第146話 押し寄せる不死者(笑)後編
「はぁ……長かったぁ……」
精霊石のぼんやりとした光に、浮かび上がる石畳の廊下。
剣姫は足早に歩みを進めながら、小さく溜息を吐いた。
つい今しがたまで面談していた執政官代理を名乗る男、その男の話がとにかく長かったのだ。
どれぐらい長かったのかは、ベルゲンに到着した時には、昼間だったというのに、今はもうとっぷりと陽は沈み、窓の外では星が瞬いていることからも想像がつくだろう。
病床の執政官の代理だという、女の様な言葉使いのなよなよとしたその男は、情感たっぷりに自分達が置かれている窮状を剣姫へと訴え、協力を要請した。
内容はまあ良い。ともかく長かった。
剣姫は、途中で何度か冷気が洩れそうになるぐらいイライラした。
今、剣姫が向かっているのは、自身に割り当てられた部屋では無い。
四人の内、剣姫だけが賓客として遇され、所謂、貴賓室を割り当てられている。
贅を尽くした調度に、広い寝台。
それは皇家の御幸に備えて用意されたものであったが、これまでに使用された事は一度もないらしい。
「……まあ、主様と二人で過ごすには丁度良いぐらいですね」
剣姫はナナシと二人きりの夜を想像して、思わず頬を赤らめた。
やがて剣姫はナナシを迎えるために、三人が通されたという使用人部屋の前へと辿り着き、静かにドアを押し開ける。
「遅くなりました。マリスです、主様、お待た……だあぁああああああああ!?」
剣姫が思わず声を上げ、寝台の上では、ナナシがビクリと身体を跳ねさせる。
まず、剣姫の視界に入ってきたのは、二対の二段寝台。
片方の寝台の上段では、キサラギが壁の方を凝視しながら、耳を塞いだ状態で、ブツブツとなにやら数字を唱えている。
問題は、もう片方の寝台の下段。
そこには、ナナシの膝の上に横たわる様にしてミリアが腰かけ、うっとりとした表情でナナシの首へと両腕を回していた。
「あ、あるぅじぃさぁまぁああ! な! なにをしておられるのですか!」
殺意を伴った濃厚な冷気が剣姫の身体から噴き出して、ドア近辺の石壁を白い霜が瞬時に覆っていく。
「ち、違うんです。剣姫様! 落ち着いてください! これは練習! 練習なんです!」
「練習?」
「怪しまれない様に、『彼氏』役を務めるための、演技の練習なんです」
「そうだよ、れーんしゅう。演技だよ、演技。なーに? 剣姫様はそんなことも許容できないぐらい心の狭い女なのぉ? ダメだよぉナナちゃん、この人束縛するタイプだよ、考え直した方が良いよ」
ミリアがナナシの胸元に顔を埋めたまま、勝ち誇った様な表情で剣姫へと笑いかける。
次の瞬間、剣姫の中で何かがはじけ飛んだ。
それはおそらく世間一般的な言葉で表現するならば『理性』。
「ククッ……主様、分かっております。マリスは分かっておりますよぉ、悪いのはそこの毒婦。そう、主様は騙されておられるだけなのです」
「あ、ヤバッ……」
ミリアが慌てて飛び退いて、ナナシの背に隠れようとしたその瞬間、部屋の中が一気に白く染まった。
◇◆ ◇◆
「うっ……うーん」
ゆっくりと目を開くと、仁王立ちのナナシの姿、その背中越しに、しょぼんと肩を落として正座させられている剣姫の姿があった。
「大体! そんなに簡単に人様に暴力を振るうもんじゃないと思うんですよ、僕は」
「……すみません」
どうやらミリアの目論見は成功した様だ。
挑発して手を出させ、ナナシに剣姫を叱らせる。
これで少々の事では、剣姫は文句の一つも言えなくなるはずだ。
ただ、計算違いだったのは、剣姫の恐るべき気の短さ。
まさかガチで殺りにくるとは……流石に思ってもみなかった。
「……ッ、寒っ」
意識がはっきりとしたその瞬間、寒さで体がブルりと震え、ミリアは思わず声を洩らす。
「ミリアさん、気が付いたんですね! 大丈夫ですか?」
「う……うん、だ、大丈夫」
強がってはみるものの、未だに歯の根も噛み合わず、上手く言葉が出てこない。
「ほら、ほら剣姫様も謝って!」
ナナシがそう促すと、剣姫は恨めし気な表情で口を尖らせる。
「……サーセン」
「剣姫様!」
ナナシが珍しく語気を荒げると、剣姫は身体をビクリと跳ねさせて、目尻に涙を溜める。
「あ、良いんだよナナちゃん。剣姫様はナナちゃんのことを大切にし過ぎてるだけなんだから、悪いのはボクの方だよ」
「ミリアさん……」
ナナシの感動した様な様子に、ミリアは心の内でぺろりと舌を出す。
あーあもう、チョロいなぁー、ナナちゃん。
もちろん、剣姫の方は自分が嵌められた事に気付いているのだろう。
凄まじい表情でミリアの方を睨み付けていた。
そんな顔をしてもダメ。
どんな手を使ってもナナちゃんは絶対に渡さない。
その想いを視線に乗せて、ミリアは剣姫へと微笑みかけた。
◇◆ ◇◆
「執政官殿は病床に伏せられておられるという事で、お会いしたのは代理の方でした。一応、ミリアさんの事前の予測通りに対応してきたのですが……」
「ですが?」
「非常に不穏な話になって参りました」
剣姫が表情を曇らせながら、ナナシの右の頬を見つめると、その向こう側から、ミリアがひょこりと顔を出す。
「なに? ボク達に対する処遇の話? すぐに出て行けとか言われちゃった?」
「違います! この町の置かれている状況の話です」
ナナシを真ん中に右隣に剣姫、左隣にはミリアが腰かけている。
ともにナナシの腕にぴったりしがみ付いて離れようとしない。
ちなみにナナシはこの状況をどうこうしようという考えは、既に放棄している。
実際、間にナナシがいれば、二人が争うことも無いだろう。
なんで、この二人はこんなに仲が悪いんでしょうね……。などと考えているあたり、ナナシの罪は非常に重い。
「この町の状況ですか?」
「はい、主様。この町はもう数週間に渡って、不死者の群れによる襲撃を受けているそうです」
「なっ!?」
ナナシは思わず硬直し、ミリアは思わず眉を引き攣らせる。
それもその筈、この二人には不死者の集団に襲われるという状況には苦い思い出がある。
「執政官代理殿は、深夜になると不死者の群れが、引っ切り無しに上陸してくるのだと、そう仰られておりました」
「ミリアさん、そんなことあるんですか?」
「そんなのボクに聞かれても困っちゃうよ……。ラギちゃん、ラギちゃんの中にいるもう一人の人、ルーちゃんだっけ、魔術師なんでしょ? なにかわかんない?」
そう言ってミリアが二段寝台の上段へと目を向けると、キサラギは髭剃り後でも確かめるかの様に、顎を撫でまわしながら視線を上へと向ける。
「ふむ、マリールー殿の記憶に寄ればだな……不死者という奴には三種類あるそうだ」
「えーと、死霊術師が魔法で死体を不死者に変えちゃったのと、沈んだ機動城砦の魔晶炉から洩れ出した魔力の影響で不死者化しちゃったのと、あともう一つって事だね」
キサラギはコクリと頷く。
「そう、あともう一つは自然発生。生まれついての不死者だ。真祖クラスの吸血鬼や不死王などがコレに当たるらしい」
「うん、それで?」
「それだけだ」
「へ?」
「それだけだと言っている。マリールー殿も死霊術師では無いからな。詳しい事は何も知らんのだ」
「なんでそんなに偉そうなんですか……」
ナナシ達が呆れるのとほぼ同時に、窓の外から、カンカンと激しく警鐘を打ち鳴らす音が響き渡った。
「来たようですね」
剣姫がスッと立ち上がると、ナナシも慌てて立ち上がり、ミリアの方へと目を向けた。
「ミリアさんはここで待っていてください。ゴードンさん、ミリアさんをお願いします」
「は? 何言ってんの? ボクも行くよ、当然でしょ」
「いや、でも……」
「何が起こってるのか、ちゃんと確認しておかないと判断を誤るんだよ。大丈夫、ナナちゃんが守ってくれるんでしょ」
一瞬、ポカンとした表情になった後、ナナシは思わず溜息を吐く。
「じゃあ、ゴードンさんはどうします? 武器持ってきてないんでしょう?」
キサラギ(ゴードン)は家政婦の恰好だ。
当然、剣の一つも帯びては居ない。
「ふむ、それはまあ、なんとかなるだろう。敵は海から来るのだろう? 海辺なら鯖の一本ぐらい転がっているだろう」
「だから、アンタはなんで鯖を武器扱いすんの?!」
「冗談だ。いざとなればマリールー殿と交代すれば、魔法が使える」
「マリールーさんと交代って……。それ僕が後ろから撃たれるパターンじゃないですか!」
「ふむ、否定はせん。実際殺る気満々だからな、マリールー殿は」
ナナシは思わず頭を抱えた。
「……主様、確かに撃ち漏らして上陸された時のことを思えば、ミリアさんも一緒に居たほうが安全かもしれません」
「そうなんですか?」
「はい、流玉が、ミリア殿の方へ飛ぶ可能性はありますが」
「殺る気満々だよ、この人!?」
これにはミリアも、流石にツッコまずには居られなかった。
◇◆ ◇◆
ミリアを取り囲む様に四人は屋敷を飛び出すと、海の方へと続く大きな通りを駆けて行く。
やがて、海と面した町の南側へと辿り着くと、そこに兵士達が集結しているのが見えた。
「おお、剣姫殿、来て下さったか!」
昼間やりとりした衛兵隊長が、四人の姿を見かけて声を上げる。
「敵はどこに?」
「あちらです」
衛兵隊長の背後にいた兵士が指差したのは、まさに海の方角。
目を向けてみれば、沖合の方で広範囲に渡って、淡く小汚い黄色の光が、急速に広がりはじめているのが見えた。
「あれが全部、不死者……」
ナナシが呆然と呟く。
視界に広がる海。
そこに、まるで黄色の染料を零したかのように、淡い燐光がどんどんと広がっていくのだ。
あまりの規模の巨大さにナナシ達は誰もが言葉を失い、気が付いた時には、岸の直ぐ傍にまで、その小汚い燐光が届き始めていた。
「主様! 来ます!」
剣姫がそう叫んだ瞬間、ナナシ達の眼前で海面が大きく膨らんで、轟音と共に巨大な白い物体が顔を覗かせた。
――つぶらな瞳。
それと目が合って、ミリアは思わず声を上げた。
「巨大竜の落とし子ォ!?」
「……の不死者です」
「「「はあッ!?」」」
死人のような感情の無い顔で、衛兵隊長が補足する。
「海の生き物が不死者化したもの。我々は『海の死に物』と呼んでいます」




