第92話 わらわの重荷を半分、背負うてくれんかの?
「大変、お待たせいたしました」
そう言いながら初老の男が一人、赤い髪の少女を連れて、部屋へと入ってくる。
柔和な微笑を湛えた男に対して、黒いフリルをあしらった紅いドレスを纏った少女は、その派手派手しい容貌に対して、あまり興味の無さそうな表情でヘイザ達へと目を向ける。
ストラスブル伯の執事クリフトと、紅蓮の剣姫ヘルトルードであった。
ペリクレスを発って二刻程で、ヘイザ達を乗せた驢馬二頭立ての荷車は、ストラスブルの停泊する1番常設橋へとたどり着いた。
首都の西の端、しかも動きの取れない機動城砦だからか、周囲に人の影はほとんどなく、修復作業の槌の音だけがトンテンカンと響き続けている。
門衛の兵士にストラスブル伯を連れてきた事を告げると、大慌てで城門の中へと飛び込んで、大勢の兵士を連れて戻ってきた。
結果、城門周辺は蜂の巣を突いた様な大騒ぎとなって、怯えて泣き叫ぶハヅキを宥めながら、大勢の兵士に案内されてストラスブル城に隣接する大きな屋敷へと連れられ、応接室へと通された。
応接室の窓から見えるストラスブル城は、おそらくサラトガに曳航されている間から修復作業が進められていたのだろう。
未だに木組みの足場に囲まれて、その全容は把握できないものの城らしいシルエットが判別できるまでに修復されていた。
そして待つこと数分。
クリフトがドアをノックしたのであった。
部屋に入るなり、クリフトはハヅキの姿を見つけると、感激に身体を小刻みに震わせるようにして歩み寄る。
「おお、おお、おお、お嬢様! ご無事で。このクリフトめは信じておりましたぞ」
しかし当のハヅキはというと、興奮する様子で近づいてくる初老の男に怯えて「や!」と拒絶の一言をぶつけるとヘイザの背中に隠れてしまった。
ハヅキのその態度にあきらかにショックを隠し切れないクリフトにマリーが気の毒そうな顔をして告げる。
「執事様、ストラスブル伯様は記憶を失われて、今は子供の様になっておられます」
「なんと!」
眼を見開いたまま、二歩三歩と後ずさるクリフト。
ずっと眠れぬ思いで待っていた主が、やっと帰って来たと思ったら、自分の正体を無くして幼児退行していたのである。
クリフトの絶望的な想いは言葉にして余りあるだろう。
「ふーん、クリフトはん。この子があんたんとこの領主ってことで間違えないんかいな」
クリフトが言葉を失う一方で、ヘルトルードはむしろ興味をひかれたらしく訛りのきつい口調でそう言いながら、不躾にヘイザの後ろに隠れるハヅキへと顔をつきつける。
「うーっ……」
唸るような声を出しながら、今にも泣きだしそうなハヅキの様子にヘイザは慌ててヘルトルードに頭を下げる。
「すすすすいません。少し、は、は、離れてやってください」
「そんな怖がらへんでもええがな。別にとって喰おういう訳やないねんから」
不満そうに口を尖らせるヘルトルードに、ヘイザは慌てて再度、頭を下げる。
「す、すいません。こ、この子は、ひひひ人見知りすっ、するんです」
このままでは何となく自分が悪者にされてしまうと感じて、ヘルトルードはクリフトの背後へと引き下がる。
しかし、このヘイザという少年は主と同じ黒髪、黒目だが持っている雰囲気は少し違う。
主は「いぢりたく」なるタイプだが、この少年は「いじめたく」なるタイプだ。
気を取り直したクリフトが「一度お掛けください」と皆をソファーに座る様に促し、マリーとヘイザの袖口を掴んだまま、ハヅキはソファーの真ん中に座ると、ヘイザの肩口に顔を埋める。
その様子を複雑そうな表情で見つめたまま、クリフトは二人に問いかけた。
「詳しい状況をお教えいただけませんか?」
ヘイザが口を開こうとするのを手で制して、マリーが経緯を話すことを引き受ける。口下手なヘイザの説明では、日が暮れてしまう。
「では、ヘイザ殿と、そのキスク殿という方がお嬢様をお助けくださった時には既にこの状態であったということですな」
クリフトの問いかけにヘイザとマリーが頷く中、ヘルトルードだけは片眉を跳ね上げる様にして、別のことを考え込んでいた。
キスク? んーどっかで聞き覚えのある名前やねんけどなぁ。
聞き覚えがあって当然。
ヘルトルードは一時期アスモダイモスにいたのだ。ただ、見かけたことがあると言う程度で、キスクとは直接の面識は無かった。
「問題はここからどうするかですね」
マリーが全員を見回して、クリフトのところで目を留める。
「クリフト翁、ハヅ……ストラスブル伯様をあなた方にお返しするのが筋であることは間違いないとは思うのですが」
そうやってマリーが目を伏せる様にしてハヅキの方を見れば、ハヅキは未だに怯えたような顔でヘイザとマリーそれぞれの袖口を掴んだままだ。
クリフトはゆっくりと首をふる。
「今のお嬢様は、あなた方だけを頼りにしておられます。もしあなた方さえよろしければ、しばらくストラスブルに御滞在いただけませんか?」
マリーがヘイザへと目を向けると、ヘイザは口元を結んで小さく頷いた。
「わかりました」
未だにクリフトへと不審そうな目を向けるハヅキの様子に、クリフトは寂しそうに笑い、「お嬢様をお願いします」と、ヘイザとマリーへと頭を下げた。
クリフトは頭をあげると、あいかわらずさびしげな表情のまま、まるで独り言のように呟く。
「しかし、これも運命というものですかな。まさか、マリールー様が、生きておられて、そしてお嬢様を救ってくださるとは……」
マリールー?
ヘイザがクリフトの視線を追うと、その先にはマリーがいた。
「マリールー様。あなたがお亡くなりになられたという噂を聞いた時には、お嬢様がどれだけ涙で枕を濡らされ「人違いです!」」
クリフトの言葉を断ち切る様に、マリーが声を荒げて立ち上がる。
ヘイザは突然声を荒げるマリーを、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で見上げる。
「いや、しかし……」
「人違いだと言っています! 私はマリー。嘘つきマリーです。キスク様に買われた奴隷です。そのマリールーという人物とは何の係わりもありません!」
おかしな話だがヘイザはマリーの嘘を聞きなれている。
だから、これが嘘だということは分かるが、いつもの飄々とした嘘とは全く違う必死さがそこにはあった。
「マ、マリールーっていうのはど、ど、どんな人」
「ヘイザ様っ!」
声を荒げるマリーを手で制して、ヘイザはクリフトに尋ねる。
「はい、マリールー様は、お嬢様の親友でいらっしゃいました。
皇姫ファティマ殿下のご学友として選ばれたお嬢様とマリールー様はこのストラスブルでお過ごしでいらっしゃいましたが、マリールー様のお父上が領主を務める機動城砦エラステネスに一時お戻りになられた際に、機動城砦メルクリウスの襲撃を受け、エラステネスは轟沈、マリールー様もお亡くなりになったとお伺いしております。
サラトガ伯様とマレーネ様がファティマ様のご学友として選ばれたのは、その後。
表現は悪いですが、言わばマリールー様の補欠でございます」
「マリーは、そのマリールーっていう人に似ているの?」
「似ているなんていうものではありません、瓜二つでございます」
クリフトは未だにマリーがマリールーという人物であることを疑っている様だが、ヘイザは、マリーがそのマリールーという人物では無い事を確信していた。
マリーをハヅキに初めて引き合わせた時の様子。あれは本当にハヅキの事を知らない人間の反応だった。マリーの今までの嘘を思い出してみても、あれが嘘であるはずがない。
「で、でも本当に、まままマリーとそ、そのマリールーという人は違うと思います」
ヘイザのその言葉に、一瞬何か言いたげに口元を動かした後、クリフトは静かに眼を伏せた。
「そうですか、失礼しました」
それ以後はしばらく沈黙が部屋の中に居座った。
話題の無い気まずさが、ヘイザのガラスのメンタルを容赦なく苛む。
マリーの方を見ると憮然とした表情で床を見つめ、ハヅキに目をやるとヘイザのフードマントの裾で鼻水を拭っているのが見えて、泣きたくなった。
その時、コンコンと扉がノックされ、ドアの外からクリフトとヘルトルードに呼びかける声がした。
「クリフト様、ヘルトルード様、お二人に御来客でございます」
クリフトとヘルトルードが思わず顔を見合わせる。
クリフトはともかく、ヘルトルードを呼び出すとなれば、サラトガの関係者としか考えられない。
「誰やろ?」
「シュメルヴィ様と名乗られておられます」
「わかりました、別の部屋にお通ししてください」
ドアに向かってそう命じると、クリフトはヘイザとハヅキに向き直る。
「家政婦にお二人の部屋をご用意させますので、しばらくこちらでお待ちいただけますでしょうか」
そうして慌ただしく二人が出て行くと、部屋にはマリーとヘイザ、そして知らない人間が見える範囲から居なくなって、安堵した様な表情のハヅキが残された。
ハヅキの姿を見ながらヘイザはマリーへと問いかける。
「ねえ、マリーさん。ハ、ハ、ハヅキが住んでた、って、い、いうこの機動城砦にいれば、ハヅキはぜ、ぜん、全部思い出すのか、な?」
「そう……かもしれませんね」
「な、なお、治ったあと、ぼぼぼ、僕らとのことをハ、ハヅキは覚えていてくれるの、か、かな?」
「覚えていますよ。きっと」
寂しそうに笑うヘイザに、マリーは目を細めてささやく様に言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
時間を少し遡る。
ペリクレスがゲートを通過し、不可侵領域へと入った丁度その頃、クッション性の全く無い粗末な木のベッドの上、饐えた臭いのする毛布に包まって寒さに震えながら、サラトガ伯ミオは、監獄での三日目の朝を迎えた。
重犯罪者だけが入れられる窓一つ無い地下の監獄。
多くの囚人が吐きだした死の呼吸が、苦しみの喘ぎが、澱の様に残留して静まり返る暗い空間。
一昨日、手枷を掛けられて驢馬に乗せられたミオは、市街地をさんざん曳き回された上で、この監獄へと収監された。
肉体的安全は保障するとは言うものの、何も積極的に警護してくれるわけでもない。
皇姫を殺害した反逆者であり、堕ちた権力者でもあるミオへ民衆は憎悪の視線を向け、苛烈なまでの罵声とともに、多くの石が投げつけられたのである。
魔法による治療も受けさせては貰えず、今も、ミオの頭にぞんざいに巻かれた包帯からは、薄らと血が滲み、身体中に出来た青あざの痛みに端正な顔を顰める。
しばらくして、コツコツと廊下に足音が響くと、巡回の兵士がミオの牢の前で立ち止まる。
「おら、飯だ」
兵士は鉄格子の間から床へと向かって、固そうな黒パンを放り投げると、|蔑む様な視線を残して、再び廊下の向こうへと去っていく。
床の上に転がる、黒パンを見つめてミオは溜息をつく。
確かに腹は減ってるが、これを食べるわけにはいかない。
プライドのため? 無い無い、そんなもの。そういう事では無い。
何が入っているか。わかったものでは無いからだ。
裁判に向けて、ミリアがどんな手を打ったとしても、当のミオが催眠薬で操られでもしたら目も当てられない。
ミオがおもむろに、シュルリと髪からリボンをほどくと、頭の上のお団子の一つがほどけて、中から油紙に包まれた丸いものが出てくる。
ミオが油紙を引っぺがすと、そこから肉団子が現れた。
「ぬふふ、さすがにお団子髪の中にマジで肉団子が入っているとは思わんじゃろ」
首都に到着する前日、ミオとミリアが思案したのは、裁判が始まるまでの食糧の隠し場所であった。
色々と試してみた。
脇にナンを挟む。背中に煎餅を張り付ける。胸の谷間には、麺の一本も挟まらなかった。
とにかく、どうにかして裁判が始まるまでの間、食糧を隠し持てる場所を思案したあげく、ミオの頭のお団子の中に隠すことになったのだ。
というわけで、連行される時には、ミオの頭のお団子の大きさが2割増しのサイズになっていたのだが、意外にも誰も気がつかなかった。
持ち込んだ肉団子の数は2つ、一つは昨日食べてしまったから、今手にもっている物を食べてしまえば、それで終了。
明日にでも裁判が始まらなければ、空腹に追い詰められることになる。
ミオが名残惜しそうに最後の一切れを口に入れたのとほぼ同時に、隣りの房からじゃらりと鎖を引き摺るような音がした。
「そう言えば、そうじゃったの」
ミオは一人そう呟く。
誰も居ない静かな空間にいると、どうしても独り言が増える。
昨晩遅く、隣の房に新たな囚人が放り込まれる音を聞いた。
それ以降、隣の房からは鎖が擦れる音とともに、女のすすりなく声と呻くような微かな息遣いが一晩中、暗い通路に響いていた。
今も耳を澄ませば、呻くような息遣いとすすり泣きが微かに聞こえてくる。
放っておくべきなのは分かっているが,ミオのお節介は今に始まったことではない。
「おい隣の。そろそろ泣き止んだらどうじゃ。
ここへ囚われておるということは恐らく死刑囚なのじゃろうが、泣いていてもどうにもならんじゃろう。
ならば残りの時間、少しでも楽しく過ごす方法でも考えたらどうじゃ?」
突然、声を掛けられたせいか、隣の房から息を呑む様な呼吸が聞こえた後、必死に呻くような声が聞こえてくる。
ミオは思案する。
人間という生き物は、生きていくためには、何か目的が必要なのだ。
しかし、死ぬことに意味を見出すことが出来るならば、死にゆくことさえ、受け入れることが出来る。それは人間の素晴らしさ、強さだ。
この隣りですすり泣く死刑囚には、死ぬことによって誰かの為になる,そんな自分の死の意味とでも言うべきものが必要なのだろう。
顔もわからない隣りの房の死刑囚に、ミオはその死に意味を与えてやれないものかと思案する。
そして言った。
「どうせ死を免れぬなら、お主、娼の重荷を半分、背負うてくれんかの?
誰にも言えぬ秘密を穴を掘ってその中へと叫ぶことで、我慢する。そう言うおとぎ話があるじゃろう。だから、お主は娼の穴になってくれんかのう」
すすり泣く声が止み、静寂が暗い牢獄に鎮座する。
「承諾するならば、何でも良い。二回音を立てるのじゃ」
ミオがそう言った途端、ごんごんと壁に何かがぶつかる鈍い音が聞こえた。
その音に満足げに頷くとミオはゆっくりと口を開いた。
「長い話になるが、聞いてくれるかの」
そう言って、小さく息を呑むと、意を決する様に口を開いた。
「娼の機動城砦。実は、あれはサラトガではない」




