第3章 6-1 ロシアの神々
「フン!」
スヴェータはコンスタンチン達を見もせずに、不機嫌と幸せの中間の微妙な顔でわざとパンケーキをゆっくり食べだした。
「あんたもたいへんね」
千哉は片肘で頬杖をついて、苦笑しながらそんなスヴェータを見やった。
「ね、ウチの山桜桃子と仲良くてしてやって」
「ユスラコ?」
スヴェータは単語の意味が分からないと云った顔をしていたが、
「ああ、アイツ。名前なの、それ」
スヴェータの眉がひそまる。あんな取っ組み合いのケンカをして、まだ両者とも傷だらけなのだから無理もないが、
「ま……別にいいけど。監視という意味でね」
「それでいいから。さいしょはね」
千哉が、そう云うと思ったというふうに、にっこりと笑った。
「ユスラコってどういう意味?」
「珍しい名前だろうけど、花の名前よ。きれいなお花」
「ふうん……」
「ベリーみたいな実もなって、美味しいのよ」
ロシア人は、野生のベリー類やキノコが大好物である。スヴェータの眼が、関心で光を帯びた。
それから十五分ほどたわいもない話をし、いよいよパンケーキを食べ終わったスヴェータが席を立った。
「ごちそうさま。ホントにいいの?」
「もちろんもちろん!」
「ありがと!」
歳相応の愛らしい笑顔を残し、スヴェータは店を出て行った。
残った千哉は冷えた紅茶を一口すすり、うって変わって難しい顔となった。
「三月……か……」
そのまま目をつむって腕を組み、カフェ内の喧騒もかまわずしばし沈思する。
「まさかね」
その表情は、しかし、確信に苦悶していた。
6
ロシアという国は意外と歴史が新しく、東ヨーロッパの広大な無人の大地に初めてスラヴ諸民族が定住し始めたのが七世紀から八世紀にかけてであって、オレーグ聖公によって史上初めてのスラヴ人国家「キエフ・ルーシ」が誕生したのが西暦八二二年。日本は既に平安時代であった。
西暦九八八年にはビザンティン帝国より伝わったギリシャ正教へ帰依し、ロシア正教としてロシアはキリスト教国家となった。そして、それまで信じられていた古代の神々を全て失って、微かに年代記などにその名を残すのみとなった。
その後は緩やかに発展と衰退を繰り返し、十三世紀にモンゴルの襲来を受け、ロシアは国家として完全に崩壊した。その後四百年間、スラヴ諸民族は「タタールの軛」として名高いモンゴル帝国とその後裔国家の支配を受けたが、ロシア人の中にもモンゴルとの仲介役で地位を築いた者が現れ、公国として自治を得るまでに到る。そして、次第にモンゴルから独立して新しい王朝を建ててゆく。
かの高名なイヴァン雷帝が周辺の諸公国を統一し、ロシア諸民族の長として初めて「皇帝」を称したのが西暦一五四七年で、残っていたモンゴル系ハン国も攻め滅ぼしロシア帝国の礎を築いたが、圧政により同時に戦乱の種もまいた。その後、王朝の断絶や新王朝の勃興、偽皇帝の出現などの大動乱を経て、ようやく古い大貴族であったロマノフ家によってロマノフ朝が建ったのが西暦一六一三年であった。以後、一九一七年のロシア第二次革命で王朝が滅亡するまで、三百年間に渡ってロシア帝国は繁栄する。
さて、ロシアの年代記などによると、火の神スヴァロギッチは、太陽神タジボーグと共に天の神スヴァローグの息子である。しかし、キリスト教の伝来によりロシアの古代の神々は全て忘れ去られ、今となっては具体的にどのような信仰を集めていたのか、どのような神であったのか、よく分からない。スヴァロギッチも特定の神話などは伝わっておらず、ただ名前のみが各種の年代記に登場する。
「それが、日本で……ね」




