第3章 6-2 決意表明
再び本部道場の茶室で、千哉が菫子へスヴェータより得た情報を報告する。これは狩り蜂として得た情報なので、警察より先にまず菫子へ報告するべき内容であった。
「蕗春を襲った火というのも、ロシアの狩り蜂ではなく、その火の魔神に憑かれた何者か……ということで、よいのね?」
菫子は初夏のやや薄い着物へ袖を通し、見るからに涼しげだった。模様が全て手縫い刺繍の、目玉が飛び出る値段の特製西陣だ。しかも、太正時代の貴重品だった。
「はい。あと、あるいはジヤヴェークの配下の精霊か……。さすがに、相手はロシア狩り蜂協会の正式な会員です。狩り蜂が狩り蜂を襲う案件でもありませんし……世界狩り蜂協会への手前もあります……なにより、あの子は、そういう子ではないと判断します」
「貴女が云うのなら、そうなのでしょうね」
菫子が、また寸分の狂いも無駄もない水の流れか風の囁きがごとき動きで茶を点て、千哉へ出す。千哉でなければ、見ほれているうちに知らぬ間に茶が前にあるほどだ。
千哉はこれも美しい八尺天心流の所作で、無我がそのまま動いていてるように茶を喫み、碗を返すと、
「では、我々としては……」
「ロシアには、許可を出しておきましょう。そのうえで、何かしら協力をせざるをえないでしょうね。向こうは断るでしょうけど、ここは日本ですもの」
「はい。おそらく、代々木界隈は……」
「できるかぎり、消防や警察で一般市民の避難と保護を」
「わかりました……」
千哉は再び茶を点て始めた菫子を、幻でも見るように観ていたが、
「先生。ひとつ、分からないことが」
「なに?」
お茶をお代わりを出し、菫子がしっかりと千哉を見つめた。
「スヴァロギッチは、どうしていきなり、あのような目立つ事を……? いままで隠れて手下へ放火をやらせていたのに」
「そうね……」
菫子が静かに眼をつむり、そして再び開けた。うって変わった眼の光に、千哉の背筋へ冷や汗が伝った。師であり、同じ狩り蜂としてすら恐怖を覚える、その凄まじい眼の色……。日本最強にして、世界でも五本……いや、三本の指に入る伝説の狩り蜂の眼だった。
「ある種の決意表明……でしょうね。おそらく、叱責されたことへの」
「叱責? 魔神を叱責するものが!?」
千哉が目を丸くして、思わず声を荒らげた。
「いったい……!?」
そして、息を飲んでジッと菫子の厳しい顔をみつめた。
「もしかして……」
「分からないけれど……それがいちばん、しっくり来るでしょう? きっとロシアの人たちも、本命はそっちなんじゃないかしら?」
千哉の手が、緊張と恐怖で細かく震えだした。
もしその推測が正解であったならば、火の魔神とそれへ憑依されている哀れな犠牲者は、これから日本で暴れ出す最初の魔神憑きにすぎない。
「万が一にそなえて、自衛隊にも内々に連絡をしておいたほうがよいでしょうね」
つまり、もしかするとそれだけの「災害レベルの」被害が出る可能性があるということだ。千哉がゴクリと唾を飲んだ。
「……うちから都へ連絡するよう、上申しておきます」
「急いだ方がよいでしょう」
「はい」
今の今まで晴れていたのに、急に雲が出たようで、茶室のほのかに明るい障子窓がにわかに暗くなった。
その、夜である。
山桜桃子と同じ棟の、奥の間で静かに眠っている菫子のかたわらに、幽体のゾンが出現した。広い部屋で、常に二人の免許が寝所を護っている。ゾンはその二人へすら、何の気配も感じさせない。土蜘蛛ではなくゴステトラであるにしろ、いきなり菫子の眠っている布団の傍へ現れることができるのは、おそらくゾンと千哉のマサのみであろう。
「……どうしたの?」




