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月の婚約者〜私の運命の相手は誰?〜  作者: 紫桜みなと
4章

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第61話【塗り替えられた肖像-藤鷹華弦Side-】

一葉君の淡々とした、有無を言わせぬ声の響きが僕の思考回路を一時停止させた。

そして、包帯で固められた身体が僅かに強張るのを感じた。


「…え、ちょっと待ってよ一葉君。それってつまり…?」


一葉君は僕が驚く事を予期していたかの様に静かに頷く。彼の瞳には先程までとは違う明確な意図の光が宿っていた。


「…ですから、萱は君達に嘘をついている可能性が高いという事です。華弦。」


その言葉がすとんと僕の耳に入り、その意味を完全に理解した瞬間―全身に電流が走った様な衝撃を受けた。

嘘…?萱君が?あの月光家の優秀な執事君が?


「…嘘を、ついている?」


思わず、言葉を繰り返す。『嘘』という単語を反芻し、その可能性の持つ意味を考え始めた。

一葉君の言っている事が本当だとしたら?昨夜、僕達を迎えに来る筈だった時間に萱君が言った『渋滞に巻き込まれた』というのは真っ赤な嘘だったという事になる。そしてそれは単なる渋滞による遅延ではなく、意図的な…何らかの目的を持った行動だったとしたら?

背筋にぞくりと冷たいものが這い上がった。怪我の痛みとは違う、もっと根源的な得体の知れないものに対する恐怖にも似た感覚だ。

確かに、以前から薄々は感じ取ってはいた。萱君には何か少し…謎というか怪しい感じがある、と。

完璧すぎるが故に逆に人間味がなく、()()()()()()()()()()


「(…そういえば、あの時も…。)」


脳裏にある記憶が鮮明に蘇る。つい最近、僕が羽闇ちゃんとの関係について彼の領域に少しだけ踏み込んだ時の事だ。

僕に挑発を受けたというのもあるだろうけど、萱君は僕に対して全身から張り詰めた空気…そして強い殺気を放っていた。そしてほんの一瞬だったが、懐に手を伸ばそうとしていたのも見えた。

すぐに止めた様だったけれど、その時の彼は…普段の無表情な執事の顔とは全く違っていた。感情が一切感じられない、只の道具の様な冷たさがあった。

もし僕が更に踏み込んでいたら?あのまま調子に乗って、益々彼の逆鱗に触れる様な言葉を続けていたら?


「(彼の様子からして恐らく…僕を…排除しようとしていた、のかもしれないな…。)」


彼の行動の意味が今、一葉君の言葉と繋がって一つの可能性として立ち上がってきた。あの時感じた殺気と懐への動きは、僕を口封じしようとする意図の表れだったのかもしれない。あるいは羽闇ちゃんに関わる邪魔者として僕を消そうとしたのかも。

以前から感じていた妙な怪しさ、明確な殺気や不穏な動き。そして、一葉君が指摘した『嘘』。

これらは全て、点と点が線で繋がる様に『壱月萱』という男の裏側を示唆している。彼は単なる優秀な執事なんかじゃない。彼は…間違いなく何か隠している。そして、その隠しているものの為なら平気で嘘をつき、邪魔になるかもしれない相手に対して容赦のない行動を取る…そういう種類の人間なのかもしれない。

全身に巻かれた包帯がずしりと重く感じられる。だが怪我の痛みよりも、()()()という存在に対する新たな認識…その冷たい事実に心臓の鼓動が早まった。


「(…やっぱり君には何かあるみたいだねぇ…萱君。)」


窓の外では、夕日のオレンジ色が少しずつ濃い藍色へと変わろうとしていた。

その空の色の移ろいの様に、僕の中の萱君という人物像も今まさに決定的に塗り替えられていった。彼は羽闇ちゃん達が思っている優秀で頼りがいのある執事などではない。もっと…危険で、そして未知数な存在だ。

重苦しい沈黙を破って、僕はすぐに口を開いた。この胸の中に渦巻く驚きと得体の知れない不安を、言葉にする事で整理したかったのかもしれない。

あるいは目の前にいる一葉君とこの疑念を共有したかった。


「…ねぇ、一葉君。今の話だけど…」


僕の言葉に一葉君は静かに応じた。彼は相変わらず、そこに生けられた白い百合を静かに見つめている。その声は穏やかだったが、先程の指摘が間違いなく事実である事を示している。


「…ええ。萱があの時間帯に海沿いのルートを通っていたとしたら、渋滞に巻き込まれるという事態はまずあり得ません。」


彼の言葉に再び冷たい現実を突きつけられた。

萱君―あの男は僕達に…羽闇ちゃんに、嘘をついていた。


「んー…そっかぁ…。」


ベッドの上で思わず唸る様に呟いた。

この身体が、あの夜の出来事が、そして今…目の前にある嘘が全て繋がっている。


「…僕さ、以前から萱君には少し変な感じがしてたんだ。」


僕は以前から彼に抱いていた漠然とした違和感について話し始めた。羽闇ちゃんとの関係について問い掛けた時のあの殺気立った様子を思い出しながら言葉を続ける。


「何もかも完璧すぎるっていうか…人間離れしてるって言えばいいのかな?前に一度、彼と羽闇ちゃんの話をしてた時にさ…強い殺気を感じた事があったんだよね。…僕をかなり警戒していて、その上で懐に手ぇ伸ばそうとしてたみたいでね?もし、僕があのまま空気も読まずに話を続けていたら…残酷な結末になってたのかもしれないねぇ♪」


努めて軽い口調で言ってみたが、その言葉に含まれる真実は自分で言っても恐ろしいものだった。

一葉君は僕の言葉を静かに聞いていた。彼の視線は百合に向けられたままだったが、真剣に耳を傾けているという雰囲気が伝わってきた。そしてゆっくりと百合から視線を外すと、僕へと向き直る。


「…華弦。君の感覚は恐らく正しいでしょう。彼の行動には我々が知るべきではない、何らかの意図が隠されている。」


その言葉に背筋が伸びる思いがした。一葉君も僕と同じ様に感じていたらしい。あるいは僕よりももっと深く、彼の本質を見抜いていたのかもしれない。


「…だよねぇ。うんうん、僕の勘は間違ってなかったみたいだ♪」


少しだけ安堵にも似た気持ちが湧き上がってきたが、すぐに新たな疑問と焦りが押し寄せてくる。


「…この件に関しては、もう少し深く調べてみる必要がありますね。」


一葉君が静かに、揺るぎない声で言った。その言葉は僕の中に広がる疑念に確かな方向性を示してくれた様に感じられた。


「そうだね。あの萱君が何を考えてるのか、何を目的にしてるのか…。」


僕は包帯で固められた腕を僅かに持ち上げた。動けない身体がもどかしい。しかし、このまま萱君という危険な存在を放置しておくわけにはいかない。羽闇ちゃんの安全の為にも、他の皆の為にも。


「…良かったら僕も調べるの手伝うよ、一葉君♪今はこんな状態だけど頭は充分に使えるし、きっと何かの役に立てると思うよ…!」


そう言って一葉君に訴えかけてみたが、僕の熱意にも彼は変わらずに穏やかな口調で応じる。その声音には一切の動揺がなかった。


「それはありがたい申し出ですが、華弦。今の君は安静にしているのが最優先です。」


一葉君はベッドの傍らに置いてあった椅子から立ち上がった。彼の動きは滑らかで一切の無駄がない。


「君は怪我の治癒に専念して下さい…無理は禁物ですよ。」


彼の言葉は僕の身体を気遣っている。けれど、それは同時に『今は君の出る幕ではない』と言われている様にも聞こえた。


「…ちぇ〜。せっかく役に立てると思ったのになぁ。」


思わず、そんな言葉が口から漏れる。真剣に協力したいのに、この怪我のせいで何も出来ない。その事実が少しだけ僕を子供みたいに拗ねさせた。


「まずは一葉家で調査を進めてみましょう、情報収集に関しては多少自信がありますので。」


僕の小さな反抗には構う様子もなく、一葉君は淡々と続ける。そして、そこで僅かに言葉を選びながら更に重い可能性を示唆した。


「今回の調査の結果次第では、壱月萱という人物そのもの…彼の過去や素性についても調べる必要が出てくるかもしれません。」


その言葉に僕の中に新たな衝撃が走った。単なる行動の調査じゃない。壱月萱という人間そのものに、未知の何かがあるという事。彼の存在の根幹に関わる秘密が隠されているかもしれないという事だ。


「何か進展があれば、改めて連絡します。」


一葉君はそう付け加えると、静かに医務室の扉へと向かった。彼の後ろ姿は先程まで漂っていた穏やかな雰囲気とは違い、まるで嵐に向かっていく確固たる意志を感じさせた。

彼は静かに扉を開けると、廊下の冷たい空気が医務室の中に入り込んだ。そして、彼は音もなくその空間へと消えていった。静かに扉が閉まる音が僕の中に残された沈黙を強調する。

医務室には再び、僕一人になった。窓の外の空は、すっかり藍色に染まっている。生けられた花々だけが変わらずそこに静かに佇み、微かな香りを放っていた。


「(萱君…。君は、一体何なんだ…?)」


あの無表情な仮面の下、静かな声の奥底には一体何が隠されているんだろう。嫌な予感だけが胸騒ぎの様に広がっていく。

恐らく壱月萱という存在は、この先の全てを大きく揺るがす事になるだろう。

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