第98話【焦燥と決意の果て】
ギィィィィィィンッ……!
ギィィィィンッ……!
ギィィィィィィンッ……!
敵が結界の攻撃を続けているのか、甲高い警報音が未だに鳴り響いていた。
その直後、遠くからバチバチィッ!という凄まじい音が鼓膜を震わせ、床が微かに震動する。
「きゃっ…!」
小さな悲鳴を上げ、私は全身を硬くして身をすくめる。傍らに控えていた桃里さんと錦織さんは音がした方角へと視線を向け、顔を強張らせている。
「今の音、何ですか…!?雷みたいな…でも、外は晴れてるのに…。」
私の問いに錦織さんは首を横に振りながら、額に薄っすらと汗を滲ませて答えた。
「いえ、月姫様。雷ではないでしょう、結界が破られた音でもありません。しかし、この様な音は聞いた事が―」
すると、桃里さんがハッと息を呑み口を開いた。
「…もしや、舞久蕗様と真犯人が…既に外で交戦されているのではないでしょうか…!?」
一葉さんが、真犯人と戦っている…!?
「そんな!一人で…得体の知れない相手と…!?」
「…だとすると、先程の音は恐らく真犯人側の攻撃でしょうね。」
錦織さんは唇を小さく震わせながらそう呟いた。
二人は私から目を離さず、いつでも私を守れるようにと身構える。
「(どうしよう!助けに行かなきゃ…!)」
いてもたってもいられず、足にぐっと力を込めて部屋の出口である襖へと一歩踏み出そうとした。しかし、脳裏にあの時の一葉さんの言葉が頭をよぎった。
――『今の羽闇嬢では、戦場に出たところで足手まといなだけだ。』
彼の言っていた事はあながち間違いではない。
月姫として未熟な私がむやみに飛び出していけば、使用人達だけでなく一葉さんに迷惑を掛けてしまうかもしれない。
「(でも…!)」
ザザザンッ!ザンッ!ザザザッ!ザンッ!
再び外から衝撃音が響いてきた。
その音は何百本もの鋭い矢が連続して硬い地面に突き刺さっていく様な、おぞましくも無機質な響き。数秒の間にそれが何十回も繰り返され、思わず耳を塞いだ。
「(もう、じっとしてるだけなんて無理…!行かないと…っ!)」
一葉さんが危険な目に遭っているかもしれないのに、部屋で安全に隠れて過ごすなんて自分の無力さを突きつけられているみたいで耐えられない。
「月姫様!どちらに行かれるのですか!?」
襖に手を掛けると、錦織さんの緊迫した声が真横から響く。桃里さんも私の肩に触れて、行く手を阻んだ。
一歩でも私が外に出ようとすれば、二人で私を拘束するつもりだとでも言いたげな固い表情をしている。彼等の体から放たれる気迫は、『主の命令に絶対的に従う』という強い意志を示していた。
「当然、一葉さんのところに決まってるじゃないですか。」
「なりませぬ!月姫様から目を離すなと厳命されております故、この部屋からお出しするわけには参りません!それに万が一、貴方様に何かあったとなれば舞久蕗様に申し訳が立ちません!」
錦織さんの言葉の重みは、痛い程分かる。一葉さんがどれだけ彼等に信頼を置き、彼等もどれだけ一葉さんに忠誠を誓っているか、此処に来て初めて目の当たりにしたから。
「…一葉さんや使用人の皆さんにはとても良くして頂いて本当に感謝しています。でも、こうしている間も一葉さんが大怪我をしてるかもしれないじゃないですか!お願いです、行かせて下さい…!」
「…月姫様。舞久蕗様は貴方様が心配だからこそ、此方に残るようにと仰ったのです。どうか、あの方のお気持ちを汲んで差し上げては頂けませんか?別の者に温かいお茶でも用意させましょう、まずは気持ちを落ち着けて下さいませ…。」
桃里さんには申し訳ないが、温かいお茶なんて今の私には何の慰めにもならない。
それどころか私の頭の中は、一葉さんの安否でいっぱいだ。
「一葉さんは、今どうなっているんですか…?」
襖に手をかけたまま、私は振り向かずに口を開いた。声が震えていたのは恐怖からか、抑えきれない怒りからか自分でも分からない。
「申し訳御座いません、月姫様。私共も、舞久蕗様の現在の状況を知る事は出来かねます。屋敷の結界外への出入りを禁じられた以上、外の様子を窺う事すら叶わなく…」
「そんな…っ!ならせめて安否の連絡だけでも…!」
「ご安心下さい、月姫様。舞久蕗様は決して弱くなどありません。私達の主は誰よりもお強く、聡明なお方なのです。」
桃里さんはふわりと優しく微笑んだ。
「舞久蕗様は、一葉家の中でも『葉の力』を最も強く宿しておいでです。そのようなお方が、容易くやられるなど…断じて御座いません。もし事があれば、舞久蕗様は必ずや我々に連絡を下さいます。今は信じて、あのお方をお待ち申し上げましょう。」
「そんなの…分からないじゃないですか…っ!」
激情が私の内側から湧き上がり、全身を熱くさせる。
「敵が一葉さんよりも遥かに強かったら!?何人の敵と戦っているかも分からない。考えたくはないけど最悪の場合、一葉さんが倒される可能性だって…そしたら誰が皆さんを守ってくれるんですか!?私はそんなの絶対に嫌です…!」
錦織さんと桃里さんは押し黙った。彼等の顔からは私を止めようとする強い意志が消え失せ、代わりに深い絶望と言い様のない無力感が浮かんでいる。
俯いた一瞬の隙を突き、私は廊下へと飛び出した。
「月姫様っ!舞久蕗様の命令に背くなど…!お待ち下さい!」
「お願い致します、どうかお考え直し下さいませっ!月姫様!」
このままじゃ何も変わらない。動かないで後悔するよりも、動いて後悔した方がマシだ。
とにかく一刻も早く、一葉さんの元へ駆けつけたい。
「一葉さん…どうか、無事でいて…っ!」
足元に広がる艶やかな板張りの廊下が、私の焦る心臓の鼓動に合わせて長く伸びていく様に感じられる。
息が上がり、肺が熱くなる。膝が笑いそうになるが、そんな事に構っていられない。
私は首に下げていた月のペンダントをぎゅっと握りしめた。
「はぁ、はぁ…!迷っちゃったかな…?」
走り続けても、外に出られる気配が一向にない。角を曲がる度に新たな廊下が目の前に広がり、終わりのない迷路に迷い込んでいるみたいだ。
一葉本家の屋敷は、思っていたよりもずっと広大で複雑すぎ。何処から外に出ればいいのか全く分からない。私は廊下を右往左往し、必死に出口を探し続ける。
すると、奥から複数の声や足音が聞こえてきた。…確実に此方へ近づいてきている。
「月姫様はどちらへ向かわれたのだ!?」
「まさか、本当に外へ出ようとなさるとは…!嗚呼、舞久蕗様に何と報告すればよいのか…!」
「とにかく、早く見つけ出せ!月姫様が危険な目に遭われてはならない!」
「月姫様ー!どちらにいらっしゃるのですか!?」
「月姫様!お返事をなさって下さいませ!」
恐らく錦織さんから報告を受けたのだろう。皆、躍起になって私を探している。
「ヤバ…!」
焦った私は近くの襖を乱暴に引き開け、そのまま部屋の中に飛び込んだ。
「はぁ…はぁ…っ」
息を潜める。心臓の音が煩く、廊下を行き交う使用人達の声と足音がやけに大きく感じる。暫くして彼等の足音は部屋の前を通り過ぎて、更に奥へと遠ざかっていった。
「ふぅ、いってくれたみたい…」
一先ずホッとしたけれど、油断は出来ない。いつ、誰が、この部屋を覗きに来るか分からないのだから。
その時、部屋の中に誰かがいる気配がした。
「(見つかった…!?)」
振り返りたいのに、体が動かない。
怖い。怖い。
すると、背後から伸びてきた手が口元を覆うと同時に私を抱きしめてきた。
「むぐっ……!」
驚きと恐怖で、私はバタバタと暴れる。
「(まさか敵…!?結界を破って入り込んでいたなんて…!)」
このまま敵に捕らえられてしまうのかと、絶望が生まれる。
「落ち着いて、大丈夫。君を傷つけるつもりなんて絶対にないから、安心して。」
耳元で囁かれた声は、驚く程穏やかで聞き覚えがあった。毎日…いや、今日だって何度となく耳にしている。
口を覆っていた手が離され、恐る恐る後ろに顔を振り返ってみると――
「……え!?か、華弦…!?」
「はいはーい♪やっほー、羽闇ちゃん。」
そこにはいつもの飄々とした笑みを浮かべた華弦の顔があった。彼は抱きしめたままの腕を少しだけ緩めてくれる。
「俺達もいるよ、羽闇。」
華弦のすぐ後ろには、夜空君と鳳鞠君も並んで立っていた。




