吸血鬼
「ねぇやっぱり明日にしよう? もう遅いし」
すっかり情けなくなってしまったジャンヌが、エルヴィラの隣で怯えた声を上げる。
「まだ夕方だろうが、子供だってまだ広場でかくれんぼしてるぞ」
エルヴィラの言う通り、まだ陽は沈みきっていない、薄っすら闇が空の向こうに広がり始めているが、それでも、真上を見上げれば茜色だ。
普通に人が活動する時間内だ、そんな街中を魔女と騎士が歩いている。
ただそれだけだ、いや、それだけというにはあまりに力関係がありすぎている。例え今ここで強盗に襲われたとしても、騎士と魔女の三人なら瞬時に解決できてしまうだろう。
だというのに、ジャンヌは不安でいっぱいだ。
異端狩りだとか、マギアに対しての不安なら分かるが、今この騎士団の団長が怯えているのは、昼間に聞いた吸血鬼の話に対して。
つまり、怪談にビビっているだけだ。
「情けねぇな、いい加減にしろよ忘れ形見、お前がくだらねえ事にビビってるから、わざわざ吸血鬼の目撃場所からかなり離れた場所まで来てるんだぞ、墓場からも若干離れてるんだからな」
「エルヴィラ、誰だって苦手なものくらいあるよ…どうしてもダメなものはどうしようもないんだから、強制するなんて間違ってるよ…エルヴィラだってお肉嫌いでしょ?」
「残念でした、私は別に肉が嫌いなわけじゃねぇんだよ、ただ食わねぇってだけだからな」
「んー、なんだろ、エルヴィラの場合は何故か菜食主義っていうより、ただの好き嫌いにしか見えない」
魔女二人が少し揉め始めたので、いつもの調子を取り戻せるようにジャンヌは無理矢理自分を奮い立たせる。
自分が弱気になってるせいで迷惑をかけてたら話にならない、私がしっかりしなければ、と。
だが、そういう理屈を上回るのが恐怖という感情なわけであり、実際今もジャンヌは内心怯えている。
奮い立つ事など出来ていない、ただの痩せ我慢だった。
(あー、なるほど、魔獣化した村長も、こういう恐怖に耐えきれなかったんだろうなぁ)
あの老体で良く魔力に耐えれたものだと、エルヴィラは感心していたが、アレは理不尽な怒りで無理矢理体を動かしていただけだろう。本体にはとてつもない負担がかかっていたはずだ。
怒りが恐怖を生むのか、恐怖が怒りを生むのかは分からないが、どちらにせよ、一方の感情に支配されていては良い結果は出ない。
村長の二の舞になるのはごめんだった。
「よし! そうだね! 私がしっかりしなきゃだ!」
「おお、その調子だぞ忘れ形見!」
「だからとりあえず早く仕事終わらせて、暗くなる前に帰ろう!」
「どんだけ怖いんだよ」
こんな調子で、まだ回っていなかった家や店に行き、ひたすら聞き込みを続けた。
相変わらず答えは「知らない」「見ていない」ばかりで、成果はなかったが、それと同じくらい、ジャンヌの心をへし折る話題が人々から出てきた。
最近この辺で吸血鬼が出る、と、もっぱらの噂になっていた。
「どこもかしこも吸血鬼だらけじゃねぇか! なんでこんなに話が広まってるのに騎士団にはなんの報告も無かったんだよ!」
「み、みんな半信半疑だったんじゃないかな…ああ…マジかぁ…もうこの辺も吸血鬼範囲内なんだ…」
「でもみんな…言うわりには緊張感無いよね…なんでだろ…少なく無い数の被害が出てるのに…」
ベンチに三人揃って座りながら、それぞれ思い思いの事を呟く。
流石に辺りも暗くなり、お互いの顔が良く見えなくなってきた。
だが、まだ人は大勢いる。人の活動時間ではあるのだ。
というか、今までの戦いは全て夜に行われていた、薄らぼんやりと暗いだけなら、まだ明るい方に入るとエルヴィラは思っている。
(しっかしなぁ)
ジャンヌが今回、本当に役に立たない。さっきから全然覇気を感じられないのだ。
事件そのものは確かに存在している、被害者だっている、しかし、その犯人が吸血鬼だと決めつけているのがナンセンスだ。そもそも吸血鬼というのは架空の存在、実在しない虚構に怯える気持ちが分からない。
だがまぁしかし、ここまでくると、ドールの言い分が通ってくる。
このまま無理させても良い事は無さそうだ、というかそもそも、今日はもうこれ以上の成果も無さそうだ。
「一旦帰るか…そういや腹減ったし…白髪頭も他の連中も、もう帰ってる頃だろ」
エルヴィラが言うと、ジャンヌは分かりやすく表情を明るくさせた。
「私もそう思ってたんだ! もう夕飯時だし、今から訪ねるなんて非常識だもんね、うん、帰ろう! 私まだ仕事残ってるし!」
「お前なぁ…」
一言文句でも言ってやろうかと思ったが、やめた、もう既にめんどくさくなってきたからだ。
探知地図にも反応は無い、今宵この街に異常は無いだろう。
そうして一行は、足早に元来た道を引き返して行く。しかし、帰路の途中もジャンヌはどこか落ち着かない様子だった。
(こんな一面もあるんだな)
先代からは想像も出来ないような、ある意味人間らしさを感じた。
やがて墓地の側を通った時、エルヴィラは、昼間感じた違和感を思い出し、歩みを止めた。
「なんか…やっぱり引っかかるんだよなぁ」
「どうしたのエルヴィラ?」
「お腹痛いの?」
ジャンヌとドールが振り向いて声をかける、エルヴィラは適当に相槌を打ってから、そそくさと墓地へと侵入しようとした。
「ちょっ! 何やってるのエルヴィラ!」
「お前ら先に帰ってろ、私はちょっとこの辺調べてから帰る」
「そう言うわけにはいかないよ、何があるか分からないのに…」
すっかりいつもの調子を取り戻したジャンヌのお節介に、エルヴィラは苛立ちを隠そうともせず、手でシッシと二人を払う仕草を見せながら言う。
「普段の忘れ形見ならともかく、今のビビリ野郎と化してるお前がいても集中出来ねぇんだよ、別に長居するつもりは無い、用が済み次第すぐ行くから、さっさと帰れ」
言うだけ言って、エルヴィラは二人の返事を聞かずに中へと侵入した。
そして即座に『防衛の魔女』一同の墓がある場所に向かう。
もうすっかり片付けられて、元どおりになっている、多少墓石が欠けたりしているが、それでも、十分元通りと言えるレベルにまで修復されていた。
だが、エルヴィラが気になっていたのはそんな事では無い。荒らされた墓の状態など、今は問題では無かったのだ。
「あんな普通じゃねぇ状況から、更に私が違和感を覚えたのは…どこだったかな」
昼間の自分の行動を思い出しながら、付近をウロウロと徘徊する。まだ陽が落ちてさほど時間は経っていないとはいえ、既に多くの人が家の中にいる頃だ。
そんな中、墓場をウロつく少女というのは、相当に不気味な光景だろう。
誰かに見られれば、新たな怪談話にされるかもしれない。
しかし、そんな事は一切気にせず、エルヴィラは調査を続けていく。
「…ん」
そして、その違和感の正体に気付く事が出来た。
いや、それは異変というには、あまりに日常的すぎる光景だったのだ。更に言えば、興味の無い人間から見れば、異変ですら無いとも言える。
エルヴィラが気付いたのは、ある墓の周りにだけ咲いている小さな白い花だった。
「供えられた花から種が落ちて咲いたのか? いや、違うな、そんな普通のことじゃねぇ…あまりに自然過ぎて見落としてたが、こんなにも自然の摂理からかけ離れた花はねぇよな」
エルヴィラはしゃがみこんで、小さな花を指で撫でながら、周りの花と見比べる。
「これ、シクラメンだ、冬に咲く花…今は紫陽花が綺麗な季節だってのに…周り咲いてる花も、色鮮やかなポーチュラカがほとんどだ、それなのに、なんだって冬に咲くはずのシクラメンがコイツの墓の周りにだけ咲き乱れてるんだ?」
しかし、エルヴィラの思考はそこで止まる。いや、強制的に別の場所へと意識を向けざるを得なくなったのだ。
背後から急に声をかけられ、エルヴィラはクルリと振り向く。
「君、こんな時間にこんなところで何をしているんだ?」
声をかけてきたのは、まるで繊細なタッチで描かれた絵画のように整った顔立ちをした、美青年だった。
黒髪で長身の彼は、口元に微かに笑みを浮かべながらこちらに近寄ってくる。
「肝試しか? それにしては時期が早い、まだ十分寒いと言える日が多いからな、わざわざ肝を冷やす必要が無いだろう…それに、君のような幼い少女が、こんな時間まで外に出ていては危ないぞ」
「そんなつまんねー理由で、こんなとこウロつくわけねぇだろ、誰だお前、何の用だ」
警戒心むき出しで、エルヴィラは相手を威圧する。もしも、男が声をかけた相手がエルヴィラではなく、ジャンヌやドールだったなら、もっと穏やかな会話ができたかも知れない。
話している内に、自然に警戒心が解ける、そのぐらい、彼は容姿端麗だった。不気味なほどに、美しかった。
だが、あいにくエルヴィラに異性への興味など微塵も無い。
その証拠に、既に袖の下にはナイフを隠している。
「用はない、俺は心配で声をかけただけだ、最近この街では…変わった事が沢山起こっているからな…知ってるか? 森に現れた魔獣に、魔女の住む館、そして吸血鬼…」
「全部騎士団が解決してくれる、吸血鬼がどんな奴か知らねえけど…もうじき片付くだろ…ってか、別に見知らぬ男とお話しする気はねぇんだけど」
いや、もし相手の正体が分かったとしても、まともな会話などする気はさらさらないのだ。
一般人なら無視するし、敵なら始末する。
だがしかし、エルヴィラのそんな思いを知ってか知らずか、男はごく当たり前のように自己紹介を始めた。
「そうだな、名乗りもしなければ怪しまれて当然だな。俺はクロヴィス、旅人だ。この街には…あの有名な『防衛の魔女』一同の墓があると聞いて来たんだ、一度ぐらい見ておきたいと思ってな」
「観光名所かここは」
別に大して気にはしないが、一緒に戦って死んでいった魔女達の事を思うと、少し同情する。
命を賭して戦って、安らかに眠っているだけなのに、いつのまにか旅人が興味本位でその様を見に来るようになっている。彼女達の死そのものが、この国の名物となりつつある。
なるほど、生きてて良かった、と、エルヴィラは思う。
死んでから、知らない連中からお祈りを捧げられるよりも、生きて気の合う仲間とつるんでいる方が楽しい。
(死んでも救われねぇのな、お前らは)
彼女達も、別に好きで死んだわけじゃない。自殺したというわけではない。
ただ、負けたから死んだのだ。
弱かったから、負けて、死んだのだ。
だから、それは、仕方ない事なのだ。
負けたら死ぬのが当たり前、それが戦争というものなのだから。
「君は?」
青年、クロヴィスがエルヴィラにも名乗れと促す。
「あん?」
一瞬無視しようかと考えたが、このまま黙っていても彼は消えないだろうと察したエルヴィラは、渋々偽名を名乗る。
エルヴィラは、あの戦争で死んだ事になっている。だから当然、墓だってちゃんとあるのだ。
流石に自分の墓の前でどうどうと名乗るわけにもいくまい。
「ちっ…エリーだよ。ここには…墓参りに来た、『鎧の魔女』ジャンヌのな、孤児院で世話になったんだよ」
気の利いた嘘かどうかは分からないが、それらしいことは言えたと思う。その証拠に、クロヴィスは「なるほど、そうか」と納得したように頷いていた。
これ以上ここにいても仕方ない、エルヴィラはそう判断し、足早にその場を去ろうとする。
「帰るのか」
横を通り過ぎて行くエルヴィラに、クロヴィスは言う。
「帰るんだよ、もう遅いから、私みたいな少女は出歩いてちゃダメなんだろ?」
不機嫌さを丸出しにしながらエルヴィラは答える。コイツさえいなければ、もっとここで調べ物が出来たのに、と、少し恨みながら。
「そうか…なぁ、エリー…君は…吸血鬼を信じるか?」
「あ?」
偽名とは言え馴れ馴れしく呼び捨てにされた事にイラついた、わけではない。確かに若干イラっとはしたが、それよりも、その後に続いた言葉がエルヴィラの足を止めた。
「俺は信じている、吸血鬼は本当にいると。なぜなら、最近現れると言う吸血鬼には、存在するという証拠があるからだ」
急に語り出したクロヴィスに、エルヴィラの警戒心はいよいよ頂点に達しようとしていた。
忍ばせていたナイフをこっそりと構え、クロヴィスの様子を伺う。
「赤い目、鋭い牙、そして痕を残された者達…夜の街にひっそりと現れ、血を吸って去って行く、これだけの目撃証言と状況証拠が揃えば、もはやこれがただの人間の仕業だと証明する方が難しくないか?」
「さぁ…どうだろうな、最近じゃ魔女の力を借りる事だって容易いんだから、誰にでも出来ると思うけどな」
「魔女? ククククク」
クロヴィスは、突然愉快そうに笑い出す。
「魔女、魔女か、ククク…魔導の頂点だとか、全ての災厄の原因だとか、世界を揺るがす存在だとか、不老不死だ、魔獣だと、大層なこと言われているが…俺に言わせれば、魔女なんて、大したことない」
「ほぉ、どうしてそう思うんだ。旅人のお前だって、『最後の魔女狩り』の事は知ってるんだろ? だからこの墓場に来たんだよな? それを知ってなお、魔女が大した存在ではないと?」
「ああ、確かに力はあるかも知らないが、しかしそれでも、全てにおいて吸血鬼には劣っているだろうな」
声のトーンが上がっていく。クロヴィスのテンションが分かりやすく上がっていく。
「パワーもスピードも、そして能力も、更には高潔さまで、どれを取っても吸血鬼に劣っている。吸血鬼の持つ能力は魔法とは違う、魔力などという不確かで不安定な物に縛られたりしない」
クロヴィスは、天を仰いで両手を広げる。まるで、自分は祝福を受けているのだと言わんばかりの大袈裟な動きに、エルヴィラは怪訝な顔を浮かべる。
「吸血鬼の力は『血』の力だ。生きとし生けるもの全てに平等に流れ、その生を常に支え続ける神聖な血、それそのものが力なんだ。血の力は万能の力、全ての生物に流れる血、それを支配出来る吸血鬼は万能の力を持っているという事だ」
分かるか、とクロヴィスは得意そうにエルヴィラを見る。
「魔女が頼れるのは所詮魔力だけ、誰もが持っているわけではない…魔力が無くなればお終いだ、糸の切れた操り人形、後に残るのは空っぽの体だけ…だが吸血鬼は違う、俺の力は無限にある…そう、」
お前だってその一人だ。エリー。
瞬間、クロヴィスの姿が消えた。
そしてその直後、エルヴィラの首筋にゾクリとした悪寒と、ザラリとした感覚が走る。
一瞬で背後に移動したクロヴィスが、エルヴィラの首筋に舌を這わせていたのだ。
殺意に満ちたエルヴィラが抵抗するよりも先に、クロヴィスは彼女の小さな身体を両手でがっしりと固定し、一切の動きを封じる。
そして、その細く白い首筋に、人間とは思えない鋭い牙を喰い込ませた。
「ーーーーーーーーーーーーーっ!」
激痛よりも、快感が走った事に、エルヴィラは酷く恐怖した。
空には月が顔を覗かせている。
薄い闇の中、クロヴィスの目は、まるで血のように赤く光っていた。




