第80話【ドタバタな見送り】
鳳鞠君の髪はまるで鳥の巣の様に乱れ、パジャマの襟元はよれて、顔には枕の跡までくっきりと残っている。しかも片方はスリッパを履いているのに、もう片方は裸足だった。
「ぜぇ…はぁ……!ま、間に合った…!?」
ゼエゼエと肩を上下させ、荒い息遣いの鳳鞠君は真っ赤に紅潮した顔で私を見つめた。
そんな鳳鞠君の姿を見た華弦は我慢しきれないといった様子で「ぷっ!」と噴き出し、すぐに両手でお腹を抱えながらゲラゲラと声に出して笑い始めた。
「アハハハハッ!!おっそーい、ほまりん!てか、何その格好!せっかく見送りに来たんなら、せめて着替えてこれば良かったのに〜!ヒヒッ…っくくくっ!ヤバ…お腹痛い、笑いすぎて涙出てきた〜っ!!」
華弦は涙を流しながら笑い続け、鳳鞠君を見つめては再び爆笑した。
鳳鞠君はそんな彼をキッと睨み付けると両頬をプクッと膨らませ、悔しそうに口を尖らせた。
「華弦の馬鹿っ!あんなに起こしてってお願いしてたのに、何で起こしてくれなかったんだよ!?うぅ〜…ばっちりキメてから羽闇を見送ろうと思ってたのにぃ!」
鳳鞠君は怒りに震える声で訴えかけるが、華弦は相変わらず笑い続けている。
「ハッハハ…!いやいや、僕とよぞらんで何度も起こしたよ?君が全然起きなかっただけだって。いくら揺すっても枕に顔を埋めたままで、いびきまでかいてんだからもうどうしようもなかったさ!僕だってほまりんを叩き起こしてあげたかったけど、よぞらんが『そんな事したら可哀想』って言うもんだから仕方なく起こすの諦めたんだよ♪」
「え!?そうなの!?うぅ…俺ってばまた早とちりを…!だって、ついさっき目が覚めてさ…時計を見たらもうこんな時間で、俺びっくりしちゃってそのまま慌てて走って来たんだ。てっきり、皆俺を置いて先に行っちゃったのかと…。」
華弦の笑いながらも呆れた様子に鳳鞠君は眉を下げ、がっくりと肩を落としている。
そんな鳳鞠君に夜空君は優しく微笑みながら近づき、彼のぼさぼさの髪をそっと撫でた。
「僕達はそんな事しないから大丈夫だよ、火燈君。それにしても、ギリギリ間に合って良かったね。羽闇ちゃんもきっと喜んでいると思うよ?」
「…おはよう、鳳鞠君。こんなに急いでお見送りに来てくれて凄く嬉しいよ!」
鳳鞠君が私の為に此処まで慌てて駆けつけてくれた事が何よりも嬉しくて、思わず笑みが零れる。
私は鳳鞠君に心からの感謝を伝えると、鳳鞠君は顔を真っ赤にして少し照れた様に視線を泳がせた。
次の瞬間、彼は一目散に私の元へ駆け寄り、ふいに私の体をぎゅっと抱きしめた。その体温はいつもより少し温かく、じんわりと私の体に伝わってくる。
「うぅ〜っ…羽闇っ!!こんな姿でごめんねぇ!でも、どうしても見送りに来たかったんだ!また前みたいに敵に襲われるんじゃないかって思うと、俺すっごく心配だよ…。止めたいけど大旦那様に怒られちゃいそうだし…気を付けて行ってきてね…?」
私の肩口に顔を埋めながら、鳳鞠君は心配そうに呟いた。その声には、私の身を案じる純粋な気持ちが込められていて、胸が締め付けられる。
「ありがとう、鳳鞠君。今度はちゃんと警戒するから心配ないよ、一葉さんも一緒だしね。」
その言葉に反応したのか、鳳鞠君は突然顔を上げると、潤みながらも揺るぎない眼差しで付け加えた。
「そうだ!ついでに、もし舞久蕗に襲われたら容赦なくビンタしてもいいからね!?」
鳳鞠君の突拍子もない言葉に、私は思わず「へ?」と声を上げてしまった。
「その時は俺からも後で舞久蕗にお仕置きするからね!羽闇には、よしよしって褒めてあげる!」
「ちょ、ちょっと待って鳳鞠君!『襲われたら』っていうのは…敵の事だよね?一葉さんじゃなくて―」
私の戸惑いの声を聞くと、華弦が面白そうにニヤリと口角を上げて鳳鞠君に便乗してきた。
「そうそう♪ほまりんの言う通りだよ、羽闇ちゃん!万が一、一葉君が羽闇ちゃんに変な気を起こしたりしたら遠慮なく月の力でこてんぱんに懲らしめてあげてね?その方が面白いし、後で僕が一葉君を笑いものにしてあげるから遠慮なくやっちゃっていいよ、アハハッ!」
華弦は愉快そうに目を輝かせながら私にけしかけた。彼の場合は半分冗談、半分本気といったところだろう。
「か、華弦まで何言ってるのよ!?一葉さんがそんな事するわけないでしょ!…多分。」
それまで私達のやり取りを静かに聞いていた一葉さんは僅かに眉をひそめながら呆れた表情を浮かべており、深々と溜め息を吐いた。
「…君達は僕を何だと思っている?全く…黙って聞いていれば酷い言われ様だ。先に言っておきますが、今回僕は羽闇嬢をエスコートする身であり、決して不埒な真似をするつもりなどありませんよ。」
一葉さんは少し困った様な声でツッコミを入れる。その口調は何処か諦めが含んでおり、夜空君もそんな彼らのやり取りを微笑ましげに見守りながら、小さく口を開いた。
「二人共、一葉さんを困らせてはいけないよ。羽闇ちゃんも、きっと心配いらないからね。」
一葉さんは穏やかに微笑むと、私に視線を向け、優雅に片手を差し出した。
「では参りましょう、羽闇嬢。時間が少々オーバーしていますので。」
彼の紳士的なエスコートに、私は自然と差し出された手を取った。一葉さんの指先はひんやりとしていて、彼の物静かな雰囲気がそのまま手のひらから伝わってくる。
「は、はい!一葉さん、今日は宜しくお願いします!…」
「此方こそ宜しくお願いします。」
私達は壱月を先頭に、部屋を後にした。背後からは恐らくまた華弦が鳳鞠君の姿を見てからかっているのか、二人の言い合っている声が聞こえてくる。
どうやら華弦達は玄関まで見送りに来てくれるらしい。私と一葉さんは共に広間を出て、壱月が玄関の扉を開けてくれた。その先に待つ車へ向かうと、三人はそこから大きく手を振ってくれた。
「羽闇ちゃん、程々に楽しんできてね〜!あんまり一葉君と仲良くしたら駄目だよ!帰ったら、僕と沢山イチャつこうね〜♪」
「行ってらっしゃい、羽闇!気を付けてねー!」
「羽闇ちゃん、行ってらっしゃい。一葉さんがいるから大丈夫だと思うけど、何かあったら僕達も駆け付けるから!」
賑やかな声援に見送られ、壱月の運転する車に乗り込んだ私はゆっくりと動き出した車窓から彼等に手を振り返した。
「三人共、本当にありがとう!行ってくるねー!」
間もなく車は滑る様に月光邸の敷地を出て、未知の場所へと進み始める。
「(結局、場所を教えて貰えないまま当日を迎えたわけだけど…一体何処に向かっているんだろう?何だか緊張するなぁ。)」
複雑な感情が胸の内に満ち、私は窓の外を流れる景色に目を凝らした。




