第67話【騒動の終息?意外な一面②-壱月萱Side-】
「藤鷹様。お怪我はもう宜しいのですか?まだ完治されていらっしゃらないのでは…。」
私の声は酷く事務的で、感情が抜け落ちていた。月光邸の執事として求められる厳格な姿勢の現れであり、同時に私の奥底に渦巻く個人的な感情――先日の襲撃で深手を負ったこの男への複雑な感情を隠蔽する為の盾でもあった。
あの夜―彼は羽闇様を守る為に深手を負った。そして敵の毒に侵され、一時は危険な状態に陥った。彼の驚異的な回復力は聞いているが、実際にこうして動いている姿を見るのは数日ぶりだった。
「嗚呼、もう平気だよ。…おかげ様で、ね?」
藤鷹様は口元に皮肉な笑みを浮かべながら、からかう様な響きを込めてそう言った。『おかげ様で』という言葉に感謝は含まれていない。むしろ、私を試す様な…あるいは侮蔑している響きさえ感じられた。
「(…相変わらず、この男の性根は歪んでいる。)」
内心、強い嫌悪感を覚える。この男とはどうにも相性が悪い。言葉の端々、表情の全てが私を苛立たせる。
「そういえば、最近お屋敷で幽霊騒動が起こってるって聞いたんだけど。で、その原因が分かったんだって?」
藤鷹様は、他愛もない噂話をするかの様に楽しげな声で言った。やはりこの月光邸に蠢く情報網は彼の耳にも届いていたか。
「まさか、幽霊の正体が羽闇ちゃんだったなんてねぇ。」
クスクス、と楽しげな笑いが漏れる。その響きに、私の眉間が自然と引き攣るのを感じた。恐らく、使用人の誰かから聞いたのだろう。それを心底楽しんでおり、隠しきれない好奇心と悪意にも似た愉悦が浮かんでいるのが見て取れる。
藤鷹様の様子に呆れと怒りが募る。彼の存在は、月光邸の平穏を乱す羽闇様の悪戯と同じ位…あるいはそれ以上に、私の神経を逆撫でする。
「…藤鷹様は、どちらでお聞きに?」
私は表情には一切の動揺を見せない様に、努めて冷静に問い掛けた。声は微かに低くなっていたかもしれないが、それは意識的なものだ。
「んー…何処でだろうね♪まあ、どうでもいいじゃないか。それにしてもさぁ…」
私の質問が取るに足らないものだと言いたげに、藤鷹様は問い掛けを軽く流した。
彼の顔には隠しようもない高揚感が浮かんでおり、瞳が愛おしむような色を帯びている。それは、紛れもなく羽闇様へと向けられた感情の色だ。そして、その感情が、彼の言動の全てを突き動かしている。
「いやぁ…びっくりしたよ。だって、あの羽闇ちゃんが悪戯だよ?ちょっとドジだったりするけど、いつも一生懸命なのにああいう小悪魔みたいな一面もあるんだね♪他の婚約者候補達も驚いてたよ。よぞらんとほまりんは苦笑いしてたけど、一葉君とみこ君は呆れた顔してたなぁ。何かさー…益々、羽闇ちゃんの事が好きになっちゃったよ。」
私は言葉を失った。
羽闇様―私の説教を何処か馬耳東風に聞き流し、悪戯を後悔するどころか次に何をしようかと考えているに違いない、あの月姫様は。
そして、その悪戯の正体を知って、呆れるどころかますます好意を募らせているこの男。藤鷹様は子供の様に目を輝かせ、無邪気な声で嬉しそうに続けた。
「それで…君にお説教されてたんだろ?羽闇ちゃんはどんな様子だったのかな。シュンとしてた?それともちょっと反省してる顔してたとか?教えてよ、萱君♪」
「…仰る通り、羽闇様には少々厳しいお話を聞いて頂きました。羽闇様は…誠に一筋縄ではいかないお方でいらっしゃいます。ご自身の立場を全く理解されておらず、悪戯などという幼稚な行為を遊びの様に楽しんでおられる…!今後の教育方針について、課題が山積しております。困ったものです。」
丁寧な言葉を選びながらも、私の声には隠しきれない疲労と羽闇様への呆れが滲んでいた。それは、彼に対する諦めにも似た感情だったかもしれない。
それを聞いた藤鷹様は、含みを持たせた笑みを浮かべながら目を細めた。彼の甘い声が静かな廊下に不気味な程に響く。
「ハハッ、やっぱり羽闇ちゃんって最高だねぇ…!月姫という特別な存在でありながら、飾らないあの無邪気さ…他の子達にはない魅力だよね。悪戯しちゃうところも、僕からしたら凄く可愛いと思うんだけどなぁ♪」
藤鷹様は飄々とした態度を崩さず、私に向かってウィンクしてみせる。
可愛い?どの口が言っているのだ。羽闇様の悪戯を肯定し、更に面白がっているこの男が彼女の婚約者候補の一人だという事実がどうにも腹立たしかった。私の苦労は、彼にとっては単なる『面白い出来事』に過ぎないのだろうか。
「ねえ、萱君。羽闇ちゃんがまた何か悪戯を企んだら、今度は僕も手伝っちゃおうかなぁ。きっと凄く面白いと思うんだよね〜♪」
その言葉が私の心に容赦なく追い打ちをかける。疲労困憊で、私の苦労を嘲笑っているとしか思えなかった。
「…藤鷹様。羽闇様の悪戯を助長なさる様な発言は、くれぐれもお控え下さいませ。あの方の…月姫様としての品位に関わる事で御座います。」
私は冷静な口調を保ちながらも、釘を刺すように言った。しかし、私の言葉が彼に届いているという実感は全くなかった。
「やだなぁ、僕は羽闇ちゃんの本質を見てるだけだよ♪あの無邪気な笑顔を守ってあげたいんだ。」
藤鷹様は飄々と返す。その言葉は、私の苦言を戯言だとでも言いたげだった。
私はもう何も言う気になれなかった。
この男と話しているとどうにも調子が狂う。だが、重ねて釘を刺しておくべきだろう。
「…私は月光家の執事として、羽闇様の安全と平穏を守る義務が御座います。それをお忘れにならないで下さい。」
「はいはい、分かってるって。」
藤鷹様はそれだけ言うと、口元に笑みを浮かべたまま再びゆっくりとした足取りで廊下を歩き始めた。その背中を見送りながら、私は全身の力が抜けるのを感じた。藤鷹様が立ち去った後の静寂の中で、私は再び深く息を吐く。
月光羽闇様。そして、藤鷹華弦。
月姫としての自覚が足りない悪戯好きな主人とその無責任な行動さえも肯定し、助長しようとする婚約者候補。そして、その二人の間で執事として板挟みになっている私。
「(この先、一体どうなる事やら…前途多難とはまさにこの事か…。)」
癒えない疲労を感じながら、私はこの先の道のりが果てしなく長く、そして困難なものになるだろう事を静かに覚悟する。
しかし、この状況に抗う事への決意も胸に芽生え始めていた。不毛なやり取りの中で、私は執事としての使命感をより強く胸に刻み直していた。
お読み頂きありがとう御座います!
66.67話は、壱月萱の視点でお届けしました。
羽闇の引き起こした『幽霊騒ぎ』が、壱月の目にはどう映っていたのか。そして彼の天敵である華弦との対話。壱月の苦労を少しでも感じ取って頂けていたら嬉しいです。
次回もお楽しみ!




