第56話【逃れられないもの】
「…あの時戦った敵は、今回の敵と同じ組織だったんだね…!」
夜空君の声が重い事実を受け止めた事による、微かな震えを含んでいた。碓氷さんも腕組みを更に深くしており、その眉間の皺を深くする。鳳鞠君の顔からは驚きと怒りだけでなく、敵組織に対する強い警戒心が読み取れた。
医務室の空気は一瞬にして凝固し、重苦しい沈黙が支配した。数秒にも満たないその時間は随分と長く感じられる。すると、碓氷さんの少し硬質ながらも誠実な声が張り詰めた空気を切り裂く。
「…つまり、だ。今回の襲撃は偶然などではなく、明確な敵意を持った組織による計画的な犯行である可能性があるという事か。」
碓氷さんの言葉に、夜空君がぐっと奥歯を噛み締めながら深く頷く。その表情には納得と同時に新たな危機感の色が濃く浮かんでいた。
「そうなると、今後は警戒を強化する必要があるんじゃないかな?羽闇ちゃんだけでなく、僕達の身辺もだ。いつ何処で、誰が狙われるか…想像もつかない。」
夜空君は不安を滲ませた声でそう言いながら私の方をちらりと見て、その瞳に心配を滲ませる。すると、鳳鞠君が決意を新たにした様に声を上げた。
「そうだよ!これからはもっと気をつけないと!」
私も彼らの真剣な表情を見て、身が引き締まる思いだった。あの夜の恐怖はまだ鮮明だ。これ以上、誰も危険な目に遭わせたくない。
この会話の間、壱月は一切の感情を表に出さず、微動だにしなかった。しかし、彼の視線は私達の話し合いの行方や私の反応…そして婚約者候補達の動揺を捉えているかの様に感じられた。
すると、再び鳳鞠君が今度は先程までの勢いとは違う、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「ねぇ…俺、思うんだけど。暫く…暫くの間で良いからさ、羽闇とのデート…っていうか、危ないからあんまり外に出るのとか…止めた方がいいんじゃないかな…!?」
彼の提案は、私達全員の身を案じる純粋で偽りのない気持ちからきているのが痛い程伝わってきた。
「だって…また奴らがいつ襲ってくるか分からないんだよ!? 羽闇にはもう怖い思いはさせたくないし…!それに今回みたいに俺達の誰か、他の誰かが傷つくのも嫌だ…。」
鳳鞠君の切実な言葉に他の婚約者候補達は深く頷いた。夜空君は優しい瞳で私を見つめ、穏やかな口調で同意する。
「火燈君の言う通りだね。羽闇ちゃん…君の安全が何よりも大切だ。此処にいる皆も、今は無理に外に出るべきじゃない。」
「合理的な判断だ。敵の第一目的が羽闇にある以上、余程の用事がない限りは暫く外出は控えるべきだろう。少なくとも、敵組織の動向が掴めるまでは羽闇とのデートや外出は見合わせるのが賢明だ。」
碓氷さんは真剣な面持ちで言葉を続けた。
皆の心からの心配が嬉しくて、同時に自分の存在こそが皆を危険に晒しているのかもしれないという不安もよぎった。
「私も…それが、良いと思う…。」
感謝と不安…そして恐怖がない交ぜになった複雑な感情を押し殺して、私はか細い声で同意した。私達の思いは一つだった。まずは安全を最優先にする。
その為には今は軽々しく外に出たり、デートをしたりするべきではない。それは、この状況下においては誰にとっても当然で正しい判断に思われた。
その時だった。
「申し訳御座いませんが、それは叶いません。」
しかし、そんな私達の共通認識…ようやく辿り着いた安全への願いを静かに控えていた壱月があっさりと覆した。彼は床を滑るかの様な無音で一歩前に進み出た。その動作には一切の無駄がなく、完璧に整えられた執事の顔には感情の揺れは微塵も浮かんでいない。
「…はぁ?この期に及んで何言ってんの、萱君。」
壱月が断言した直後。ベッドに凭れていた華弦の声が一瞬にして低く、鋭いものへと変わった。普段の彼の明るく、何処か飄々として掴みどころのない響きは完全に消え失せ、そこにあるのは剥き出しの怒りと明確な敵意だった。華弦は体を動かそうとするが、華の力の副作用で自由が利かない身体はいう事を聞かず、ベッドの上で悔しさと苛立ちに顔を歪ませる。
対する壱月は、その激しい感情の発露にも眉一つ動かさない。
「相変わらず空気が読めないねぇ、君。皆が羽闇ちゃんの事を心底心配して、これ以上危険な目に遭わせたくない、だから安全を優先しようって言ってるのが分からないの?…なのに、『それは叶いません』?君は、羽闇ちゃんや僕達を更に危険な目に晒すつもりなのかい?」
華弦はベッドの上から壱月を鋭く睨みつけた。彼の言葉には普段の軽口とは全く違う、真剣な怒りが込められている。正直、華弦と壱月は最近あまり仲が良くないとは感じていた。華弦が壱月を嫌味が含んだ言動を放つ事もあれば、壱月が華弦に対して冷たい視線を向ける事もあった。
壱月は華弦の容赦ない怒りの言葉にも全く動じていない。感情の揺れは微塵も浮かんでおらず、冷静沈着な態度を崩さない。
「…これは、私個人の判断では御座いません。私は月光家の執事として…定められた務めを月光家の意思に従い、遂行しているに過ぎません。」
壱月は、一切の感情を削ぎ落としたかの様な冷たい声で言った。
「面白いこと言うねぇ…『務め』? その務めとやらを優先して、羽闇ちゃんが敵に攫われちゃったりでもしたら一体どうするつもりなんだい!?」
「そうだよっ! 羽闇は本当に怖がっているんだよ!? もう危ない事をさせないで!」
声が荒くなっていく華弦に同意する様に、鳳鞠君が矢継ぎ早に賛同の言葉を述べた。
「壱月さん。流石に今回ばかりは、僕達の安全…特に羽闇ちゃんの安全を考慮するべきだと思います。それが、貴方の最も重要な役割では?」
鳳鞠君に続いて、夜空君までもいつもの穏やかさを封印した真剣な顔で壱月に問い掛けた。
そして碓氷さんもまた、冷静ながらも強い意志を宿した瞳で壱月を真っ直ぐに見据える。
「壱月。お前は月光家の執事として、羽闇の護衛を最優先とすべき立場の筈だ。何故そこまでして危険を冒す事を推奨する様な言動をとるのか。納得のいく説明をして欲しい。」
彼らの感情的な問い掛けと論理的な詰め寄りに対し、壱月は変わらず無表情のままだった。彼は一度静かに目を伏せ、淡々とした声で口を開いた。その瞳には相変わらず感情は宿っていないが、何処か遠いものを見ている様な、定めを受け入れているかの様な無機質な光があった。
「…誠に申し上げにくい事ですが。月姫様…羽闇様の伴侶を選ぶという務めは、月光家にとって最も重要な『定め』に御座います。一族の繁栄、そして存続に関わる何よりも優先されるべき絶対の掟。如何なる事態が起ころうとも、これを滞らせるわけには参りません。」
「定め…!?」
鳳鞠君が呟きながら息を呑むと、壱月は構わず続けた。私達も皆、固唾を呑んで彼の次の言葉を待っていた。壱月はそんな私達の反応には頓着せず、淡々と続けた。
「そして…これは羽闇様ご本人にも、そして婚約者候補でいらっしゃいます皆様にも月光邸にお迎えした際に大旦那様から既に詳しくご説明申し上げました通りに御座いますが。」
彼の視線が私や華弦、そして夜空君、鳳鞠君、碓氷さんへと向けられる。私は月光邸に迎えられたあの日…大旦那様から月姫の運命について聞かされた話を思い出していた。
「代々月姫様は伴侶をお選びになり、二十五歳となるまでにその方との間に女の子をお産みにならなければ…いずれ、死に至るという運命にあります。」
壱月のその言葉が医務室に重く響き渡った。
その瞬間、外部からの敵の脅威とは全く異なる、もう一つの逃れられない絶望的な運命が私達の眼前に突きつけられたのだった。
第56話お読み頂きありがとう御座います!
今回は外部からの脅威だけでなく、『月姫の定め』が突きつけられる回となりました。
婚約者候補達が羽闇の安全を願う優しい気持ちと壱月の揺るぎない『務め』がぶつかり合った時、それぞれが何を思い、どう行動するのか。今後の展開に注目です。
次回もお楽しみに!




