第84話【完璧な計画と秘密の住処】
車に乗り込むと、運転席にはグレーのスーツに身を包んだ見知らぬ男性が座っていた。バックミラー越しに見える顔には黒いサングラスがかけられ、その表情は全く読み取れない。その男性は一葉さんが乗り込んだのを確認すると、淡々とした声で言った。
「お待ちしておりました、舞久蕗様。」
一葉さんはシートに深く身を沈めると、落ち着いた声で返した。
「ええ…では、予定通り向かって下さい。出来る限り目立たず迅速にお願いします。」
「畏まりました。」
男性は簡潔にそう答えると、車を発進させる。
心臓は再び警鐘の様に鳴り響き、冷静さを失った私は矢継ぎ早に質問を投げかけた。
「一葉さん、どういう事なんですか?この人は一体?それに、壱月や私を欺いて何処に向かうっていうんですか!?」
一葉さんは私の焦りを受け止めるかの様にゆっくりと此方へ顔を向けると、微かに眉を下げた。
「……嘘をついて申し訳ありませんでした、羽闇嬢。君を不安にさせてしまったのは僕の配慮不足だ。まずは紹介をしておきましょう…彼は一葉家の部下であり、僕の専属運転手である鷺村です。」
鷺村さんと呼ばれた男性はミラー越しにペコリと頭を下げた。一葉さんはそれを気にする素振りもなく言葉を続ける。
「そして、君とこれから向かう先は―一葉の本家。…つまり、私の実家ですね。」
私は目を見開いた。デートで婚約者候補の実家に行くという事実に更なる混乱を覚え、頭の中が真っ白になる。
「ど、どうして急に一葉さんの実家に……?」
一葉さんは深々と息を吐くと、重い決断を下すかの様に話し始めた。
「……君と華弦が先日、敵の襲撃を受けたのは僕も把握しています。華弦は毒に冒され、一時は瀕死の状態にまで陥った。夜空も君とのデートの際に敵に襲われ深手を負ってしまった。これらの報告を受け、羽闇嬢の安全を最優先に考えたデートプランが必要だと判断したのです。」
華弦と共に敵の襲撃に遭ったあの日、彼は艶との戦闘で重傷を負い、私は自分の不甲斐なさを痛感した。
夜空君の時も同様だ。たまたま月姫に覚醒出来たから助かったものの、彼が倒れるまで私は無力だった。
「敵の狙いは月姫である君だ。デパートや図書館へ出向くと見せ掛けたのは、万が一の奇襲に備える為の口実に過ぎません。この真意は萱にさえ伏せておく必要があった。そして、ここからが本題です…今から向かう本家は羽闇嬢にとっても最も安全な場所と言えるでしょう。」
「最も、安全?」
「一葉家は結界に強い一族でしてね。敵意ある者が一歩たりとも足を踏み入れる事が不可能という古くから伝わる特殊な結界が張られています。そこにいる限り、君の身に危険が及ぶ事は決してありません。」
隣に座る一葉さんの横顔をじっと見つめた。彼は相変わらず涼やかな表情で前を見据えているが、その言葉には強い責任感が伝わってくる。
「…そうだったんですね。私、全然知らなくて一葉さんを警戒してしまいました…ごめんなさい。」
私は頭を下げて謝ると、一葉さんはそんな私に薄く微笑んだ。
「謝る必要はないでしょう、あれだけ敵の襲撃に遭えば無理もない。…それに、ご理解頂けたのなら幸いです。」
説明を聞き、私の胸にあった不安は完全に安堵へと変わっていく。何よりも真剣に私を守ろうとしてくれている彼の気持ちが何よりも嬉しかった。
私は以前に華弦が言っていた言葉を思い出した。
『時間を掛けて色々と話していくうちに彼がどれだけ繊細で心優しい人かを知ったんだ。』
「(…華弦の言う通りだったのかもしれない。単に感情を表に出さないだけで、この人は本当は凄く優しい人なのかも。)」
先程話していた場所が囮と知った時は衝撃を受けたが、私の安全を第一に考えての行動だと理解した事で一葉さんへの信頼がより一層深まった。
「そういえば…一葉さん。」
「ん?どうしました?」
「実家ってことは…まさか、ご家族にご挨拶とかあったりするんじゃ…!?」
すると、一葉さんは堪えきれないといった様に笑いを零した。普段の彼からは見られない明るい表情に、私の胸が小さく高鳴る。
「フフッ…ハハッ…!面白い事を言ってくれますねぇ。家族への挨拶ですか…まぁいずれはその様な機会も訪れるやもしれませんが、今日ではありませんので安心して下さい。」
「じゃあ…その、そこで私は何をしたら…?」
再び尋ねると、一葉さんはさらりと答えた。
「世間ではこの様なデートを『お家デート』などと言うそうですね?難しい事は何も考えずに君は只、楽しんでくれればいい。」
「ええええっ!?お家デート!?」
その単語に思わず声を上げた。ショッピングデートから彼の実家デートに切り替わるとは、何とも予想がつかない展開だ。
「僕の実家ならば、外部からの干渉を受けませんので完全に安全な状態で心からリラックスして過ごす事が出来るでしょう。」
一葉さんは腕を組みながら満足げな笑みを浮かべる。すると、私はふと別の疑問が頭をよぎった。
「あ…でも、図書館はいいんですか?一葉さん、あんなに天文学の論文集が気になってたのに…。」
その問いに一葉さんは僅かに目を細めると、意外な答えを口にした。
「嗚呼…あの論文集ですか?羽闇嬢が興味を持ってくれた事は何とも嬉しいが、残念ながらそれは既に片付いていましてね。」
「片付いている?」
「僕は読書を趣味としているのは君も知っていますね?以前から図書館には足繁く通っております。…論文集については、先日あの場所を訪れた際に既に内容を把握しております。」
デート前に抜かりなく自分の用事を済ませていたとは。全てを先読みしているかの様な彼の完璧な計画性に改めて驚かされる。
「…一葉さんって、本当に凄いですよね。効率的、というのか…。」
「無駄な事は極力省くのが私の信条ですから。せっかく興味を持ってくれた君には申し訳ない事をしてしまいましたが、図書館でのデートはまたの機会に。勿論、今回のデートも君に後悔はさせるつもりはありませんよ。」
優しい眼差しに私の顔がカーッと熱くなるのを感じた。手のひらがじんわりと汗ばみ、身体中が熱を帯びていく。恥ずかしさでつい視線をそらしてしまう。
「え、あ、ありがとう御座います…!」
「おや?随分と顔が赤いですが…もしかして、私とのデートに興奮しているのですか?それとも、私の言葉に照れているのでしょうか。どちらにせよ、君のそんな反応は見ていて実に面白いですねぇ…フフフッ。」
真っ赤になった私の顔を見た一葉さんは面白がる様に此方を見つめてくる。そんな彼の様子に私の羞恥心は募る一方だった。
「ちょっと、一葉さん!からかわないで下さいよ!」
キッと睨んで抗議したが、一葉さんは愉快そうにクスクスと笑うだけだった。
一葉さんの実家という、月姫である私にとって最も安全な場所で彼と二人きりの時間。
これから始まるお家デートはどんな事が待ち受けているのだろう。それはきっとこれまでのデートとは全く違う、特別なものになるだろうと期待に胸が膨らむばかりだった。




