第94話 ももんがのくるくる
ストラスブルを発って、半刻あまりナナシとヘルトルードは7番と8番の常設橋の間、機動城砦の停泊する港湾エリアのほぼ中央。首都市街地へと続く大通りの入口に辿り着いた。
「ほな、ウチはここで」
砂を裂くものから常設橋に飛び移ると、ヘルトルードはナナシの方を振り向いてそう言った。
「ヘルトルードさん、気をつけてください」
ナナシのその一言をヘルトルードは鼻で笑う。
「それはこっちの台詞や。主はん、アンタ弱いねんから無理したらアカンで」
ナナシは苦笑して、人差し指で頬を掻く。
「はっきり言うんですね」
「当たり前や『強い』いう言葉は呪いみたいなもんや。弱い奴に『強い』言うたら、何を勘違いするんか知らんけど、みんな、『強い』いうその言葉にしがみついて死んでいきよるんや」
それはナナシにも何となくわかる。
プライドと言えば聞こえは良いが、自分の弱さを直視出来なくなるのだ。
「剣帝とか、大層な肩書つけたって、それは相手が自分より弱い事を保障してくれるもんやないねんからな」
「胆に銘じます」
ナナシは神妙な顔でそう応えた。
「そうそう、素直な男はええ男や。主はん、クリフトはんから聞いたんやけど、アンタが今から向かうメル……メル……」
「メルクリウス?」
「そう! メルクリウス。そこの領主の『くるくる』っちゅうたかな。名前は変やけど、相当厄介な奴らしいわ。
なんか。『ももんが』? かなんかいう渾名で三度の飯より戦争好きの変態っちゅう話やからな。喧嘩吹っかけて来たら、買わんと逃げるんやで」
「わかりました! ももんがのくるくるさんですね。気を付けます」
ちなみに正しくは『戦争狂のクルル』である。
ナナシの返事に満足気に頷くと、ヘルトルードは、犬でも追い払う様に、手をひらひらとさせてナナシを促す。
「ほな、行った、行った。ウチにはウチの、アンタはアンタのやるべき事っちゅうのがあるさかいな」
ナナシは無言で頷くと、砂を裂くものの先端を東に向けて、走り始める。
ナナシの向かう先、機動城砦メルクリウスは10番の常設橋に停泊しているはずだ。ここからなら数分でたどり着けることだろう。
ナナシの姿が見えなくなるとヘルトルードは、すらりと腰から愛剣「紅蓮」を引き抜いた。
周囲に人の姿はない。
左手にはアスモダイモス。右手にはヴェルギリウスの姿が見えるがそれとて、それぞれ500ザールほども距離がある。
見止められて攻撃される心配もない。
「えーと、空に向けて『火球』を三発打ち込めばええねんな」
誰に言うともなく、一人そう確認すると、紅蓮の剣姫ヘルトルードは愛剣『紅蓮』を大上段に構える。
まずは一発。彼女にしては真剣味のある表情で、空に向かって剣先を振るうと、飛び出した火球が中空で音を立てて破裂した。
「うん、完全に花火やなコレ」
なんかやり様によってはもっと花火っぽく出来そうな気がして、ヘルトルードは色々と工夫をしてみたい衝動に駆られる。
「宴会芸とかに出来そうな気ぃすんねんけどなぁ」
ただし屋外の宴会限定だが。
しかし、ヘルトルードがのんびりとそんな事を考えている間に、市街地へ向かう大通りの方が次第に騒がしくなっていく。
そうこうする内にヘルトルードの眼にも多くの人間がこちらへ向かって走ってくるのがはっきりと見えた。
「敵襲だぁ!」
「ええっ?!」
こちらに向かって走ってくる人の間から聞こえてくる声に、ヘルトルードは驚きの声を上げる。
しかし実際のところ、それは当然と言えば当然。
首都には今、各機動城砦の領主が一堂に会している。普通に考えれば、そんなところで火球の魔法をぶっ放す事がどういう意味を持つか考えなくともわかるはずだ。
「何処の工作員だ!」
「反逆者の襲撃か!」
口々に叫びながら走り寄ってくる白い鎧の兵達にヘルトルードは流石に慌てる。
「ちゃう! ちゃうでー!」
その時、ヘルトルードの頭の中を、凄くいい笑顔で親指を立てるミリアの姿が過ぎった。
「やられたぁ!。アイツ絶対分ってたはずやんな、こうなんの!」
慌てて二発続けて火球を空に向けて放つと、ヘルトルードは、レースたっぷりの三段スカートをひらめかせて、8番の常設橋を砂漠の方へと向けて一気に駆け出す。
あの程度の人数、蹴散らすのはわけも無いが、ヘルトルードにも今、首都で暴れることがどんな結果を引き寄せるのかは、容易に想像がつく。
とりあえず砂漠の側から周ってストラスブルに戻るなり、街中に紛れ込むなりして逃げよう。ヘルトルードはそう考えながら必死に走った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「花火が上がったにょ」
千年宮にほど近い宿屋の三階。
窓から顔を出していた赤みがかった髪の幼女が、背伸びをやめて頭を引っ込めると、背後で力なく足を投げ出して座る優男の方を振り向いて、そう報告した。
優男が力なく、赤みがかった髪の幼女に目を向けると、少女の背後、窓の外でポポンと更に2発続けて花火が打ちあがる。
「打ち合わせ通り、3発だにょ」
優男は目だけを動かして、ベッドの上を見る。
ベッドの上では、青みがかった髪の幼女が縫いぐるみを抱きしめながら、じっと優男の方を見つめていた。
「死霊術士はまだ千年宮には入り込んでいない。襲撃ポイントの予想も外れている」
青みがかった髪の幼女は優男と目が合うと抑揚の乏しい喋り方で、そう言った。
彼女の話はひっくり返さないと正解にはたどり着かない。
彼女は嘘しか言わないのだ。
「ほら、やっぱりイーネの言ったとおりになったにょ」
赤みがかった髪の幼女――イーネは優男の膝の上に飛び乗ると優男の首へと手をまわして、耳元で囁いた。
「大丈夫。そんなに怯えなくても、ファティマお姉ちゃんはちゃんとマーネが引き離してくれてるにょ。全く、サラトガにファティマお姉ちゃんが来た時も引き籠っちゃってたし、どれだけ会いたくないんだにょ」
イーネが呆れるようにそう言うと、メシュメンディはボソボソと呟いた。
「会えなくなったのは、めーしゅがそれを選んだからだにょ。それに自分の奥さんに向かって化物呼ばわりは酷いにょ」
「…………」
「狙い? んー聞いてもめーしゅには止められないにょ。イーネ達はただ見たいだけだにょ」
「…………」
「めーしゅの時と一緒だにょ。人間なんてどうしようもない生き物がびっくりするぐらい美しい魂の輝きを放つ瞬間があるんだにょ。イーネ達はただそれが見たいんだにょ」
メシュメンディの声は小さすぎて、まるでイーネが一人芝居をしている様に見える。
幼女が答えを重ねるに従って、強く握ったメシュメンディの拳には血が滲み、口元は悔しげに歪む。
「…………」
「違うにょ。それはめーしゅの思い違い。イーネ達は何もしてないにょ。今回はたまたま、丁度いい『悪意』が皆を飲み込もうとしているから、最後の最後にギリギリのタイミングで手を差し伸べてあげるだけにょ。あはっ! なかなか、救いの手を伸ばさないなんて、天使みたいだにょ」
「…………!」
「怒っちゃだめにょ。めーしゅがやらないと最後にはファティマお姉ちゃんや、義妹ちゃん。えーと、マレーネちゃんだっけ? めーしゅの大事な人達だって生き残れなくなるんだにょ」
鼻先に突きつけられた幼女の小さな指を見つめて、メシュメンディは力なく肩を落とし、諦めたように目をつぶる。
「じゃあ、準備をするにょ。あとは、最高のタイミングで飛び出してパルミドル坊や……今は皇王になってるんだったっけ。それを助けるだけでいいんだにょ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「砂漠側に回ってアスモダイモスを包囲しろ。おかしな動きをしたら3番、お前の判断に任せる。場合によっては仕掛けてもかまわん」
クルルはメルクリウスの城門の内側で、背後を振り返って指示を出した。
彼女の視線の先にいるのは、全員が全員、顔の右側、顎から耳に掛けてのラインに民族調な文様に囲まれた数字の入れ墨を施した少女達。
クルルの直属部隊、断罪部隊と呼ばれる斬りこみ部隊の兵士達である。
「どちらにしろ、裁判が終わって奴らが離岸するタイミングで、攻撃を仕掛ける。いいな!」
クルルのその言葉に少女達は一斉に敬礼をもって応える。
クルルは満足そうに少女達を見回していたが、突然その表情が、げんなりとしたものへと変わる。
見たくも無い男が視界の中に入ってきたのだ。
認めたくはないが彼女の最愛の姉の伴侶、キルヒハイムである。
「で、お前はなんで着いて来るんだよ」
「義理とはいえ兄に向かってお前呼ばわりは行儀が悪いですな、義妹殿。
別に着いていく訳ではありませんが、目的地が同じですのでね。
私も今からではサラトガには入れないでしょうし、ミオ様が無罪になった際の事務手続きは一等文官の私の仕事ですから」
「けっ、勝手にしやがれ」
吐き捨てる様にそういうと、クルルは片手を上げて、門を開く様、指示を出す。
ギギギと軋むような音を立てて、ゆっくりと開いていく木製の大門。
その門の向こう側、クルル達の正面に一人の少年が立ちはだかっているのが見えた。
黒い髪に黒い瞳。優しげな顔つきにもかかわらず、目には強い意志を宿している。
服装はありふれた短衣に下袴。
その上に羽織った白のフードマントがやたらに目を引く。
「なんだ? てめえ」
クルルが訝しげに、片方の眉を跳ね上げると少年は大きく声を張り上げる。
「ちょっと待ってください。ももんがのくるくるさん!」
硬直する断罪部隊の少女達、次の瞬間クルルの隣でキルヒハイムがプッと噴き出して、腹を抱えて笑い始める。
「はははは、も、ももんがのくるくる! ももんがのくるくる、ははははは」
俯いて静かに目を閉じるクルル。キルヒハイムの爆笑だけが響きわたり、その背後で断罪部隊の少女達は、クルルの尋常ではない怒りを感じて怯えはじめる。
しかし、少年はいまひとつ状況が分らないのか、きょとんとした表情で再びクルルに向かって声をかける。
「あ、あれ? ももんがのくるくるさんですよね」
クルルの肩がぷるぷると震えるのを見て、キルヒハイムが更に高く笑い声を上げた。




