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魔女伝  作者: 倉トリック
第1章 魔女狩り
31/136

暴走する才能

 ケリドウェンが覚えている最も古い記憶は、まだ幼い自分が冷たい石の床に這いつくばっている頃の事である。


 何本もの長い鉄の棒が目の前に立ち塞がるあの空間は、牢屋とか檻と呼ばれるものだ。

 捕まえた獲物が、逃げないように、閉じ込めておくための道具。


 重く冷たい足枷をつけられ、服とも言えないボロ布を一枚だけ羽織っている。何かを運んだり、床を拭いたりを一日中続け、怖くて黒い大きな人間に何度も暴力を振るわれる。

 それが毎日だった。


 両親はおらず、どこにいるのかも分からない。自分がいつからここにいるのかさえ分からない。


 分かる事は、自分は人間などでは無く、人の形をした肉塊であるという事だけ。


 大きな人間達が、幼い自分を「薄汚いガキ」「クズ」「役立たず」「クソ奴隷」などと呼んでいたので、しばらくそれらが自分の名前だと思っていた。

 奴隷として売られ、奴隷として扱われている自分に、本当の名前など無いと知ったのは、それから随分後の話。


 ある日の夜、ふと牢屋の隅にある鉄屑の山が気になって、夜中にこっそりそれをいじって牢屋の鍵を作ってみた。

 何故そんな事をしたのか自分でも分からないが、作った鍵はぴったりと牢屋の鍵穴にはまり、固く閉ざされていたはずの扉を開けてしまった。


「わぁ…」


 初めて自分の意思で出た外、知ってる限りの道を通って辿り着いた景色。

 空を覆ういくつもの星、月光に照らされて光る草木、足が痛くなるぐらい冷たくて硬い石の床とは違って、ひんやりとしていて柔らかい地面、あちこちから聞こえる小さいけど賑やかな不思議な音。


(なんのおと?)


 音のする方へ近付いて、しゃがみこんで恐る恐る覗いてみる。

 そこには変な形をした、見た事も無い、でも自分と同じ動く小さな何かが居た。

 小さな彼らは、背中にある薄い膜のようなものを震わせたり、口元を膨らませたりしながら、不思議な音を出している。


(へんなの…でもすごい)


 幼いケリドウェンは、初めてを一気に経験した。知らなかった感情が一度にたくさん湧き上がってくるのを感じ、よく分からないもので胸がいっぱいになった。


 大きな人間がたまに理解出来ないことを言うと、モヤモヤして、頭が破裂しそうになる、その時と同じような感覚に陥った。


(でもふしぎ…このモヤモヤはいやじゃない)


 知らない事だらけ、なにも分からないのは怖い事のはずなのに、今はとても満たされている。


(ゆめみたい、とってもすてきでキラキラした、ゆめ)


 このままずっと眠ってしまいたかった。


 でもそうはならない、夢はすぐに終わる。

 生きていれば、必ず目は覚める。


 大きな人間達はすぐにケリドウェンを見つけると、大きな声で罵倒してから、何度も何度も拳や足でその小さな体を痛めつけた。


 もう殺される、そう思っていた時、意外にも大きな人間達の暴力はすぐに終わった。

 腫れた目で見上げると、大きな人間達とは別の人間達がいて、なにやら話し合っていた。


 必要最低限の指示しか言葉の意味を知らない為、会話の内容が何だったか分からない。

 それでも、大きな人間達が自分を見下ろす目が、いつも以上に嫌なものだと感じ、それが決して彼らにとって良い内容の話でない事は、なんとなく分かった。


 程なくして、ケリドウェンを買い取りたいと言う大きな人間が現れた。

 彼の着ている豪華な服のキラキラは、あの日見た夜空の星々の輝きに似ていて、ケリドウェンはほんと少しだけ高揚した。


(このひとはおそらからおりてきたのかも!)


 痛いことから、怖い事から、自分を助ける為に降りてきてくれた、お星様なのかも、と。


 キラキラした人間の事を、ケリドウェンは『ごしゅじんさま』と呼ぶように言われ、しばらく言葉の練習をさせられた。

 不思議な事に、練習を始めたその日から、全くぶたれなくなり、怪我の治療までしてもらえた。


 そして、大きな馬車に乗せられて、彼女は二度目の外を見た。

 大きな屋敷に連れてこられた彼女は、フワフワの服を着せてもらい、この家の家事を任せられた。


 屋敷には自分の他にも沢山のふわふわを着た女の人達がいて、みんな『メイド』と呼ばれていた。


「今日から貴女はケリドウェン、これが貴女の名前よ」


 もう一人の『ごしゅじんさま』に貰った名前、ここからケリドウェンの第二の人生が始まった。


 ケリドウェンはかなり優秀で、一度聞いただけで家事のほとんどを完璧にこなした。

 掃除をさせれば、床が鏡みたいに自分の顔を写したり、捨てる予定だった時計と新品の時計の区別がつかなくなってしまうほど綺麗にするし、料理をさせれば、シェフが自信を無くしてしまうほど美味しく出来た。


 優秀なケリドウェンは、誰よりもその家で重宝されるようになった。最初は嫉妬していた使用人達も、彼女の人当たりの良さに負け、嫌味や文句を言わなくなった。


 そんなケリドウェンにも、弱点があった。


「文字は難しいわぁ」


 文字を書くのだけは、どうしても好きになれなかった。沢山ある記号を覚えるだけでもいっぱいいっぱいなのに、それを並べて意味を作るなんて、考えただけでも嫌になる。


 それでも、彼女が書く字はとても綺麗なので、大事な手紙を書くのをご主人様から任される事だって少なからずある。

 ご主人様は自分が文字を書くのが苦手だと知っているので、大抵二週間前ぐらいに頼んでくるのだが、手紙に集中する二週間は他の仕事に支障が出る為、多くの使用人達に迷惑をかけてしまう。


 だから、ケリドウェンはいつも必死に覚えようとしているのだが、上手くいかない。


 けれど諦めるわけにはいかなかった。何故なら、自分を応援してくれる人が現れたからだ。


 ご主人様の、息子である。


 彼は頑張るケリドウェンに惹かれ、彼女がやる事を何かと手伝うようにしていたのだ。しかし、なんでも出来るケリドウェンの力になかなかなれず、悩んでいたところ、彼女は文字が苦手なんだとメイド達から聞き、それ以来、練習に付き合うようになったのである。


 当然ケリドウェンは、立場があると言って断っていたのだが、次期当主命令だと言われれば拒む事も出来ず、素直に教えてもらう事にした。


 その時感じた不思議な感情は、ケリドウェンがまだ知らないものだった。

 胸がズキズキと痛んで、鼓動が激しくなる。


 ついでに教えてもらおうと、彼に尋ねてみたが、彼は顔を赤くするだけで曖昧な答えを返すばかりだった。


 月日は流れ、ケリドウェンの筆はだいぶ上達し、人並みの速度で書けるようになった。


 しかし、同時に二つの問題が生じた。


 一つは、彼に婚約者が出来たのだ。

 家同士の決まりらしく、ご主人様が決めたらしい。


 彼は、とても嫌そうだった。


 そしてもう一つは、ケリドウェンの体が全く成長しておらず、不思議な力が使えるようになっていた事である。


 ケリドウェンは、何故か、魔女化していたのだ。


 ご主人様と彼、二人の行動は実に早かった。


 ご主人様は即座にケリドウェンを処刑しようとした。魔女を匿っていたなんて世間に知れ渡れば、我が一族は破滅だ、と。

 自分の地位を守ろうと、ケリドウェンを殺そうとした。


 彼は即座にケリドウェンの手を取って、逃げ出した。

 婚約者も家も捨てて、これはチャンスだと言わんばかりに何もかもを投げ出して、ケリドウェンと故郷を離れた。


「…こ、こんな事して…貴方が危ないじゃないっ! それに家を捨てるなんて…!」


 ケリドウェンは怒りにも似た感情を彼にぶつけた。何故怒っているのか、自分でも分からなかった。

 直後にケリドウェンは酷く後悔する。自分を助けてくれた人に向かってなんて事を言ってしまったのだろうと。

 震えながら涙を滲ませ、謝罪を続けるケリドウェンを、彼は笑って抱きしめた。


「大丈夫だよ、誰にも見つからない秘密の場所がある。それに、僕にとってあんな家にいるより、君と一緒にいる未来の方が、幸せだと思ったんだ」


「幸せ?」


「うん、君は沢山頑張った、だから今度は僕が君が幸せだと思えるように頑張る番だ」


 ケリドウェンは、生まれて初めて感じた不思議な胸の痛みを、この時理解できた。


 幸せな痛み、これは、愛なのだと。


 それから、小さな小屋で二人は暮らした。


 生活は貧しかったけど、本当に苦じゃなかった。


 子供が生まれて、ケリドウェンは魔法が使えなくなった。

 全然苦じゃなかった。


 魔女狩りの魔の手が近くまで迫っていた、でも自分はもう魔女じゃない、ただのケリドウェンだ。彼と息子と三人で静かに暮らしていれば、全然そんなの、怖くなかった。


 はずなのに。


「見つけたぞ穢らわしい魔女が!」


 ご主人様だった人が、再び目の前に現れた。


 屈強な兵士達を連れたご主人様は、すぐに一家を捕らえて、満足そうに言った。


「恩知らずの穢らわしい魔女が、お前に私が味わった屈辱を味あわせてやる」


 ケリドウェンは声が枯れるまで許しを乞い続けた。夫と息子は関係ない、殺すなら自分だけ殺してくれと。

 犬の餌にでも豚の餌にでもなる、娼婦になってもいい、業火に焼かれ炭にもなる、喜んで自分から落ちる、だから二人の命だけは、と。


 ケリドウェンが叫べば叫ぶほど、男達は満足そうな笑みを浮かべ、そして彼女の目の前で、二人を殺した。


 夫は抗い続けた、息子と妻を守ろうと。

 息子は助けを求め続けた、父と母に。


 ケリドウェンは、何が何だか分からなくなって、声も出ず、ただただ涙が零れ落ちるだけだった。


 何をした? 私が魔女になってから、何をした?

 今まで一生懸命働いて、辛い思いもして、泣いて苦しんで、やっと幸せを掴んだだけなのに。

 幸せになる事が許されなかったのか?


 私が、魔女だから? 人をぉ、愛しちゃ、ダメだったぁ?


 ふと、あの日の夜に見た虫を思い出す。

 彼らが綺麗な音を出すのは、愛する相手を探しているから。

 愛するなんて、誰でもする事じゃないのか?


 なんで、こんな風に、魔女と人を、差別したがる?

 それが正しい事だから?


 力と権力があれば、正しい?


「化け物が!」「ざまぁみろ!」「お前も死ね!」


 自分を罵る声が聞こえる。ただの鉄の棒を握った程度の、低俗な生き物の鳴き声が。


「……じゃ……いのは」


 震える唇を動かして、ゆっくり言葉にしていく。


「人間じゃ…ないのは…!」


 男達が、一斉に剣を振り上げる。ケリドウェンの言葉を聞こうともせず、欲望のためだけに殺そうとする。


 人間じゃないのはお前らの方だ!


 そう言いたかった。


 でも、ケリドウェンは言わなかった。

 だってここで死ねば、あの人とあの子に会えるじゃない。


 ケリドウェンは目を瞑る。次に目を開ければ、きっと目の前には夫と息子がいるだろう。

 怒られるかもしれない、息子には嫌われるかもしれない。

 だとしても、もう一度、会いたい、声が聞きたい。


 ケリドウェンは自分の体を斬り裂く痛みを待った。


 待って、待って、待ち続けたが、いつまでたっても、何も起こらなかった。


 ゆっくりと目を開ける。


「……っ⁉︎」


 彼女の視界に映った光景は、想像を遥かに超えるものだった。


 兵士も、ご主人様だった男も、全員体の右半分だけが無くなった状態で倒れていたのだ。

 悲鳴も血痕も無く、死んだ痕跡を何一つ残さないまま、全滅していた。


「何が…どうなって」


 力なく立ち上がったケリドウェンは、更に異様な光景を見る。

 この死体だらけの中、優雅にお茶を楽しむ二人の少女。


 一人はまるで鏡のようにキラキラと輝く長い白髪を揺らし、もう一人は満月のような大きな瞳と桃色の髪をくるくると弄っていた。


「あ…貴女達…は?」


 かろうじて声を出し、彼女は尋ねる。


「んー? まだ君魔女の力取り戻して無いだろう? だったらボク達が名乗る必要は無いかな」


 白髪の少女が言うと、向かいに座る桃色の少女もゆっくりと頷く。


「それよりさー、君、これ許せる?」


 白髪の少女は死体を見下ろしながら言う。その目は心底見下した、汚物を見るような目だった。


「許さないよねぇー、うん、誰だって許さないさ、こいつら、気持ち悪くない?」


「……」


 ケリドウェンの返事も待たず、白髪の少女は話し続ける。


「復讐とか考えない?」


「…いらない」


 ケリドウェンが答えると、白髪の少女はニヤリと笑う。


「じゃあ言ってごらん、何が欲しいか?」


 ケリドウェンは、唇を噛み締めて、涙をこぼし、嗚咽しながら言う。


「復讐なんて…したくない…そんな事より…あの人に…あの子に…もう一度会いたいっ!」


 ケリドウェンが言うと、白髪の少女は心底嬉しそうに手を叩く。桃色の少女は、クスクスと笑っていた。


「じゃあ会おう!」


「え?」


「あれがダメならこうしよう! 不可能を可能にする事が許されるのがボク達魔女の特権なんだから! 遠慮なく特権を使おうよ! 怒りも! 悲しみも! 憎しみも! 全てを理不尽を、無かったことにしちゃおう?」


 手伝うよ、そう言って白髪の少女はケリドウェンに手を伸ばす。


「おいで、会いたいなら、会えるなら、大切な人に、自分から会いに行こう?」


 ずっとそうしてきたんでしょ? 頑張り屋さん。


 次の瞬間、飛び跳ねるようにケリドウェンは彼女の手にしがみついた。


「ようこそ、『反乱の魔女』へ」


 よろしくね、ケリドウェン。


 どうしてこんな時に思い出すのだろう。


 ケリドウェンは、額から流れる血を拭いながら、そんな事を考える。

 血、血が流れる。『才能の魔女』である自分が、ダメージを受けている。


 目の前に立ち塞がる金髪の魔女。

 名前は確か、『縄張りの魔女』エルヴィラ。


 どうしてみんな邪魔するの。

 どうしてみんな、憎しみ合うの。


(まぁ今回はぁ、原因を作ったのは私よねぇ)


 エルヴィラは、光り輝く謎の剣を握っている。


(土壇場で、特異魔法が変異するなんて、なんてドラマティックなのぉ?)


 その剣に斬られると、魔力が吸われる、否、特異魔法そのものが吸われてしまう。

 そして吸った分、剣は鋭く、エルヴィラは素早くなっていく。


(本当に、本当に本当に本当に、忌々しい)


 これじゃあ私負けそうじゃない。


「ダメねぇ」


 ケリドウェンが拳を振り上げる。


 当然エルヴィラは斬りかかるが、しかし剣が弾かれてしまった。


「なっ!」


 そのままエルヴィラの顔面に拳がめり込み、直後、素早い攻撃のラッシュがエルヴィラを襲う。


「ダメ…ダメダメダメぇっ! あの人に会うノォ! あの子を抱キ閉めルノォ!」


 きっと自分なら作れるはず、人を生き返らせる特異魔法を。

 その為には、沢山の特異魔法がいる。


 もっと、もっともっともっと。


「モッとぉぉぉぉぉオオオオオオオ!」


 ケリドウェンの全身が、魔力と呪力で出来た殻に覆われていく。

 いろんな生き物が混ざったような、滅茶苦茶な羽根や爪や角を生やした化け物へと変化していく。


 魔法が効かない体になればいい。


 一回りほど大きくなった彼女姿は、人の形をした悪魔に見えた。


「おい嘘だろマジかよ…!」


 取った分、お前が持っていた分、その魔力を、特異魔法そのものを。


「ワタしニィ! 寄越せぇぇぇぇぇぇぇええ!」


 魔獣化したケリドウェンが、咆哮する。


 そのまま、魔女をも殺す攻撃が、エルヴィラを襲った。

 魔獣マリとは比べものにならない速さと攻撃の重さ。


 あの時の魔獣とは違って、大きさが人に近い分小回りが効くのだろう。


 才能と願いが、暴走する中、エルヴィラはだんだん意識が遠くなっていく。


 流石に、これは無理か。


 ふとある事を思い出したが、そんな事を試せる隙を与えてくれるはずもなく。

 このまま挽肉になっていくのだろう。


 せめてもの抵抗を見せながら、エルヴィラはだんだんと意識を手放していく。


(ペリーヌ)


 最後に彼女の紅茶が飲みたかったな。


 せめて一撃、与える隙さえあれば。


「ワタシハワタしは! あの人ニアノコニ! 魔法魔法トクイマホー! 寄越せ寄越せ! ワタシにぃぃぃぃぃぃいいいいいいい!」


 地面に叩きつけたエルヴィラの体に、トドメを叩き込もうと魔獣ケリドウェンが跳び上がる。

 振り下ろされた鋭く巨大な爪が、エルヴィラを引き裂こうとしたまさにその時。


 魔獣ケリドウェンの背後に、見覚えのある影が現れた。


「『縄張りの魔女』…勝つのは君だ」


 ケリドウェンの体を、ジャンヌの剣が貫いた。

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