第79話【思惑交錯、月姫の課題 】
「そういえば、一葉君。今回のデートは仕方なく許してあげるけど、僕の羽闇ちゃんに妙な気を起こさないでよね?…せっかく羽闇ちゃんとラブラブな雰囲気になれたのに、水を差されたら困るしね♪」
悪戯っぽい笑みを浮かべた華弦は私と一葉さんの間にするりと入り込む形で一歩踏み出し、腕を組みながら一葉さんを軽く挑発する。そして追い打ちをかける様に、衝撃的な事実を告げた。
「何せ僕達、この間のデートでキス寸前までいったんだからさぁ?嗚呼…あの時、艶ちゃんの邪魔が入らなきゃ今頃僕は羽闇ちゃんの正式な婚約者だったのに!もう少しだったのになぁ!」
私は思わず息を呑んだ。心臓がドクリと跳ね上がり、全身の血の気が引いていく。まさか、あの時の事をこの場で口にされるとは思ってもみなかった。しかもよりにもよって、私が密かに想いを寄せる夜空君がすぐそこにいるというのに。
信じられない思いで華弦を見上げると、彼はニヤニヤと笑みを深めているだけだった。
羞恥と焦燥感が全身を駆け巡り、私の頬は一気に熱くなる。顔だけでなく耳の先まで、茹でダコの様に赤くなっているのが自分でもはっきりと分かった。
「ちょ、ちょっと華弦!何て事言ってるのよ!?誤解を招く様な事言わないでっ!」
私は必死に華弦を止めようと、慌てて彼の腕を掴んだ。だが彼は意に介する様子もなく、楽しそうに私の言葉を遮った。
「誤解も何も本当の事でしょ?羽闇ちゃんも僕の事、満更でもなかったくせに♪」
「だから、そんなんじゃないってば…!」
隣に立つ夜空君は、私の必死な否定と華弦の挑発に困った様に苦笑いを浮かべるだけだった。
そんな華弦の挑発を一葉さんは涼しい顔で受け止めていた。その表情はぴくりとも動かず、まるで微塵の動揺も感じさせない。
「ほう…随分と進展されましたね。しかし、華弦。君は相変わらず羽闇嬢にご執心であらせられる様ですが、人の心というものは移ろいやすいものですからねぇ…。このデートで彼女が君ではなく、僕に心を傾ける可能性も決してないとは言い切れませんよ…?」
一葉さんはまるで余裕綽々といった様子で軽く受け流しながら、華弦をからかう様な口調で言い返す。
一瞬、華弦は拗ねた様な表情を見せたが、すぐにまたいつもの笑顔に戻り、一葉さんと軽口を叩き合う。
「へぇ、一葉君はそう思ってるんだ?でも残念、羽闇ちゃんは僕だけのものだからね。彼女がそう簡単に君に心を傾けさせるわけないじゃん♪…もしそんな事になったら、僕ってば本気で拗ねちゃうかもな〜?」
華弦はそう言って、私に視線を向けると意味深に目を細めた。その瞳の奥には、彼特有の強い独占欲がちらついている。
「こら華弦、強引な真似は感心しませんよ。」
一葉さんの言葉には嗜める響きがあった。しかし、華弦は涼しい顔でその忠告を受け流す。
「え〜、だって羽闇ちゃんが他の男に心を傾けるなんて考えられないんだもん。この僕を差し置いて、ありえないと思わない?よぞらんもそう思うでしょ?」
「藤鷹君が羽闇ちゃんの事を大切に思ってるのは分かってる、君に先を越されている事も。でも、独占欲が強すぎるのはあまり良くないかな?…僕としては、羽闇ちゃんが最終的に誰を選ぶかちゃんと見守らせて貰うつもり。勿論、婚約者候補の一人である僕もその選択肢の一つになれる様に頑張っていくよ。」
夜空君の言葉は私の気遣いや華弦への配慮も感じさせる優しいもので、それを聞いた華弦は更に面白そうに口角を上げる。
私だけが彼等の会話にどう反応していいか分からずに、只、呆然と立ち尽くしていた。
「…羽闇様、少々宜しいでしょうか?」
その様子をそばで眺めていると、壱月が控えめに手招きをしながら私にしか聞こえない声量で声を掛けてきた。その仕草からは、何か内緒の話があるという事が伝わってくる。
すっかり会話に夢中になっている三人に気付かれない様にそっと壱月の元へと向かった。
「壱月…?どうしたの?」
壱月の背筋はぴんと伸び、その佇まいは一切の隙がない。彼の表情はいつもよりも真剣で、何か重要な内容なのだとすぐに分かった。
「羽闇様。大変恐縮ですが、有栖川様から伝言を預かっております。」
「伝言?」
「はい。有栖川様が兼ねてよりお伝えしておりました月姫様の歌の創造について、『今回の特訓のお休みに代わる課題として、歌を創造しなさい』との事でした。因みに期限は本日から一ヶ月だそうです。」
「えっ…歌の創造!?それを、一ヶ月の間に…!?」
私の口から出たのは、情けない程間抜けな声だった。頭の中が真っ白になる。『歌の創造』という課題は以前から有栖川さんに言い渡されていたけれど、自信がない私はそれを暫く先延ばしにしていた。彼女もとうとう痺れを切らしたのか、こんなタイミングで言い渡されるなんて。
月姫としての新たな使命の重圧がずしりと私の肩にのし掛かるのを感じ、困惑と不安がじわじわと胸の中に広がっていく。
そんな様子を見兼ねた壱月は、そっと私に寄り添う様にして静かに言葉を重ねた。
「羽闇様…どうかご気楽になさって下さいませ。何しろこれまで数々の試練を乗り越えてこられた貴方です。この歌の創造も、きっと貴方ならば乗り越えられるでしょう。」
「壱月…」
有栖川さんからの課題に打ちひしがれそうになりながらも、彼の言葉に一筋の光と僅かな希望を見出していた、その時だった。
ドタドタッ!バタバタッ!
突如として、廊下の奥から慌ただしい足音が響いてきた。それは単調なリズムではなく何かに焦っているかの様に速く、不規則で、そしてどんどん此方に近づいてくる。状況からしてこんなにも騒がしい足音を立てる人物は、恐らく彼しかいないだろう。
その音に気付いたのは、私だけではない。華弦に夜空君、そして一葉さんも一斉に廊下の方向へと視線を向けた。
「おや、この足音は…?」
一葉さんが静かに呟くと、華弦が愉快そうに唇の端を歪ませた。
「フフッ…このドタバタした音は、間違いなくほまりんじゃない?」
「良かった。火燈君、目を覚ましたみたいだね。」
夜空君もまた、小さく微笑みを浮かべながら優しい声で頷く。そして、私達の予想は見事に的中した。
ガチャ!!と音を立てて、部屋の扉が勢いよく開け放たれる。
「は、はははは羽闇ぃ!!」
今にも転びそうな勢いで飛び込んできたのは案の定、寝癖だらけの髪をぼさぼさにし、どう見ても先程起きたばかりのパジャマ姿の鳳鞠君だった。




