃は暫し待てと伝え通信兵を呼んで大本営に至急無線を繋ぐよう命令した。


暫くして通信兵が背中の無線機に繋がる受話器を差し出した、大内大佐はそれを耳に当て名を名乗った、無線に出た相手は何と三田中将閣下であった。



 二軍を指揮する竹田中尉は烏丸通りを戸板の盾で塞ぎ、その盾を挟んで宜秋御門周辺に陣取る所司代兵八十余と対峙していた。


盾裏には高速機関砲6門とアサルトライフルおよそ百三十丁が所司代兵らに向けられ攻撃の合図を待っていた。

また残る兵百は烏丸通りを突っ切り、寺町通りまでの北方に面する各辻を完全に抑えた、この行動は宜秋御門周辺の攻撃と同時に建礼門に布陣する敵を急襲するためである。


昨夜までの雨は上がり今日は秋晴れに照り、烏丸通りの気温は夏の昼下がりの様相を呈し始めた。


竹田中尉はジリジリと焼き付く日差しを手で遮りながら宜秋御門周辺の敵を凝視する、汗は容赦なく頬を伝い攻撃命令が未だ出ないことに苛立ちは隠せなかった。


(どうしたと言うのだ、今なら土嚢も低い…敵を一瞬で殲滅できる好機というに)


敵方は時間足らずで土嚢の築きは未だ間に合っていなかった、現在は三段程度に推移し積み上げに大童である。

敵を前にしての無様な土嚢積みは哀れにさえ見える、が こちらからすれば好機である。


大内大佐もこの光景を正面より見ているはず…それなのに攻撃命令でなく暫し待ての回答…竹田中尉の苛立ちは頂点にあった。



 大本営の正則は大内大佐と無線で話していた。

大内大佐はこのまま敵を殲滅するは忍びないと言う、正則は攻撃前に連絡を入れてくれた大内の心根を頼もしく感じた。


品川から矮小な舟で海路京へと向かい、待ち構える敵の真っ直中へ孤軍で切り込む想い…それは恐怖以外の何ものでもないと正則は想う。


当然精神は荒れ 神経は尖り…次第に狂気が支配し始める、そんな中 敵の心情を慮るとは…大内大佐という男、その胆力の程に正則は恐れ入った。


正則は無線機に向かって諭すように命令を送った。

「敵に降伏勧告せよ、それに応じずば威嚇射撃を試せ、それでもなお抗戦するなら撃ってよし…だが点射程度にな、よいか 敵を殺そうと思うな戦闘意欲を削ぐことに努めよ」と命令し「首尾を待つ」で通話を切った。


戦闘意欲を削ぐ、武士でもない俺だから言える言葉では…正則は通話を切ってからそう感じた。


敵に銃口を喉元に突きつけられ、それでもなお相手の戦闘意欲を削ぐ…そんな真似は達人の域であろうが…以前 箱崎橋袂で刺客に襲われたとき、恐怖で小便を洩らしそうになった己を棚に上げ よくもぬけぬけと言えたものと…顔が熱くなるのを感じた。


京都所司代の代官は現在 牧野備前守が勤めているはず…天保十年に寺社奉行から京都所司代に転じたと記憶するが、はて…顔が思い出せぬ、正則は二回程会っているはずだが顔は思い出せなかった。


京都所司代を勤めるとだいたい二年から四年勤めて老中になると聞く、ということはそろそろ江戸に帰り老中職を拝命する頃であろうか…。


往時、京都所司代の権限は畿内八ヶ国の司法裁判権及び西国大名の監視機関として絶大なる権力を有していた。


幕府初期の頃は与力五十騎以上 同心は百人以上を有していたが…民生上の権限を京都町奉行に譲り、また近年の幕府財政悪化に伴いその権威は次第に薄れ、文久二年には所司代の無力さが指摘されるや京都守護職がその上位機関として設置されるに至った…。


今日の天保時代末期とはその狭間期と言えよう、牧野備前守は越後長岡藩の第10代藩主である、彼の京都赴任中 幕府財政は過度に困窮し、為に京都所司代の任用の殆どは長岡藩の財政から捻出されていると聞く。


またこの時代、どの地方藩も同様であろうが…越後長岡藩十四万石の如く小藩とあれば財政赤字は深刻で、京都所司代の経費がかさむ中 更に新潟湊が幕領として上知されたことで赤貧は極に達していた。


そして幕末期に至り軍事費増強の必要性が高まり、藩の財政問題はさらに悪化し根本的解決が迫られる、結果 河井継之助の藩政改革の断行へ進むことになっていくのであるが…。


正則は若い頃 司馬遼太郎の「峠」を読んでこの河井継之助に憧れた想いがある、故に越後長岡藩の困窮についても或る程度は分かり、牧野家と聞いてこれを無慈悲に殲滅するは忍びないとでも思ったのであろうか…。



 大内大佐は正則と無線通話を終えると高揚する気持ちは自然に態度にも顕れる。

まさか大本営参謀総長の三田閣下が応答に出るなどとは思ってもみなかったのだ、師団長さえ尊顔を拝することは滅多にないという雲上人から「首尾を待つ」と言われた…これはもう軍人の誉れである。


大内は勢い込んで小型拡声器を取りあげた、そして音量を最大にし宜秋御門に向けて声を放った。


「我らは新政府軍である、過ぐる九月二十日 帝におかせられては畏くも王政復古の大号令を発せられ、天皇親政を成すべく新政府の樹立を宣言された、もはや江戸に徳川幕府は存在しない、よってこれ以上の反抗は無意味である、早々に陣を引き払い恭順せよ、恭順せよ!」


大内は汗を拭いながら拡声器を下ろす。そして敵の出方を窺った。


焼付く日差しの中 時間は無情に過ぎていく…しかし敵兵は土嚢積みを止める気配は無かった。


大内は痺れを切らした、敵の態度は馬耳東風…聞く耳持たぬといった体で土嚢積みに勤しんでいる。


業を煮やした大内は再度拡声器を口に付けた。

「貴様らこれ以上の反抗は賊軍となる、目の前の錦の御旗が目に入らぬのか!、そこに牧野備前守殿はおられるか、これ以上反抗すれば越後長岡藩は賊軍の首魁として取り潰す!、それでもよいか!」


この声に土嚢積みの手がようやく止まった…。

そして協議に入るのか兵達はしゃがむように土嚢の影に身を潜めた。


暫しの時間が流れる、土嚢の上縁には数十の頭が揺れ動いているのが見える。

そして協議が纏まったのか頭の揺れが大きくうねった、と その時である 土嚢前衛の頭五つばかりが不意に伸び上がるや…五人の兵が立ち上がりざまに大内をめがけ火縄銃を一斉に撃ちかけた。


驚いたのは大内である、彼らの立ち上がりざまの不意の射撃に為す術もなく、至近弾は左耳付近を唸りを上げて通過していった。


大内はその衝撃波で右へ弾かれるようによろめき、腰砕けに尻餅を付いた。


兵達は驚いて大内に駆け寄り支えようと手を伸ばす、それを邪険に跳ね除けながら「当たってはおらぬわい!」と怒りを剥き出しに立ち上がった。


再び拡声器を口に当てると、今度は怒りに満ちた声音で「これが貴様らの返答か!」と怒鳴り拡声器を放り出すと、トランシーバーを焦るように取り出した。


「竹田中尉、賊らの頭上一尺上へ機関砲と小銃弾を撃ち込め!」


「んん…待て……あくまでも威嚇だ…賊に当たらぬよう…注意してかかるように」


怒りにまかせトランシーバーに向かって怒鳴ったものの、三田閣下の言葉を思い出し語尾は徐々に小さくなっていった。



 ようやく大内大佐の命令が来た、竹田中尉は喜悦を綯い交ぜに大きく深呼吸をすると機関砲兵に向かって大声で怒鳴った。


「敵頭上一尺上に各自 砲弾五十発を打ち込め!」


そして後方の小銃を構える兵らにも「お前達も機関砲射撃終了と同時に敵頭上一尺上に弾倉一個分を波状に撃ち尽くせ」


「よぉし、かかれ!」


この声で高速機関砲六門は一斉に火を噴いた、銃身は波打つように反動往復を始める、それはまるで直列六気筒エンジンのコネクティングロッドが大音響を轟かせ振幅するような圧巻さである。


この機関砲は最近開発された20mm×128弾が使用できるよう改造されたもので作動機構はガス圧作動式、発射速度は1,000発/分、初速は1,100m/sで、有効射程は1,500mである。


各機関砲は五十発の弾帯を撃ち尽くすに四秒とは係らなかった。

轟音が止み機関砲の煙が薄れ前方の視界が次第に開けてきた、しかし積まれた土嚢は見えてはきたが…土嚢の影に隠れている敵兵の表情は見えず威嚇射撃の効果のほどは判らなかった。


(まるで亀だな…首だけ引っ込めてやがって…)


効果の程も判らず貴重な小銃弾を大量に撃つのは惜しいと思ったが、後詰めの小銃を構えた兵百三十余は竹田中尉の射撃合図を今や遅しと睨むように待っていた。


「………よし!今度は土嚢すれすれに撃ち尽くせ、かかれ!」


この命令で前列一段目の十人の兵が立ち上がり盾越しに一斉に引き金を絞ったのだ、弾倉の二十発は瞬時に撃ち尽くされる。

次いで二段目の兵十人が立ち上がると、一段目の兵は一斉に伏せ両腕で耳を押さえる様にヘルメットを抱えた。


轟音が立ち上がる、そして伏せる、次が立つ、また轟音…これを繰り返し瞬く間に十三段 百三十丁の小銃から二千六百発の弾が撃ち尽くされた。


無煙火薬とはいえ百三十丁から放たれた火薬量は膨大である、辺りは霧に包まれたように煙っていた。



 大内大佐は この模様を横辻より眺めていた。

機関砲弾は五発に一発の割合で曳光弾が入れてあるため敵頭上には巨大な火矢が走っているように見えた。


大内大佐は火縄銃弾が耳元近くを擦っただけで腰が砕けるほどの衝撃波があったことを思い出す…それが直径20mmの高速機関砲弾が超音速で瞬時に数百発が頭上近くを通過したら…どれほどの衝撃になるのかと思った。


次いで二千六百発の弾幕である、この小銃弾は土嚢すれすれに撃ち込まれているため、多くは土嚢にも直撃し 土嚢内の砂は敵兵の頭上へ土砂降りの如く降りそそいだはず。



 銃声は止み…真夏の様な日差しが容赦なく御門前を照らす、敵兵は蒸発したかのように土嚢周辺は静まりかえっていた。


大内大佐は顎よりこぼれ落ちる汗を手の甲で拭うと宜秋御門に面した辻の中央まで歩み寄り門周辺を窺った。


しかし敵は土嚢に隠れ 頭一つも見えなかった。

大内は汗を垂らしながら辻の中央に佇む、依然敵方には動く気配はない…。


敵は威嚇攻撃という手段の甘さを嘲笑っているのか…。


迫撃砲の一弾でも土嚢内に落とせば…潜む八十余の敵兵は瞬時に殲滅できよう。

さすれば一気に宜秋御門より突入し御所を制圧出来るというに…。

大内はどうしてくれようかと歯軋りを噛んだ。


五百余の兵と大内自身も正直疲労困憊の極にある、しかし今は緊張しているため何とかこうして立ってはいられるが…この戦が終わった途端 その場に崩れ果ててしまうような気さえするほどである。


攻撃のまどろっこしさに疲れは倍増し大内の苛立ちは頂点に達しようとしていた、握った拳は震え…今にも土嚢へと走り出したい想いに体中が震え始める。



 その時、土嚢より戦支度をした武士が一人よろめきながら立ち上がった。

大内は弾かれるように横辻へと走り身を隠す、次いで二人さらに五人と土嚢より身を起こすもその体は奇妙に揺れている…そしてこちらに一瞥をくれると腰砕けに土嚢の陰に崩れ消えた。


(しまった…小銃弾は土嚢を貫通していたのか…)

大内は一瞬そう感じた、しかしすぐに否定する…アサルトライフル弾に二尺近い砂袋を貫通する威力など無いはずと思ったのだ。


では何故敵兵は攻撃してこないのだ…。


大内は暫く思案していたが、どう考えても結論は導き出せない 敵の戦意喪失は明らかと見えるのだ。



 大内は意を決した、腰の拳銃を抜くとスライドを後退させ実包を薬室に送り込んだ。

そして後ろを振り返り「儂に続け」それが己への合図が如くアドレナリンを湧き上がらせ走り出したのだ。


大内以下百余りの兵は中立売通りの右に立ち並ぶ町屋や屋敷の軒下を縫うように宜秋御門に向かって走りだした。


依然敵の攻撃は無い、拳銃は土嚢に向けられ いつでも引き金が引けるよう指先に全神経を集中させ大内は走った。


ぐんぐんと土嚢壁は近づく。

百の兵は一斉に土嚢手前で伏せた、そして匍匐ほふく前進で土嚢周囲を取り囲む。


大内は土嚢に這い寄ると土嚢上縁に手を掛け身を起こして土嚢内を覗く。


(…………………)


そこには耳から血を流し呻く兵、頭から血を流して息絶えた兵、うつろな目で大内を見詰める兵…それらの目には戦意は全く感じられなかった。


大内は「かかれ!」と怒鳴った。

その合図に土嚢周囲に伏せる兵百は一斉に立ち上がり土嚢内へと飛び込む。


こうして宜秋御門前の敵制圧は一瞬で幕を閉じたのだ。


大内ら百の兵に続き残り百五十の兵も御門前に殺到し土嚢は瞬く間に取り払われ 辺り一面に転がる敵兵は次々と引っ立てられ中立売通りの辻中央に集められた。

その殆どの敵兵は口もきけぬほど憔悴し、座ったとたんその場に寝そべってしまった。


大内は一体何が敵兵をそうさせたのだろうと考えた、確かに小銃弾に被弾した敵は十名ほどいたが…殆どは無傷に近い。


大内は先ほど自分が経験した火縄銃弾の衝撃を思い出した、もしあの弾が20mm高速機関砲より放たれた超音速弾であったなら…今こうして立っておられようか。


高速機関砲から放たれる弾丸の初速は時速にして4000キロにも達する、その超音速で金属弾頭が数百発も頭上すれすれを飛んだなら…。


弾頭が時速4000キロで空気を切り裂いたとき、その周囲では高速の圧縮波ができ、次第に後方へと広がり すさまじい風圧と爆音に変化しエネルギーを解放していく、この波が衝撃波ソニックブームである。


この超音速で飛ぶ弾丸の一つ一つが鋭い衝撃波を発生させ、衝撃波三百余が僅か三秒という短時間に集約され塊となって敵兵の頭上を擦過したのだ。


その衝撃波はバットで頭を殴りつける衝撃に等しく、敵の脳を揺さぶり鼓膜を弾けさせ脳震盪を起こさせたのであろうか…。


そう考えれば小銃弾二千六百発は全くの蛇足に過ぎず、大内は何と勿体ないことをと…余計に過ぎた攻撃を悔いた。


大内はふと気付き北方を眺めた、皇后門・清所門にも土嚢は積まれていたが敵兵は見えなかった。

すぐに兵五十を走らせ土嚢内を検分させたが敵兵は皆無と報告が戻った。

どうやら御所内に身を隠したようである、大内はこれはマズイ事態になったと思う、血走り狂った敵兵が帝に対し危害を加えぬとは限らない…。


この時 建礼門辺りから火縄と思しき銃声が鳴り響いた、宜秋御門の事態を知った建礼門に布陣する敵兵の足掻きであろう…。


大内は建礼門の敵兵は二軍の竹田中尉に任せるとして、中立売通りの辻に纏められた敵兵八十余の監視に兵五十を残し、二百の兵を宜秋御門・皇后門・清所門に待機させた。


そして「突入!」の大内の号令の元 二百の兵は一気に御所内へと流れ込んだ。



 夕七ツ半(17:07)大本営の正則が元に、京より無線報告が入った。


先兵隊五百は、禁裏御門を封鎖する所司代兵を威嚇を以て投降恭順させ、今夕八ツ半(14:54)宜秋御門より御所内に突入を敢行、禁裏内の賊軍ことごとくを捕縛し、禁裏奥に軟禁状態の帝を無事御救い申し上げ、安堵奉り候といった報告である。


正則は帝の安堵の報に胸を撫で下ろした、と言うのも西征本軍は未だ小田原辺りにあり、これから箱根越えとの悠長な報告が届いたばかりであったからだ。


この征西本軍の行軍速度を考慮すれば京までおよそ二十日は優に係る…しかしこれは順調に進んだ場合である、道路修繕や仮橋建設及び敵の妨害に遭えば一ヶ月で京に着けば上出来であろうか。


クーデター軍により解体された幕府在籍の武士団の面目と、大衆の支持を獲得するには…早急に帝を皇居にお迎えし、天皇親政を発足させなければならない。


先兵隊がもし帝の安堵に失敗し帝が誅殺もしくは西国へと拉致されれば…帝不在の新政府などは有り得ず、幕府に対する支持を無力化するどころか、クーデター軍の正当性は完全に失われ ただの反乱軍に成り果てるのだ。


正則はその成功に安堵し、大内に征西本軍到着まで何としても御所を守り抜けと命令し「ようやった、貴君は勇猛果敢にして蓋世之材である」と賛美を申し添えたのだ。



 御所制圧から三ヶ月が過ぎ、天保十四年の師走も押しつまった二十七日、天皇はようやく皇居に入城せられた。


翌二十八日、天皇を元首に戴いた新政府は動き出す、江戸幕府に対する倒幕クーデターから三ヶ月、新政府による天皇親政体制の転換とそれに伴う一連の改革はようやく始まり、日本を東アジアで最初の西洋的国民国家体制を有する近代国家へと変貌させていく途に就いたのだ。


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