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『Mephisto-waltz』~異世界音楽ファンタジー~  作者: 高橋
四章 魔術師と詩人編
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21話 エロイカ

 ――レイデンシュタッツ

 ――村はずれの空き地にて


 ピアノの音が青空に響き渡り、少女は静かに瞼を閉じて、それからまた激しい音色を辺り一帯に撒き散らし始める。


 王都撤退から五日。

 リリカは揺れる荷馬車の上でひたすら鍵盤を叩きつけ、太陽に音色を届かせ、真夜中に旋律を奏でた。

 乱れた髪も、寝不足で充血した瞳も、酷使した指も、今のリリカには眼中にない。


 ただ、次の戦いに勝つことだけが重要だ。


 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

 「交響曲第三番 『英雄(エロイカ)』」


 旋律が弾け、空に舞う。

 ただし、弾き手はどうやら、まだ"上"を見ているらしい。


 L.V.ベートーヴェンの最も有名な楽曲は何かと問うたとき、恐らく多くの人々が「第九」と答えることだろう。

 もしかしたら交響曲第五番「運命」のほうが多いかもしれない。


 その二つと比べると若干ながら知名度的に霞むこの「英雄」は、第九番が完成するまでの間、ベートーヴェンが自らの楽曲の中で最高傑作とした交響曲だ。


 それまでの古典派の交響曲とは明らかに毛色の違う革新的な楽曲であり、ベートーヴェン自身の第一番、第二番とも全く作風が異なっている。

 というのも、この楽曲はフランス革命の動乱期の中、市民たちの権利のために戦ったナポレオンへと捧げるべく作曲された作品であった。


 ベートーヴェンの楽曲を評する際、彼の交響曲は「演説的」と表現されることが稀にある。


 これは、彼が自由を愛し、革命の最前線で戦うナポレオンへ楽曲を捧げたという事実からも分かることだろう。彼の楽曲には、「明確な主義主張」が含まれているのである。


 そして彼の中にある信念というものは、紛れもなく「革命」だ。

 今までの交響曲の在り方をねじ曲げ、必要とあらばオーケストラの編成に「パン・ハルモニコン」という自動演奏機械を導入したり、銃を使うことまであった。


 彼は常に自分自身の楽曲を「革命」してきた。


 今の自分に満足せず、新しい道具を使い、新しい様式を作り、次へ次へと時代を牽引した天才であった。


『苦悩を突き抜け、歓喜へと到れ』


 敗北からの逆転、苦しみからの解放。

 民衆が権力へと反逆し、自由を手にした時代を生きた作曲家の魂の叫びが、彼の紡いだ交響曲の在り方だ。


 そして、今のリリカの求めるものこそが、まさにこの「英雄」なのだ。

 彼女は今自らを「革命」するため、あらゆる演奏方法を試している。


 ララとの戦いには幾つもの敗因が存在するが……決着が僅差であったという事実はとてつもなく大きい。


 彼はこの国でも随一のエレキの名手と名乗っていた。

 つまりそれと対等に戦いを繰り広げたリリカは既に、このライディアナ王国ではかなりの上位にあたるピアニストだ。


 しかもあの戦いはリリカの作戦負けだった。

 一曲目で劣勢を強いられ、二曲目でさらに盛り返された。

 それでも尚、あの戦いの勝敗が僅差であったということは……。


 リリカの演奏技能は、ライディアナ王国では最上級ということだ。


 リリカは「英雄」を弾き切り、そしてまた「英雄」を始める。

 空はやがて赤く染まり、それから紺碧に染まり、それでもなおリリカは「英雄」を弾き続けた。


 心の奥底に煮えたぎる熱情は、苦痛の中でより強く燃え上がる。


 ララは自らの演奏に熱気を強く表現していた。

 リリカはその熱量に勝ちきれなかった。


 だから、今リリカは自らの奥底に地獄を作り出そうとしている。

 薪をくべ、静かに燃え盛る紫色の炎……。


 彼女の異常なまでの執念を見詰め、フェレスはただ静かに、その演奏を真っ直ぐに聴き続けていた。


 リリカはピアノを弾き始めてからの経験が浅い。

 それでもこれだけの演奏が出来るのは彼女がずっと、仮想のピアノに指を踊らせていたからだ。

 神父の演奏を見て、楽譜を見て、想像の中で試行錯誤を続けて来た。


 一度もピアノを弾けずに一生を終えるかもしれなかったのにだ。


 そして彼女は新しく"敗北"を知った。

 その"敗北"を活かして、リリカは更に強くなる。


 フェレスは二日後の決闘(セッション)を想い、少しだけ微笑む。


 もう時間が無い。

 敗北すれば、何もかもが終わりだ。


 フェレスは目を閉じ、白い肌に月明かりを受け、彼女の演奏に耳を澄ました。


 この演奏には、彼女の心が感じられる。

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