十二.技術時代の到来
正月松の内が明けた八日、光右衛門の鉄砲方より応援技術者として同心二名が正則の屋敷に訪れた。
年齢はいずれも三十前後で設計を始めるにはいささか薹は立っていたが、話を進めていくうち(これは使える)と正則は感じた。
二人とも柔らかな物腰ではあるが眼だけは射竦める程の鋭さを持っていた、銃火器の質問には現状幕府が擁している大砲・銃 全ての構造と製造技術は諳んじ、また並々ならぬ知識を有していようと観察でき、難しい質問にも諦めることなく知りうる知識を総動員しても答えようとする努力も認められた。
(こいつら…使える、このレベルの者は三田組にはいない、これなら欣也や幸司朗らにすぐに追いつくことは出来よう)
二人の名は水野敬三郎と小池一太郎、彼らは鉄砲磨同心で三十俵二人扶持、幕府所蔵の鉄砲全てを磨き込むことを御役としていた。
彼らは麻生に集住しており、そこから正則の番町の工場まではおよそ一里弱、通勤する距離としては問題なかろう、ちなみに欣也と幸司朗は正則宅に住み込み賄い付きで優遇されていた。
「貴公ら、光右衛門殿よりそれがしのこと…何か聞き及んでおろうか」
「はっ、御先手組頭様であり技術に優れ、我ら主人など足下にも及ばぬ凄いお方と聞いてござりまする」
二人は畏まって答える、見た目は彼らより四つ五つ年少に見える正則であるが光右衛門がよほど言い聞かしたのか…二人は畏敬の念を込め眩しそうに正則を見つめた。
(光右衛門は私の身の上には触れなかったようだ…んんどうしたものだろう。
タイムスリップのこと…どんなに巧妙に隠そうとも十日もこの工場で一緒に過ごせば彼らの能力なら看破は出来ずも奇異と映るは必定、やはり隠しての協力要請は不可能か)と正則は腹を決めた。
「各々方、これよりそれがしの言うこと…腰を抜かさぬよう聞いて下さい、このことはお主らの主人 光右衛門殿、また鉄砲方のもう一方 左太夫殿も承知のこと、故に本日見聞きしたこと絶対に外に漏らしてはならず、もし漏らせば貴公らの命は無いと思え」
正則は凄んで彼らを睨み付けた。
「はっ、我ら主人より本日三田様より凄い話を聞かされるが武士として狼狽えてはならぬと申し聞かされて御座ります、よってとうに覚悟は出来ておりますゆえどうぞその凄い話…お聞かせ願いとう存知まする」
二人は腹を切れと言えば躊躇なくこの場で切りそうなほど覚悟は出来ているようにも見えた。
正則は光右衛門が話を進めやすいよう心配りをしてくれたことが嬉しかった。
「それでは貴公ら、まずこれを見なさい」
パソコンを机に置き、蓋を開けて電源を入れた。
前もって二十分程に編集しておいた動画ファイルを開き、画面を二人の前に向けスタートさせた。
画面を見た瞬間、この二人も左太夫らと同様に音と映像に度肝を抜かれ一瞬体を仰けに反らし、すぐに驚きを取り繕うこともなく画面を食い入るように見つめ出した。
彼らの驚きを横目に正則は静かに立ち上がると明るい陽光に導かれるように濡縁側の障子を少し開けた。
爽やかな風が鬢を揺らす、睦月の八日というのに今日は朝から妙に暖かいと感じ、最近の狂ったような寒暖の乱れを憂いた。
天保四年に始まった大飢饉は天保六・七・八年にかけて最大規模と化した、天保十年まで続いたという説と天保七年までと定義する説もあるが、今年は九年…何とか脱してくれれば良いがと庭を望んだ。
そう言えば…この屋敷に来てから庭をゆっくり見る機会など無かったな。
城から帰るとすぐに工場に行き設計か物作りに没頭する毎日、何かにせかされるようにいつも急いていた、そう…前の世界でも同じだった、休日であろうと朝から食事も新聞も風呂も何故かせき立てられるように済まし、済ませた後 何を急いでいたのかと我に返り…こんなふうに呆然と庭を見つめたものだ。
三田家の庭は庄左右衛門の庭より格段に大きく手入れは隅々まで行き届きどんな隅にも草花が所狭しと植えてある、これは先代の性格だろうか。
正月からは晴れ間が続き残っていた雪は芝を濡らして消え、芝に続く向こうには早咲きの臘梅が満開に咲いていた、最近いい香りがすると思っていたがこの香りであったのかと気付き、昔 妻の洋子と行った梅林公園の景色が脳裏によみがえった。
視覚は茫洋と庭を巡り やがて庭石の陰に咲く房咲き水仙の群生に目がとまる、昨年の秋以降 妻を思い出すことなど無かったに梅の香りが昔を思い出させたようだ…。
正則は望郷の想いを切り捨てるように眼を瞑り障子を閉めた、そのときパソコンの音が耳に大きく蘇り振り返って彼らを見た、二人とも腰を浮かしたまま画面に食い入っている、映像は機動戦闘車の試射場面から155mm榴弾砲(FH70)の射撃映像に変わった所であろう、轟音のたびに彼らは身を捩るように体を震わせていた。
もうそろそろ終わる頃…刺激が強すぎただろうから次は静かな画像を見せるか…。
正則はiPadを取り出し、以前庄左右衛門に見せるため編集しておいた東京の街の賑わいや皇居・台場・秋葉原・上野浅草などの街々をスライドショーに用意して控えた。
彼らの前に座り映像が終わるのを待った、暫くして音が消え…彼らの溜息が聞こえた。
「お主ら、どうであった…」
と正則が言うも、彼らは心ここにあらずといった体で黒くなった画面を呆然と見つめていた。
正則は仕方なく手を叩いた、まるで催眠術を解くような仕草である。
その音で彼らは我に返ったように正則を見、そして化け物でも見るような怯えた眼を大きく見開き後ずさった。
「これこれ私は化け物でも幽霊でもないぞ、落ち着きなされよ」そう言って微笑んだ。
それでも二人はまだ怯えた顔で目を逸らした、無理も無いと正則は思う…絵ならまだしも実写で現実そのものなのである、彼らは先ほど映像を見ながらしきりにパソコンの裏側を覗いていた、これはチンパンジーと同じ行動パターンであろうか。
「驚いたか、今お主らが見たものはこれよりおよそ百七十年後の日の本の軍隊の兵器映像なのだ、映像と言って解らねば実像を切り取って映したものと解釈なされよ」
「あ…貴方は一体何なのです…人…ですよね」
怯えた物言いで言葉を発したのは敬三郎であった。
「人ですよ、しかし私は今より百七十年後の世界からやってきた者です、決して化け物ではありません、このことは光右衛門殿もようご存じですよ」
光右衛門も知っていると聞いて彼らも幾分落ち着いた顔になり、本日三田様から「凄い話を聞かされる」をようやく理解したのだ。
「このことで御座ったか……」と一太郎が唸り、二人顔を見合わせた。
「驚かせて相済まぬ、光右衛門も左太夫も…そしてうちの同心らも初めて動画を見た時はお主らと同様に怯えていた、故に恥ずべき事ではないゆえ安心しなさい」
「うちの御主人様もですか」と言って敬三郎が笑った、それに連られ一太郎も微笑んだ。
「心はほぐれたかな、では御話しましょう 私はいまから百七十四年前の平成の世からこの時代に落ちてきた者です、平成の世で私は航空機を設計製造していた技術者でした、航空機とはお主らが先ほど見た空を飛ぶ乗り物のことですが、私がなぜ百七十四年の時を超え この時代にやってきたかは定かではませんが、今はこう考えています…それはこれより百年後に外国と大きな戦(大東亜戦争)があり三百万を超える同胞が殺され日の本は完膚なきまで叩かれ負けました、もしこの国に守護神が居るのなら…この夥しい邦人の死をさぞ憂いたことでしょう、よって私はこの国の守護神よりこの時代に使わされた救世主であろうと考えているのです」
正則は言いながら紙芝居の台詞を言っている己に対し、笑いを噛み殺すに必死である。
しかし彼らは真顔で聞き惚れている、得てして人とはこんなものであろう。
「それでは先ほど映っていた未来の武器を造り攻め来る外国からこの日の本を守るべく使わされた人なのですね」と敬三郎は神でも見る目つきで正則を見つめた。
二人から畏敬の眼で見られ、少々芝居が過ぎたと思うが、これが単純明快で良いのだ…とも思った。
正則はパソコンを片付け二人の前にiPadを置いた。
「これも映像を見せる道具である」といってスイッチを入れ、先に用意したスライドショーを映し出した。
もう二人は驚くことはなかった、正則はこの絵は百七十年後の江戸の街を映したもの、よーく見たらお主らが住んでいる街が出てくるやもしれんぞ、と言って立ち上がった。
腹が減ったな…そう言えば朝餉を抜いたからか、もうそろそろ昼時 彼らに何か食わせてやらねば。
正則は一昨日作ったラーメンを思い出した。
あれを彼らに食わせてやろう、旨くて驚く顔が見物よ……。
正則は元の世ではラーメンが大好物であった、何処かに旨い店が出来たと聞けば次の日にはどんなに長い行列でも列んで食べたものだ。
それ故この時代に落ち 落ち着きを得ると次第にラーメンを渇望し、どうにかして作りたいと考えたが…この時代、小麦粉は有るが かん水が何処で手に入るかはわらず願望のみに終始していた。
ところが三日前不意に昔 友人から重曹を水に溶いて煮ると「かん水もどき」が出来ると聞いたことを思い出し「これだ!」とばかりに挑戦してみた。
まさにラーメンが出来たのだ、正則は嬉しくなり麺を多めに作り残していた。
初め「殿が台所に立つとは何事です」と用人に咎められたが…この時代、焼いた乾物や醤油で煮ただけの惣菜には飽きが来ていた、故に旨いものが食べたければ自分で作る、この信念の元 用人の小言を無視し暇な折は自らの手で料理をするようになっていった、それゆえラーメンに行き着くは当然の成り行きといえよう。
しかしながらこの時代は豚肉は売っていない、だと言ってラーメンにチャーシューが無いのは余りにも寂しい、そこで正則は多めの鶏皮で鶏肉を鳴門状に巻き表面をあっさり炒めたあと醤油と水飴でコトコト煮るとチャーシューに近いものが出来た、またスープは鶏ガラと煮干し、ネギ生姜を半日ほど煮て醤油ベースのスープに仕立てた。
出来上がったラーメンは麺は中太、それに海苔・チャーシュー・味付卵・白髪ネギを盛ると まるで佐野ラーメン風、以前栃木に出張のおり「日向屋」で食べたラーメンには到底及ばないが、それでも1年ぶりのラーメンはこたえられなかった。
正則は台所に行き、下女に先日教えたラーメンを五個作って工場まで運んでくれと伝え客間に戻った。
スライドショーが終わったのか二人は興奮気味に話しをしていた。
「お主ら、百七十年後の江戸の街はどうであった、見知った場所はあったかの」
「はっ、千代田のお城と浅草界隈は解りましたが…あとは全く……」
「それにしましても…人を大量に乗せて動く箱の様なもの…あのような便利なものが出来ますれば何と素晴らしいことかと」
「それならば お前らの手で作ったらどうだ、作り方などすぐにでも教えるが」
「えっ、あれが我々の手で……」二人は信じられないといった顔で眼をパチクリさせている。
「そうよ、あれは電車と呼ぶが この屋で学べば電車どころか先ほど見た空を飛ぶ飛行機さえ出来るわさ、お主らこれより先 私と一緒に勉強してみるか」
「はっ、是非にもお願い致しまする、先ほど見た連発に撃てる銃や速射に撃てる大砲など見るもの全てが素晴らしく…あのようなものが出来るとなれば我々鉄砲方に従事する身、もう死んでも悔いは御座りませぬ、是非にも是非にもお願い申し上げまする」と二人とも畳に額を擦りつけた。
「よし分った、それではこの屋敷裏の工場を案内しようか」
正則は立ち上がると廊下に出た、二人はその後に続く。
陽の光が心地よい空の下、三人は渡り廊下を歩き工場へと向かった。
工場に入り、作業中の欣也と幸司郎に「新しき仲間である」と二人を紹介した。
入ってきた武骨な年長者の二人に欣也と幸司郎は若干気圧された感じに見えたが…木製簡易旋盤の構造を説明する欣也、親螺子に嵌める砲金ブッシュの内径を笹っぱキサゲで仕上げる幸司郎の姿を見る敬三郎・一太郎は若い二人の技術の高さに逆に気圧されていた。
「幸司郎、旋盤フレームの断面設計は進んでいるか」
「はい、もう少しで終わります、やはり刃物台の案内形状は亜米利加式に致しました」
「ほーっ、亜米利加式は摺合せマスター造りが難しいと思うが…初心者には英吉利式の方が何かと楽ではないのか……お前ら無理はしてはいまいな」
「いえ先生、欣也のキサゲの腕があれば亜米利加式山形のマスター作りもベッドの摺り合わせにしても充分に可能と存ずる」
「よし分った、お前らに断面構造は任せたよって思うようにやりなさい」
「有り難う御座いまする」
この会話を聞いていた敬三郎と一太郎は、彼らが何を話しているか皆目見当が付かなかった。
その時、下女ら二人が盆にラーメンの丼を載せて工場に入ってきた。
「おう、来た来た お主らに旨いものを食べさせようと作らせたんだ、食って驚くなよ」
作業台の上に五個の丼が並べられ、めいめい丼の前の椅子に腰掛け 箸を握った。
「さぁ食べてみなさい」の正則の勧めで一同ラーメンを啜り始める。
食べ始めた途端「これは旨い!」の感嘆が工場に沸き上がった。
「先生、これは一体なんでしょう…うどんにしては細いし素麺にしてはコシと旨味が全然違う、それにしても旨い、このような旨いもの今まで食べたことが御座らぬ」と欣也。
「これはラーメンと言ってな、儂の時代では日本のソウルフードなんだ…と言っても分からんわな、まっ旨けりゃいいじゃないか、さぁ食え」
「先生、こんな旨いもの…浅草辺りで店を開いて売ったら大繁盛でござるよ」と幸司朗が鼻を啜りながら言う。
「そうかもしれんなぁ、我が家も貧乏所帯…副業にやってみるか」
「って先生も冗談ばかり、商売気も無いくせに」と欣也は声高に笑った。
この会話を聞いていた敬三郎と一太郎は唖然とした、鉄砲組では主人の光右衛門の顔さえ年に数度見られるかというほどの雲の上の人、ましてや軽口を言いながら一緒に食事をするなどは有り得ないことであった。
それに比べ千五百石直参旗本御先手組頭の三田家当主…普段であれば目通りさえ叶わぬ尊き御方、その殿様に対し友人にでも喋り掛けるような組同心の態度…二人は言葉さえ無かった。
敬三郎と一太郎はつい先日まで来る日も来る日も鉄砲を磨いていた、銃庫全ての銃を数年掛けて磨き終わるとまた最初の銃から磨き始める、こんなことをもう十年以上も続けているのだ。
父も祖父もまた曾祖父もこの鉄砲磨きをやっていた、二百年以上も使われることのない骨董銃を何のために磨くのかはもう考えなかった、飽きという以前に生まれたときからの定めと諦めていたのだ。
しかし最近幸右衛門から時勢だとて銃器の絵図面を銃磨き同心にも描かせ、能力有るものは銃研究与力の助手に取り立てるという話しに千載一遇の機会と飛びついた。
磨きと修理の毎日から銃の構造は隅々まで知り尽くし、またその構造の欠陥点も分かっていた、だから彼らは己らが銃を作るならこんな銃を作りたいと絵図面に魂をぶちまけたのだ、これが光右衛門の眼鏡に叶った、二人は与力に呼ばれ今日から儂の下で新式銃の工夫をせよと申し使ったのだった。
そして年末に光右衛門に直々に呼ばれ、儂よりも御先手組頭であられる三田様に学べと言われた、光右衛門曰く儂など足下にも及ばぬ凄いお方…と聞いていた、彼らは銃器に関しては光右衛門がこの日の本の頂点と教えられてきただけに、足元にも及ばぬ御人が存在するなど有り得ないと本日臨んだのであるが…。
やはり光右衛門のいうとおり それは人ではなく彼らには神と映ったのだ。
その神に対し同心風情が友人に話すような不作法さ、また神もそれに怒ることなく笑顔で返す優しさ…それはもう生殺与奪の権を握る主従関係を飛び越え、技術に真摯に取り組む師弟関係に映っていた。
我々はその仲間に入れてもらえる…その嬉しさに涙が零れた、泣きながらラーメンを啜る二人に(泣けるほど旨いのかこのラーメンは…これは商売になるな)と正則は勘違いをしたのであるが。
ラーメンを食べ終わり、二人を設計室に案内する、年末に光右衛門から二名くれてやると聞き急遽スペースを増大し工場の北側全面を設計室に改装したのだ。
製図板は全部で五台、左太夫に渡すドラフターを鍛冶屋に頼む際 今後の増員の考慮と現状の不具合を改良した十台のドラフター製作を頼んであったのが幸いした。
よって五台の製図板には真新しいドラフターが装着され、図板には礬水が効いた厚手の麻紙がピーンと張られ、脇机にはこれも真新しい数種のカラス口・刷毛・算盤が置かれてあった。
二人が驚いたのは製図器もさることながら個々の製図板上に設備された変わった形の行灯照明と設計室の暖かさにあった、初めて見る達磨ストーブ上部は赤熱し煙突が屋外に通されてあった、故に室内の空気は澄んで北側というのに暖かく、明るい照明に室内は春のように華やいで二人には映った。
二人はただ呆然と立ちつくし、洗練された住環境に驚き 憧れていたこれからの技術三昧の日々を想うと再び涙がこぼれて落ちた。
そしてあてがわれた製図板下の椅子に座りドラフターを震える手で握ってみた、何処へ移動しても直角に組まれた二本の竹定規がそのままの角度が維持される不思議さに もう未来技術の凄さを感じてしまう二人だった。
「欣也と幸司朗、彼らに製図器の使い方と墨入れの技を教えてやってくれぬか、それと二人には日課として午前中は勉学、午後よりは実習としてヤスリ掛けとキサゲ掛けの技も教えてやれ。
設計は儂が頃合いを見て始めさせるよって それまでは基礎をしっかり身につけさせよ。
それと幸司朗、頼んであった三角関数の真数表は出来ているか」
「はっ、出来ており申す」
「よし、これを数部コピーして彼らにも渡してやれ、まずは彼らに加減乗除はもとより指数法則から三角関数へと進めさせ、併せて応用力学はニュートンの運動第一から第三の法則までを進めてくれぬか、期間は取り敢えず二ヶ月、彼らの頭に詰め込むだけ詰め込んでやれ、それで試験を行い彼らの適正を見極めるよってな」
「分かりました、貴公らこちらに集まってくれ」と幸司朗が二人を設計室右側の空いたスペースに設えた打合せ用の机に座るよう指示し、壁に掛けられた黒板に欣也が向かい、石膏を練って棒状にしたチョークで問題を書き始めた、彼らの数学レベルを見ようというのであろう、正則はそれを見て「後は頼む」と言い残し工場を後にした。
いよいよ始まるか…新しき技術時代の到来、五カ年計画は何としても達成せねばと心に誓い、渡り廊下で立ち止まり青く抜けた冬の空を見上げた。
それから十日後、暖かかった日差しは再び冬の暗い雲に覆われ冷たい風が吹き始めた、正則は縁側に立ち 半時前より降り始めた雪を見つめながら(春はまだ遠いな…)と感じつつ昨年の暑い盛りを懐かしく思った。
あの会合の夕、三人に乗せられ気が付けば「微力ながら皆さんに協力し新政府樹立へと導いてみましょう」と安易に請け負ってしまった。
あれからあれよあれよと事が進み、気付けば自邸奥の蔵を工場に改装し技術者を育成し始めている、また幕府銃砲工廠建設や工廠設備の準備なども着々と進み今や本承認が下し置かれるのを待つばかりとなった。
軍政改革の勉強会も未だ密かではあるが、正則を講師として月二回の持回りで各組頭の屋敷で開催し、併せて幕府転覆を企図する軍事クーデターの詳細も検討され始めた。
あの日…そうあれは秋口の勉強会の時だったか…幸右衛門の屋敷で他の組頭が参集する前に庄左右衞門・左太夫・幸右衛門の三人に本日の議題である「軍政」に関し、事前に理解を深めてもらおうといつものように語り始めたが…その内容が不意に思いだされた…。
「さて各々方、幕府評価の続きは後日として本日の議題である「軍政」について皆さんには事前に私の思うところを聞いておいて下さい」
正則は三人の眼差しを見て回った、しかし一様に瞑目し これまで語った幕府諸問題をどう受け取ったかは読み取れなかった、だが正則の次の言葉を待っているのは確かのようだ。
「方々はいずれも武官としては一流と存じ上げます。
ご存じの如く番方は常備軍として殿中・城門の守衛、城番、上様出行時の供奉などを職務としておりますが、中でも大番組・書院番組・小性組番・新番組・小十人組・徒士組・百人組・先手組などは傾きかけた幕府内にあってもその役目は立派に果たしておられると常々拝察しております。
しかし私から見て番方組数が多すぎることも問題ですが、それより差配違い・役違いでその多くの管理が交差重複していることの方が問題であろうと私は考察するのです、それは現状のままではいざ戦となったとき命令系統に混乱をきたし俊敏に行動に移すことはまず不可能と思われるからです。
これは二百有余年 実戦の経験が無いことから形ばかりの組織になってしまったということです、そこで私が知りうる倒幕後の新政府またそれ以降の日本の実践的軍政がどのようなものであったかを紹介しましょう、今の時代にそぐわない部分も有りますよってまずは参考程度に聞いて下さい。
軍政とは軍事行政とも言い軍組織を管理し運営するための“行政活動”です、なお行政とは一般的に公的事業の遂行・管理を意味しますが、軍事でも同様の意味を当てはめることが出来ます。
軍事行政とは軍運営における人の管理や会計の諸業務など「業務」を管理する行政活動の実施にあたり政府と軍の関係調整を基本に作戦部隊の行動準備を可能にする活動と言えるでしょうか…」
以降、正則は三人に軍事行政を基軸に軍政と軍令の機能や違い、また具体的な軍事行政緒問題や戦略・戦術・兵站を含む軍事の組織・管理・行動・運営について事細かく説明していった。
「ざっと軍政について説明致しましたが、お聞きの通り現状の幕府は軍政以前の実情と言うことがこれでお分かり頂けたと思います、軍政改革とは軍政有っての改革です、正直申し上げて今の幕府に軍政と呼べるものは無きに等しいと考えますが・・いかが」
「正則様、無きに等しいと言われたらその通りかも知れませぬ、しかし正則様はまだ新任でご存じないかも知れませぬが、今言われた軍政・軍令に比べれば拙劣かもしれませんが機関としてはそれに近い活動も行っておりまする」
と左太夫は多少不服の想いなのか同意を求めるように庄左右衛門を見た。
「そうじゃな、我が鉄砲組頭衆が軍令ならば老中・若年寄は軍政といったところか、しかしきちんとした規範は無いわな。
ところで正則殿、貴殿が言われた軍政と軍令、これらをなぜ峻別するのか説明してくれんかの」
「はい、軍政と軍令の分離を強調したのは帝政独逸と日本ですが、他国ではそれほど強調されてはいません、それどころか私の時代では絶対であるシビリアンコントロールは軍政が軍令の上に位置するのが絶対ですから分離は特殊事例と言えましょう。
ではなぜ分離を強調したのか、それは独逸や日本の軍人はシビリアンコントロールを恐れたからです、政治家や行政府の官僚に振り回されるのは嫌だ、少なくとも軍事が関係する項目は全て自分達軍人が決めたい、そう考えるのは軍人としては当然ですよね。
しかし、現実には軍事予算は政府が握っており陸軍大臣や海軍大臣は総理大臣の指揮下にあります、つまりシビリアン(官僚や政治家)が軍の首根っこを抑えているということになります、それゆえ【しょうがない、軍政がシビリアンの影響を受けるのは認めよう、だが(自分達の本業である)軍令には絶対口を出させない】という軍部のわがままがが軍政と軍令を分離したのです。
独逸でも日本でも軍は非常に大きな影響力を持っていましたから軍の要求を政府が無視するのは難しいと言わざるを得ません。
その結果、他の国ではまず認め難い軍令の独立性が認められてしまったわけですが、まぁ帝国として成立した頃の両国は国家の体裁はともかく社会的にはまだまだ成熟していなかった(現実に強い暴力を握っている組織がわがままを言ってしまう)って事なんでしょうか。
さらに言うと、軍に影響力を持っていた当時の大物連中が俄仕込みの議会政治など信用していなかったのも原因の一つと思いますね。
さて今の説明は倒幕後、薩長を基軸とした明治新政府とそれ以降の日本軍の軍政をお話ししましたので耳慣れない言葉が端々に出たと思いますが、その意味合いは分かって頂けたと思います」
「軍部の暴走を抑制することをシビリアンコントロールと言うのは分かったが もう少し説明を加えて下さらぬか」
「はい、シビリアンコントロールとは和訳で文民統制を意味します、軍事に対する政治優先あるいは軍事力を民主主義的統制で制御することを指します。
すなわち、民衆が選挙により選出した民の代表が、軍事に対しても最終判断及び決定権を持つ、つまり民主主義における国(民)の安全を保障する政治政策の「基本的原則」と言えましょう。
民を主体とする国においては、戦争また平和とは民の生命・安全・自由に直結する最重要問題であるため主権者である民の代表者がこれを判断・決定する必要があると言うことです」
「ほーっ、民が軍事に口を出すどころか それらを判断決定する権限があるというのか、ふむぅ俄には信じれん話じゃて」
「そうですよね今の時代 民が軍を統制するなんてとても考えられませんね、しかしあの大戦で三百十万人という夥しい戦死者を出し日本はこっぴどく負けました、原因は軍部の暴走によるところ大として独走しがちな軍部には任せられないと この統制原理が採用されたのです、しかし実際に戦争、いや大戦になった場合、民が本当に軍部を統制できるかは前例が無いだけに何とも言えませんが」
「さて正則殿、近世の軍政・軍令はおおよそ理解できたが、この制度を幕府に取り入れるとしたらどんな手が有るのかの、貴殿の案がもしお有りならば是非にも聞きたいのじゃが」
「はい、お話しするにはもう少し考えを纏める必要がありと先程申しましたのはこの点です、現世に合う軍政・軍令の規範作りは幕府の役方・番方の構図と諸問題をもう少し調査しないと定まりませんし、貴方がたの御意見も取り入れながらこれから作り上げたいと思っております」
「そうか、では早々に粗で綱領を作ってもらおうかの、それを以て我ら今日のような集まりをさらに活発化しようではないか」
こうして御先手弓・鉄砲頭を主軸に各所の武官らが参集し勉強会は着々と高度なものに仕上がって行き 併せて結束もより強固なものになっていった。
そんな中、三月に念願の工廠建設の本承認が下り、五月より着工 銃火薬工廠は深川洲崎十万坪の内陸側に高潮を憂いて五尺高さの土を入れ二万坪の台地とし、工業用水は隅田川の永代橋下流より運河状に引き込み工廠建設は着々と進んでいった。
光陰矢のごとし、正則にとって工廠建設の本承認以降の日々は目まぐるしいものになっていった。
工廠完成後に整備する工作機械を少しでも多く作ろうと、屋敷裏の北蔵も工場に改装し、そこには屑鉄溶融炉を整備し鋳造設備も整えていった。
また工員として将来工廠で本雇いになることを約し鍛冶屋十六名を雇い毎朝出勤させた、そのため近所の旗本屋敷からは不穏な人の出入りと工場から噴き出す煙や音の中傷苦情は後を絶たず当時妻となった志津江は毎日のように謝って回る日々が続いた。
一方工廠群は年を追って、製鉄棟・工作棟・化学棟・火薬製造棟・薬莢雷管成形棟・弾体実装棟の計六棟を完成させ、延べ床面積約四千坪の工廠棟群を4年の歳月をかけ完成したのだった。
中でも最大規模の製鉄棟内の設備立上げには2年の歳月を要し、コークス炉・高炉・溶銑予備処理設備・転炉・二次精錬設備・圧延前処理鋳造設備・圧延設備など整え 現代の銑鋼一貫製鉄所にはほど遠いが日産一千貫の少量ではあるが鋼の圧延材が生産出来るまでになっていた、また炉の廃熱を利用し百KVAの蒸気タービン式発電機二基も併設していた。
工廠棟群のうち工作棟だけは工廠建設着手の翌年二月には稼働を開始していた、これは正則の屋敷裏の工場で欣也らが努力し相当数の工作機械を完成させていたからだが。
工作棟の設備はベルト駆動の旋盤大小十八基・フライス盤大小十基・ボール盤大小十二基、またその二年後に稼働を開始したモーター駆動の大型肩削り盤二基と平面研削盤・外内径研削盤・工具研削盤・ワーク回転型ガンドリルマシン・腔旋加工用ブローチ盤等も数基づつ設備が整えられていった。
こうして工廠建設開始から瞬く間に四年の歳月が流れ、現在工作棟では小銃日産二十丁ほどだが生産でき併せて各種工作機械も引き続き生産していた。
また工作棟より一町ほど離した化学棟とは分厚い煉瓦で隔絶させた火薬製造棟・薬莢雷管成形棟・弾体実装棟も今年から少量であるが小銃弾が生産出来るようになってきた、そして各専業職人も全棟合わせ五百名を超える大所帯に成長していたのだ。
正則は今 工作工場二階の工廠長室に陣取り、窓越しに秋の海を見ていた。
この四年で何とか形ばかりは整えたが実質が全く伴っていないと正則は思う。
幕府より最大射程六里の榴弾砲生産を急げと命じられたは昨年末…そのような大型砲身が加工出来る工作機は全く間に合わなかった、また四寸榴弾の薬莢深絞りがうまくいかず、取り敢えずは真鍮板のロール曲げにロー付けという代替えで凌いだが今度は大砲用無煙火薬コルダイトの量産が間に合わないなど小銃だけで手一杯の状況にあるなか、大砲の生産となれば問題は続出である。
それに各部署の管理能力不足が露呈、自分を含め御先手鉄砲組頭十二名と鉄砲方二名を幕府御用兼任で管理職に付かせてはいるが…まともなのは庄左右衛門と光右衛門・左太夫の三名のみ、後はいない方がましなくらいである、それに比べ正則が教え子の敬三郎以下十五名の若き技術者の能力進歩には素晴らしいものが有ったが…その上役連は逆に彼らの足手まといになっている感は否めなかった。
これら若年寄差配の権威ばかりで無能は管理職…この職制は幕府旧態依然であろう、改革の旗印として始めた工廠なのに幕府が行う他の無駄ともいえる事業と何ら変わることが無いと正則の不満は年を追うごとにつのっていった。
幕府番方数千人の中には優れた人材はいくらでもいるはず、柵の枠を越え何とかそれらを招聘出来る手だてはないものかと正則は海を見ながら考えていた。
「工廠長、そろそろ大学に行く刻限では御座らぬか」庄左右衛門が工廠長室の扉を開け顔を覗かせた。
「もうそんな時間でしたか……では庄左右衛門殿、後を頼みます」
正則は昨年夏、銃火薬工廠建設の功労として三年前より急接近した老中首座水野忠邦の引き立てで上様より従五位下・諸大夫・伯耆守を受領し二千石を加増され庄左右衛門の上役になっていた。
正則は刀を帯に通し部屋を出た、そして工廠入り口までの左右の機械群を見ながら急いだ。
入口にはすでに馬廻り役が轡を取って待っていた。
正則はその一頭に飛び乗り、警護の馬廻り役とともに北へ轡をとった、行き先はこの春に開校した幕府技術大学校である、場所は不忍池西の榊原式部大輔屋敷跡に煉瓦造りに建てられた学舎である。
正則はこの大学の総長も兼任していた、この大学には取り敢えず工学と化学の二つの学部を設け工学教授には欣也、化学教授には一太郎を配した…大学を作るとて工廠からこの二名を過渡期に失うことは正則にとって非常に痛かったが数年の後には能力者が数百人となって帰ってくることを想えば致し方なしとて二名を大学に出したのであった。
馬は永代橋を渡り一路上野方面へと走った。
昼過ぎの秋空は高く澄んでいた、四年前の渡り廊下で思った新しき技術時代の到来を感じた際の空の色、あの時の空はもっと澄んでいたな…と、この四年間の貧道を悔い計画遅れを早期に挽回しなければと再び心に誓ったのだ。
来年の冬には第一次五カ年計画が満了する…第二次は軍政を整え陸軍・海軍の創設と各軍工廠の整備、第三次は空軍創設とクーデターにより政権を奪取し国内を三年以内に平定する、そして黒船来航の年に第三次計画を終えいよいよ海外覇権に乗り出す時を迎えるのか…正則は唇をかみしめ馬に鞭をくれた。




