第73話【月下の守護達】
「だからこそ、藤鷹家や他の婚約者候補達の家も遥か昔から月光家を守護してきたんだよ。月光家は能力者一族全体の、いわば『護り手』だからね。その力が悪しき者の手に落ちたり、暴走したりする事のない様に僕達が代々見守りながら支え続けてきたってわけ♪」
華弦は私が知らなかった『月姫』という存在のもう一つの側面を教えてくれた。人々を守る力を持つ月姫が、実は他の家系によって長きに渡り守られてきたという事実。それは、私が抱いていた月姫のイメージをより複雑で重みのあるものに変えた。私一人の力だけではない。もっと大きな繋がりの中で、私が月姫として存在しているのだと改めて実感させられた気がした。そして華弦を含む婚約者候補達が単なる伴侶候補というだけでなく、月光家を守護する一族の代表であるという重い責任を背負っている事も理解出来た。
「私って本当に何も知らなかったんだなー…。お母さんは何も教えてくれなかったし、親戚もいないって聞かされてたからさ。月光邸に迎え入れられるまではまさかこんな大きな一族や特別な力を持つ人達がいるなんて夢にも思わなかったよ。っていっても、非現実的すぎて昔聞かされていたところで多分信じてないかもしれないけど…!」
「まぁ、一般人に特別な能力がどうのって言ったところで中々信じてはくれないだろうからねぇ♪」
華弦はうんうんと頷いた。彼から語られた月光家と、それを守護する能力者一族の歴史は私の知らなかった世界の広がりを突きつけた。普通の女子高生として生きてきた私にはその全てが衝撃的で脳裏に様々な疑問が渦巻く。その中でも特に気になったのは、この月光邸で私を支えてくれる大切な存在の事だった。
「ねえ、華弦。月光家当主の大旦那様は当然知っているだろうけど……壱月はこの事を知っているのかな?」
私は恐る恐る尋ねた。壱月はこの屋敷で私達を一番近くで支え、いつも寄り添ってくれる存在だ。彼の顔を思い浮かべながらこんなにも重大な事実を彼が知っていたのかどうも気になって仕方なかった。もし知っていたなら、何故私に話してくれなかったのだろうという疑問も湧いてくる。以前に『月光家の歴史に興味があれば書斎へ』とは言われていたが、候補達が深く関係している話位は教えてくれても良かった筈だ。
私の言葉を聞いた瞬間、華弦の指がカップの縁でピクリと震えたのが見えた。その刹那、彼の纏う空気が先程までの穏やかさを失い、微かに張り詰めた様に感じられた。部屋に僅かな沈黙が流れる。まるで私の言葉が何かの境界線を越えてしまったかの様な、妙な気まずさが生まれた。
「…さあ?萱君が知っているかはどうだろうね。」
華弦はいつもの笑みに戻り、努めて明るい声でそう言った。彼の声は普段通り優しく響いたが、その表情には何処か読めないものが張り付いている様な気がした。私はその曖昧な返答に言葉を失う。
「それよりも羽闇ちゃん。話を戻すけどさ、一葉君にデート場所は内緒にされていてもあまり気にしない方がいいっていうのはさっき言ったよね。」
華弦はあえて別の話題を切り出し、間を置かずに続けた。その言葉の選び方には、明確にこの話題を避けたいという彼の意図が感じられた。
「うん、聞いたけど。」
私は小さく頷いた。彼の表情の変化と突然の話題転換に、私の胸はざわつきを覚える。
「これは僕からの忠告なんだけど。当日に場所を知ったとしても、デートが終わるまでは誰にもその場所を伝えない方がいい。月光家の使用人にも…特に《《萱君には》》絶対に教えてはいけないよ。」
「へ…壱月?」
華弦の言葉は、まるで釘を刺す様だった。特に『萱君には絶対に教えてはいけない』という部分が、私の耳に強く残る。何故、壱月には絶対に伝えてはいけないのだろう?何か隠された意味でもあるのだろうか。先程の壱月に関する質問への曖昧な返答とこの突然の具体的な忠告が私の頭の中で繋がり、新たな不穏な予感を伴って膨らんでいく。
「…どうして?何か理由があるの?」
私は戸惑いながら問い掛けたが、華弦は何も答えてくれない。只、彼の切れ長の瞳が普段の悪戯っぽい輝きを失い、真剣にまっすぐに私を見つめているだけだった。その普段とは違う表情に私は思わず息を呑んだ。彼の瞳の奥には何か強い意思が込められているのを感じられ、これ以上は聞かないでと無言で語りかけているかの様だった。その強い眼差しに私の言葉は喉の奥に引っ込んでしまう。
「…うん、分かった。誰にも言わないよ。」
彼の真剣さに圧倒され、結局私はか細い声で頷くしかなかった。すると華弦はふっと笑みを浮かべ、柔らかな表情に戻った。彼の纏っていた緊張感が音を立てて消えていく。
「そうしてくれると助かるよ。あらら、紅茶が冷めてしまったみたいだね。新しいのを入れ直して貰おうか♪ダリアちゃーん!」
そう言って華弦はテーブルの上のベルを手に取ると、チリンと軽やかな音を鳴らした。やがて廊下からパタパタと可愛らしい足音が聞こえてくる。足音が近づいてくると軽やかにノックされ、すぐに扉が開かれた。
「はぁーい!藤鷹様、羽闇お嬢様、お呼びでしょうか?」
元気いっぱいの声と共にダリアがぱたぱたと小走りで入ってきた。白いフリル付きのエプロンが、彼女の動きに合わせてひらひらと揺れる。明るくきゃぴっとした笑顔は、部屋の中にぱっと花が咲いた様な華やかさをもたらす。彼女の手には銀のトレイがあり、そこにはお湯の入ったポットやティーカップとソーサーが用意されていた。
「やあ、ダリアちゃん♪実はせっかくの紅茶が冷めてしまってね…申し訳ないんだけれど、紅茶を淹れ直してくれないかな?」
華弦が優雅に言うと、ダリアはにこやかに頷いた。
「うふふ…そう仰られるかと思いまして、既にご用意させて頂きました!美味しい紅茶はこのダリアにお任せ下さいませ、今日もとびきり美味しいものをお淹れして差し上げます!」
ダリアは手慣れた様子で、既に準備していたティーセットをテーブルに並べ始めた。心地よい音を立てて、熱い紅茶がティーカップに注がれていく。湯気と共に芳醇なアールグレイの香りが再び部屋に満ちる。
「お待たせ致しました!お熱いので火傷には注意して下さいね、お口に合うといいのですが…。」
「…流石だね。凄く美味しいよ、ダリアちゃん♪もう僕の専属メイドとして雇いたい位だ!」
華弦は淹れたばかりの紅茶を一口含むと、心底感嘆の声を上げた。その彼の賛辞にダリアは頬を染めながら照れた様に首を振る。
「もう、藤鷹様ったらまたそんなご冗談を…!ささ、羽闇お嬢様。冷めないうちにどうぞ!」
「ありがとう、ダリア…。」
満面の笑みで差し出された、湯気の立つ温かいティーカップ。私の心は華弦の言葉で感じていた重苦しい空気から少しだけ解放された気がした。ダリアの明るい笑顔と目の前の温かい紅茶に、私の胸のざわつきは一時的に薄れていく。しかし、華弦の言葉が深く刻まれている事に変わりはなかった。壱月にだけは絶対教えてはいけないという疑問が新たな不穏な予感を伴って、私の胸に重くのしかかる。
温かい紅茶を一口飲む度に、その謎がじんわりと私の心に広がっていくのを感じるのだった。




